第17話:えっ、おばあちゃんも……?
町長のグレンダが、慌てて帰っていったあの日から、私の心の中にはある思いが芽生えていた。強くなりたい。もっと、もっと強く。おじいちゃんは、確かにすごい。王国最強と謳われた大魔導師だ。でも、もう年だし、腰痛持ちだし。私の力が足りないせいで、おじいちゃんに、あんな無茶をさせてしまった。
次こそは、私がおじいちゃんを守れるくらい、強くなるんだ。町長さんからの正式な依頼を受けた今、感傷に浸っている時間なんてない。私は、陽だまり相談所の庭で、一人、剣の素振りを繰り返していた。でも、振れば振るほど、自分の剣がひどく頼りなく感じられて、焦りだけが募っていく。
「そんなふうに、がむしゃらに振り回しているだけでは、百年経っても上達はせんぞ」
不意に、背後から厳しい声が飛んできた。振り返ると、いつの間にかそこに、ゴドルフが腕を組んで立っていた。
「ゴドルフさん…」
「強くなりたいんだろ。その目、戦場に出る前の若造どもとそっくりだ」
彼は、私の思いを見透かしたように、にやりと笑った。
「いいだろう。お前のそのなまくらな剣が、ちっとはマシになるように、このゴドルフが直々に稽古をつけてやる。ありがたく思え」
「……はい! お願いします!」
私は、深々と頭を下げた。これ以上ない、頼もしい申し出だった。
稽古は、陽だまり相談所の広い庭で行われることになった。
「いくぞ、リオナ!」
「はい!」
ゴドルフが木剣を構えるのと同時に、私も木剣を構え、地面を蹴った。カン! と、木と木がぶつかり合う、甲高い音が響き渡る。私の持ち味は、速さだ。その速さを最大限に活かして、ゴドルフの懐に飛び込み、次から次へと斬撃を繰り出す。
私の猛攻を、ゴドルフはまるで岩のように、正面からことごとく受け止めていく。一撃、また一撃と剣を打ち込むたびに、私の腕に、骨まで響くような重い衝撃が走った。まるで、分厚い城壁を叩いているみたいだった。私の斬撃を、ゴドルフはあっさりと受け止めている。
「どうした、リオナ! その程度か! そんな軽い剣では、自分の身さえ守れんぞ!」
打ち合いの最中、ゴドルフの檄が飛ぶ。軽い? そんなはずはない。私は、一撃一撃に、今の自分の出せる全ての力を込めている。それなのに、どうして。焦りが、私の剣筋を鈍らせる。私はさらに速く、さらに強く、剣を振るった。
ガァンッ!
ひときわ大きな音がして、私の剣が、強く弾き返された。痺れる腕をなんとか抑え、体勢を立て直す。息が上がる。なのに、ゴドルフは涼しい顔をしている。
「お前は、強い。剣の才もある。速さも、力も、並の騎士なぞ足元にも及ばん」
「だったら、どうして…!?」
「お前の剣は軽い!」
ゴドルフは、厳しい言葉を私に浴びせた。そして、一度稽古を止めると、木剣の切っ先を、まっすぐに私の喉元へと向けた。
「リオナ。お前に一つ問う」
彼の声は、静かだった。だが、それゆえに、私の心の奥底まで、ずしりと重く響いた。
「先の戦いで、何を思った? 魔物を斬った時、その手に、何を感じた?」
脳裏に、あの光景が蘇る。聖なる光をまとった私の剣が、魔物の体を一刀両断した、あの瞬間。そして、命を奪った直後から、止まらなくなった、この手の震え。
「それは…」
答えようとするのに、言葉が出てこない。俯いた私の視線の先で、自分の指が、今も微かに震えているのが見えた。その私の葛藤を、ゴドルフは全て見抜いていた。
「お前の剣には、覚悟が足りん!」
その一言は、雷のように、私の心を打ち抜いた。
「先の戦いで、お前は命を奪った。その重みから、目をそらすな。その手の震えこそが、お前がまだ半人前である証拠だ」
彼は、静かに木剣を下ろすと、続けた。
「剣とは、ただの棒ではない。使い手の意志と覚悟を乗せて、初めて真の力を発揮するもんだ。お前の剣が軽いのは、お前自身が、その剣に乗せるべき覚悟を持っていないからだ」
「覚悟…」
「そうだ」と、ゴドルフは、厳しくも、どこか温かい眼差しで、私の目を見つめた。
「守るべきもののために、自らの手が汚れる覚悟。敵の命を奪うことの痛みと、その責任の全てを引き受ける覚悟だ。それが無ければ、お前がどれだけ強くなろうと、お前の力はただの人殺しの道具に成り下がる。そんな剣では、本当に守りたいものは、何一つ守れんぞ」
彼の言葉が、一つ一つ、私の胸に深く突き刺さる。私は、ただ強くなりたかった。おじいちゃんを守りたかった。町のみんなを守りたかった。でも、そのために、何を覚悟しなくちゃいけないのか、考えようともしていなかった。ただ、怖いという気持ちから、目をそらしていただけだったんだ。
悔しくて、自分の未熟さが不甲斐なくて、私は強く唇を噛みしめた。滲んだ血の味が、口の中に広がる。
そんな私を見てか、ゴドルフは「休憩にするぞ」と私に木剣を下ろさせた。
二人して、庭の端にある丸太にどかりと腰を下ろす。私はまだ、彼の言葉の重みで、頭の中がぐちゃぐちゃだった。ゴドルフは少しだけバツが悪そうな顔で、ごしごしと無精髭を撫で、
