「殿下は操られていますわ!」と叫ぶ自称ヒロイン様。残念ですが太陽王子は最初から悪役令嬢の味方でした。
きらびやかな王宮の夜会。シャンデリアの光が降り注ぐ中、私、アニエス・ド・ラ・ロシュフコーは、婚約者である第一王子、リュシアン殿下の隣に立っていた。
「アニエス、あそこの伯爵、さっきからこっちを窺ってるぜ。例の密輸の件、尻尾を出したな」
「……左様ですわね。殿下、後ほど騎士団に合図を。今は微笑んでいてくださいませ」 「了解。お前の言う通りにするよ」
悪戯っぽく笑い、彼は私の手を取って甲にキスを落とした。
周囲からは「仲睦まじい完璧な婚約者同士」に見えているだろう。だが、実情は少し違う。
私は転生者だ。ここが乙女ゲーム『太陽のプレリュード』の世界であり、私が「太陽王子」リュシアンを闇堕ちさせる悪役令嬢であることも知っている。
そして殿下は、私が前世の知識で裏から支えていると知った上で、「好きにしろ」と笑う。度し難いほど器の大きい『太陽王子』なのだ。
(……まあ、その結果、少々私への依存度が高まった気もしますけれど)
そんな私の危惧を余所に、リュシアンは今日も眩しいばかりの笑みを振りまいている。 ――しかし。
「お待ちください! 殿下、その女に操られてはなりませんわ!」
静寂を切り裂く、甲高い声。
広間の入り口に立っていたのは、今代の「聖女」にしてゲームのヒロイン、シャロンだった。
シャロンは、他の攻略対象である騎士団長候補と天才魔術師を引き連れ、堂々とこちらへ歩み寄ってくる。
(……ついに来たわね、強制イベント)
私の脳内にあるゲームの知識では、今夜は「聖女が王子の洗脳を解き、悪役令嬢を糾弾する」運命の日だ。
「リュシアン殿下! 目を覚ましてください! そのアニエスとかいう女は、貴方を洗脳して操っているのですわ!」
シャロンの声が響き渡り、会場がざわつく。 彼女は勝ち誇ったように私を指差した。
「本来なら、今夜この場所に立っているのは私のはず! おかしいわ、これは『バグ』よ! 悪役令嬢の汚い呪いに違いありませんわ!」
ヒロイン——シャロンが、形相を変えて私を指差す。
『バグ』に『呪い』。周囲の貴族たちが困惑し、しんと静まり返る中で、私は扇を優雅に閉じ、静かに問い返した。
「悪役令嬢の呪い、ですか?」
私の冷淡な声に、シャロンはさらに勢いづいて捲したてる。
「殿下、思い出してください! 先月の園遊会で私が転びかけた時、抱きとめてくださったではありませんか! あれで愛のフラグが立ったはずですわ! あの時、ピコーンって好感度アップの音が私には聞こえましたもの!」
……ピコーン?
会場が凍りついた。バグだのフラグだの、挙句の果てには幻聴まで。
彼女は頬を上気させ、期待に満ちた目でリュシアン殿下を見つめた。
今こそ彼が目を覚まし、私を切り捨てて自分を選んでくれる——そんな「イベント」の完遂を確信しているのだろう。
だが。
隣に立つリュシアン殿下は、ぴくりとも動かなかった。
黄金の瞳を細め、無表情に、ただ静かにシャロンを凝視している。
(ああもう、絶対楽しんでいらっしゃいますわね……)
会場に重苦しい沈黙が流れる。シャロンの額に、じわりと焦燥の汗が浮かんだ。
「……殿下?」
彼女がおずおずと声をかけた、その瞬間。
「……ぷっ、ははははは!」
リュシアンは、堪えきれないといった様子で吹き出した。
冷徹な拒絶ではなく、心底おかしそうに、太陽のように明るい声で笑ったのだ。
「あー、はは! 悪い、アニエス。今、俺、洗脳されてるんだってさ! 傑作だな!」
「……殿下、笑いすぎですわ。淑女が必死に訴えておいでですわよ」
「いや、だって嬉しいだろ? 俺が君の手のひらで転がされてるって、周囲にもそう見えてるわけだ。光栄だなぁ」
リュシアンは笑いを含んだ瞳でシャロンを見据えた。そこにあるのは怒りではなく、圧倒的な「強者の余裕」だ。
