第1話 炭鉱の町
リリアの兄、ウィリアムの番外編です。
全3話ですので、お気軽にお読みいただければと思います。
辺境伯領の東、サランの町は今日も活気にあふれていた。
国の中央と辺境伯を隔てる山の麓のこの街は、最近炭鉱が見つかったということで急激に人口を増やしていた。
「おーい、兄ちゃん、証明書早くしてくれよ、そろそろ宿屋の金も尽きちまう。早いところ宿舎に入りたいんだよ。毎日真っ黒になって帰るから宿の女将も嫌がっちまってよう」
今日も新たに稼ぎに来た男が役所のカウンターに片肘をついて移住届を催促している。
「昼まで待ってくれってば。町長のサインが入ったものが昼に届くんだ。3日に一度の定期便なんだよ。
だいたい、来てすぐに手続してくれれば良かったんだ。なんだってギリギリまで宿にいたんだよ」
ウィリアムは少しうんざりしたように応じる。男は3日前の日暮れにギリギリで役所に飛び込んできて、それから連日催促にやってくる。受け付けたときにちゃんと3日後と言ったのに。
「だって宿舎があるなんて知らなかったし、給料が2週間ごとにしか出ないなんて思わなかったんだ」
「働き始めるときの説明、ちゃんと聞いてなかっただろう。冊子も渡したぞ」
「字なんて読めるかよ。それに来たばっかりでどんなところか情報収集もしたかったし」
人の話を聞かない奴が情報収集だなんてちゃんちゃらおかしい。
そう思ってため息をついていると、事務所に続く扉が開いて少し雪焼けした女性が箱を持って元気よく入ってきた。
「所長、書類届きましたよ。・・・なんだ、またそいつか。ちょっと待ってね、確か名前は・・・」
「マイクだよ、ちゃんと移住許可出たんだろうな」
「当たり前でしょ、うちの所長が手取り足取り、というか実際にペンを取り整えた書類なんだから不備なんかあるはずないじゃない」
書類の束の中から一枚、確かに町長のサインが入った紙を抜き出してウィリアムに渡す。字の読めない男に代わってざっと目を通したウィリアムが懇切丁寧に、この紙を持って炭鉱の事務所に行って・・・と説明すると男は嬉しそうに飛び出していった。
「代わりますよ。まったく所長に受付けまでさせてすみません」
「いや、人手不足だからね、所長だろうが副所長だろうが何でもやるさ」
町の産業として町長が推し進めている炭鉱。炭鉱事務所は役所の分所である。副所長は炭鉱事務所の長として働いており、普段役所は3人で回していた。もう一人の男性所員は今日は妻がケガをして赤ん坊の世話をしないといけないと、申し訳なさそうに午前の早い時間に早退していった。
小さな町では今、男も女も大忙しだ。もともとは林業を細々とやっていた町で、男は山に伐採に行き、体の弱い者や老人は木工を生業にしていた。女たちは家に畑を作り鶏を飼い子どもを育てる生活。宿屋も無く、たまに来る行商人や山越えの旅人を泊めるときは集会所を開放して町の女たちが食事の世話を交代でしていた。
それが今や宿屋が足りなくなる始末。男性所員の妻も突貫工事で行われている宿屋の工事現場の飯炊きに行ったところ、材木が倒れてきてケガをした。幸い軽傷だったが2、3日は動くなと医者に言われたらしい。昔はそういう時は近所で子どもを見てくれたらしいが、今は近所の女性陣が全員働きに出ている。役所も人手不足だが何とか回せないこともなく、「連れてきて背負って仕事してもいいか」と聞く男性職員に「ケガした嫁さんの世話もあるんだから気にせず休め」と休ませた。
「炭鉱事務所の方に応援を頼みましょうか?」
「いや、あっちの方が今は忙しいし、事務所用に雇った新人の教育もある。書類仕事ができる者を寄こしてほしいなんて言えないよ。こっちはロッテがいてくれるから大丈夫だ」
