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お兄さまには、バレないように

作者: mizuki.r

「アイリーン、よかっだぁぁぁぁ!」

 目が覚めたばかりの私をぎゅうぎゅう抱きしめているのは、貴族のコスプレみたいな衣装を着た、西洋系の暑苦しい美形の男だった。

 私の父らしい。

「大袈裟ですわ。娘が苦しがっております。離してあげてくださいな」

 そう冷静に突っ込むのは、派手ではないが整った容貌の女性。どうやら男の妻、つまりわたしの母らしい。

「だって、わたしたちの大切な宝物がようやく意識を取り戻したんだよぉ。心配するって」

 男は目に涙を浮かべ、声を震わせている。

 わたしは彼らの娘でどうやら高熱で数日意識を無くしていたらしい。



 この体で目覚めたのはほんの十数分前のこと。

 あれ、なんか知らない天井。

 ベッドの感触もうちのと違う?

 体もなんか違和感あるな。

 と思っていたところに、

「お嬢様! お気づきになったのですね」

 という声がして、そちらを見るとメイドさんみたいな恰好をした西洋系の女が、妙にうるうるしながらこちらを見ていた。

「はやく、旦那様と奥様にご報告を」

 部屋の中にいた女たちがバタバタと走り回り、水を飲まされたりしているうちに飛び込んできたのが、この二人だった。

 しがみつかれて分かったけど、わたしは自分がそうあるはずだと感じるよりもかなり小さいようだ。しかも、ちらちらと見える範囲で髪は明るい栗色。

 私は日本人なんだけど。なんだ……けど? あれ、でも、なんか記憶があいまいで……。

 夢?

 と思っている所に、今度は静かに扉が開いて、銀の髪に青い瞳の少年が部屋に入って来た。

 今まさに青年へと変わろうとしている年ごろの、ひんやりと冷たい美貌の少年は、親らしき二人の様子を他人事のように眺めている。

 どこかでみたような。

 とぼんやり考えていたら、いきなりアハ体験がやってきた。

 こいつあれだ! 恋愛要素のある育成ゲームのバッドエンドで、妹が死んだのにブチギレてヒロインを殺す悪役令嬢(仮)の兄だ!

 わたしは震えた。

 目の前にヤバいやつがいる。

 彼は何にも興味を持てないような冷めた目でこちらを見ている。

 ほんとうにこの無表情な男の子が妹の死に暴走して人を殺すんだろうか……。

 眺めていると、しっかりと視線があった。

 彼の表情がいぶかし気になる。

 あれ、まてよ。アイリーンてその妹の名前だ。

 こいつ、妹大好きなヤンデレだよな。

 そして私はこいつの妹ではない……

 私の中にはアイリーンの記憶は全くない。つまり転生ではなく憑依だ。本物のアイリーンはどこかに飛ばされたか、眠っているか、いやヘタすると死んでいる。

 ん?

 やばい!

 中身が別人だとばれたらまずいんじゃないか。

 ゲームの主人公は直接手を下したわけでは無かったのにやられたよね……。

 て、ことは、もしかしてわたしが最愛の妹と入れ替わってるとばれたら殺される?

 そんなことないよね。

 いやでも。あるかも。

 殺され……。

 ヘタすると殺されるよりひどい目に合うかも。

 冷や汗が流れる。

 なにしろ、この世界では魂の失われた体に別人の魂が入ることがある。それに絡むエピソードが魔術を極めるルートのストーリーに出ていたのだ。

 魂と肉体の相性が合わないと起きないし、人為的に行う魔術は禁術になっている。だが、あることは知られているし、実例もある。

 つまり、疑われるとヤバい!

