体育祭リハーサル
塩谷清道、晴れ男。十月三日金曜日、今日も晴れ。明日も晴れるだろう。今日は明日に迫った宮園高校体育祭のリハーサル。けれどミユキはまだ来ていない。幼稚園からの幼馴染であるミユキとは家が隣同士でいつも一緒に登校するのだが、今日は集合時間になっても家から出て来なかった為、やむなく先に出発することとなった。連絡を入れても返事はなく、恐らくは寝坊だろうと予想された。ミユキは朝が弱いのだ。それは高校二年となった今でも変わらない。
全校生徒がずらりと校庭に並び、体育祭のリハーサルが始まる。そこへ走ってやって来る者が二名。体育教師である山倉悟と、山倉に連れられ俯くミユキだった。朝礼台の横で止まった山倉にペコペコと頭を下げたミユキは列に並ぼうとこちらへ向かって来た。ミユキは山倉から離れても何故だかずっと頭を下げるのを止めず段々と鶏のように歩きながらおれの前である自分の位置に納まった。
「ミユキ、大丈夫か?」
「ただの寝坊だよキヨミちゃん……」
ミユキは振り向きじっとりとした目をおれに向けた。ミユキの名前は正しくは富行。ミユキという響きが好きでおれはずっとそう呼んでいるがミユキは納得していない。ミユキはその嫌がらせでおれをキヨミと呼ぶがおれは気に入っている。
ラジオ体操が始まり、男子生徒の掛け声が響く。男子生徒の声しか聞こえないのは宮園高校が男子高校だからだ。ミユキはまだ眠いのかだらだらと動く。これは良くない。準備運動は大切だ。おれはポケットからタオルを取り出しヌンチャクのようにしてミユキの腕や足スレスレに向けて素早く振り回した。動いていないぞ、と知らせる為だ。
「痛いよキヨミちゃん……」
ミユキは顔だけこちらに向けた。さっきよりも鋭い目をしていた。どうやら体に当たっていたようだ。
「ごめんごめん」
謝りながらもおれは手を止めなかった。
「二年一組、佐川富行!」
ラジオ体操が終わると山倉がミユキを呼んだ。
ミユキはビクッと肩を震わせる。おれは悪い予感がした。
「今日の意気込みを言いたいんじゃないか?」
山倉がニコッと笑う。間違いなく遅刻した罰だ。
「はい……」
溜め息を吐きつつミユキは前へ出る。
山倉はミユキにマイクを渡し朝礼台を指差す。上がれという意味だ。
「あー……」
ミユキは全校生徒を前に言葉に詰まっている。
ミユキは緊張すると固まってしまう。幼稚園の年少の時のことだ。おれ達はお遊戯会でねこねこルンバというダンスを踊ることになった。しっぽを付けて踊るというだけで楽しく、おれ達はルンルン気分で練習していた。しかし本番当日、ミユキは大きなホールや大勢の観客に緊張し一歩も動けなくなってしまった。おれはその時どうにかしなければと考えた結果、ミユキの後ろに回り、ミユキの手を掴んで振り付け通りにミユキを動かした。先生が出て来ておれを元の位置に戻したが、おれはまたミユキの後ろに回りミユキを動かした。それが何度か続き、先生も諦めたのかおれは最後までミユキを動かすことに成功したのだ。
「ちょっと待った!」
おれは気づけば走り出し、朝礼台に駆け上がっていた。
「リハーサル頑張るっきゃねぇよなァ」
おれはミユキの耳元で囁く。
「えぇ……」
ミユキは怪訝そうにちらりとおれを見る。
ミユキはどうすれば良いのかわからないのだ。
「リハーサル頑張るっきゃねぇよなァって言いなさい」
これでミユキに伝わったはずだ。
「あの、みんなに聞こえてるから……」
ミユキの声が震えている。笑いを堪えている。
そんなはずはない。後ろでこそこそと話しているのだから。確かめるようにおれは全校生徒へ目を向けた。
「聞こえてるぞ!」
「囁やきキヨミチ!」
「もっと上手くやれ!」
同じクラスの朝田や久保や前川が叫ぶ。みんながクスクスと笑っていた。
「あの、みなさん頑張りましょう……」
ミユキがおどおどしながら言うと拍手が起こった。ミユキがおれに惑わされず自分の言葉で話したからだろう。
山倉に何を言われるだろうか? おれは朝礼台を下りながらその気持ちを暴かれないように敢えて山倉をじっと見た。けれど山倉は哀れむようにおれを見てフッと笑った。山倉は今何をすればおれに一番効くのか知っている。悔しかった。
「助かったよ……」
ミユキがおれの肩を擦る。
