5-9
「ディムレの命だけは助ける、その代わり恩寵の発動を止めろ」
おかっぱ頭の男が、英語で告げた。僕は激しい苦痛に意識を失いそうになりながら、辛うじて声を絞り出す。
「……エム、やめろ」
エムは狼狽し、涙を流しながら首を振った。
「ダメだよ、お兄ちゃんが死んじゃう!!」
「……僕のことは、いい。どうせ、一度は、死んだ、命だ」
ゴポッと熱く、鉄の味のする液体が口に溢れた。この感覚はマリウポリ――僕が「前世」で死んだ場所で経験したことがある。
エムは僕とあいつらを交互に見ている。まだ彼女は14だ。こんな修羅場でどう動いたらいいかなんて、分かるはずもない。
薄れゆく意識の中、僕はエムと出会った時のことを思い出していた。
*
僕が転生した先は、メジア大陸東部の、カルディナルという国だった。転生してすぐに、ここが無政府状態で荒廃した国であるのを知った。
法も何もなく、あるのは「力こそ正義」という漠然としたルールだけ。僕はそこの豪族の一兵士として生まれ変わった。
転生しても似たような境遇、そして環境なのか。僕は心底絶望した。転生しても、救いなどは一切ない。だから転生する前に出会ったあのジジイは、やたらニヤニヤ笑っていたのだ。
ただ、僕にはこの「感染する死」という力があった。頭に触れた相手を乗っ取り、そして「乗り捨てた」身体をゾンビのように動かせるというものだ。
あのジジイは、どうも僕が死んだ時の境遇に合った能力を与えるらしい。ゾンビのように襲いかかるロシアのクソったれどもの物量に、僕らは殺された。その時の記憶が、このような力を与えたのだろうか。
とにかく、毎日が近隣の豪族との殺し合いで過ぎていくこの地域において、この力はかなり強力なものだった。同士討ちにも騙し討ちにも使えるこの力で、僕はたちまち戦果を挙げていった。
転生者であることはすぐにバレた。これだけの戦果を一気に挙げる人間が、まともな人間なわけがない。すぐに転生者を見抜ける魔法使いに引き合わされ、そのまま豪族の長、ファッジのところまで連れて行かれた。
危険人物として処刑されるのかと思ったが、どうもそうではないらしい。ファッジは僕にこう告げたのだ。
「遥か東の大陸から、同盟を結ばないかという連絡が来ている。お前に彼女とそこに向かって欲しい」
そして、ファッジの横にいたのが――エムだった。
長の勢力は僕が来る前後から急速に伸びていた。西方で活躍する若い女性兵がいるという噂は耳にしていたが……こんなに若かったのか。
「彼女は?」
「エム・ルーアンという。貴様と同じ転生者だ。同盟に当たっての計画は、既に協議済みだ。どういう方法か知らねえが、俺のところに女の使者が来た。大量の武器と金塊を持ってな」
「……は?」
「ついてこい。向こうに女を待たせている」
奥の部屋に向かうと、胸元を開けた服装の眼鏡の女がそこにいた。ファッジが女と「一戦交えた」のは臭いで分かった。「ウフフ」と笑いながら女が一礼する。
「初めまして。セルフォニア特使、ポーラ・ジョルディアですわ」
女は遥か東のエビア大陸から来たらしい。そこでは転生者は虐げられ、自由に生きることを許されないという。そして、その体制を変えるため、セルフォニアという国は動いているとジョルディアは告げた。
彼女が提示したのは、人材の相互交流と通商の活発化。ファッジをカルディナルの頂点に押し上げるための軍事協力の条件として、こちらも彼らの計画に乗ってくれということであるらしかった。
「なぜ、僕たち2人だけなんですか」
「極力そちらに負担をかけたくない、ということが一つ。そして、少数でのゲリラ作戦が有力であるということですわ。
もちろん、こちらに来て頂くのは貴方たち2人だけではありません。ファッジ様の軍隊の精鋭……そう、100人ほどいれば十分ですわ。それを時間差で送って頂ければ結構です」
僕はファッジを見た。確かに彼の勢力は拡大した。ただ、それだけの戦力を他に割く余裕なんてあるのだろうか。
ファッジはジョルディアの方を見る。
「ポーラ、あんたの送ってきた『銃』だったか?これ一つで10人の兵士に匹敵するというのはマジなのか?」
「ええ。使い方は教えた通り。20丁あれば200人の増援に匹敵するはずですわ。ただ、銃弾には限りがあります。あまり無理をされないことですわね」
「分かった。こっちとしても、最高戦力2人を送り込むんだ。それなりの見返りはねえとな。というか次、いつ来るんだ」
