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部屋には重苦しい沈黙が流れ続けている。アンダーソン卿の家に戻ってから、ずっとこうだ。
状況は聞いている。話に聞いていたシャキリ・オルドリッジが、ポルトラを訪れていたのだ。そして、その傍らにはハンスとジャニスの師匠であるポーラという女までいたらしい。
いつ、どうやって彼らがここに来たのかは分からない。ただ、とにかく彼らはアルバと一緒にいた。しかも、マナキャンセラーまで持っていた。形勢不利とみたハンスたちが逃げたのは、当然の判断だったと言える。
ただ、それにしてもこの空気の重さは異常だ。ジャニスは険しい表情のままハンスと一切目を合わそうとしていないし、ハンスは両手を組んで動こうともしない。それだけ事態が深刻ということなのだろうか。
「クッキーとお茶、置いておきますね」
アンダーソン夫人が、恐縮しながらポットとケーキの入った皿をテーブルに置いた。俺はこの空気に耐えきれず、クッキーを一欠片手に取って軽く囓る。濃いバターの風味が、口いっぱいに広がった。それを紅茶で洗い流すと、俺はさっきからずっと疑問に思っていたことを口にした。
「何かあったのかよ」
「……何、とは」
「さっきからおかしいぞ?シャキリってのがセルフォニア側の幹部みたいなものだってのは分かる。あのレイモンドの一件の黒幕だってのも知ってる。だけど、そんなに黙り込むようなことは……」
ジャニスがこちらを鋭く見た。
「貴方は黙ってなさい。こちらの問題よ」
「……は?」
「ハンスは噓を付いている。それが何かは分からないけど、私に誤魔化しは利かない」
ハンスとジャニスが喧嘩?確かに、こんなに険悪そうにしている2人は初めて見る。
決して普段からベタベタしているような2人じゃない。むしろ、普段は主従という関係を決して崩さないようにしているように見えるぐらいだ。
ただ、互いの信頼が極めて深いのは俺にだって見て取れた。俺たちにそういう姿は絶対に見せていないが、男女の仲にあることも流石に分かる。ジャニスが生まれた時からの付き合いというのも、納得の息の合い方だった。
それだけに、この2人が喧嘩をするということは、余程のことがあったのだろう。ジャニスは読心魔法が使える。そんな彼女が「ハンスが噓を付いている」というなら、それはそうなのだろう。
ただ、どんな噓を付いたんだ?そんなに重大なものなのだろうか。
俺がそれを訊こうとした時、原田が「やめとけ」と制した。
「俺たちは邪魔だな。少し、上の階に上がるか」
部屋を出ると。階段を上がりながら原田が「分かってないな」と首を振った。
「分かってないって、何だよ」
「お前、ろくに恋愛経験ないだろ」
「は??」
「ああいう時、女は他人に口を出されるのを嫌がるもんだ。俺はあいつらのことをよく知らないが、多分夫婦か何かなんだろ?だったら外野が口を出すことじゃない」
「こんな状況で、痴話喧嘩してるってのかよ」
「痴話喧嘩かは知らない。ただ、何か重大なことなんだろ。今回の話にも関わるような。だとしたら、俺たちが邪魔をするわけにもいかないだろ」
「彼女持ちは違うな」と嫌みでも言おうと思ったが、原田の言葉には説得力があった。確かに、2人で話し合うしかないのかもしれない。
俺たちは、寝室としてあてがわれた客間に入り、ベッドに腰掛けた。原田がふうと息をつく。
「……しかし、洒落にならない事態だな。シャキリとポーラってのは、セルフォニアの幹部格なんだろ?俺たちだけで足りるのか」
「お前の彼女と一緒に、教会直属の祓い手が2人ほどこちらに来るって話は聞いてる。ただ、向こうの手の内が見えない。何より、エムってのがウイルスか何かをばらまいている以上は、迂闊に外にも出れねえ」