「…まぁ、なんだ、もっと自信を持て。なにせお前は、あのアルセインと…『あいつ』の孫なんだからな」
「あいつ……?」
私が首を傾げると、ゴドルフは心底驚いたような顔で、私をまじまじと見つめた。
「アルセインのやつ、お前に何も話してないのか!?」
ゴドルフは、少し真剣な目をして私に向き直った。
「いいか、リオナ。お前のばあさんのエリアーナはな、【陽だまりの聖女】だなんて呼ばれてたが…まぁ、あながち間違いでもねえな。あいつは、そういうやつだった」
「陽だまりの聖女……? おじいちゃん、だから相談所の名前を……」
ゴドルフは、昔を懐かしむように言葉を続ける。
「大魔導戦争の後、親を亡くして荒れた子どもが多くてな。やつらは誰にも心を開かなかった。目つきが悪く、誰も信じねえ、まるで獣みてえな連中だった。教会や騎士団が食い物をやっても、すぐに奪い合い、殴り合いの喧嘩になるような具合で、次第に誰からも見向きをされなくなっちまった。そんなときでも、エリアーナだけは違った。あいつは毎日、ただ一人、やつらの元へ食い物を持って行った。最初は誰も寄り付かなかったが、一日、二日と経つうちに、一人、また一人と、その周りにガキどもが集まってきやがった。エリアーナは説教もしねぇ、何も言わねえ。ただ、微笑んでるだけ。それだけで、あの荒みきってたやつらの目が、少しずつ、穏やかになっていったんだ。あいつのいる場所が、いつの間にか、やつらにとって唯一安心できる『陽だまり』になっちまったんだ。今でもエリアーナのことを母親のように思ってるやつは多いぜ」
そして、ゴドルフは少し照れたように付け加えた。
「…あとそういや、『王国一の美女』とも言われてたな」
「へえ…!」
「エリアーナにはな、嘘か真か、とんでもねぇ逸話がたくさんあってな。例えば、昔、大魔導戦争の影響でこのあたりの大地が汚染されて、作物が全く育たなくなったことがあった。蔵に残ったのはたった一粒の麦だけ。その状況に心を痛めた聖女エリアーナは、わざわざ王都から足を運び、最後の一粒の麦を手に取って、祈りを捧げたという。するとどうだ、しばらくすると、その荒れた大地から、驚くほど上質な麦がたくさん穫れるようになったとさ。この出来事は後に『一粒の麦の奇跡』と呼ばれている」
(あれ、そういえばカミラさん、この町のパンが美味しいのは、このあたりで穫れる麦が特別だからだって言ってたけど、まさか……)
「他にもたくさんあるぜ。井戸が枯れて苦しむ人々を見たエリアーナが流した涙で、井戸から水が再び湧き出るようになったとか。罪を認めない罪人の前にエリアーナが立つと、罪人はその瞳のあまりの清らかさに耐えきれず、全ての罪を告白して懺悔を始めたとかな」
ゴドルフは、昔を懐かしむ自分の口ぶりに気づいたのか、少し照れくさそうに咳払いを一つして、
「無駄話はこれくらいにして、そろそろ修練を再開するぞ!」
彼はそう言うと、丸太からすっと立ち上がり、私に向かって木剣を構え直す。
「……はい!」
私も慌てて立ち上がり、剣を構える。再び乾いた木剣を交える音が、庭に響き渡った。しかし、先ほどまでの私とは、不思議と剣を握る覚悟が少しだけ、違っていた気がした。
どれくらい打ち合っただろうか。ついに私の足がもつれ、地面に膝をついてしまう。
「もう立てないのか! リオナ、お前の覚悟はまだそんなものか!?」
ゴドルフの檄が飛ぶ。私は、歯を食いしばり、震える脚でよろよろと立ち上がろうとした。まだ、だ。まだ、やれる…!
そう思った、その時だった。
「もうそこまでじゃ、ゴドルフ」
おじいちゃんの静かな声だった。
ハッと顔を上げると、おじいちゃんはゆっくりとした足取りで、私たちの方へと歩み寄ってくるところだった。
「アルセイン…。だが、こいつは今、一番大事な壁にぶつかっているんだぞ。ここで中途半端に甘やかすと…」
ゴドルフが、不満げに口を挟む。だが、おじいちゃんは静かに首を横に振った。
「お主の言うことは、もっともじゃ。わしからも礼を言う。リオナに、わしでは与えられぬ、厳しくも温かい指導をしてくれたこと、感謝する」
おじいちゃんは、一度ゴドルフに穏やかな目を向けると、今度は私の前に屈み込み、その視線を私と合わせた。
「じゃがな、ゴドルフ。そのあまりにも重い答えは、今のこの子がすぐに出せるものではない。急いては事を仕損じる、ということもある」
そして、おじいちゃんは私の瞳をまっすぐに覗き込んだ。
「リオナよ、今日のゴドルフの言葉を決して忘れるでないぞ。自分の未熟さと向き合い、その悔しさを噛みしめること。今は、それで十分じゃ」
その声は、どこまでも優しかった。でも、それは決して私を甘やかすものではなかった。
「…ふん。甘い男よ」
ゴドルフは、ちっと舌打ちをすると、ぷいと横を向いてしまった。でも、その横顔は、なんだか少しだけ、笑っているようにも見えた。
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