5-7
「準備できました」
「変なところ触ったら、即座に魂抜くからそのつもりで」
俺を鋭い目で睨んでジャニスが言う。確かに彼女の身体は魅力的だが、そんな命知らずなことをするわけがない。俺は黙って彼女の首に手を回しておんぶの体制になった。
「行くわよ」
視界がふわりと上に上がる。ゆっくりと、そのまま20~30mほど上空へと俺たちは浮かんだ。
遥か向こうに、夕日で照らされた水平線が見える。見入ってしまいそうになる美しさだが、今はそんな余裕はない。
「ねえ、一つ訊いていいかしら」
入国管理局に向かい始めてすぐ、ジャニスが口を開いた。表情はこちらからは見えない。
「え」
「貴方、ハンスに魂見魔法を使ったことはある?」
ぞくん、と鼓動が早くなるのを感じた。俺があいつを転生者じゃないかと疑っているのがバレたのか?
一瞬躊躇して俺は小さく「はい」と答えた。彼女に噓をついても無駄だと悟ったからでもある。
「……色は?」
「……青でした」
「やはり……そうよね」
彼女の声色からは感情が読み取れない。ただ、この質問が何を意味しているかは俺にでも分かる。
ジャニスも、ハンスが転生者じゃないかと疑っているのだ。2人の喧嘩の理由も、恐らくそれに関するものだと知れた。
ジャニスが転生者に対して持っている憎しみは想像を絶するものだと聞いている。親兄弟、一族をセルフォニアの現皇帝にして転生者、グラン・ジョルダンに殺されたのだから当然だろう。
そして、もしハンスが転生者だったとしたら……彼女の怒りと悲しみは、簡単に想像できる。ハンスはジャニスにとって、人生のほぼ全てを共にしてきた相棒であり、兄であり、そして恋人だ。そんな彼が、彼女を長年謀っていたなら……俺が彼女なら、ブチぎれるなんてもんじゃない。
ただ、そうなるとあの魂の色は一体何だというのだ。ハンスの色は、この世界の人間であることを示す青だ。転生者であることを示す赤でも、完全に憑依した状態を示す紫でもない。
何かの方法で、魂見魔法を欺いているのか。しかし、そんなことをする意味が分からない。
ジャニスがチラリとこちらを向いた。顔からは表情が抜け落ちている。
「……貴方もハンスを疑ったことがあるのね」
「……正直に言えば。詳しくは話しませんが、幾つも不自然な点がありました。ただ、彼が天才だからだと勝手に結論付けてましたが……」
「私も……随分前、子供の頃に彼が転生者だと思ったことがあったわ。6歳で彼はセルフォニアの法学と行政学を完全に修めてた。私だけじゃなく、皇帝陛下や摂政たるお父様も彼が転生者じゃないかと疑ったわ。
魂見魔法で彼の魂の色が青だと分かった時、どんなにほっとしたか。ハンスは、さも当然のようにしてたけど……」
ジャニスの肩が震えている。俺はそれに気付かないふりをしながら、「どうして今更、彼を疑うんですか」と訊いた。
「……シャキリ・オルドリッジ。あの男の魂の色も、青だったのよ」
「まさか?」
「私が間違えるなんてあり得ない。間違いなく、青だった。そして……あの男はハンスに『私と君とは同じだ』と言ったのよ」
「同じ?」
「ええ。私たちが逃げる間際に、あの男はこうも言った。『私は転生者であって、転生者でない』……その言葉を、その通りに受け入れるなら」
「ハンスもそうだということですか?」
コクリ、とジャニスが頷いた。わざとなのか、飛行速度は随分ゆっくりとしている。
「……どういう意味だ……?」
「分からない。ただ、ハンスは間違いなく何か隠している。『何でもない』なんて見え透いた噓をつくなんて……!」
ジャニスが涙声になっている。俺は目を閉じた。
ハンスのことだ、そんな噓が通じないことは百も承知だろう。にもかかわらず、あいつは噓をついた。真実を知られたくなかったからか。……いや、それだけじゃない。多分別の理由がある。
……シャキリ・オルドリッジの脅威を、あいつだけが完璧な形で把握してしまったからだ。
「転生者であり転生者でない」ということが何を意味しているか、俺には分からない。ただ、ハンスの突き抜けた戦闘力がそこに由来しているのだとしたら……シャキリ・オルドリッジもまた、ハンスやジャニスにとっての脅威なのだ。
あるいは、俺を含むこの大陸全ての人にとってもそうなのかもしれない。このことを、今ジャニスに伝えるべきだろうか?