 私の様子がおかしいからか、緑の瞳がさらに怪訝そうに細められている。

 まずい。アイリーンのふりをしなきゃ。こんなときアイリーンならどうする。

 必死にゲームの中の彼女の言動を思い出す。

 たしか天真爛漫で兄が大好きで、ちょっと天然で……。

 わたしは、はしゃぐように叫んだ。

「お兄さま! 来てくださったのね」

 声が上ずっているが、構わずにハートを飛び散らせるような甘ったるいしぐさで兄に両手を差し伸べる。

 彼は一瞬ぎょっとしたように身を引いた後。

「アイリーンが目覚めたっていうから」

 棒読みだった。

 けれど、私は知っている彼は妹を愛している。だからこれは本気、きっと本気。でないと困る。



 しばらくして、解放されたわたしは、布団にもぐって寝ているふりをしながら必死に過去を思い出そうとした。

でもたいしたことは思い出せなかった。ただ、涼香(スズカ)という名前で、なんとなく平穏な日々を過ごしていたような気がするだけ。

 それなのに、ゲームの中身だけは結構細かく覚えていた。

 主人公は地方の騎士爵の家の娘だが、才能をみとめられて神殿の学院に通うことになる。

 その学園は国に仕える少女たちを教育する機関で、庶民や下位貴族の娘の中でも特に優秀で将来性がある者を教育するために作られたものだ。

 選べる進路はいくつかあり、それぞれのジャンルで一番になり、称号と身分を手に入れるのがグッドエンド。

 主に学院の授業を選択することでステータスを上げるのだが、そこに、学園から依頼されたチューターとして出てくるのが攻略キャラたちだった。進路について相談したり、イベントを一緒にクリアしたり、好感度を上げていくと恋愛エンドにいける。

 ただし、好感度が上がってもステータスが上がらないと、称号が手に入らないのでヒーローとは身分違いのまま別れることになる。

 ステータスをきっちり上げて各ジャンルのトップになると信仰、歌舞、武芸、魔術、学問の分野で称号を得ることができ、さらに好感度も同時に上げることで恋愛展開からの結婚エンドに辿り着けるのだ。

 ちなみに一番の難関は、ステータスをマックスまであげて巫女姫になり、同時に全ての攻略対象との好感度は一定以上にあげず平均以下に抑えることで、マジで神の花嫁になるルートだった。

 主人公と相対するのは悪役令嬢ではなく切磋琢磨するライバル。地方出身でのんびりした主人公とは対照的な、王都の孤児院出身の努力家で凛々しい女の子だ。

 そして基本的にチューターたちには婚約者なんていない。フリーだ。

 ただし、たった一人例外がいた。

 それが学者エンド担当で、アイリーンの婚約者でもあるメルヴィンだ。

 主人公は、アイリーンの存在を知らずに彼に心惹かれるようになり、婚約者の存在を知ってショックを受ける。

 といっても、メルヴィンとアイリーンの婚約は、恋愛感情があるわけでも、政治的な必要があるわけではなく、親同士が親しかったから結ばれたというだけのもの。

 アイリーンも悪辣ではなく、ちょっと我儘、よく言えば天真爛漫すぎるだけの性格のうえ、メルヴィンよりお兄さま大好きのブラコンのため、婚約者の周りをちらちらする主人公に文句こそは言ってくるものの、それほどひどいことをされるわけではない。

 普通に悪役令嬢と言えるようなキャラではないので、悪役令嬢(仮)と呼ばれていた。

 だから、最初はネット小説の悪役令嬢ものを面白がったシナリオ担当が、軽い気持ちで入れただけなのだろう。と言われていた。

 言われていたのだが……。

 制作者はよほどネット小説の乙女ゲームものが嫌いだったのか、あるいは略奪愛に思うところがあったのか、あるいは単に性格が悪いだけなのか。

 メルヴィンとの好感度だけを上げて、勢いのままに婚約破棄をつきつけると、激昂したアイリーンはどこかへ飛び出して行き、その後、亡くなってしまうのだ。

 事故かそれとも自殺なのか。どちらにしろ自分たちにも責任があるのかも、と、苦悩する二人。

しかし悩む必要はすぐになくなる。

 そんな二人は、メルヴィンの友人でもあるアイリーンの兄のアルフレッドに殺されるのだ。

「君たちが死んでも彼女は返ってこない。もう少しだったのに」

 返り血を浴び、うつろな瞳でそう呟くアルフレッドに。

 このゲーム唯一の死亡エンドである。

 プレイしていて呆然とした。

 そりゃあ、攻略対象ではない、言ってみれば悪役令嬢(仮)の兄が無駄にイケメンで立ち絵まである時点で、何かあるんだろうとは思っていた。でもまさかシスコンのヤンデレだったとは。