「それはアザト神のお導きがあれば、ですわね。では、細かい説明を致しましょうか」
*
説明は1時間ほどで終わった。要は僕とエムが恩寵を使って足止めし、増援が来るまでの時間を稼ぐ。そして到着次第、一気にポルトラという町を占領するとのことだった。
向こうにも僕らと同じような転生者がいるらしい。詳しくは教えてもらえなかったが、その人物は極めて強力な人物であるとのことだった。
作戦の成功の確度は「極めて高い」とジョルディアは微笑みをたたえながら余裕たっぷりに告げた。たった数人でそんなことができるのかと思ったが、エムの能力を聞いて僕は納得した。
彼女の能力は「閉じ込められた苦痛」。屋内、ないしは屋外のいずれかにコロナのような激しい症状を引き起こすウイルスを発生させるものであるらしかった。
それそのものはそこまで致命的ではないが、その効果範囲は広く不特定多数を足止めできる。ファッジはそんなエムの力を利用して、西方で戦果を挙げてきたらしい。
ジョルディアとファッジが話している間、エムはずっと無表情のまま座っていた。感情をどこかに置いてきたような、そんな感じだ。
僕は彼らの説明が終わった後、「エムと2人きりで少し話していいですか」と切り出した。まるで人形か何かのようにしている彼女が、気になって仕方なかったのだ。
別の部屋に通されると、彼女は無表情のまま黙ってこちらを見ている。何かを訴えているのだろうか。
「……僕に、言いたいことがあるのか?」
そう言うと、彼女は薄手のシャツを脱ごうとした。僕は慌てててそれを止める。
「ちょ、ちょっと何やってるんだよ!!?」
「……『免疫』。あなたも、必要なんでしょ」
「は??」
「私とセックスした人間は、私の力を一定期間受けなくなるの。あいつらの言う作戦に、必要なんでしょ」
僕は戦慄した。なぜ自分で戦う力があるように見えない彼女が、なぜ戦果を挙げてきたのか。その理由を察したからだ。同時に、あのファッジの丸々と太った姿を思い出し、強い吐き気を覚えた。
世界が変わってもルールは変わらない。弱い女子供は犯され、殺されるか利用される。僕はそんな風景を何度も目にしてきた。それは味方であれ、敵であれ、同じことだ。
僕は脱ごうとするエムを押しとどめた。僕にそんな趣味はない。断じてだ。
「やめろ。自分の身体は、大事にするもんだろ」
「でも、しないと生きられない。それに、『ずっと』慣れてるから」
「……出身は。この世界じゃない、前の世界のだ」
「……クリミア」
「ロシアの人間か」
コクンとエムは頷いた。敵国の名前を聞いて一瞬顔に血が上ったが、その境遇を察して僕は強く首を振った。
「……クソったれ、だな」
「あなたも、ロシアの人?」
「いや、ウクライナだ。キーウの郊外の生まれだ。あの戦争で死んだ。君もだな」
「……私を犯そうとは思わないの」
「君もあいつらの被害者だろ。慰安婦として軍に同行を強いられた。その年で……話にならない」
僕はもう一度「クソ食らえだ」と呟いた。彼女は、前の世界でもここでも、自分の身体を売ることでしか生きられないのだ。
ずっと無表情のままでいた理由も知った。彼女は生きるダッチワイフなのだ。ずっと男に利用されるだけの。そして、それに慣れきっている。あるいは、諦めている。
僕はあのジジイを呪った。転生しても、何一つ変わらない。
僕は命じられるがままに人を殺し、彼女は犯される。そんなことを強いるために、僕らは生まれ変わらされたのか。
……いや、違う。そうじゃないだろ。
僕はエムの手を取った。そうだ。これはチャンスなんだ。こんなクソみたいな世界から脱出するための。
「自由になりたくないか」
「自由?」
「ああ。多分、これは絶好の機会なんだ。ついてきてくれ」
元の部屋に戻ると、ファッジがジョルディアに迫ろうとしていた。僕らの姿を見て、奴は「チッ」と舌打ちする。
「何の用だ。話は済んだだろ」
「一つ、聞いていいか。この作戦が終わった後、僕たちはどうなる」
「あ?」
怪訝そうな顔のファッジを、ジョルディアが遮った。
「一通り終わりましたら、貴方たちはセルフォニアの国民となってもらいますわ。無論、国民として与えられる全ての人権、自由は保障させて頂きます」
「は??」
「彼ら2人分を大きく上回る軍事支援を行うのです。対価としては安いものでしょう?それに、そろそろ貴方もこの2人が重荷になっているのではないですか?
