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第20話:おじいちゃんの感覚、古すぎ!

魔獣との激戦、町長からの正式な依頼、そして王都からやってきたクララの慌ただしい来訪。まるで嵐のように過ぎ去っていった数日間が嘘のように、その日のアルモニエは、穏やかな陽光に満ちていた。


わしは『陽だまり相談所』の居間に置かれた、お気に入りの安楽椅子に深く身を沈め、春の午後の心地よい眠気に身を任せていた。


窓から吹き込む風は、庭のハーブの香りを運び、老いた体にぬくもりを添えてくれる。ああ、これこそがわしが求めていた第二の人生というものじゃな。時折、こうして体の力を抜き、静かな時間に身を委ねるのも悪くはない。


窓の外に広がる庭からは、若者たちの楽しげな声が聞こえてくる。わしの愛しい孫娘リオナと、その友人である花屋のノエル、そして薬師見習いのトーマス。三人は、リオナが丹精込めて育てているハーブガーデンの手入れに精を出しているようじゃった。


「見て見て、トーマス! これ、すごく元気に育ってるでしょ!」

「わあ、本当だね!葉の色艶もいい。リオナの世話がいいからだよ」

「ふふん、そうでしょ! 私の愛情をたっぷり吸ってるからね!」


リオナの、太陽のように明るい声が弾ける。トーマスは、薬師としての探究心からか、一つ一つのハーブを熱心に観察しておった。その隣で、ノエルが「この葉は、少しだけ元気がなさそうです…お水を欲しがっているみたい…」と、植物の声を聞くかのように、心配そうに囁いている。


「キュピ!」


三人の周りを、光る小鳥のフィーが楽しそうに飛び回っている。リオナやノエルの肩に止まっては、嬉しそうにさえずっておる。じゃが、なぜかトーマスにだけは近寄ろうとせず、彼が手を伸ばそうとすると、ぷいっと顔をそむけて飛び去ってしまう。


「あーあ、フィーったら、トーマスには全然懐かないんだから。トーマスのことが嫌いなのかな?」

リオナが、くすくすと笑いながらからかう。


「そ、そんなことないと思うけど…。やめてよ、僕、さっきも師匠にあきれられて気が滅入っているんだから…」

「ふふ…大丈夫ですよ、トーマスさん。フィーは少し人見知りなだけですから」

ノエルが、はにかみながらフォローを入れる。その微笑ましい光景に、わしの口元も自然と緩む。かつて宮廷で過ごした日々には、決して存在しなかった、温かく、そして愛おしい時間じゃ。わしはゆっくりと目を閉じ、この平和な音色を子守歌に、再び浅い眠りへと落ちていった。


どれほどの時間が経ったかのう。わしを現実へと引き戻したのは、焼きたてのパンが放つ、抗いがたいほど香ばしい匂いと、快活な声だった。


「ごめんあそばせー! 」


勢いよく開かれた扉の向こうに立っていたのは、パン屋『麦の穂』の女主人、カミラ・ベルクじゃった。その腕には、大きな籠が抱えられ、中からは湯気の立つ焼きたてのパンが顔を覗かせている。


「こんにちは、カミラさん! わあ、すごくいい匂い!」

庭から戻ってきたリオナが、目を輝かせて駆け寄る。


「見てちょうだい! あんたたちのおかげで絶好調の酵母ちゃんが、また最高の仕事をしてくれたのよ! どうしてもこの感動を伝えたくて、新作パンを焼いてきちゃった!」


カミラはそう言うと、籠から黄金色に輝くパンを取り出し、得意げに掲げてみせた。


「これはまた、見事なものですな」

わしがそう言うと、カミラは「先生!」と嬉しそうに笑った。


「それでね、先生にお願いがあるんだけど。この新作パンに、何か素敵な名前をつけてもらえないかしら?」


「ほう、わしにですかな?」

それは願ってもない役目じゃ。わしは威厳たっぷりにうなずくと、パンを一つ手に取る。その瞬間、ふわりと花蜜のような甘い香りが鼻をくすぐる。

「む……?」

パンを二つに割ってみると、おお…! なんということじゃ! その中心から、陽光をそのまま溶かしたかのような、とろりとした黄金色の蜜が、ゆっくりと、しかし絶え間なく溢れ出してくるではないか。


そしてパンを口に運ぶ。


まず感じたのは、生地の驚くべき軽さと、素朴な甘み。噛みしめる間もなく、ふわりと消えてしまいそうな儚い食感だ。しかし、次にやってくるのは、蜜の濃厚な甘さ。それは、ただ甘いだけではない。どこか遠い日の記憶にあるような、心の強張りをゆっくりと解きほぐしていくような、不思議な温かさに満ちていた。


「うむ。この豊潤な香りと、黄金色の輝き…。まさしく、アルモニエの大地が生んだ結晶。よろしい、このパンの名は――『豊穣神の黄金ゴールデン・ブレス』、略してゴルブレじゃ!」


