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本日の神様は欠勤です

本日の神様は欠勤です


間宮余白


⸻


町の外れにある小さな神社に、ある朝、張り紙が出た。


《本日の神様は欠勤です》


その下には、小さな文字で、


《お急ぎの方は代理神まで》


と書いてあった。


最初に気づいたのは、毎朝参拝する八十二歳の田中さんだった。


田中さんは張り紙を読み、しばらく考えてから、いつものように賽銭箱へ十円玉を入れた。


「まあ、たまには休まんとな」


そう言って帰った。


次に来たのは、受験を控えた高校生だった。


「えっ、今日いないの?」


高校生は困った。


明日は大学の入学試験である。


昨日までの努力を、最後に神様に後押ししてもらうつもりだった。


「代理神って、どこにいるんだろう」


すると、賽銭箱の横から声がした。


「こちらです」


見ると、小さな白い猫が座っていた。


首には名札がついている。


《代理神・研修中》


「猫?」


「はい」


「神様?」


「代理です」


猫は前足を揃え、たいへん礼儀正しくお辞儀をした。


「本日は担当神が休暇を取得しております。ご用件をどうぞ」


高校生は少し迷ったが、せっかくなのでお願いすることにした。


「明日の試験に合格できますように」


猫は目を閉じた。


しばらくして言った。


「努力はされましたか」


「はい」


「十分に?」


「たぶん」


「では、今夜は早く寝てください」


「え、それだけ?」


「はい」


「合格させてくれないの?」


「合否の決定権は大学にありますので」


高校生は口を開けた。


「神様って、そんなに事務的なの?」


「代理ですので」


猫は申し訳なさそうに頭を下げた。


高校生は帰った。


次に来たのは、商店街で八百屋を営む男だった。


「商売繁盛を頼む!」


猫は尋ねた。


「お店のお野菜は新鮮ですか」


「もちろん!」


「値札は見やすいですか」


「まあ、普通だな」


「お客様には挨拶を?」


「そりゃするよ」


「では、明日は店先を掃除して、値札を少し大きくしてみてください」


男は不満そうだった。


「それは神頼みじゃなくて経営指導だろう」


「代理ですので」


猫は再び頭を下げた。


昼過ぎには、若い女性がやってきた。


「好きな人と結ばれますように」


猫は尋ねた。


「お気持ちは伝えましたか」


「いいえ」


「では、伝えてみてはいかがでしょう」


「そんな勇気があったら神頼みなんかしないわよ!」


猫は困った。


「それでは、まず、お天気の話から始めてみるのはいかがでしょう」


「天気?」


「はい。明日は晴れるそうです」


「そんなことまでわかるの?」


「天気予報で確認しました」


女性は笑い出した。


「あなた、本当に神様?」


「代理ですので」


猫は三度目のお辞儀をした。


夕方になると、神社には妙な噂が広まっていた。


「願いを叶えない神様がいる」


「説教する猫らしい」


「しかも天気予報を見ている」


面白がった人々が次々と訪れた。


宝くじを当てたい人。


痩せたい人。


隣の家の犬を静かにさせたい人。


猫はひとつひとつ、丁寧に応対した。


「宝くじは当選確率をご確認ください」


「健康的な食事と運動をおすすめします」


「犬には事情があるかもしれません。まず飼い主さんとお話しください」


とうとう一人の男が怒り出した。


「お前、何ひとつ奇跡を起こしてないじゃないか!」


猫はしょんぼりした。


「申し訳ありません」


「何のための神様だ!」


猫は少し考えてから答えた。


「本日は、担当神がお休みできるようにするためです」


男は呆れて帰っていった。


日が暮れた。


猫はようやく賽銭箱の横に座り直した。


朝から一度も休んでいない。


お腹も空いた。


すると、鳥居の向こうから、朝の田中さんが戻ってきた。


手には小さな包みを持っている。


「おや、まだ働いとるのか」


「はい」


「神様は?」


「まだお戻りではありません」


「そうかそうか」


田中さんは包みを開いた。


中には、おにぎりが二つと、小さな焼き魚が入っていた。


「うちの猫が好きだった魚じゃ。食べるかね」