「それで? 聖女様。俺が君を抱きとめたのが『フラグ』? 悪いが、俺は足元がおぼつかないレディがいたら誰でも助けるよ。それが王族の嗜みだろう? 特別なのは、そこに立っているアニエスだけだ。……なあ、君。俺が操られていると本気で思っているなら、それは俺に対しても、彼女に対しても、随分と失礼な話だとは思わないか?」
「嘘よ……そんなの嘘よ! プログラム通りにいかないなんて、ありえないわ!」
シャロンは髪を振り乱し、床にへたり込んだ。取り巻きの騎士団長や魔術師も、王子のあまりに明るく、かつ揺るぎない態度に毒気が抜かれたのか、一歩後ずさっている。
「イベントは完璧だった! スチルだって回収したはずよ! それなのに、どうしてアンタが隣にいるのよ、この悪役令嬢!」
「……ヴィラン? シャロン様、貴女は先ほどから何を仰っているのですか?」
私は、リュシアン殿下の隣で優雅に扇を広げた。
彼女が転生者であることは確信している。だが、ここで私が同じ土俵に立つ必要はない。
「バグ、フラグ、スチル……。聞き馴染みのない言葉ばかりですが、要するに貴女は、殿下を『自分の筋書き通りに動く人形』だと思っておられたのですね?」
「なっ……! そんなこと――」
「殿下の微笑みを『点数』のように数え、ご自身の価値を高めるための道具にする。……聖女様。それは殿下に対しても、この国に対しても、あまりに不敬ではありませんこと?」
私は、殿下の隣に一歩寄り添い、その腕にそっと手を添えた。
「貴女が『運命』と呼ぶものが何であれ、私たちが過ごしてきた十数年は、そんな安っぽい言葉で片付けられるものではございません。殿下が夜遅くまで執務に励み、時に悩み、時に笑う……その隣にいたのは私です。……貴女が見ている『夢』の中に、殿下の本当の努力や苦悩が、一度でも映ったことがありまして?」
シャロンは言葉を失い、金魚のように口をパクパクとさせた。
彼女にとって、この世界は自分のために用意された遊園地。
だが、私にとっては――そしてここにいる人々にとっては、かけがえのない現実なのだ。
「……アニエス。ハハッ、やっぱりお前には勝てないな」
リュシアンが、私の肩を抱き寄せ、耳元で楽しげに囁いた。
「『自分を人として見てくれる』。それがどれほど嬉しいことか、この聖女様には一生わからないだろうな。……さて、アニエス。お前がここまで言ってくれたんだ。俺も、ただ笑ってるだけじゃ示しがつかないよな?」
リュシアンの黄金の瞳が、いたずらっぽく、それでいて王族の威厳を持ってシャロンに向けられた。
「聖女シャロン。君の妄想に付き合うのはここまでだ。君が裏で何をしていたか、俺の有能な婚約者がすべて調べてくれていてね。……『イベント』とやらを完遂するために、金で騎士を動かし、邪魔者を消そうとしたことも含めてな」
「な、何を……! 私は聖女なのよ! 国の宝なのよ! 私を罪人扱いするなんて、そんなの、シナリオ崩壊だわ!」
狂乱したように叫ぶシャロンに、冷ややかな、けれどどこか憐れむような視線が突き刺さる。
私は、殿下が事前に用意させていた一通の書簡を、騎士に手渡した。
「シャロン様。貴女は『攻略』のために、手段を選ばなかったようですね。……例えば、殿下の側近たちを籠絡するために、教会から預かった寄付金を横流ししていた件。それから、私を排除するために隣国の工作員と接触し、暗殺を依頼した件……すべて証拠は揃っていますわ」
「なっ、なんでそれを……!?」
「殿下は仰いましたわね? 『俺は俺だ』と。……私も同じです。貴女が殿下を『駒』としてしか見ていなかったように、私も貴女の動向を、常に監視させていただいておりました。……愛する方を害そうとするノイズを、私が見逃すとでも思いましたの?」
シャロンの顔が土気色に変わる。
彼女にとって、この世界の住人は自分を輝かせるための「データ」でしかなかった。だから、自分が逆に観察され、裁かれる可能性すら想像していなかったのだ。
