2-4
*
僕が霊媒体質になってから初めて経験した休日について話そう。
あのときは日曜に日羽鳥と会う約束をして、学校近くの喫茶店で『説得』を行ってもらったのだ。
じゃあ土曜はどうやって切り抜けたのかというと……回想会話形式で説明しよう。
「あ、その日は友達と映画見に行くんで無理です。頑張ってください」
「いやいや待ってよ! こっちは命かかってるんだから!」
「いいじゃないですか命の一つや二つ……」
「減るもんじゃなくないからね!?」
「はあ……じゃあ先輩。その日は一日中ダンスでもしててください」
「え? ダンス? 踊りなんてやったことないけど……」
「じゃあカラオケでも行って一日中歌いまくっててください。それで店に『ヒトカラマスター武藤』の伝説でも作れば、まあ一日くらいは大丈夫でしょう」
「いや、さすがに一日歌いつづけるのは……」
「じゃあ死んでください」
――ということで、本当にカラオケに籠ったのだった。それ以来あの店には行ってないし、二度と近寄るもんかと思っていたが……もしかしたら新たな伝説を作る羽目になるかもしれない。
そういうわけで、冷酷だけど頼りがいのある後輩の休日の予定をメールで訊いているのだった。
夜八時。自室にて。
今日は幼女ウォッチングのおかげで霊耐性をある程度高めたものの、やはり『説得』があるかないかでは全然効果が違う。公園で日羽鳥たちと別れてから早くも体が重たくなり、それからずっとこの調子なのだ。
この重圧の正体が幼女幽霊だというなら気分も晴れるはずなのだが、彼女の与える負の念は僕の予想を通り越してずっと強い。
これは、どんな感情なのだろう?
悲しみでもない。怒りでもなく――。
ピリリ
とスマホが鳴り、ビクッと目が覚めるような感覚。
送信者はやはり日羽鳥だ。
『週末はメグと遊園地に行くので、無理です』
短い死亡宣告。
医者に「癌です」と告げられた患者はこんな気分なんだろうか。多分きっとそうだ。
急いで返信を打つ。指が震えてうまく文字が入力できない。それでもなんとか、文章を繋いで送信ボタンを押した。
それから返信が来るまでの時間は長かった。それこそ、最終宣告を待つような時間。じっと息をひそめて、自分の運命を第三者から告げられるまでの、長い長い時間。
一秒が十倍ぐらいに感じられ、一分が一時間以上にも思えてくる。
そうして、人生で最も長い二十分間を味わったのち
ピリリ
という音が鳴り響いた。それはさっき聞いたのとはまったく違う音色のように思えた。
『私の見たところ、先輩が今の状態より悪化することはありません。理由はおそらく、今憑いているものが鍵となっているでしょう。苦しいでしょうが我慢してください、もう高校生なんですから。
とにかくディスコでもカラオケでも視姦でもして気を紛らわす他ありませんね。
あ、捕まっても私の名前は出さないでくださいね。留置所に入っても私は無視を決め込むのでそのつもりで。
私も詳しいことまでは分からないため、月曜のお昼にまた会いましょう。
追伸:メグに手出したら殺す』
……。
今の状態より悪化って……今の状態で十分キツイんですけど!
その文句をまたメールで返そうと思ったが、その無益さが予測されるので中止した。
あと最後の最後だけ口調が変わってるのはどういうことだ。本気か。本気と書いてマジなのか。
はあ、と僕は俯いた。日羽鳥の診断もテキトーになったなあ。
そりゃあ好きでもなければ付き合いが長いわけでもない男の世話なんて、普通の女子高生は喜んで見たりしないからな。
女二人は楽しく遊んで、その陰で僕はひっそり死ぬ、と。
はは、何の冗談だよ。
乾いた笑いが口から洩れ、僕はベッドに倒れ込む。
そうさ、僕は今夜を凌げるかどうかも危ういんだ。日羽鳥が公園で『説得』を行ってくれれば――ああでも「この子に殺されるなら」って言ったのは僕だった。その言葉は紛れもない真実だし、今の僕も同じ気持ちはあるけれど……そうは言ったって、僕は死にたくなんてないのに!
ん?