猫は驚いた。


「ですが、勤務中ですので」


「休憩くらいせんと、神様だって倒れるぞ」


「代理ですので」


「代理なら、なおさらじゃ」


田中さんは魚を皿に載せた。


猫はしばらく見つめていたが、やがて小さく一口食べた。


「おいしいです」


「そうか」


田中さんは隣に腰を下ろした。


二人はしばらく、夕焼けを眺めていた。


やがて猫が尋ねた。


「あの、田中様」


「なんじゃ」


「今日は何をお願いにいらしたのですか」


「今朝か?」


「はい」


田中さんは笑った。


「何も頼んどらんよ」


猫は首をかしげた。


「では、なぜ毎朝お参りに?」


「うちの婆さんがな、ここへ来るのが好きじゃったんだ」


「奥様ですか」


「そう。五年前に死んだ」


猫は黙った。


「毎朝、二人で散歩して、ここで手を合わせて、帰りにパン屋であんパンを買う。それが日課でな」


「そうでしたか」


「婆さんが死んでからも、なんとなく続けとる」


田中さんは空を見上げた。


「お願い事なんぞ、もう特にない。ただ、今日も来たぞって、誰かに言いたいだけじゃ」


猫は長いこと考えていた。


それから、田中さんの膝にそっと前足を載せた。


「田中様」


「ん?」


「今日も、お越しいただきありがとうございます」


田中さんは猫を見た。


猫は続けた。


「明日も、お待ちしております」


田中さんはしばらく何も言わなかった。


そして、少しだけ目を細めた。


「……そうか」


猫の頭を撫でた。


「じゃあ、また明日な」


その夜遅く、神様が帰ってきた。


白いひげを生やした、いかにも神様らしい老人だった。


「いやあ、久しぶりに温泉へ行ってきた。極楽じゃった」


猫は姿勢を正した。


「お帰りなさいませ」


「どうじゃった、初仕事は」


「申し訳ありません」


猫は深々と頭を下げた。


「本日は一件も願い事を叶えられませんでした」


神様は目を丸くした。


「一件も?」


「はい」


「奇跡も?」


「起こせませんでした」


「ほう」


神様は賽銭箱の横に置かれた小皿を見た。


魚の骨が一本残っていた。


「しかし、お前、ずいぶんよい顔をしておるな」


猫は不思議そうに顔を上げた。


「そうでしょうか」


「何かあったか」


猫は、夕方の田中さんの話をした。


神様は最後まで黙って聞いていた。


そして、にっこり笑った。


「それは立派な仕事をしたのう」


「ですが、何も叶えておりません」


「そうかのう」


神様は鳥居の向こうを見た。


「わしは長いこと神様をやっとるが、人間の願いというものは、なかなか難しい」


猫は頷いた。


「はい。合否も商売も恋愛も、私にはどうにもできませんでした」


「そうじゃろう」


神様はひげを撫でた。


「じゃがな、願い事を持たずに来る者もおる」


「はい」


「そういう者が、何を求めておるのか。わしにも、わからんことがある」


猫は考えた。


「田中様は、明日も来るとおっしゃいました」


「うむ」


「私も、明日もお待ちしておりますと申し上げました」


神様は満足そうに頷いた。


「それでよい」


翌朝、神社には新しい張り紙が出た。


《本日の神様は出勤しています》


その下には、小さな文字で、


《代理神もおります》


と書かれていた。


田中さんがやってきた。


いつものように十円玉を入れ、手を合わせる。


すると、賽銭箱の横から声がした。


「田中様、おはようございます」


白い猫だった。


首の名札が新しくなっている。


《副神・常勤》


田中さんは笑った。


「おや、昇進したのか」


「はい」


「そりゃめでたい」


猫は嬉しそうに尻尾を立てた。


「本日も、ご用件をどうぞ」


田中さんは少し考えた。


「そうじゃなあ」


そして言った。


「今日も、いい天気じゃな」


猫は空を見上げた。


「はい」


しばらくして付け加えた。


「明日も晴れるそうです」


田中さんは声を上げて笑った。


「そりゃ結構!」


二人は並んで、朝の空を眺めた。


その日、神社では小さな奇跡がひとつ起きた。


ただし、誰もそれを奇跡とは呼ばなかった。


⸻


了


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