 実は、アイリーンとは隠れステータスで好感度が設定されていたらしい。

 それをある程度以上にあげると、二人で真摯に婚約の解消を請うという選択肢があらわれるのだ。そうすれば彼女はあっさりと婚約を解消してくれる。そのサバサバとした態度からすると、彼女がメルヴィンとの婚約が無くなっただけで自殺するほどショックを受けるようには思えない。おそらくバッドエンドのアイリーンの死は事故だったのだろう。

 まあ、サバサバに見せて、実は鬱屈していたのかもしれないし、そうでないとしても亡くなった原因のひとつに婚約を破棄されて気持ちが高ぶっていたことがあるかもしれないので、全く責任が無いとは言い切れないが、だからといって言い訳もさせてもらえず惨殺されるのはさすがにあんまりだ。

 うん。そうだ。

 いくらわたしが兄の大事なアイリーンに憑依した別人だからと言って、望んで彼女を追い出したわけでは無いのに、殺されるなんて理不尽だ。

 貴族だから嫁に出るまであと10年くらいか。

 そこまでなんとか騙しきろう。

 なんとか兄を懐かせなければ。



 数日後、若さの力であっという間に元気を取り戻したわたしは、乳母を質問攻めにして、兄のスケジュールをある程度把握すると、家庭教師と勉強中の彼の元に突入した。

 こっそり部屋に滑り込んで、不審そうにこちらを見る兄や家庭教師を笑顔でごまかしつつ、兄の横にちょこんと座りこむ。

 家庭教師は戸惑っていたようだが、静かに座っているだけで実害は無いし、兄が一瞬の驚きからすぐに通常運転に戻ってしまったので、諦めたように授業に戻った。

 策を練りながら、兄の横顔を見上げる。

 母によく似た、派手ではないが整った顔立ちだ。自然に口元が緩んでくる。よかった、この顔なら芝居じゃなくてブラコンができる。クールビューティーで、ツンデレっぽい兄が溺愛してくれるなんて最高じゃない。

 やがて授業を終えた兄がちらりとこちらを見る。

「お勉強が終わったの! だったらお庭に行きましょう。一緒にお花が見たいの」

 兄は少し戸惑ったように頷いた。



 それからもわたしは必死に作中のアイリーンの言動を思い出し、できるだけ彼女がやりそうな言動を心掛けた。

 最初のうちこそ、元が少々人見知りだったわたしにはハードルが高かったが、運がいいことにアイリーンはそれほど極端な性格ではない。

 ものすごい天才でもない普通のお嬢様だし、ちょっと気ままなで我儘な言動はするけど、貴族のお嬢様ならありがちと許されてしまうレベル。天然だけどのんびりしているから、それほど周りに迷惑をかけることも多くはない。だから、段々自然にできるようになっていった。

 努力の甲斐あってか、父と母はアイリーンの中身が変わったことにその後も気付かないようだ。

父は暑苦しく愛情を振りまいてくるけれど、まともに娘を見ていないようだし、母は時々不審そうにこちらを見るのだが、かといって娘にそこまで興味はないようで何も言わない。

 まあ、貴族の親子なんてほとんど接点は無いし、そんなものなのかもしれない。

 身近にいた乳母や侍女たちははじめのうちこそちょっと不審そうだったが、主の娘にどうこういえるはずもない。それに特に不都合もなかったのだろう。慣れてくるにしたがって気にする様子も見せなくなった。