「そんな……嘘よ、私はただ、ハッピーエンドを……!」
「貴女のハッピーエンドのために、どれほどの人生を壊すつもりでしたの? ――リュシアン殿下」
私が名を呼ぶと、殿下はパン、と軽快に手を叩いた。
それだけで、武装した近衛騎士たちが一斉にシャロンを取り囲む。
「聖女シャロン。――いや、元・聖女。君を『国家反逆罪』および『公爵令嬢暗殺未遂』の容疑で拘束する。……悪いが、俺はイベントとやらより国の安寧を優先する性分でね。罪状はこれから増えるだろうな」
リュシアン殿下は、まるで明日の天気を語るかのような気軽さで、彼女に死罪相当の罪状を突きつけた。
会場が凍りつく。それはもはや、痴情の縺れなどという可愛いものではない。王国の根幹を揺るがす「本物の悪行」への宣告だ。
「……あはは、そんなに怯えるなよ。隣国の工作員と手を組んで俺の婚約者を消そうとしたんだ、これくらいの罪状は当然だろう?」
殿下は、恐怖に顔を歪ませるシャロンを見て、愉快そうに肩を揺らした。
そこにあったのは怒りではなく、ただ静かな決意だ。
彼はそのまま、私を抱き寄せている腕に力を込め、私の髪を愛おしそうに撫でる。
「なあ、アニエス。君が全部調べてくれたおかげで、無駄な手間が省けたよ。愛する女性が優秀すぎて、俺の出番がなくなっちゃうな」
「殿下、今は不謹慎な惚気は後回しにしてくださいませ。……さて、シャロン様」
私が冷ややかに告げると、殿下は「おっと、怖い怖い」とおどけて見せ、再びシャロンへ視線を戻した。今度は、その黄金の瞳に絶対的な強者の色が宿る。
「さあ、大人しくお縄についてくれ。君の愛する『シナリオ』にはなかった、本物の断罪劇の始まりだ。物語とは違う結末を、ゆっくり味わってもらおうか」
「嫌っ! 離して! 私はヒロインなのよ! 私がいないとこの世界は終わるのよ!!」
見苦しく暴れるシャロン。しかし、彼女をエスコートしていたはずの騎士団長も魔術師も、すでに彼女から軽蔑の眼差しを向けて離れていた。
引きずられていくシャロンの叫び声が遠ざかるにつれ、会場には「終わった」という安堵感と、仲睦まじい婚約者同士への賞賛の拍手が広がっていった。
騒動が落ち着き、私たちは夜風の当たるバルコニーへと避難した。
遠くで夜会の楽団が演奏を再開している。
「ふぅ……殿下、お疲れ様でした。少々、派手に動いてしまいましたわね」
「いや、最高だったよアニエス。特にお前が『王子でなくても愛してる』って言ってくれたところ!」
リュシアン殿下が、背後からガバッと抱きついてきた。
重いというよりは、大型犬にじゃれつかれているような、温かくて力強い感触。
「……殿下、あれはあの場を収めるための……」
「いいや! 俺は聞き逃さないぞ。お前は俺が『何者であっても』隣にいてくれるって言ったんだ。……なあアニエス。今の俺、世界で一番幸せな自信があるんだけど」
耳元で囁かれる声は、どこまでも明るく、それでいて逃がさないという確かな意志がこもっている。
「操られてる? 洗脳されてる? ああ、大正解だ! お前の賢さと、その優しさに、俺はもう一生分、やられてるんだからな。……責任、取ってくれるんだろ?」
「……本当に、この方は。私がいないと、すぐ調子に乗るのですから」
「そうだよ。だからずっと隣にいろ。俺を最高の『太陽王子』にするのは、世界でたった一人、お前だけなんだから」
私は、彼の腕の中で小さくため息をつきながら、そっとその手に自分の手を重ねた。
ゲームの「バッドエンド」なんて、どこ吹く風。
自信満々に笑う私の「太陽」と一緒なら、どんな未来も輝いて見える。
「――仰せのままに、私の愛しい殿下」
私たちは夜風に吹かれながら、重すぎるほど幸せな、本物のハッピーエンドを噛み締めていた。
彼は攻略対象ではない。私が選び続ける、たった一人の太陽だ。
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