前編
登場人物
エルシア:トラマール子爵家の長女。禁呪の使い手だが周囲には伏せている。
リリアーヌ:エルシアの妹、欲しがり。自分だけがアレクシスに愛されていると思っている。
アレクシス:エルシアの婚約者。実は浮気性
ガルド:3年前からトラマール子爵家に仕える大柄な騎士。エルシアを気に掛ける。
ダンとイザベラ:エルシアの父母。リリアーヌを溺愛している。
「あら、今夜は黒髪の子なのね」
私――トラマール子爵家の長女エルシアは小さく肩を竦めた。
《遠見》の禁呪をかけた鏡。
そこに半裸の男女が映っている。
ひとりはフランテラ伯爵家の嫡男、アレクシス。
私の婚約者。
もうひとりは……名前は分からないけど、浮気相手のひとり。
昨日は金髪、一昨日は赤毛、3日前は銀髪。
なんというか、奔放で元気いっぱいだ。
「記録だけはしておきましょうか」
《遠見》を解く。
これは王国が定める12の禁呪のひとつ。
鏡にかければ、遠く離れた場所の光景を覗き見ることができる。
禁呪と呼ばれるだけあって、本来なら行使は重罪だ。
まあ、バレなければいい。
私は机に向かうと、手記に婚約者の「浮気記録」を書き残した。
今すぐ騒ぎ立てるつもりはないが、いつか役に立つかもしれない。
「……あら」
右手からペンが零れ落ちた。
指に力が入らない。
いつもの発作。
ただ、間隔が少しずつ短くなっていた。
◇◇◇
「お姉さま、その耳飾り素敵ね。ちょうだい」
朝食の席で、妹のリリアーヌが言った。
祖母の形見の、小さな翡翠の耳飾り。
亡くなった祖母が「エルシアに」と遺してくれたもの。
「これは、おばあ様の——」
「リリアーヌが欲しがってるんだから、別にいいでしょう?
もっと妹のことを考えてあげなさい」
母のイザベラが微笑みながら言った。
いつものことだった。
銀の手鏡。
書庫の隅に置いていた詩集。
祖母の形見の耳飾り。
この家では「お姉さまのもの」は、いつか必ず「リリアーヌのもの」になる。
「……どうぞ」
耳飾りを外して差し出すと、リリアーヌは満面の笑みで受け取った。
「ありがとう、お姉さま! やっぱりわたしの方が似合うと思わない?」
思わない。
……とは言わない。
言っても仕方がないから。
「きっとそうね」
「でしょう?」
リリアーヌは鼻高々に耳飾りを着け、父と母に見せに行く。
「まあ、リリアーヌ。よく似合うこと」
母の顔がほころぶ。
父のダンも穏やかに頷いている。
私がこの耳飾りを着けていたときは、何の反応もなかったけれど。
リリアーヌは私の2歳年下で、昔からずっとこの調子だ。
私が持っているものを見つけると、目を輝かせて「ちょうだい」と言う。
本人に悪気はない。
だからこそ厄介だ。
「お姉さまはいいわよね」
午後、庭を散歩していると、リリアーヌが隣に並んできた。
「アレクシス様と結婚できるんだから」
ああ、その話。
「わたしのほうがずっとかわいいし、アレクシス様のお嫁さんにふさわしいのに。
お姉さまだってそう思うでしょ?」
「そうかもしれないわね」
「かもしれない、じゃなくて、そうなの!」
リリアーヌは頬を膨らませた。
自分の求める答えが返ってこないとすぐに機嫌を損ねる。
まるで幼児がそのまま身体だけ大きくなったようだ。
「まあいいわ。お姉さまはお姉さまで頑張ってね。できそこないなりに」
ひらひらと手を振って、リリアーヌは去っていく。
できそこない、か。
確かに、この身体の魔法適性は低い。
それもあって幼いころからリリアーヌには見下されてきた。
禁呪を使えることは明かしていない。
リリアーヌにも、両親にも。
明かしたらそのまま処刑コースだから、絶対に言わないけれど。
◇◇◇
夜。廊下を歩いていると、書斎から声が漏れていた。
「……かわいそうなリリアーヌ」
母の声だった。
足を止める。
「あの子だってアレクシス様のことが好きなのに、婚約者になれないなんて。
リリアーヌがどれほど辛い思いをしているか……」
声が震えている。
泣いているのだ。
「仕方がないだろう、イザベラ。
フランテラ伯爵家との婚約は政略だ。
長女のエルシアが嫁ぐのが筋というもの」
父の声は落ち着いていたが、どこか悔しそうだった。
リリアーヌって本当に愛されているのね。
「エルシアとリリアーヌが逆ならよかったのに。わたしたち一家はなんて不幸なのかしら」
ふうん。
リリアーヌの不幸は、家族の不幸なのね。
もしかして私、家族扱いされてないのかしら。
まあ、いいけど。
嘆くような気持ちは持っていない。
慣れてしまった。
◇◇◇
翌週、アレクシスが屋敷を訪ねてきた。
「エルシア、久しぶりだな。変わりないか」
社交的な笑顔。甘い声。
女性受けしそうな、そつのない振る舞い。
「ええ、おかげさまで——」
「アレクシス様ーっ!」
私が答え終わる前に、リリアーヌが廊下の向こうから駆けてきた。
アレクシスの目が、すっと私からリリアーヌに移る。