 あとは、肝心の兄だが。

 最初のうちはいぶかし気に見られることもあったが、いつの間にかそれが無くなった。そして、時々笑顔らしきものを向けてくれるようになった。たまに不器用に頭をなでてくれたりする。

 どうやら信用してもらえた。……ようだ。

 なぜ、ようだ。が付くかというと、兄が感情を見せないタイプの人だったから、断言できるほどはっきりわからないのだ。

 多分兄は母に似ていて、アイリーンは父に似ているのだろう。

 この世界の当たり前とか、家庭の様子とか、分からないことが多くて不安だったが、基本自分では何もしない、お世話をされるだけの幼女なのでポヤポヤしているうちに何とかなってしまう。

 少しずつ慣れて、いつか当たり前にようにアイリーンとして振る舞えるようになっていった。



 そして時は流れ、乙女ゲームが始まる。

 メルヴィンとの婚約は結ばれていた。

 父と旧友との間で酒の勢いで決まったものだったようで、抵抗する間もなく決定したあとに教えられた。

 ちょっと嫌な気はしたけれど、チューターの中では彼は地味な方だ。一緒に居てそこまでしんどいことも無いし、ヒロインに選ばれる可能性も少ないだろう。

 なにしろ、専門が学問なうえに、そこまでキラキラな見た目ではない。チューターを並べた絵ではだいたい端っこにいるちょっと子犬を思わせる可愛い系で、何なら兄の方が美形なくらいだ。

 それでもヒロインが地味好みでメルヴィンを選ぶようなら、こちらから仲良くなって好感度をあげてしまえばいい。バッドエンドに行きさえしなければ問題は無いのだから。いや、万が一、行ってもそのあと冷静に対処すればきっとなんとかなるだろう。

 そう考えて割り切ることにした。

 兄は、ゲームでは分からなかったが、滅茶苦茶優秀な魔術研究者になっている。数年前にチューターも務めているが、愛想が無さ過ぎて愛は生まれなかったようだ。

 ちなみに、学院は庶民や下位貴族の娘の中で特に優秀で将来性がある者を教育するために作られたものだから、我が家のような普通の伯爵家からは通わない。お嬢様は家庭教師なのである。

 なのでわたしも、ゆるーくのほほんと家で気楽に過ごしている。

だ が、メルヴィンがチューターに選ばれるとさすがにちょっと心配になって来た。どうなっているのか様子を見にいこう。メルヴィンと彼女が仲良くなっているようなら、自分もその中に入って、いろいろ言いやすい関係をつくっておきたい。

 それで学園を覗きに来たのだが。

 目の前で彼女はほれぼれするような筋肉の騎士と嬉しそうに話していた。

 ああ、これは中性的でちょっと小柄なメルヴィンはおよびじゃないな。

 つい口元が緩む

「アイリーンって本当はああいうタイプが好みなの」

 不機嫌そうな声に我にかえった。

 兄だ。学園を見学に行きたいといったら、万難排してついて来てしまったのである。

「え、なんのことかしら」

「メルヴィンはそんなに好みじゃないでしょ」

 やばい。と思っても顔には出さない。この歳月で芝居は随分うまくなった。現代に戻れたら演技派女優になれそうだ。

「え、男性のこと。いやだわ。わたくしああいう暑苦しい方は苦手なの。お父様だけで充分だわ」

「ふうん。でも随分熱心に見てるよね」

 兄の声はどんどん平坦になっていく。やばい。

「嫌だわ。お兄さまが側にいたら他の男性なんて、どなたでもお芋みたいにしか見えません。見てたのは女性の方ですわ。かわいいなぁと思って」

 兄はちょつとびっくりしたようにこちらを見る。

「え、女の子? ああいうのが可愛いと思うの」

「あら、お兄さまは思いません? 男性って、ああいう可愛らしくて無邪気な感じの女性お好きでしょ。女の目からすると、イラっとするので普段は近寄りたくありませんが、こうして遠くで、どうでもいい方と一緒に居るのを見ていると女の目から見てもやっぱり可愛いなぁ。と思って」

