4-12
「やったな」
俺の言葉に、ハンスが小さく頷く。通りに描かれていた魔方陣を通して映し出されていたラスカの幻影に、ザッシュがゆっくりと近づいた。
俺を背負うハンスは、移動電信機を手に取る。
「もう切って構いませんよ」
すう、と幻影が消える。ザッシュは戸惑ったかのように、「ウオオオオンッッ!!!」と遠吠えを始めた。
それにしても、ハンスはなかなか鬼畜なことを考えつくものだ。ジャニスの幻影魔法――魔方陣を描いた先に、映像を投射するというモノらしい――それを使って、ザッシュをラスカに引き付ける。
ラスカを攻撃できないだろうザッシュは、マイクの命令に従わない。その結果、同士討ちになるか、あるいはザッシュが暴走してマイクは倒される。
「理屈は分かるが、本当にそんなに上手く行くか?」とその話を聞いた時には思った。しかし、今になってみればその見通しの正しさに驚くしかない。
「……どうして、こうなると思ったんだ」
「マイクという男の思慮の浅さ、ですよ。彼がこの世界に来てさほど経っていないことは、会話の断片で知れました。少なくとも、セルフォニア本国で諜報員としての訓練を受けた人物ではない。
前世でもそこまで大した人物ではなかったでしょうな。賢明なら、自分の身元がバレるようなことは軽々に言わない。
とすれば、こちらの描いた絵の通りに動いてくれる可能性は極めて高い、ということです。……向こうの世界には『将棋』という遊戯があるようですが、格上が格下に決して負けないのは打ち筋を完全に読んでいるからですよ」
「どうして、こんな回りくどい殺し方を」
「数百人の犠牲者を出した大量殺人鬼ですからな。まあ、然るべき絶望の中で死んでもらおう、ということです。まあ、我々は基本、人の命を奪わぬことを旨としておりますが」
ハンスは背中にいる俺に振り向いて、静かに笑う。
ザッシュは消えたラスカを探し、うろうろと歩きながら遠吠えを続けている。
「何だか、かわいそうだな」
「ええ。だが、ここからが本番です。覚悟はいいですか」
俺は頷いた。そう、ザッシュを片付けないことにはこの件は終わらないのだ。
マイクを失ったザッシュは、放っておけばこの空気の中では生きられなくなる。限界が近づけば、レイモンドの居住区域外に戻るだろうというのがハンスの読みだった。
ただ、それでは問題の本質的な解決にはならない。レイモンドの人たちは、「ジェノサイバー」の恐怖に怯えながら当面生きていかねばならないのだ。
それを防ぐには、ここで、確実に仕留めねばならない。
ハンスが手元のマナキャンセラーを見た。自称「魔法使いではない」ハンスは、ジャニスがやっていたように魔力や瘴気を無効化する壁を作れたりはしないらしい。あくまで、自分の周りにバリアのようなものを張れるだけだ。だから、俺はその効力内に入れるように、こうやってハンスにおぶってもらっている。
俺がハンスと一緒にいる理由、それはもちろんザッシュの討伐のためだ。奴は身体を自由に液体にできる。そしてさっき見たように、肉体の一部を硬化させて刃のようにも使える。
マナキャンセラーのおかげで恩寵の効果は無効にできるから、守りはあまり問題にはならない。問題は攻めだ。ハンスお得意の催眠グローブも、押し当てる顔がなければ全く効果を発揮しない。だから、ハンスが攻める直前に、俺が奴に触れて身体を石か何かに変えないといけないのだ。
「では、行きますよ」
ハンスが路地から大通りに出た。15mほど先に、ザッシュとマイクの亡骸がある。
ザッシュはすぐにこちらに気付いた。無言で、鞭のような「触手」が3本ほどこちらに飛ばしてくる。思わず顔を背けたが、それは俺たちの2mほど手前で溶けるように消えた。