ああ、そういえば幼稚園のお遊戯会でもミユキは途中から自分で動けていたのだ。それでもミユキはおれに付き合ってくれた。じゃあこれはおれの自己満足か? いいや、ミユキに恥をかかせずに済んだのだ。おれは泣いてなんかいない。
リハーサルで最初に行われた種目は応援合戦だった。おれ達のクラスはみんなを驚かせるという目的がある。四列に並び後ろで手を組む。赤いハチマキに学ラン姿の応援団長、上田大和が前に出て来た。
「俺達はー! 力尽きてもー! ウッ……」
上田は勢い良く倒れた。
「もしかして……」
ミユキがおれの隣でボソッと呟く。その顔は青ざめていた。
おれはピンときた。ミユキは応援合戦の内容を忘れている。そして多分、勘違いをしている。
「あいつはあれで大丈夫なんだ」
おれは助け舟を出した、つもりだった。
「あの顔……大丈夫じゃなさそう……」
ミユキは今にも上田を助けに行ってしまいそうだ。
おれはちらりと上田を見る。上田は白目を剥いていた。迫真の演技のせいでミユキは勘違いしたままなのだ。
ミユキはこうだと思ったら突っ走ってしまう。小学三年生の時のことだ。おれはよく物をなくした。それをいじめだと勘違いしたミユキは、クラスメイト一人ひとりにおれをいじめていないか確かめた。いじめていないと真面目に答える者もいれば、疑われて戸惑う者、そして疑われたことに怒って掴み掛かる者もいた。それを図星だから指摘されて怒っているのだと捉えたミユキは相手を掴み返してしまった。おれはその時どうにかしなければと考えた結果、二人の間に入った。そして三人でくちゃくちゃになりながらぐるぐると回り、回り続けていつしか三人とも何をしていたのか忘れてしまった。結果的にケンカを止めることに成功したのだ。
「それっ!」
おれは上田とミユキの間に飛び込んだ。
そうしたはずだったのにおれは何故かぐるぐると回っていた。応援合戦は進み、飛び込んだおれは渦潮の振り付けに飲み込まれてしまったのだ。
「俺達は渦潮! 渦潮! 渦潮!」
「みんなを飲み込むぞ!」
クラスのみんなが大声を上げながら回る。
ミユキはどこにいる? 大丈夫だろうか? あ、ミユキがいる。訳も分からずぐるぐる回っている。良かった。良かったのか? おれは大丈夫か? おれは今、どこにいるんだ?
グラッときて、ドンッという衝撃が背中に走る。おれは地面に倒れ込んでいた。ふと横を見れば上田が倒れている。まだ白目を剥いていた。死体が二体に増えた。
「生き返る!」
おれ達の後ろでクラスのみんなが声を上げる。
「生き返る!!」
上田が起き上がり拳を天に掲げる。
「い、生き返ってません……!」
ミユキの声が耳元で聞こえる。おれは頭がグワングワンしていた。
「い、いてぇ」
無理矢理に上半身を抱き起こされた感覚がある。確かでないのはおれの体が震える箸でどうにか掴まれている心太のようにぷるぷるしているからだ。
「なあんか、アレだな。有名な絵画でも見ているみたいだな」
山倉が顎に手を当てておれ達を眺めている。
群衆を従えて拳を高々と天に掲げる者。その隣で亡骸を抱き起こそうとする者。そう考えると確かに、と死体のおれは思う。
絵面のようではあったが本来の形ではなかった為、おれ達のクラスはもう一度応援合戦のリハーサルを行うこととなった。
ミユキはあやふやながらなんとかみんなに付いて行き二度目のリハーサルを乗り切ったもののこれで大丈夫なのだろうかという不安がみんなの心に残った。
「みんなごめん……明日は絶対に頑張るから……」
ミユキはさっきの応援合戦のリハーサルを思い出し辿々しく、しかし懸命に振り付けやセリフの練習を始めた。
その姿にみんなの心は動かされたようだ。やれやれと言いながらも熱の入った指導が始まったのだ。
ああ、そういえば小学三年生の時もミユキは結局クラスを一つにしたのだ。いじめやケンカのない仲の良いクラスにしようと話し合うきっかけになったからだ。じゃあおれは必要ない? いいや、おれ達の家は隣同士だ。家に帰ってからも窓を開けてミユキと応援合戦の練習をしよう。ミユキが望まなくても。
玉入れでは玉を拾いみんなに渡すという行為に勤しみ、大玉転がしでは突き指を恐れ頭突きという方法を編み出し、ミユキは大いに体育祭のリハーサルを楽しんでいた。しかしながらクラス対抗リレー、障害物リレーと出番がなかったミユキはふらふらとどこかへ行ってしまった。