 男のほうは好みじゃありませんアピールもしっかりしておく。

「ふぅん。そうなんだ。じゃあ、アイリーンはああなりたいの?」

「いやですわ。それはまた別のお話です。わたくし王妃殿下とかお母様とか、ちょっと涼し気で凛とした大人っぽい女性が理想ですのよ」

 少し残念な気持ちが声に出てしまう。

 私の見た目は暑苦しい父に似ている。そこそこ美人だが好みとは違って、元の世界でいえばラテン系の濃い顔立ちだ。

「背が高くて細身で色味は薄い感じ?」

 なぜかやたら食いついてくるが、機嫌が直ったようなので会話にのっておくことにする。

「まあ、そうですわね。でも色は薄くなくても、ああ、あんな感じも好きですわ」

 ちょうど、遠くを通りがかったライヴァルキャラを指し示す。

すらりとした長身の知的な美少女が、チューターらしき青年と歩いてくる。髪と瞳は赤身の少ないダークブラウン、背筋が伸びていて歩く姿がとても綺麗。

 ゲームの時から、主人公よりライヴァルキャラの見た目のほうが好みだったんだよね。

「そうか、わたしも可愛い感じより、凛々しい感じの方が好みなんだ。よかった一緒だね」

 何が良かったかよくわからないが。兄が良かったならそれでいい。

「でもじゃあ、メルヴィンは好みと違うんじゃない」

 兄がいきなりぷっこんでくる。

「あら、男性と女性は違いますわ」

「ふうん、じゃあさっき私以外はおいもに見えるって言ったのは嘘」

 いや、だから勘弁してくれよ。

「お兄さま以外の中では素敵なほうだと思いますわ」

「じゃあ一番はわたしだね」

「もちろんです」

「ほんとに」

「ほんとうです」

「嘘じゃない」

「嘘じゃありません」

「嘘をつくと後で後悔するかもよ」

「だから嘘じゃないです」

 時々、本当にめんどくさいが、ここですねられるわけにはいかない。それに、兄の見た目が好みのど真ん中というのは、けして嘘ではない。

 ヤンデレだと思うと怖いが、まあ発動させるような事態にならなきゃ自分にだけ優しい兄だし。とりあえずメルヴィンとの婚約もスネはしたけど、邪魔してくるような非常識なことはしない。