「確かに。そういえば、お前と一緒にいたあのウサギはどうした?てっきり一緒に来ているとばかり思っていた」
「彼女は……理由があってこっちには来てない」
「理由?」
「話せば長くなるが、簡単に言えば『元の身体』に受肉することになった。お前の彼女の身体は、そのクローンみたいなものらしい」
原田が口をあんぐりと開けた。
「クローン??そんな技術、この世界にあるのかよ!?」
「どうも俺たちが考えるより文明のレベルは大分高いのかもしれないな。見た感じ、ロストテクノロジーとか何とか、そういう類いのものみたいだが」
「……転生したら転生したで、イージーモードではないということか。薄々気付いてたけどな……
ただ、あのウサギがいないのは痛手だな。この身体の元の持ち主、リカードも一度はあいつに殺されてるんだろ?あいつが来てりゃ、もう少し楽だったんだが」
俺は小さく頷いて黙った。ミミがいれば、確かに楽だったかもしれない。彼女の恩寵は、向けられた悪意を数倍にして反射するというものだ。ディムレを相手にしても、ほぼ瞬殺できただろう。
ただ、人を殺すという行為自体をミミは嫌がっている。それを良しとするかは、また別問題だ。
とにかく、いない奴のことを考えても仕方がない。今考えねばいけないのは、エムって奴をできるだけ早く何とかすることだ。そいつが恩寵を発動し続けている限り、俺たちの行動は大きく制限される。
あの入国管理局から引きずり出すか?だが、どうやって?ディムレを先に片付ければいいのかもしれないが、正直俺たち2人では何とかできる気がしない。
ハンスやジャニスなら何とでもしそうだが、今のままでは無理だろう。何より、あいつらはより手強いアルバやオルドリッジを相手にしないといけない。こっちに戦力を割く余裕は、多分ない。
とすると、残る選択肢は……入国管理局への侵入。
エムの恩寵は、聞く限りじゃ多分室内では効力を発揮しない。だから、一度入国管理局に入れれば、相手はディムレだけになる。メジアからの密入国者が徒党を組んでいるかもしれないが、とりあえず外でやり合うよりは遥かにマシだ。
問題は、どう侵入するか。隠密魔法で多少気配を消しても、ディムレにはあっさり気付かれた。それがあいつ自身の能力なのか、それとも取り憑いている人間の能力なのかは分からないが、正面から突入というのはまず難しい。夜襲にしても、それは多分同じだろう。
ただ、極力早くあの2人を何とかしないと援軍が来ても機能しないままだ。原田が言っていたように、あいつの彼女の恩寵は多分エムの能力にはあまり効果がない。
だから、もし動くなら今日しかない。明日になってからじゃ、多分遅い。
……どうすればいい。俺は自分の掌を見つめた。
「掌」?
そうか、この手があったか!俺はニヤリと笑った。
「いい案を思いついた。ちょっと、下に降りるわ」
居間に戻ると、ハンスの姿がない。ジャニスに訊くと、「アンダーソン卿が話があるって連れてったわ」と冷たく言い放った。どうもまだ仲直りには程遠いようだ。
「で、何か用なの?……正直、独りでいたい気分なんだけど」
「すみません。ただ、ちょっと思いつきがあって。入国管理局にいるディムレとエムへの奇襲、協力してくれますか」
「はあ??」
論外よと今にも言い出しそうなジャニスの目を俺は見た。
「協力、と言ってもお嬢様に負担は掛けません。俺を入国管理局の上空に連れて行って、落としてくれるだけでいいんです。飛行魔法、使えるんですよね」
「上空から落とす??あんた、自殺でもしようって……そうか!!」
流石にこちらの狙いにはすぐに気付いたようだ。俺は頷く。
「ええ。『錬金術師の掌』で、建物の屋根に着地した際に屋根を粘土か何かに変えます。そしてそのまま、内部に侵入する。後は俺が何とかします」