「グオオオオオッッッ!!!!」
攻撃をはじかれたザッシュは、触手の数を増やして俺たちに対抗しようとする。だが、それらは当然全て無駄だ。ハンスはゆっくりと奴へと向かっていく。
「辛かった悪夢もこれで終わりです。ゆっくりとお眠りなさい」
右手に例のグローブをはめ、ハンスは静かに言う。ザッシュまで、残り10mほどだ。
ハンスがなぜいつものように「時魔法」を使わないのだろう、と俺は一瞬訝しんだ。使えば簡単に決着できるはずだ。
ハンスがうっすらと汗を流していることに、俺は気付いた。どうしてだ。
……タイミングを見計らっているんだ。マナキャンセラーのバリアを解除し、時魔法で一気に距離を詰めるタイミングだ。
このバリアの中では、一切の魔法が発動しない。守りは鉄壁だが、攻めに転じるにはかなり不便なのだ。
それこそさっきマイクが使っていたような拳銃でもなければ、マナキャンセラーを使いながらの攻撃は難しい。攻める場合には、一瞬だけバリアを解かないといけない。
ただ、半端な距離でバリアを解けば、あの猛攻に晒される。何より、ザッシュが放つ瘴気は、一呼吸だけでも致命傷になりかねない。
だから、呼吸する間もない一瞬で、奴を活動不能にせねばならないのだ。……ハンスと俺は、相当難しいことをやろうとしているのだとようやく悟った。
その刹那。
「ウオオオオオッッッッ!!!」
一気にザッシュがこちらに飛びかかってきた!!バリアで弾き返せるのか?
だがもし、ザッシュが恩寵を使わず「生身」のまま飛び込んできたなら……これは致命傷になりかねないっ!!
その時、一瞬ハンスがニィと笑った。そうか、この時をハンスは待っていたのか!!
俺はハンスの背から降りて跳躍し、ザッシュの頭部を触る。「リミッター」を外された義体は、まるで今までとは別モノのように軽い。そして俺の恩寵も、一瞬のうちに発動する。
「ギィッッ!?」
ザッシュの額にある人間の顔が、その瞬間驚きで歪んだ。そしてそこにハンスが右手を押し付ける。
「では、安らかな眠りを」
ハンスの言葉とともに、ゆっくりとザッシュの身体が傾いでいく。再びマナキャンセラーのバリアを展開した俺たちの横で、2m近い獣の巨体がズウンという音と共に倒れた。
*
「……こんなに小さかったのね、こいつ」
ジャニスが呟く。俺たちの目の前には、160cmほどの獣と人の合いの子のような何かが、裸で横たわっている。魔力を失い、大分縮んだようだった。
「……まだ、息はあるんでしょうか」
ラスカの問いに、ハンスが小さく首を振る。
「一応ありますが、すぐ死ぬでしょうな。魔力が切れた今の彼には、ここの空気は余りに『清浄に過ぎる』」
俺たちがザッシュを倒してから2時間。魔力切れを起こした奴からは瘴気が放たれなくなり、それと共に街の空気もある程度活動できるぐらいにはきれいになっていた。それでもまだ辺りはかなり臭いし、長居はなお危険らしいが。
「このまま、放置するのか」
「苦痛なく逝かせるなら、それが無難でしょう。『アマリアの革手袋』の効果は、もうしばらく続くはずです」
「……『ジェノサイバー』としてじゃなく、人として……ザッシュ・ラブとして死なせてはやれねえのかよ。こいつ、まだ人間だった頃の意識が、ほんの少し残ってたんだろ」
ハンスが少し考えてジャニスを見た。
「どうです、お嬢様」
「『起こす』ことぐらいはできるわ。ただ、起こした後どうなるかは分からない。まあ、見た感じ本当に残り短い命だとは思うけど」
「……なるほど。では、私たちは一度退きましょうか」
「え?」
「彼を目覚めさせた上で、ラスカさんだけをここに残しましょう。彼女を彼が殺すことはない。それに、多分彼の自我が戻るのは、彼女の前だけです」




