2-6
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日羽鳥のことを「肝心なところで役に立たないやつ」と中傷するのは止めていただこう。
彼女は紛れもなく優秀な霊能力者である。自分たちとはまったく異なる次元の相手と交渉することに関して、彼女の右に出る者はいない。
あの事件のときは幽霊が僕自身に憑いてはおらず、しかも既に手遅れと言ってもいい状態だったから上手い手が打てなかっただけなのだ。その証拠に、僕が霊媒体質になってからの彼女は一匹残らず脅威を振り払ってくれた。実力を兼ね備えた恩人の中の恩人である。
だから、万能ではないにせよ、有能である日羽鳥にそんなことを言われて、ショックを受けないはずがない。
「やっぱり、桁違いに強力なやつなんだな……」
こうなっては仕方ない、多少の出費は覚悟した上でプロの人に診てもらうしかないか……。でも日羽鳥でダメなんだ、もし再び同じ言葉を聞かされたら、そのときは――
「いえ。そういうわけではないと思います」
だが日羽鳥の口から続いて出たのは、意外にも否定の言葉だった。
「今のよりも悪意に満ちていて、執着心の高い霊さんはいくらでも見てきました。今まで先輩に憑いた霊さんの中だけでも、ほとんどが今のより悪辣でしょう」
その台詞に、僕は一つ違和感を覚えた。
「なあ、その言い方だとまるで真っ暗さんが幽霊じゃないみたいに聞こえるんだけど……気のせいか?」
「いえ、気のせいではありません。彼女は多分霊さんじゃないです」
真っ暗さんが……幽霊じゃない?
「じゃあいったい何なんだよ? 超能力? 自然現象? それとも実は幻覚でしたーってオチか?」
「人間でしょうね」
おそらく、と日羽鳥は付け加えた。
「あれ? どうしたんですか先輩。そんなポカーンとアホみたいに口を開けて」
「これは、その……体が動かないから口で驚きを表すしかないというか」
いいかげん解いてくれよと懇願するが、年下の女王様は聞く耳をもたない。
というかそれよりも、真っ暗さんが人間ってどういうことなんだ? あんな頭から爪先に至るまで真っ黒な人間がいるか? いや、でもあれは黒いっていうのを通り越していた。闇そのものという感じだ。
「人間といっても、あれ自体は違うでしょうけどね。あくまであの人の一部でしかないと言いますか……」
「そんなもったいぶった言い方じゃなくて、もっと分かりやすく説明してくれないか?」
「そうですねー」
日羽鳥は天井の方を見た。パジャマが少し持ち上がり、小さなヘソが隙間から顔を覗かせる。
「やはりあれのことは定説通り、生霊と呼ぶべきでしょう」
「生霊?」
「はい。生きた人間の魂が肉体の外に出た場合、その魂は一般に生霊と呼ばれます」
「ええと、つまり真っ暗さんはこことは別の場所に本体が存在してるってことか? それで行方不明の赤ん坊を探すために魂を飛ばしてる……ん?」
本体がちゃんと存在してるんなら、わざわざ生霊になる必要なんてないんじゃないか? 普通に自分の足で、警察でも探偵でも使って捜査させればいい。
日羽鳥も同じ考えに至ったらしく、目を合わせて軽くうなずいた。
「ええ。意識的か無意識的かは分かりませんが、生霊を飛ばしている以上、そうしなければいけない事情があるんでしょう」
「うーん、どこか遠くに住んでるとか?」
「一番可能性として高いのは、本体が闘病生活を送っている場合でしょうか。外への欲求が高まる例としては最もポピュラーな環境ですからね」
へえ、普通の幽霊だけじゃなくてこういう知識にも明るいんだな。さすが日羽鳥、こういう時は本当に頼りになる! そこに痺れる憧れるゥ!
「そういう話をよく、月曜の心霊特集番組で見ました」
「俺の期待を返せ!」
日羽鳥が「はあ?」と冷たい目でこちらを見下ろしてくる。しまった、ツッコミは心の中だけでするべきだった……。
気を取り直して、僕は一番重要と思われることを訊いてみる。
「それで、なんで『どうしようもない』んだ? 生霊って言ったって何か手だてはあるだろ」
相手が危害を加えようとしていない分、むしろ楽に解決できるんじゃないか?
しかし日羽鳥は目を閉じたまま首を横に振った。
「通常の霊さんと生霊の一番の違いは分かりますか、先輩」
「いや、僕には専門外のことだし……」
「生きてるってことです」
文字通りだった。
なんだか自分が馬鹿みたいに思える。
「霊さんと違って生霊には本体が別に存在します。そしてよほど高度の霊能力者でない限り、自分の魂のすべてを飛ばすことは難しい。その上、明確な自我を持ったまま肉体を捨てるなんて不可能に近いでしょう。出来たとしても、ほぼ間違いなく死にます。あの真っ暗さんとやらも、その例に漏れません。多分ですけど」
説明はいいけど、語尾にその単語をくっつけるのは止めてくれ。
「ですから、あの生霊に何を言ったって無駄なんですよ。たとえ赤ちゃんを見つけたとしても、それを本体がはっきり認識しない限り――ええと、何て言えばいいんでしょう――そう、全部夢の中の出来事なのです」
「夢の中の出来事?」
僕は首を傾げる。
「でもさっきの出来事はちゃんと現実に起きたことで、僕は眠りについてなんかいないけど?」
「そういうことじゃなくてですね。あの生霊の本体からすれば、真っ暗さんの状態で見聞きした出来事はすべて夢の中の出来事のように感じてしまうわけです。自我が極端に薄まってるんですから」
自我云々の話はよく分からないけど、夢という単語は引き合いに出すための例えだということはよく分かった。なるほど、なかなか分かりやすい表現だ。
「生霊の怖さというのは、ですから生きているという点なのです。生きているから無自覚。生きているから止めようがない。生きているから弱体化しない。生きているから、何度消してもリセットしたかのように甦る」
よく怪談などで耳にする『本当に怖いのは生きている人間ですよ』という台詞。意味合いは異なるけれど、その言葉を思い浮かべずにはいられなかった。
「だから『どうしようもない』、と」
「はい。本体に会えば現状打破に繋がるかもしれませんが、赤ちゃんを探す若い母親という情報だけじゃ流石に……」
「お手上げ、か」
そう言って、深く溜息を吐く。
「そもそも私だって、生で生霊視たの初めてですしねー」
日羽鳥もそう言ってバタンとベッドに横になる。待て、寝るなら先に縄をほどいてからにしろ!
そう言いかけたとき、既にベッドの上からスースーと気持ちのよさそうな寝息が聞こえ、文句を言うのは諦めた。
時計を見ると午前二時を回っている。いつの間にそんな時間になっていたのか。
電気は点けっぱなし。僕は縛られっぱなし。
翌朝、母さんにでも見つかったら大変なことになるな……。
だけど、一仕事終えてくれた日羽鳥を今更起こすのも気が引けるし、このまま僕も寝るとしよう。
ゴロンと寝返りを打ち、部屋の隅っこにある本棚の影に移動する。
僕は小声で「おやすみ」と言い、続けて気になってことを一つ尋ねてみた。
「なあ日羽鳥、霊媒体質ってのは、生霊も死霊も関係なく引き寄せちまうもんなのか?」
答えは
「……くぅ~」
だってさ。