5-8
「どうなってんだよ!!?」
死体の手が俺にかかろうとした寸前、俺は足元の床を柔らかなゼリーに変えた。ずぷん、という音と共に俺とエムは下の階に落下する。
「きゃっ!?」
「うおっ」
落下先の床をクッションに変え、俺は倒れ込んだエムを引っ張り上げる。
「あいつの恩寵かよ!?」
「Я не знаю, что ты говоришь……」
エムは怯えた表情で何かを言っている。これじゃ埒があかない。
「下カっ」
ディムレの声と共に、廊下に倒れていた死体が起き上がった。その中には、写真で見せてもらったスール・ヘンソンの顔もある。
「仕方ねえなっ!!」
俺はこちらに襲いかかる死体にナイフを向けた。獣のように「グルルル!!!」とうなり声を上げて突進するそれらを、俺はナイフで両断する。
義体のリミッターが解除されたことで、ナイフを通しても「錬金術師の掌」は発動するようになったようだ。ナイフが接した肉体をゼリーかプリンのようなものに変えてしまえば、切断することは容易い。
切断面からどろりと赤黒い血が流れ、どさりと死体が倒れる。次の死体に向かおうとした時、足首に何か違和感があった。
倒した奴の上半身が、俺の足首を握っている!?
「ギ……ギギッ……」
「まだ動けるのかよ!?」
俺はナイフでそいつの手首を斬った。次の瞬間、もう片方の――「ヘンソンだった者」が目の前に迫るっ!?
「しまっ……」
「グオオオオッッッ!!!」
首根っこを物凄い力で締め上げられる!人間の脳は95%が使われていないと聞いたが、死んでいるとそのリミッターが外れるのか??
とにかく、滅茶苦茶な怪力に気管と頸動脈が潰されそうになっている。このままじゃ数秒もしないうちに殺されちまう!
激しい痛みと息苦しさの中、俺は何とか「ヘンソン」の両手首を摑んだ。「錬金術師の掌」の発動が間に合うかギリギリだが……やるしかないっ!!
「な……めんなぁぁぁ!!!」
ぐにゅりと手首が潰れる。態勢が崩れた「ヘンソン」を蹴り飛ばすと、俺はようやく息苦しさから解放された。
「ゲフゲフゲフッ……!!しゃ、洒落にならねえ……」
振り返ると、エムは階段の方に向けて駆けている。しまった、逃げられたっ!
そして、長身の男が銃を構えながら降りてくるのが見えた。エムはディムレの背中に隠れる。
「て、てめえっ……」
「随分と強力な『恩寵』なようだナ……僕の『感染する死』の僕を、あっさりと片付けるとハ」
「……そっちは、身体を乗っ取る能力じゃ、ねえのかよ……」
パァンッッ!!
銃声と共に、右肩に激しい熱が走った。激しい痛みと滲み出る血で、俺は撃たれたとようやく認識する。
「能力の連発が利かないのは、予想通りだナ……さっきからずっと使っていタ」
もう一度銃声が鳴る。今度は当たらなかったようだ。「チッ」とディムレが舌打ちをする。
「この世界の銃は、精度が随分落ちル……まるで玩具ダ」
腰から剣を抜き、「こっちの方が確実カ」と死体2体と共にゆっくりとこちらへと近づいて来る。肩の痛みは気絶しそうになるぐらい激しいが、脚はまだ動く。俺はゆっくりと、管理局の出口に向かって後ずさりした。
「逃げるつもりカ?外に出た瞬間、どうなるか分かっているだろウ?」
「……そうだな」
悔しいが、奴の言う通りだ。エムの恩寵は、まだ発動している。外に出た瞬間、俺は高熱と激しい咳で動けなくなるだろう。どういう理由か分からないが、彼女の恩寵は相当長時間――あるいは1週間近く発動し続けているようだった。
彼女もディムレも、魂の色は紫――つまり、「完全憑依者」だ。完全に魂を乗っ取った転生者の恩寵が強化されるとは知っていたが、これもそういうことなのか?
ただ、それでもこの選択肢しかない。俺は右肩を押さえ、出血を止めようとした。出血多量で倒れたら、何の意味もない。
ディムレとの距離が、徐々に縮まる。後方には管理局の扉。もう、逃げ道はない。
「チェックメイト、というやつだナ。確実に終わらせル」
奴が引き連れていた死体が俺に飛びかかり、一気に組み伏せた。怪力に押さえつけられ、俺は身動き一つ取れない。首だけ晒したその姿は、まさに俎の上の鯉だ。
「じゃあ、お別れダ」
俺は唇を噛んだ。……ここまでなのかっ。
正直、予想外もいいとこだった。ディムレの恩寵が、「乗っ取った相手を死体として使役する」というものだと知っていれば……もう少し別の策を練っていたというのに。
「考えが甘いのですよ」というハンスの声が脳内に聞こえた。ふざけんじゃねえよと、内心毒づく。「プランB」ぐらい、考えてないわけじゃねえ。
問題は、「あいつ」の到着が遅れに遅れてしまったことだ。そりゃ、ウイルスまみれの外をまともに動くのはキツいが……そろそろ来てもおかしくはないはずなのに。
ディムレが剣を振り下ろすのが見えた。思わず目を瞑ったその瞬間。
「何っ!!?」
「間に合ったな」
ディムレの剣が弾かれ、俺を組み伏せていた死体の片割れが蹴飛ばされる。俺はもう一人の手首を「錬金術師の掌」で握り潰し、そいつを振り払った。
「遅かったじゃねえか……原田っ!!」
「すまん。外の空気がさらに濁っててね……回復魔法をずっとかけ続けだったんだ」
息切れしながら、開いた扉の後ろを原田はチラリと見やった。
そう。ここに突入するのは、俺だけじゃなかった。もしもの時のために、時間差で原田が正面玄関から突入する手筈だった。
俺がディムレと交戦しているなら、奴は原田の方はケアできない。向こうの戦力がどれほどいるか次第だが、守備に特化した能力の原田を崩すのは並大抵じゃないと踏んだのだ。
原田が俺の怪我に気付き、手をかざす。ディムレはバックステップを踏み、間合いを取った。僅かに息が上がっている。
「……形勢逆転、のようだな」
「もう一人いたナ……エムッ!!!」
廊下の奥にいたエムが頷くのが見えた。何をしようというんだ!?
