第2話:さすがにそれは嘘だよね?
今日の「陽だまり相談所」の朝は、二つの異なる音色で始まった。
一つは、庭から聞こえてくるリオナが土をいじる楽しげな物音。もう一つは、この書斎でわしがページをめくる、乾いた音だ。
窓の外に目をやれば、日当たりの良い庭で、わしの愛しい孫娘が買ってきたばかりのハーブの苗を植えている。彼女はしゃがみ込み、その艶やかな亜麻色の髪を一つに束ね、小さなシャベルで丁寧に土を掘り返している。一つ一つの苗に「ここがお前の新しいおうちだよ」とでも言うように優しく声をかけ、その根を慈しむように土の中へ収めていく。
リオナの手にかかると、どんな気難しい植物も素直に根を張るように思えるのは、祖父の贔屓目だけではあるまい。彼女の周りだけ、生命力がひときわ色濃く満ちているような、そんな気配があった。
魔王が目覚めるとき、勇者もまた目覚める。それは古くからの言い伝えだ。かつて勇者とともに魔王と戦った神獣が、魔王の復活にそなえて勇者の魂を輪廻転生させているという。
二年前、十三歳だった孫のリオナが神殿から【勇者候補】に認定されたと聞いて、正直、信じたくはなかった。しかしリオナは、類まれなる剣術の才能に加えて、かつての勇者だけが持っていたとされる異能【清浄なる波動】によって、無意識のうちに周囲の邪気や淀んだ魔力を浄化している。これによって、植物が元気に育ったり、小動物が懐いたりすることも多くあった。
一方、わしはといえば、書斎で分厚い書物と向き合っていた。アルモニエの歴史や、この土地特有の薬草について記された文献だ。宮廷を退いたとはいえ、知的好奇心まで引退させたわけではない。むしろ、誰に命じられるでもなく、純粋な探求心から知識を紐解く時間は、この上なく満ち足りたものだった。
羊皮紙に記された文字の連なりに没頭していると、不意に書斎の扉がひょっこりと開いた。
「また、おじいちゃん、難しそうな本読んでる。面白いの?」
額にうっすらと汗を浮かべ、頬を土で少し汚したリオナが、そこに立っていた。
わしは本から顔を上げ、老眼鏡の向こうで優しく目を細めた。
「面白いかはわからんが、学ぶべきことが書かれておる」
わしが今読んでいたのは、約四十年前、王国全土を巻き込んだ『大魔導戦争』に関する記述だった。このアルモニエ周辺も、決して無縁ではなかった。本に記された当時の痛ましい記録に、わしの脳裏にもまた、あの血と硝煙の記憶が蘇る。
「……四十年前の大魔導戦争では多くの人が亡くなった。わしの友人も、妻と娘を失ってのう……」
「その話、もう何度も聞いたよ」
リオナが少しだけ口を尖らせた。いつもの昔話が始まったとでも思ったのだろう。その声には、少しばかりうんざりした響きが混じっていた。
そしてリオナは、何かを思い出したように、いたずらっぽく瞳を輝かせ、
「ところでさ、おじいちゃん。以前、王都の人たちが話してたんだけど…おじいちゃんは昔、指先を鳴らしただけで山を消し飛ばしたとか、敵軍がおじいちゃんを見ただけで嘔吐して降伏したとか、魔導士団の同時魔法詠唱を『騒がしいな』とつぶやいただけで止めたとか、一人で古龍を倒したとか、王都に落ちそうだった大隕石を空に返したとか……、太陽をもう一つ作れるとか、さすがに嘘だよね?」
わしは、思わず飲んでいた茶を吹き出しそうになった。ゲホッ、と一つ咳払いをして、孫娘の無邪気な顔を見返す。
やれやれ、と首を振り、リオナの顔を見返した。
「いやいや、さすがに嘘じゃよ。……半分くらいは」
わしのその言葉に、今までキラキラと輝いていたリオナの瞳から、いたずらっぽい光がすうっと消えた。彼女の口元に浮かんでいた楽しげな笑みは、ぴくりと引きつり、固まる。
「え……」
リオナは、まるで知らない人を見るかのような目で、わしの顔をまじまじと見つめた。
「…じゃあ、半分は…ほんとう、なの…?」
その声は、先ほどまでの快活さが嘘のようにか細く震えている。いかん、いかん、孫娘が怖がっておる。
「…さ、さて!庭のハーブはどうじゃな? 少し見てみたいのう…」
リオナは何かを振り払うようにぶんぶんと頭を振ると、いつもの笑顔で、わしの皺だらけの手を取り、ぐいと庭へと誘う。
「う、うん!お庭、行こ!」
庭に出ると、彼女はぱっと顔を輝かせ、明るい声で、
「どう? ここがお茶用、こっちはお薬用。あっちには料理用ね! すごいでしょ!」
リオナは自分が作った小さなハーブガーデンを、胸を張って誇らしげに説明する。その瞳はきらきらと輝き、土いじりの喜びに満ちていた。
「おお、これは見事なものじゃな。リオナが淹れてくれるハーブティーが楽しみじゃ」
心からの言葉だった。わしがそう言って微笑むと、リオナは「任せて!」と、今日一番の笑顔を見せた。
この陽だまりのような孫娘との穏やかな日常こそが、わしにとって何よりの薬なのだ。わしは、目の前に広がる生命力に満ちた小さな聖域と、その主である孫娘の姿を、改めて愛おしく思った。
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