「――死にたくなんて、ない?」
その文言が、他でもない僕の口から出たことに驚きを隠せなかった。
何故かっていうと、今まで幽霊に憑かれていたときは大抵「死にたい」が口癖になっていたからだ。幽霊が僕をあっち側に引っ張ろうとして、それに対抗してどんどん精神力が失われていくような感覚をひたすら味わうのだ。
だけど今回の場合、僕の「死にたくない」という気持ちは一切のブレーキを踏むことなく、すんなりと口から出た。体は重く、筆舌に尽くしがたい暗い感情に満たされているのに、だ。
一体全体これはどういうことなのか。
その真相が霊媒歴九日の僕に分かるわけなんて……あるはずもなかった。
*
停電・金縛りの件は昨日とさほど変わらない――強いて言えば今度はちゃんと布団にくるまって金縛りらしい金縛りを味わえたことが、一番の違いだろうか。
「こんばんは」「こんばんは」
真っ暗さんの真っ暗な目が、横から僕を見つめていた。
「私の赤ちゃんは?」
「そう言われましても、当方としては特徴などを教えていただかないと対処のしようがないと言いますか」
「私の赤ちゃんは?」
「や、だから情報が不足でしてね……」
言いながら心の中で、どうして若手営業マンみたいな応答をしなくちゃいけないんだ、とツッコミ。
「私の赤ちゃんについて知りたいの?」
やっと通じてくれた。
「はい、せめて女の子か男の子かだけでも」
モチベーションに深く深く関わる問題なので。
「女の子よ。私によく似た、とっても可愛い赤ちゃん」
「よしっ!」
「?」
真っ暗さんが首をひねる。周りの闇もそれにつられて波打つ。
この喜びを体で表現できないのがもどかしかった。
「それで、どんな子なんですか? 髪はツヤツヤ? 身長はどのくらい? 靴のサイズは?」
「私によく似た、とっても可愛い赤ちゃん」
「ええ、可愛いんでしょうね! その、良ければ具体的にどう可愛いのか伺ってもいいでしょうか。仕草とか、癖とか、日頃のちょっとしたエピソードとか!?」
「私によく似た、とっても可愛い赤ちゃん」
「はい、それは分かったので。プラスもう一個くらい何かないと、どうしようもないというか……。たとえば好きな食べ物とか。プリキュアではどの子が一番好きかとか……」
「私によく似た、とっても可愛い赤ちゃん」
「…………」
そう言われても、あなた真っ暗じゃないですか。
ベタ一色の幼女って、さすがの僕でも身構えるぞ。
結局真っ暗さんからはこれ以上の情報を聞き出すことはできなかった。
まあ、幽霊に細かいことを聞くのは難しいのかもしれない。いつだったか日羽鳥もそんなことを言っていた気がする。霊さんの中には自我があるものと感情の塊のようなものとがいるのだとか。
幼女を探すのはいい。大いに結構、大歓迎。
だけどこの夜は、あと何回繰り返さなくてはならないんだろう。
真っ暗さんは闇に溶けるころ、僕もまた眠りの中に落ちていた。
*
土曜日。
「こーのーおぉぞらーにぃー、つばーさーをーひろーげぇ――」
「こごえそうなかもめみつめないていましたっ! あーあぁぁ――」
日曜日。
「もーしもー、ぼくーがー! いーつーかー、きみぃとっ――」
「おーらはすごいぞ! てんさいてきだぞっ! ぞ~おさんっ! ぞ~おさんっ――」
月曜日。
「……で、どゔなんだ、びゔぁどり」
「私はそんな、片仮名で書くと豪華ホテルっぽくなるような名前じゃありませんけど」
ビヴァドリーホテル。でかいプールがライトアップされてそうだ。
「そういえば、友達から風の噂で聞いたんですが、学校近くのカラオケに二日連続六時間ぶっ続けで熱唱し続けた猛者がいたらしいですよ。店員の間では『ヒトカラゾンビ』というあだ名がついたらしいです」
「そうがい……」
悪くないセンスだ。
墓の底から湧き上がるような声の僕と、いつも通りの冷たい口調の日羽鳥は今日もやっぱり学食の席に座っていた。