俺は首を振った。それは俺の仕事じゃない。ハンスのことだ、多分それなりの答えを用意しているはずだ。
あの男は、性格にこそ難があるが有能だ。転生者であろうがそうでなかろうが、信頼に足る男なのは間違いない。ならば、ジャニスのことはあいつに任せよう。それが一番な気がした。
入国管理局の建物が間近に迫ってきた。俺は「そろそろ行きます」と告げる。
「……本当に、大丈夫なのね」
「ええ。それなりの自信はあります。あと……ハンスを信じてやってください。彼には彼の、考えがあるはずです」
「……分かった」
屋根まではざっくり20~30メートルと言ったところだ。恩寵なしでは即死は免れない。だが、「錬金術師の掌」ならば……!!
俺はジャニスの首に絡めていた手を離し、足から飛び降りる。ゴオッと、空気が耳を撫でた。
あっという間に屋根が近づいてくる。俺は足全体に恩寵を纏わせた。変える物質は……水でふやけてめちゃくちゃ柔らかくなった、粘土だ。
ぐにゅんっ
「ぐおっ!!!?」
激しい衝撃と痛みが、足全体に走る。やはり、これだけの高さだと無傷というわけにはいかないらしい。
ズボンッ、ズボンッと俺は建物を貫通しながら落ちていく。勢いがようやく弱まったのは、フロアを3階ほど突き抜けた辺りだった。
「……いつつ……!!」
俺はゆっくりと立ち上がる。骨折とかはしていないらしい。義体のこの身体は多少人間より頑丈らしいから、こんな無茶も通るとは思っていたが……
辺りを見渡すと、廊下に人が3人倒れているのに気付いた。僅かだが、何かが腐ったような臭いもする。
「……マジかよ」
廊下を歩き、それらが全て死体だと分かった。外傷はない。多分、あのディムレにやられたのだ。
服装からして、彼らはここの職員なのだろう。入国管理局の外が随分静かだったのは、既にほぼ職員が全滅させられていたからだった、というわけか。
一体何人を殺したのかと思い、背筋が凍った。あの戦闘でも感じたことだが、ディムレに憑依した人間は、殺しに全く躊躇がない奴であるらしい。
とにかく、ディムレとエムの居場所を見つけないといけない。……どこにいる。
「Кто это?」
聞いたことのない言語が、後ろから聞こえた。ちょうど角部屋の辺りから、長い銀髪をした、白いワンピース姿の少女が現れたのに気付く。
かなりの色白で透明感のある、かなりかわいい子だ。人形かモデルかのようにも見える。目はウサギか何かのように赤い。年齢は小学生か、せいぜい中学生ぐらいに見える。
「誰だ、あんたは」
「Так кто ты такой?――誰、あなタ?」
片言のエビア語が聞こえた。それでようやく確信した。
……こいつが、エムだ。
だが、いきなり喧嘩腰になっても仕方ない。俺は、できる限りの作り笑いを浮かべた。
「……俺は、ユウだ。君を、助けに来た」
「助ケ……誰かラ?」
「君と一緒にいる奴だ。君はあいつ――ディムレに、利用されている」
きょとんとした表情で、エムが首をかしげる。
「利用……??だから、あなタ、誰?」
「……君と同じ転生者だ。転生者……この世界に生まれ変わった人間だ」
「転生……реинкарнация!!同じ!!」
エムは警戒心なしに、パタパタと屈託のない笑顔で駆け寄ってくる。ここで彼女を殺せば、俺のミッションは達成される。だが……それでいいのか?
躊躇したその刹那、彼女が出てきた部屋から背の高い男が現れた。ディムレがこちらに銃口を向ける。
「エムっ、離れロそいつかラっ!!!」
「動くなっ!!!」
俺は咄嗟の判断で、彼女の腕を摑みその後方に回り込んだ。そして、腰に差していたナイフを抜き、彼女の背中に突きつける。
「Почему……??」
「悪いな。……ディムレ、すぐに銃を置け。そして投降しろ」
ディムレはなおも銃を構えたままだ。
「言うことに従うと思うカ?」
「銃が俺に通じないのは、さっき知ったはずだ。ついでに言えば、剣も効かない。お前が俺に勝てる筋はねえんだよ」
もちろん噓だ。「錬金術師の掌」の効果範囲以外の所に銃弾が当たれば、もちろんそれは効くし、当たり所によっては簡単に死ぬ。
だが、俺は一度こいつの銃弾を防いでいる。だからこそブラフは効く。
「ちっ」と舌打ちし、奴は銃を床に置く。次の瞬間、奴は両掌を開いてこちらに向けた。
「魔法か?こっちは人質がいるんだ、まさか巻き込むつもりじゃねえよな?」
「……力を使うかラ、あまりやりたくなかっタ。だけド、もう仕方なイ」
後方から何かが蠢く音がした。思わず振り向くと……
「ウギャアアアアアッッツ!!!」
死体となっていた職員たちが起き上がり、一斉にこちらに向かってきた!!?