わしが自信満々に命名すると、一瞬の沈黙が流れた。リオナとカミラが、何とも言えぬ顔で顔を見合わせておる。

「えーっと…おじいちゃん、なんだかちょっと、こう…感覚が古くない?」

リオナが、遠慮がちに口を開いた。

「うーん、 なんか、ありがたい感じはするけど、気軽に買えないっていうか…」

カミラも、困ったように笑っておる。むぅ、わしの感覚は、今の世では通用せんのか。


「じゃあ、私が考える! えっと、えっとね…『爆誕!ミラクル・ハニーブレッド・レボリューション』なんてどうかな!?」


リオナが胸を張って提案した名前に、今度はわしとカミラが絶句する番じゃった。

「リオナ…それは、パンというより、何か新しい魔法の名前のようじゃな…」

「ええっ、そうかなあ? カッコいいと思ったんだけどなあ」

「わ、私も、ちょっとそれは…。お客さんがびっくりしちゃうわよ」

そこへ、今まで黙って成り行きを見守っていたトーマスが、おずおずと手を上げた。


「あの…僕も考えてみたんですけど、『薬効成分配合・健康増進パン』というのは…」


「却下!」

「却下ね!」

カミラとリオナの声が、綺麗に重なった。トーマスは「ダメかあ…」と、がっくりと肩を落とす。


「あの…」

今まで黙って微笑ましくわしらのやり取りを見ていたノエルが、消え入りそうな、しかし澄んだ声で、口を開いた。全員の視線が、彼女に集まる。


「えっと……このパン、見ているだけでも心が温かくなりますし、二つに割ると、中から太陽の光みたいな蜜が…恵みのように、溢れてきます。だから、その…『陽だまりの恵み』……なんて、どう、でしょうか……?」


はにかみながら告げられたその名前に、わしらは思わず顔を見合わせた。


陽だまりの恵み。


その言葉は、すうっと心に染み渡るようで、このパンの良さをうまく表現している気がした。

「…決まりね!」

最初に声を上げたのは、カミラじゃった。彼女はぱっと顔を輝かせると、ノエルの手を両手でぎゅっと握った。

「ノエルちゃん、あなたって天才よ! なんて素敵で、美味しそうな名前なの! ありがとう!」

「ノエル、すごい! とてもいい感じだよ!」

リオナも、自分のことのように喜んでいる。トーマスも「うん、すごくいい名前だ」と、心から感心したようにうなずいている。褒められたノエルは、「え、えっと、そんな…! 私、何も…!」と、両手をぶんぶんと顔の前で横に振る。その慌てぶりに、リオナとトーマスは顔を見合わせてくすりと笑った。ノエルは顔を真っ赤にして俯いてしまったが、その口元は、少し嬉しそうに綻んでいた。


こうして、わしらは居間のテーブルを囲み、ノエルによって命名されたばかりの『陽だまりの恵み』を、みんなでゆっくりと味わう。

ふかふかとした生地を一口頬張れば、優しい小麦の甘さと、密の濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。


「んー、おいしいー!」


リオナが、幸せそうに声を上げる。

「うむ、これは傑作ですな。カミラ殿の愛情が、たっぷりと詰まっておる」

「えへへ、そう言ってもらえると、頑張った甲斐があったわ!」

カミラは、照れ臭そうに鼻をこする。


ふと、わしはトーマスに目をやった。彼はパンを美味しそうに食べながらも、どこか表情が晴れん。


「トーマス君、先ほど師匠に呆れられたと言っておったが、何かあったのかね?」


わしが尋ねると、トーマスは少し気まずそうに、もぐもぐとパンを咀嚼してから口を開いた。


「あ、いえ…。大したことじゃないんです。僕が調合の手順を一つ飛ばしてしまって…。師匠は口数が少ない方なので、怒鳴ったりはしないんですけど、その分、がっかりした顔をされると、すごく堪えるんです。『まだまだ半人前だ』って言われているようで…」


そう言って、彼はため息をついた。


「そんなことないよ!」


リオナがパンを片手に、憤慨したように言った。

「トーマスは、すっごく頑張ってるじゃない! いつか絶対、お師匠さんも認めてくれるって!」

「そうですよ、トーマスさん。私も、そう思います」

ノエルも、力強くうなずいておる。二人の真っ直ぐな励ましに、トーマスの表情が、少しだけ和らいだのが分かった。


若者たちの、屈託のない笑い声。焼きたてのパンの温かい香り。窓から差し込む柔らかな陽光。

最近の緊張が嘘のように、穏やかで、満ち足りた時間がここにはあった。


わしは、もう一口、パンをかじった。やはり、これは傑作じゃ。この町と、ここに生きる人々の、優しさと力強さの味がした。


本話をお読みいただき、誠にありがとうございます。本作は書籍化を目指しており、少しでも「面白い」と感じていただけましたら、ブックマークやページ下の評価(☆☆☆☆☆)で応援いただけますと、大きな励みになります。どうぞ作品を育てていただきますよう、よろしくお願いいたします。第一部完結まで、毎日朝7時頃に更新します。

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