「やあ、リリアーヌ。今日も元気そうだな」
「はい! お会いしたかったですわ!」
リリアーヌはアレクシスの腕に絡みつき、頬を赤く染めて見上げる。
アレクシスも満更でもない顔で、リリアーヌの髪を撫でている。
私は、空気になった。
せめてもう少し、隠す努力をしたらどうなの。
これも《遠見》で知ったことだけど――
私の妹、リリアーヌもアレクシスの浮気相手の一人である。
だからこそ彼女はなおさら私を見下しているのだろう。
ただ――
リリアーヌは、アレクシスの浮気相手が複数いることを知らない。
自分は姉よりもアレクシスに愛されている。
そう思い込んでいる。
実際のところ、リリアーヌは「大勢の愛人の中のひとり」に過ぎないのに。
「……滑稽ね」
私は小さく肩をすくめると、その場からそっと立ち去る。
右手が、また痺れた。
「大丈夫ですか、お嬢様」
低い声。
振り向くと、ガルドが立っていた。
3年前からトラマール子爵家に仕えている騎士。
無口で、必要以上に喋らない男。
気付くと、いつも近くにいる。
「大丈夫よ。少し痺れただけ」
「……承知しました」
ガルドは私の右手にちらりと視線を落とす。
心配してくれているのだろうか。
「何かあれば、お呼びください」
それだけ言って、持ち場に戻っていった。
◇◇◇
アレクシスが帰ったあと、リリアーヌが私の部屋に来た。
「ねえ、お姉さま」
「なに?」
「わたし、思ったの。
やっぱりアレクシス様のお嫁さんにふさわしいのはわたしよ。
わたしがお姉さまだったらよかったのに」
わたし、わたし、わたし。
リリアーヌの世界はいつも自分のことばかり。
「わたしがお姉さまだったら、アレクシス様と結婚できたのに。
他のものは全部手に入るのに、一番欲しいものだけ手に入らないの。
わたしって、とってもかわいそう。
お姉さまだってそう思うでしょ?」
いつもの問い掛け。
普段なら「そうかもしれないわね」と答えていただろう。
私は、妹をじっと見た。
「……そんなに、私になりたい?」
「ええ! お姉さまなんかより、ずっと立派なお嫁さんになれるわ!」
胸を張る。
疑いのかけらもない、純粋な確信。
私は微笑んだ。
「……そう」
◇◇◇
その夜。
私はリリアーヌの部屋を訪れた。
「お姉さま? こんな時間にどうしたの」
「ねえ、リリアーヌ。本気で、私になりたい?」
「……え?」
「身体を交換する魔法があるの」
リリアーヌの目が見開かれた。
「わたしとお姉さまの身体を、入れ替える?」
「ええ」
「そんなのがあるの!?」
声は疑いではなく、歓喜に弾んでいた。
この子は知らない。
《身体交換》が、王国の定める十二の禁呪のひとつ。
使用した者は重罪。
関わった者も共犯として裁かれる。
でもリリアーヌは勉強が嫌いだ。
蝶よ花よと育てられて、法の知識など一欠片も持ち合わせていない。
だからこう解釈する。
「お姉さまが、わたしのために身体をくれるのね!」
違う。
でも、訂正はしない。
「やる! やるわ! ねえ、すぐにできるの?」
リリアーヌは目を輝かせ、私の両手を握った。
私の右手を。
痺れの残る、この右手を。
「ええ。すぐにできるわ」
◇◇◇
禁呪の扱いには慣れている。
「――我は汝となり、汝は我となる」
短い詠唱のあとに、浮遊感。
目を開ける。
視界が変わっていた。
私の目の前には「エルシア」が立っていた。
「エルシア」の顔をしたリリアーヌ。
彼女はきょろきょろと自分の身体を見回し、鏡に駆け寄り、歓喜の声を上げた。
「すごい! わたし、お姉さまになったわ!」
鏡の前でくるくる回り、髪を撫で、頬に触れる。
「ありがとう、お姉さま!
ううん、もうお姉さまじゃないわね。
だってわたしがエルシアなんだから!」
「リリアーヌ」の身体から、私はそれを眺めた。
嬉しそうで、何より。
「その身体は壊れやすいから、気をつけてね」
「え? なにそれ。まあいいわ、気をつける」
聞いていなかった。
聞く気がなかった。
昔からそうだ。この子は、自分の聞きたいことしか聞かない。
「じゃあね、リリアーヌ」
「リリアーヌじゃないわ! わたしはエルシアよ!」
私は苦笑して、部屋を出た。
階段の踊り場には鏡がある。
そこに映っているのは今の私の身体だ。
屋敷の裏手に回ると、月明かりの中にガルドが立っていた。
「——リリアーヌ様?」
一拍の沈黙。
「いえ。中身はエルシア様ですね」
「……分かる人には分かるのね」
「当然です」
ガルドの声に、かすかな熱が混じった。
そこにどんな感情が籠っているのか、私には分からない。
「じゃあね」
「お気をつけて」
ガルドが頭を下げた。
どうやら素直に行かせてくれるらしい。
少し歩いたところで、意識を集中させる。
「――此方から彼方へ、我を運べ」
《空間転移》。
この五年で身に着けた禁呪のひとつで、この場を離れた。
現状
エルシア⇔リリアーヌ:魂(中身の人格)が入れ替わった。