 と、そこに待ち合わせていたメルヴィンが現れた。

 赤味の強いふわふわした髪で少し困ったような笑顔を浮かべている彼とはわりといい関係を築けていると思う。

 ただ……。

 私よりもまずは兄に向いてしっかり頭をさげる。

「最初に祭殿に行って、それから学院内をいろいろご案内します。ご希望があればおっしゃってください」

 ひたすら腰が低い。

 ひょっとしたら、ゲームでもそういう裏設定があってアイリーンから逃げたかったのかしら。

 メルヴィンのちょっと困ったような下がり眉が、なんだか可哀そうに見えてきて。恋愛感情はなくてもせめて大事にしてあげよう。と思う。



 そして、あっという間に二年が過ぎた。

 ヒロインは無事、筋肉ルートで姫騎士様になった。もちろんチューターの騎士と婚約していて、結婚は秒読みだ。

 ライヴァルも、魔術オタクルートで魔術のチューターとくっついたらしい。

 ゲームはメルヴィンやわたしの横を通り過ぎて無事にエンディングに迎えた。

 もう私はアイリーンでいいのかもしれない。

 癖はあるけれどそれなりに大事にしてくれる両親。ちょっと愛が重いけど滅茶苦茶大事にしてくれる兄。小心だけど優しくて穏やかな婚約者。



 そんなある日、わたしは兄に連れられて郊外の別宅に滞在することになった。

 昼過ぎに到着。湖の見えるテラスで遅めの昼食をとった後、そのまま二人でのんびりお茶をいただく。

 兄はなんだか見たことも無いくらいご機嫌だ。

 わたしも、けっこうご機嫌。でも、ちょっと寂しくもあった。メルヴィンとの結婚か半年後に控えているのだ。いくら近くても嫁いでしまえば兄とはなかなか会えなくなる。

 最初は命が大事で無理やり仲良くなった兄だが、今では本当に大好きなのだ。他の人には無関心なのに、自分だけにごくたまにだけど微笑みかけてくれる好みの美形。

 実の兄だからストッパーが利いているけど、家族でなければ沼落ちしていたかもしれない。

 勧められるままに食後酒に濃厚な貴腐ワインを飲んだからか少しぽうっとしていると。

「アイリーンは本当にお嫁に行ってしまうの?」

 少しだけ胸が痛くなるのを抑えて、わたしに無邪気に笑ってみせる。

「ずっとうちにいればいいのに」

「それも素敵ですわね」

「でも、メルヴィンのところに行っちゃうんだよね」

「いつまでも一人という訳にはいきませんもの。きっとお兄さまの奥様になる方も嫁き遅れの妹がいたら嫌ですわ」

「妻なんて迎えたくない。アイリーンが妹じゃなかったらよかったのに」

「あら、わたくしも」

 本当の兄弟ならちょっとウザいけど他愛のない会話だ。でも、わたしにとっては……。

 胸が痛い。

 兄はじっとこちらをみていた。もしかすると彼も少し酔っているのかもしれない。

 やがて彼はため息をついて立ち上がった。

「少しその辺を歩かないか。林の奥に見せたいものがあるんだ」

 そういって無造作に手を出す。

 当たり前につながれた手が、彼とわたしは兄妹なのだと教えてくれる。

 ゆっくりとした足取りで兄は林の中へと歩み入る。いつも側を離れない侍女と侍従がついてこないが、何か用事を片付けているのだろうか。

 兄は迷いのない足取りで、林の奥へと入っていく。濃い緑の香りの混じった空気が私たちを包んでいる。

 他愛もない話をしながら歩いていると、小さな小屋に行き当たった。そこが目的地だったのか、兄は鍵を取り出して扉を開けた。

 小屋は薄暗かったが、何か違和感があった。

 外から見ると山小屋なのに中はまるで実験室のような。

 そして、小屋の床には奇妙な模様を書き込んだ布が敷かれ。その上に一人の女性が横たわっていた。

 年はわたしと同じくらいだろうか、豊かなブルネットの髪とブルーグレーの瞳。少しやつれてはいるけれど、大人っぽくて綺麗な人だ。

 しかし、その瞳は虚ろで何かここにないものを見ている。

 驚きすぎて声が出なかった。どういうことなのかと呆然と見ていると。

『彼女に会わせたかったんだ。どう?」

 兄は少しだけ心配そうに私を振り返る。訳が分からな過ぎて場違いなことが口から飛び出す。

「お加減が悪いんですの?」

「ううん。もう彼女の魂はここにはないんだよ」

「はい?」

「ああ、でも体は傷まないようにしてあるから安心してね。それより、プラチナブロンドで適当な体が見つけられなくて、ブルネットなんだけど嫌じゃないかな。色合いはそんなに気にしないって言ってたよね」

 訳が分からず黙って見上げると、兄は悲しそうに眉を寄せた。

「この体、好きな見た目じゃなかった」

「何を言って……」

「ごめんね。あんまり気に入らなかったんだね。でももう時間も無いし。これで我慢して。ほらそろそろ薬も効いてくるころだし」

 いわれて、なんだかひどく怠いことに気付く。ワインに酔ったのかと思っていたけれど、何か薬を盛られたということなのか。

「嘘、なんでそんな」

 舌がうまく回らない。

 襲って来たのは絶望だった。なぜ。うまくやって来たと思っていたのに。何か兄の機嫌を損ねるようなことをしてしまったんだろうか。

 立っていられなくなった私の体を兄が支えてくれる。ひどく優しい手つきで。

 薬のせいで体が動かない私を、兄は彼女の隣に寝かせた。

「本当の名前を教えてくれる」

 兄はにっこりと私を見る。

「なにを……」

「だから本当の名前。それが必要なんだ。君がアイリーンじゃないことは知ってるよ。小さいころ、熱を出した後から入れ替わっていたよね」

 息が止まりそうになった。

 なのに兄はなんて事は無いように続けた。

「ほんとにびっくりしたよ。僕や母に似て感情を見せない子だったアイリーンがいきなり無邪気なふりしてかまってくるんだから。でも少し考えたらすぐわかった。ああ、別の誰かの魂が来たんだなって」