寝首をかかれる危険を排除できるからこそ、貴方も彼らをポルトラに派遣しようとしている。そういうことでは?」
ファッジが苦虫を噛みつぶしたような顔になった。ジョルディアがフフフと俺たちを見て笑う。
「ということですわ。だから、これは貴方たちの自由のための戦いでもあるわけです。私たちに協力して頂けますわね?」
*
そして、俺たちはここにやってきた。旅路の間に、エムとは色々な話をした。彼女が寂れた農村の生まれだったこと。クリミアの強制接収で家族を失ったこと。そして、その恵まれた容姿から半ば強制的に幼くして慰安婦にさせられたこと。彼女の本名も、その時に知った。
転生した先が「セルフィ」という長寿の少数民族であることも伝えられた。普通の人間より遥かに魔力とやらの容量が多いらしい。
俺も自分の身の上を明かした。前世での本名、それまでの暮らし。国の英雄たる2人のプロボクサーに憧れてアマチュアボクシングをしていたことや、彼女ぐらいの妹がウクライナにいることも伝えた。
そして2、3週間の旅路のうちに、俺たちの関係はただの同行者から変わった。俺たちは兄妹であり、戦友であり、そして――恋人となった。
*
遠のいていた意識が、痛みで不意に戻ってきた。ぼやけた視界の中で、エムが何かを奴らに叫んでいるのが聞こえた。
ダメだ。こいつらの誘いには、決して乗っちゃいけない。エムが――「マリア」が、自由になるためには、ここで屈してはいけないのだ。
僕は助かっても、もう彼女は自由にはならない。いや、生きてすらいられない。
エビアにおける転生者の扱いは聞いていた。転生してしばらく経った「完全憑依者」は、基本的に魂を抜かれるか、殺されるしかない。どちらも、実質的には死を意味する。
だから、ここで僕が助かっても何の意味もない。2人が死ぬまでの時間が延びるだけだ。僕らが望んでいた「自由」は――勝たないことには絶対に得られない。
おかっぱ頭の男が、頭に手を乗せる。急激に意識が薄れた。そうだ。それでいい。あとはマリアが、全力を出せば……こいつらを撃退することはできる。
*
不意に、視界が晴れた。……またか。ここでは死ぬと、あのジジイのところに送られるのか。
いや、違う。ここは、誰かの部屋だ。手は後ろ手に縛られ、身動きが取れないようになっている。胸の痛みはかなり和らいでいた。
ふと横を見ると、同じように縛られたマリアが寝息を立てていた。顔には涙の跡が残っている。
ドアがギイと開いた。現れたのは、胸の大きな赤毛の女と、背の高い眼鏡の男だ。
「お目覚めのようね」
「……あんた、何者ダ」
「感謝なさい。ユウの嘆願で、すぐには祓わずにおいてあげたわ」
後ろから、例の熊のぬいぐるみのような生き物が現れる。俺は女を睨んだ。
「だから、何者だって言ってるんだヨ!」
「ああ、その分だとやはり説明は受けてないのね。私は、ジャニス・ワイズマン。貴方たちの運命は、私が決めるわ」