次の瞬間、猛烈な悪寒が全身に走った。
「んな、馬鹿な……」
「対象範囲を屋外から屋内に切り替えさせたんだヨ。抗体のある僕には、無意味だけどネ」
抗体??何だよそれはっっ……!!
死体がむくりと起き上がり、再び俺と原田に迫る。死体だから、ウイルスも何も関係ないってことかよ……!!
「種明かしどうも」
原田が真っ青な顔で笑うと、俺を引っ張りながら玄関の外に出た。悪寒と身体の怠さが一気に消える。そういうことか!!
ディムレが無表情のまま、玄関先に立っている。
「運が良かったナ」
「勝ちを確信した時が一番ヤバいってのは、格闘技におけるセオリーだからな。手の内をペラペラと喋るもんじゃない。……ユウはまだ動けるか?」
俺は頷く。ここで再びエムに恩寵の範囲を屋外に戻させたら、ディムレは俺と原田にやられる可能性が高いだろう。かといって、こちらから攻めることもできない。
俺はディムレの方を見た。
「膠着状態、だな。お前がここで退けば、俺たちはエムの恩寵が再び屋外に変わった瞬間にもう一度ここに攻め込む。あとはその繰り返しだ。
お前は動けるかもしれないが、死体は有限だ。いつかはそっちが数的に不利になる。それに、お前もかなり消耗してるだろ?」
「……本当にそう思っているのカ?」
「そっちの本隊が来りゃ、そりゃそうなるな。だが、俺たちの狙いはお前らを殺すことじゃない。エムの恩寵の効果を消すことだ。
自由に外を出歩けるようになりゃ、どんなにアルバやシャキリってのが化け物じみた強さだろうが、数の暴力でお前らは押し潰される。メジアからの援軍が来る前にな。
だから、この状況は望むところってわけだ。さあどうするよ、軍人さんよお」
ディムレの表情が僅かに変わった。
「どうして、それヲ」
「そんなの俺にでも分かる。あんた、人を殺し慣れてるだろ?俺も転生者だし、正当防衛とはいえ人を殺したことがあるから分かる。普通あんなに躊躇わず殺しに行けねえんだよ。
んで、メジア大陸だっけか?確か、こっちの世界と向こうの世界って多少地理的にはリンクしてるらしいな。あのエムって子が話してた言葉が少しロシア語っぽいことからして、あんたら例の戦争で死んだんじゃないのか?
となりゃ、あんたの素性は割れる。ロシアか、ウクライナか、どっちかの軍人しかねえ。それも、多分練度は低いな。前も思ったが、銃の腕がそんな高くねえ」
「ペラペラとよく喋る熊だナ……!!」
ディムレの顔が怒りで赤く染まる。刹那、「離れろっ!!!」という原田の声が聞こえた。俺が右に跳んだ瞬間、赤いビームのようなものが通り過ぎる。
「ア……ガ……」
どさり、とディムレが倒れた。俺のお喋りの間、原田は魔力を練っていた。それを奴にぶつけたのだ。
「ナイスだ、原田。今のは、話に聞いてた攻撃魔法か?」
「ああ。ミアンで習った『朱の魔弾』だ。まだこの身体に不慣れだから、溜めが必要だけどね。時間を稼いでくれて助かった」
ディムレの胸の辺りから、かなりの出血が見られた。多分、致命傷に近いのだろう。
「……ガハッ……!!こ、こんな、所デ……」
奴はふらふらと立ち上がり、入国管理局の奥へと消えようとする。「ディムレ!!」という声と共に、エムがこちらへ駆けてくるのが分かった。
「どうする?」
「……」
俺は悩んだ。多分、これは2人を一気に片付ける絶好機だ。ただ、俺たちを殺そうとしたディムレはともかく、エムは違う。
彼女は、俺たちを殺そうとまではしていなかった。恐らく、ディムレに言われたままに恩寵を使っただけだ。何より、エムはまだ小学校高学年から中学生ぐらいの、ただの子供じゃないか。
もし殺せば、戦局は大きくこちらに傾く。しかし、それは人として許されるのか?
大きく溜め息をつく。今からやろうとしていることをハンスやジャニスが見たら、「何を甘っちょろいことを」と言うだろう。
だが、俺はこの世界の人間じゃない。あくまで故郷は前の世界にある転生者だ。俺には俺の「祓い手」の在り方がある。
俺は原田の方を向いた。
「なあ、英語はできるか?」
「……まあ、一応は。それがどうしたんだ」
「彼女――エムに伝えてくれ。『ディムレの命だけは助ける、その代わり恩寵の発動を止めろ』と」