 無駄だったんだ。私の努力は。

 最初から知られていた。わたしがアイリーンじゃないということ。

「そんな悲しい顔をしないで。責めてるわけじゃない。仕方ないことじゃないか。体に別人の魂が入るのは元の魂の命数がすでに尽きてしまったせいなんだから。だから、母上も見守っていたんだと思うよ。幸い君は家の害になるような子じゃなかったし。まあ、父上は本当に気づいていないんだろうけど。でも、やっぱり君はアイリーンじゃない。その体は似合わないとずっと思ってたんだ」

 泣きそうだった。

 私のあがきは無駄だったんだ。

 でも一番悲しいのは。

 それは……兄の優しさが全部嘘だったこと。

 私が偽物だと知って、復讐の機会をうかがっていただけだったなんて。

「そんな顔をしないで、ね。名前を教えて。君の本当の名前を知らなきゃいけないんだ」

 ひどく優しい表情で私を見る兄が怖くて悲しくて見上げていると。

「怖がらないで」

 なぜか優しく抱きしめられて、そっと額に口づけをされた。

「ごめんね。でも、大丈夫、すぐ終わるよ。痛いとか辛いとかは無いはずだから」

 何を言っているのか分からないけど、兄のぬくもりが優しい。

「私が一番好きだと言ってくれただろう。だから君の本当の名を呼ばせて」

 髪をなでる手が優しい。

 ああ、もういいや。

涼香(スズカ)

