第35話:見守ってくれてたんだね
私の視線に、魔人エルンストは一瞬だけ、驚いたように見開いた。だが、その表情はすぐに、侮りと嘲笑に満ちた醜い笑みへと変わる。
「小娘が! 二度と立てないようにしてやる!」
エルンストは、その禍々しい瘴気を右腕へと集中させていく。それは、さっきおじいちゃんに放った、あの魔法の構え。
「死んだアルセインと同じ魔法であの世に送ってやろう。堕ちよ、黒き星。罪を刻みて闇に還れ!」
【ノア・オーディー(原罪の黒き星)!】
エルンストの頭上に、再び、すべてを飲み込む漆黒の球体が出現した。光さえも吸い込む、絶対的な無の塊。それが、絶望的なまでの速度で、私に向かって放たれた。
勝算はない。
避けられない。
でも、私は目を逸らさなかった。
死への恐怖よりも、みんなを守るという、たった一つの想いが、私をこの場に繋ぎとめていた。
私は無駄を承知で剣を振り上げる。
黒い球体が私に衝突する間際、おばあちゃんの形見のペンダントが、まるで脈動するかのように、まばゆい光を放ち始めたのだ。
それは、太陽のように力強く、月のように優しい、どこまでも清らかで温かい光だった。光は瞬く間に私の全身を包み込み、眼前に迫っていた球体を、その柔らかな輝きで受け止めていた。そして漆黒の闇は、徐々に音もなく霧散していった。
「な、なんだこの光は!? バカな、我が至高の魔法が…!?」
エルンストが、信じられないというように叫ぶ。
やがて、私の目の前の光が、ゆっくりと人の形を結んでいく。
そこに立っていたのは、美しい女性だった。亜麻色の長い髪を緩やかに波打たせ、その微笑みは、まるで陽だまりそのもののように、温かく、そして慈愛に満ちていた。
「聖女エリアーナ! なぜ貴様がここに!?」
エルンストの絶叫で、私は理解した。
エリアーナ。それは、おじいちゃんが愛した、たった一人の女性の名前。私の、おばあちゃんの名前だった。
「…おばあちゃん」
私のつぶやきに、おばあちゃんは優しく微笑みかけると、私の心を見透かすかのように、
「あなたなら大丈夫。だってあなたは……私とあの人の、……孫なのだから」
おばあちゃんの体は再び光の粒子となり、静かに、ペンダントへと溶けていった。
(おばあちゃんが、守ってくれた…)
その温かい光と共に、私の中に、これまで感じたことのないほどの、膨大な力の奔流が駆け巡った。
世界の痛み、仲間たちの絶望。そして、倒れているおじいちゃんの、私への深い愛情。おばあちゃんの、どこまでも優しい想い。
そのすべてが、奔流となって、私の中に流れ込んでくる。
私の脳裏に、おじいちゃんの声が、はっきりと蘇る。
『力とは、それを正しく導く知恵と、弱きを助ける優しさがあって初めて意味を成す』
「私は……、間違わない!」
私は、天に向かって叫んでいた。
「おじいちゃんが守ろうとしたこの町の温かい日常を、私が守るんだ!」
私の全身から放たれた聖なる光が、巨大な柱となって、洞窟の天井を突き破らんばかりに立ち上る。その圧倒的な光の奔流は、この空間に満ちていた禍々しい瘴気を、まるで朝の光が夜の闇を払うように、一瞬にして吹き飛ばして浄化していった。
やがて、光がゆっくりと収まった時、私の全身から、聖なる光のオーラが溢れ出していた。亜麻色の髪は、澄んだ夜空のような深い青色に変わり、まるで意思を持っているかのように、ふわりと宙に舞っていた。
「リオナちゃん…きれい…」
ノエルが声を漏らす。彼女の言う通り、私の中から溢れ出すこの力は、どこまでも優しく、恐怖ではなく、安らぎを感じさせるものだった。
他のみんなも、ただ言葉を失い、その光景を呆然と見つめていた。
そして、エルンスト。
絶対的な力を誇っていた彼が、初めて、その赤い瞳に本能的な恐怖の色を浮かべた。
魔人は、思わず、一歩、後ずさった。
もう、私の中に、迷いも、恐怖もなかった。あるのはただ一つ、この手で、全てを終わらせるという、揺るぎない覚悟だけだった。
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