「どうでもいいがビヴァドリ、友達がら聞いだんなら風の噂っで言うのはおがじいんじゃないか?」
「細かい男ですね。だからカラオケ出禁になるんですよ」
「はあ? ぞんな話聞いてないぞ!」
「テキトーに言っただけですから」
ガクッとうなだれる。そういう現実味のある嘘は勘弁してくれ、こちとら心身ともに死にかけなんだから。
ずれた姿勢を修正し、日羽鳥とまっすぐ向き合う。
「で、どゔなんだビヴァドリー」
「わざと言ってませんかそれ……? まあ二度もツッコむ気はありませんけど。じゃあ本題ですけど、その『真っ暗さん』は間違いなくこの世のものじゃないでしょうね」
僕はコクンと相槌を打つ。
「……」
「……?」
「?」
日羽鳥が首を傾げた。
いや『……?』じゃなくて
「この世のものじゃないんだっでごどは分かったよ。で、ぞれから先は?」
「それから先、とは?」
「いや、なんがあるでしょ。ごの肩らへんにいるんでしょ? ぞれを日羽鳥ゼンゼイが今日も華麗に成仏さぜでぐれるんでしょ?」
日羽鳥は僕の右肩をじっと見つめて言う。
「……そこにいるのは例の幼女ちゃんですけど、いいんですか?」
「前言撤回! ノータッチマイショルダー!」
あ、危ねー危ねー……。思わず十歳未満の温もり(百%想像)を失うところだった。
「文脈で分かるだろ、ぞの熟女の方だよ」
「文脈から判断するに、その人若妻って感じがしますけど……」
「何を言っでるんだビヴァドリー。幼な妻が本当に幼いわげないだろう」
「何を言ってるのかと問いたいのはこちらの方です、この性犯罪者」
このままだと埒が明かないと判断した僕らは、いったん黙ってお茶を飲み気分を落ち着けた。
「話を戻しますと、先輩の背後にはその女の子以外の気配はありません。『視』た感じ霊障も特に酷くはありません、むしろ普段より良好なくらいです」
つまりそれこそ、僕がこの週末を乗り切れた理由ってことか。
「どうしてだ? 僕に憑いてるってことはこの子も僕を殺そうとしてるんだろ?」
「いえ、先輩はちょっと勘違いをしている節があるようですね。無論先輩をあちら側へ引きずり込もうとしている霊さんも大勢いるのですが、そうでない霊さんもいるということです。ただ単に先輩の懐に引き寄せられたり、くっつき虫みたく無自覚のうちに憑いちゃってる場合もあります。ただ、そういう悪意なき霊さんに憑かれてしまうと先輩はより霊さんサイドに寄ってしまうので、結果的に悪意ある霊さんもくっつきやすくなってしまうのです」
何日かぶりになる日羽鳥との幽霊談議だ。僕は自分の肩を意識しつつ、質問をぶつける。
「ということは、この子はその例外ってことか? 悪意もなく、他の霊を寄せ付けやすくなることもない……」
「ええ。ですが厳密に言えば、先輩自身が霊さんサイドに爪先を突っ込んで、吸引力が増しているのは事実です」
人をそんな掃除機みたいに呼ぶな、と内心思った。
「ですが、その女の子が何かしらの力で他の霊さんの干渉を防いでる、といったところでしょうか」
「何かしらの力って、具体的になんだよ……」
苦笑しながらそう問うと、日羽鳥はクスリと笑って答えた。
「分かりませんよ。私専門家じゃないですから」
そして、ただの一介の女子高生です、と続けた。
言い終わると同時に昼休み終了のチャイムが鳴り響く。学食中からガラガラと椅子を引く音が地震のように空気を震わす。
日羽鳥が立ち上がったところで、僕はふとあることに気がついた。
「なあ日羽鳥、それで『真っ暗さん』の方はどういう見解なんだ? あの霊だけは容赦なく僕に干渉しまくってるんだけど……」
目の前に立つ霊感アドバイザーはまたも笑って首を傾げた。
役に立たないやつだ――少しだけそう思う気持ちはあったけど、日頃の恩義や彼女自身の献身に対する感謝の方がずっと上回っていたので、その言葉はすぐに霧散した。
「あ、でしたら先輩――」
そして日羽鳥はポンと手を打ち、僕にある提案をしたのだった。