 声が掠れている。 

「スズカ、ああ、たしかにその方が君に似合ってる」

 そう言うと、兄はわたしを離して立ち上がった。

 ぬくもりが離れていくのが寂しい。

 あれ、これってストックホルム症候群っぽいやつかな。

 それもそうだよね。ずっとわたしは兄に命を握られていた。ここしばらくは思い出さずに過ごしていたけど、心の奥底ではずっとそのことを……。

 でも、なんで。ちゃんとゲームの中のアイリーンをまねて……。

 ああ、そうか。やっとわかった。

 ゲームの中のアイリーンは、もともと私の入ったアイリーンだったんだ。

 ゲームの中でも本物のアイリーンはすでに亡くなっていて中身は別人だったんだろう。

 それを真似したんだからバレるわけだよね。

 でもじゃあなんでこんなに時間をかけたの。

 なんで。

 仲良しになれたと思ってたのになぁ。

 兄はテーブルの上からナイフを取り上げる。

 殺されるのかな。

 でも仕方ないんだよね。10年、あの時に殺されるはずがちょっと長く楽しい夢を見られたんだから。

 だけど、兄はわたしではなく自分の指を傷つけた。

 まるで痛みなど感じていないかのようにさっくりと。それから、なにかを唱えながら、指先から零れる血の一滴を床に落とした。

 床が光る。

 何か複雑な形、おそらくは魔法陣の線に沿って光の壁が立ち上がる。

 私と隣の女性の体は一気に光の檻に包まれた。そして次の瞬間には意識すら光の中にとらわれる。

 真っ白な光の中。

 私の意識も……。



 そこは穏やかに光に満ちていた。

 なぜだろう。わたしは生きているのかな。

やわらかなベッドの感触。時折感じる涼やかな風。

そしてしっかりと繋がれた手と、お腹の辺りに感じる重み。

 ここがどこか確認しようとしたけれど、見たことのない部屋だった。ただ、それなりに小綺麗な部屋らしい。

お腹の重みだけでなく、体全体がぼんやりと重いので、起き上がるのがおっくうだ。

 身じろぎしたのが伝わったのか、お腹の重みが無くなった。

綺麗な銀色が光をはじく。

「お兄さま?」

 私の声はかすれていた。

 つながれていた手がしっかりと握り締められる。

「よかったやっと目覚めた」

 聞いたことのないほど感情のこもった声にびっくりする。

「失敗するはずはないと思っていたけど、あまり長いこと目覚めないから心配してたんだ」

 握っていた手が外れて伸ばされ、髪が優しくなでられる。

 薄明りの中でも、彼がとてもやさしい表情をしているのがわかった。

「生きてる……の」 

「あたりまえだろう。私は腕のいい魔術師だからね」

「ええと……」

 兄は一旦離れていくと、鏡を持っていそいそと戻ってきて、私の背中に手を添えてベッドに座らせてくれた。

「ほら、見て。そんなに悪くはないだろう」

 鏡の中には、あの日見せられた涼し気な美貌があった。ただ中身が私なので表情がちょっと締まらない感じもする。

「やっぱり中身がスズカだと、どんな見た目でも可愛いね。ああ、身分は心配しなくていいよ。そこはいろいろどうにでもなるから」

「え……ちょっ。どういうこと」

「だから、ようやくスズカの好みに合いそうな、魂の命運の付きた体が手に入ったから入れ替えたんだよ。兄妹だと結婚できないだろう」

「はっ? 結婚」

「アイリーンのままだと、君はメルヴィンと結婚しなきしゃいけないだろう。だから、ずっと一緒に居られるように、適当な体を探していだんだ」

「待って、それ禁術じゃ」

「大丈夫黙っていたらバレないし、バレたらそいつを始末すればいいだけだし。まあ、最悪、二人でどこか外国に逃げる手もあるしね」

「いやでも、あ、アイリーンは、アイリーンの体は」

「あ、山小屋で魔法陣と一緒に燃やしといた。不幸な事故で死んだことになってる」

「はぁ~!」

 兄はにこにこしている。

「いやでも、それではお父様やお母様は」

『父上は平気じゃないかな? 大騒ぎして派手に泣き叫んでたけど、騒ぐだけ騒いだらけろっとする人だから。母上は分かってるだろうし』

「へっ」

「確認したことは無いけど、たぶんね」

「あ、と、メルヴィン」

「ちょっと悲しそうだったけど、わたしと兄弟にならずに済んで嬉しそうだったよ」

 あ、やっぱりそうなんだ。

 放心していると、 ふっと兄の表情が曇った。

「嫌だった? メルヴィンが良かった? いまさらそんなこと言わないよね。本当に私が一番好きなのか何度も確かめたよね」

 いやいや、まさかそんな意味だとは思ってませんし……。もう、混乱しすぎて返事ができない。

「ごめんね。勝手に入れ替えて。もし、嫌だといわれたら。と思うと怖くて打ち明けられなかったんだ。でも、してしまったことは、もう戻せないからしかたないよね。スズカ」

 言ってることは無茶苦茶なのに、切なげみつめられて胸が痛くなる。

 好きな顔なのだ。それにずっと重ねてきた時間の分の情もある。

「妹のままじゃずっと一緒に暮らせないから……辛かったんだ」

 綺麗な顔が近づいてくる。

 つい目をつぶってしまった。しっとりと柔らかいものが唇に触れた。

 だめだ、兄妹だし。ああ、でも体は違うのか。あれ、中身ももともと違うし。うん。いいのかな。いやでも人の体で勝手にってまずくない? でも、よくない気もするけど、元々の魂はもうこの体を放棄してたわけで……

 考えすぎてぐるぐるしていると耳元で囁かれた。

「大好きだよ。ずっと」

 頭の芯がぼうっとしびれるようになっているのは、長いこと眠っていたせいなのか、盛られた薬の後遺症か、それとも。

 ただ、優しく背中をなでる手がとても幸せで、もう全部どうでもよくなっていた。

 


終わり

 

 






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