リハーサル最後の競技である大縄跳びが始まる。縄の横に一列に並ぶとざわざわとクラスが騒がしくなった。
いつもより間隔が広い、誰がダイエットをしたのか、ダイエットなんてしていない、ならどうしてだ、怖い、などと口々に言い合っている。しかし隣の二組でも騒ぎが起きていた。なんだか狭い、誰か太ったのか、太ってなんかいない、ならどういうことだ、怖い、などと言い合っている。何が起きているのだろうか? おれはふとミユキのことが気になる。ひょいと体をずらし一組の列を見る。ミユキがいない。まさか、と思い二組の列を見る。後ろから二番目におかしなやつがいた。一人騒ぎに加わらず縮こまっている。ミユキだ。二組は靴下を脱いで大縄を跳ぶ。ミユキも脱いでいた。ふらふらとどこからか帰って来てみれば周りが靴下を脱いでいてなんとなく自分も脱ぎ、その人達に付いて行ってしまったのだろう。しかし周りを見てみればそれは二組であり、気付いた時にはもう飛ぶ直前、抜けるに抜けられなくなったのだ。
ミユキはやってしまった時、申し訳無さから存在感を消す。中学二年生の時のことだ。ミユキは合唱コンクールに力を入れていた。自分の提案した歌を歌えることになったからだ。ミユキは誰よりも練習した。クラスの全体練習、個人練習、他のクラスメイトの練習に付き合ったりもした。しかしミユキの喉は合唱コンクール当日に限界を迎えた。おれにはその時どうにかしなければならないことが二つあった。ミユキの喉とおれの喉だ。ミユキと一緒に練習していたおれの喉も限界を迎えたのだ。二人とも酷い調子だった。ガラガラ声に加えどうしてだかわからないのだがミユキが高い声を出そうとするとカラスが何もかも上手くいかずやけくそになって鳴いた時みたいな声になり、おれが低い声を出そうとするとこれもまたカラスが何もかも上手くいかずやけくそになって鳴いた時みたいな声になってしまうのだ。クラスの誰もおれ達に歌うなとは言わなかった。おれ達が誰よりも練習していたのを知っていたからだ。クラスの空気は暗く沈んでいた。おれ達は歌う直前までのど飴を甜めた。おれはカラスの声が出そうになったら声を抑えようとミユキに提案した。ミユキはうんとは言わなかった。ステージに立ち、おれは歌った。ミユキの声は聞こえなかった。自分の声を出すことを申し訳なく思ったのだ。それでもおれは苦しみながら歌った。まだカラスの声は出そうにない。このまま行ける。光が見えた。しかし、カラスは最後の最後で鳴いた。それは高い声のカラスだった。ミユキは最後のほんの少しだけでも歌いたかったのだ。おれは隣にいたミユキの左腕を掴みおれの後ろに隠した。ミユキではなくおれがやったのだと思わせる為だった。ミユキはおれの後ろで静かに泣いていた。ミユキは人前で泣くのを嫌がる。悔しさがどんどん込み上げて涙が止まらなくなるからだ。だからおれはこれでもかと胸を張りミユキを隠した。結局誰にもミユキの泣く姿は見られずに済んだのだ。
おれはスタスタと歩いてミユキの前に割り込む。すると騒がしかったのが嘘のように静まり返った。
「ごめん、ごめん。おれ二組の助っ人だったな」
おれは二組のみんなに悪い、悪い、と軽く手を上げる。
「いや、頼んでないぞ」
「そんなことして良い訳ないだろ」
二組のみんながおれを責め立てる。それはそうだ。そんな話は最初からないのだから。
「えぇ? そうだったっけ? じゃあ戻るけどさぁ」
おれはミユキを背後に隠しつつカニ歩きで自分のクラスの列へ向かった。
「カ、カニだーーーっ!!!」
「そんな真面目にカニをやるなーーーっ!!!」
どっと笑いが起こった。
真面目にカニをやるとはなんだろうか? おれはただミユキを隠そうとカニ歩きをしているに過ぎない。後ろでカサカサと音がした。振り向くとそこにあるはずのミユキの顔がない。視線を落とすとキャッチャーのような姿勢で両腕を程よく広げ、両手でチョキを作るミユキがいた。真面目にカニをやっている。
「ニセガニとマジガニ早く戻れ!!!」
クラスのみんなの言葉に慌てたミユキが超高速でカサカサと動く。おれもミユキを真似てみたがやはりニセガニだった。みんな声も出せなくなって泣いていた。ミユキが間違って二組の列に並んだことなどどうでも良くなっていた。