ウィリアムがそう言って笑うと、女性職員―ロッテ―は照れたように笑った。
ロッテはウィリアムが赴任する2年ほど前から働いている女性で、識字率の低い町で読み書き計算ができ、書類仕事も完璧な頼れる先輩だ。
ウィリアムは男爵家の当主を継ぐ前に領内で修業を積むよう辺境伯に雇われ、最初は領都の近くの役所で仕事をしていたが、サランの町が人手不足だからと3年前に異動になった。高齢だった元所長は定年をとっくに過ぎていたので引退、今はその顔の広さと人望で町の相談役として活躍している。人手不足なんだし、と慰留したが急激に変化する生活に右往左往する町民の不安を取り除けるのは彼しかいないということで相談役に納まった。
本来なら副所長が繰り上がっても良かったのだが、副所長は炭鉱事務所を希望したので若造と言える年齢のウィリアムが所長として継いだのだった。ロッテと男性所員がいなければウィリアムは右も左もわからなかっただろう。
赴任して3年も経つが、二人の存在はウィリアムにとっては未だに部下である前に先輩だった。特にロッテは生来おおざっぱなウィリアムの衣食住になにくれと気を遣ってくれる姉のような存在だった。
「さてと、俺たちも昼飯にするか」
「そういうと思って、向かいの食堂で買ってきましたよ。ほら、具沢山のスープとパンと、それに今日はチーズも付けてくれました」
そう言ってお茶を入れ、スープの器を開ける。生姜のいい匂いがふわっと漂ってきてウィリアムのお腹がぐぅ、と音を立てた。
「ありがとう、気が利くなあ。それにしても向かいの食堂のスープ、どんどん具が多くなるな。もうほとんど煮物じゃないか」
「炭鉱夫たちは良く食べますからね。栄養満点、量もたっぷりですよ。それでいて値段が変わらないんだから、女将さん本当にいい人ですよね」
ロッテは少し笑ってスプーンを差し出し、自分も「わあ、今日のスープも美味しそう」と言いながら勢いよく食べ始めた。細い体にどんどん吸い込まれていくスープとパン。ものすごく早く無くなっていくのを爽快に感じながら、ウィリアムもスープに口を付けた。
ロッテは良く食べる。それにウィリアムが見たことないくらい早く食べる。それなのにスープをすする音も立てないし、食器の音もしない。静かに吸い込まれていく。食べているのが木の器に盛られた大量の具沢山スープでなければ、まるで貴族の食卓のようだ。
ロッテがサランに来るまでどこにいたのかウィリアムは知らない。この町の出身ではないことは知っているが、気にしたことはなかった。
ただ彼女は5年ほど前からサランにいて、3年前からは一緒に働いている仲で、ウィリアムがこの町で最も親しくしている同僚である。明るくさっぱりしていて、美人なのにあまり女を感じさせない豪快さも持っていて、ウィリアムは安心して彼女と接することができた。
王都では隙あらば未来の男爵夫人になろうと擦り寄ってくる女子生徒が多く、家族以外の女性に半ば恐れを感じていたから。
ウィリアムはわかっている。自分がもてはやされているわけではない。なぜなら、ものすごく顔立ちが整っているわけではない。出世頭でもない。それでも寄ってくる女性が多いのは、ちょうどよく攻略できそうな、ちょうどよい爵位の後継だから、というのは彼にもわかっていた。高位貴族には嫁げない家柄の女子たちが、これなら篭絡できる、と思って寄ってくる。だからこそ、怖かった。
綺麗に食事を終えて食後のお茶を楽しみ、そろそろ休憩は終わり、と席を立とうとしたとき、「休憩中」と書かれた入口の看板を跳ね飛ばす勢いで炭鉱事務所の新人が転がり込んできた。
「所長、大変です!崩落が起きました!」
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