第七話 発症者たち②
………長きに渡って地球環境が平穏だった時代、人間は自由と利益を追い求めて大地、山、海へと分け入り、採集や伐採や造成を繰り返して生活圏を拡大し続けた。
だが、その代償として自然が減少し、多くの動植物が絶滅し、やがては傷ついた地球の嘆きのように天変地異が続発するようになっていった。
その傾向は二千二十年代後半から一層激しさを増していったが、その極めつけは隕石だった。
まるで際限なく繁栄を求め続ける人類への警告のように、日本列島に七つの隕石が同時に落ちてくる“七連災禍”が起きた。
それが、ちょうど七年前だった。
幸いにも隕石はどれも数十メートルほどの小さなものだったが、その落下の衝撃はすさまじく、広範囲に渡って大地がえぐられ、まき上げられた粉塵が何ヶ月間も厚く空を覆った。
また直撃を受けたのが札幌、仙台、東京、神奈川、名古屋、大阪、福岡の主要都市部だったこともあり、対応にあたる政府機関も壊滅状態だった。
そこで、急遽、関西圏に首都機能が移転され、大阪、京都、奈良を合併再編した“新京都”が誕生した。
その理由は、それら三つの都市の境界が接する一帯に行政機関、商業施設、居住環境などがすでに整備されていたからだった。
そして、そこがそのまま新京都の中心地として位置づけられるとともに、鳴り物入りで国家の建て直しを託された“新江戸政府”が、各地から逃れ逃れ集まってきた人々の生活再建に取りかかった。
政府名の由来は、内閣総理大臣となった徳丸虎太郎が、かつて江戸時代に繁栄を築いた徳川家の遠縁にあたるところからきていた。
その徳丸がまず初めに手がけたのが、再興のシンボルでもある“江戸タワー”の建設だった。
江戸タワーは、かつての徳川政権の継続期間に倣い、地上三百メートルもの高さだった。
しかも、一年にも満たない工期で完成させた手腕とその威容に、誰もが国の再起と輝かしい未来を確信した。
ところが、人々は最初こそ困難に立ち向かうという名目のもとで何事も協力して行っていたものの、次第に不協和音が生じて対立するようになり、やがては争いへと発展することが増えていった。
その結果、自然発生的に分断が生まれた。
力の強い者と弱い者、特権階級と一般市民、持つ者と持たざる者、富裕層と貧困層といった“違い”でお互いを敬遠し合い、仲間同士で集まって住むようになってしまったのだ。
そのことを重く見た政府は、“壁”によって人々の生活圏を区切る強制処置を断行し
た。
フェンスによって新京都を二つに分けたのだった。
それが“本京都”と“準京都”だった。
二つのエリアは江戸タワーを中心にドーナツ状になっており、フェンスの内側は本京都、その外側を取り囲むのが準京都となった。
そして必然的に、それぞれの住人は“本京都人”“準京都人”と呼ばれるようになり、お互いに敵対し合うようにもなっていった。
また、本京都も準京都も、江戸タワーに近いほうから四つに分けられ、第一から第四環区と設定された。
さらには、フェンスによって分断された二つのエリアを行き来するためのゲートは一ヶ所しかなく、その出入りも本京都側から厳重に管理されていた。
それでも、生活上の諸権利はどちらの住人であっても保証するというのが政府の方針だった。
だから準京都にも選挙権や政党があり、立候補して当選すれば政権に入る道は開かれていたのだが、それはあくまでも表向きのものだった。
現実はといえば、準京都からの本京都側に対する意見や提案などは一切許されていないばかりか、事あるごとに一方的なルールを押しつけられるのが常だったからだ。
本京都側があらゆる分野で準京都の人たちを虐げていたのは、自分たちの優位性と優秀性を維持するためだということは明白だった。
そうなれば当然、準京都側は反発したので、至るところで小競り合いや暴動が頻発するようになっていった。
それに対して、政府は力で押さえ込む。
その手段が隠密警察、赤新選組、青新選組だったので、状況はますます混沌とするばかりだった………。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
“何となくいい感じ”と思われましたら、広告の下にある「ブックマーク」と「☆☆☆☆☆」のポイント評価をいただけると嬉しいです^^
これからも、皆さまに楽しんでいただける作品を作っていきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m