おれの作戦は失敗しかけたがミユキのおかげで成功したのだ。
「ぼくのカニ歩き、まだ完成していないみたいだな……」
おれの背後でミユキが更にカニらしくなろうと腕の角度を調節していた。
大縄跳びはおれ達一組が勝った。一組も二組もマジガニを思い出し吹き出す者が後を絶たなかったが、二組はちらちらとミユキを見てしまい転ぶ者が続出したのだ。マジガニ様様である。
ああ、そういえば中学二年生の時もミユキのカラスの声で会場はあたたかな笑いに包まれ、クラスの張り詰めた雰囲気も解け、特別賞まで貰うことが出来た。ミユキも喜んでいた。明日も何か起こるに違いない。おれは明日に備えてミユキと一緒にカニ歩きの練習をしようと思う。
宮園高校体育祭では最後に必ず宮園音頭というものを踊る。それは宮園高校の創造、発展、未来をイメージした音頭という名のコンテンポラリーダンスである。歌いながら踊らなければならないこの音頭は思春期の生徒達の心を刺激する。生徒達の声はなかなか出ず、最小限動くのみである。しかしどうしてかミユキはこれを完璧に歌い、踊る。艷やかに伸びやかに体は動き、そして涼やかに視線は指先へ向かう。それにみんなが見惚れてしまうのだ。
「佐川は憎めないキャラだな」
おれの後ろで踊る山倉がしみじみと言う。
「愛されキャラでしょ」
おれは真っ赤な夕焼けを見ているみたいに心が満たされていた。
「あ、そうだこの間借りた二百円返す」
帰り道を歩いているとミユキは鞄をごそごそと探り始めた。
「あっ……」
ミユキはぴたりと足を止める。
「プレゼント、フォー、ユ―……」
ミユキはおれに何かを渡したかと思えばいきなり土下座し始めた。
戸惑いながら手にあるものを見る。それは弁当箱だった。
「どういうことだよ」
ミユキの手を取って立たせ、おれは尋ねた。なんとなく、想像はついたけれど。
今朝のことだ。寝坊したミユキが急がずゆっくりと駅まで歩いていると横にピタリと車が停まった。それはおれの母親の車だった。
「何しとるねん」
車の窓を開け、大阪に縁もゆかりも無い関東人がエセ大阪弁を話す。
「遅刻しとるねん……」
ミユキも負けじと関東人のエセ大阪弁で対抗した。
おれの母親がずいと弁当箱を差し出す。おれが弁当を忘れたのだと悟ったミユキはこくりと頷いてそれを受け取った。
「頼んだやで」
おれの母親が親指を立てる。
「任されたやで」
ミユキも親指を立てる。
ミユキとおれの母親はかれこれ十年ほどこんな言葉を使っている。一生本物の大阪弁を喋ることは出来ないだろう。ミユキはその弁当を鞄に大事にしまって、今の今までそこにあったというわけだ。
「何しとるねんってキヨミのオカンの声が聞こえる……」
ミユキは頭を抱えている。
今日は体育祭のリハーサルであり授業はなく昼までで学校は終わった。リハーサルの後、おれとミユキは昼食を学食で食べた。ミユキが学食で食べると言ったのでおれもそうしたのだ。だから鞄を開けることがなかったというわけだ。弁当を食べ忘れても母親が怒ることはないだろう。けれど弁当を食べずに朝と変わらぬままの弁当箱を母親に渡すことはおれには出来ない。
「一緒に食べてくれるか?」
「もちろん!」
珍しくミユキの声はハッキリとしていた。
おれ達は家の近くの公園のベンチに座り一緒に弁当を食べた。
「これでミユキが弁当を渡し忘れたことはバレないから大丈夫だ」
「良かった……」
空になった弁当箱を見てミユキは少しホッとしていた。まだおれが昼に弁当を食べられなかったことを気にしている様子だった。
家の前でじゃあな、と手を振っておれ達はわかれた。鍵を開けて家の中へ入ると母親がリビングでテレビを見ながら洗濯物を畳んでいた。
「ただいま」
「おかえり」
「弁当さっきミユキと食べたよ。渡すの忘れたんだって……アッ」
なんだって言っちまったんだ。おれはミユキと同じように頭を抱えた。
「何しとるねん」
母親は表情を変えなかった。やっぱり怒らなかった。けれど多分、呆れている。
「ぶえっくしゅっ……」
母親の声がミユキに届いたのかもしれない。ミユキの大きなくしゃみが聞こえた。
おれはどうしようかと考える。良い案はまだ浮かばない。
ミユキとおれはいつもこんな調子だ。




