4-10
「……クソ暑いな」
俺は防護服に新たな魔石を取り付け、「遮断装置」を発動させる。ブゥンという音と共に、周囲の紫に濁った空気が少し透明になった。防護服のフードを脱ぎ、テーブルに置いてあるタオルに手を伸ばした。
「うげ……くっせえ」
その臭いと色で、タオルは既に相当「汚染」されているのが分かった。これで汗を拭いたら、俺の命も危ない。
チッと舌打ちをし、ザックから瓶を取り出す。中身は数日前に淹れておいたオルカ茶だ。本国の技術屋が作った魔法瓶に入っているせいか、こちらはまだ無事だった。
生暖かく酷く甘ったるい液体が、喉を滑り落ちていく。とても一気飲みできるような濃さではないが、それでも魔法瓶はほぼ空になった。
残る瓶は、あと3本。これを飲み終わるまでに全てを終わらせないと、俺は死ぬ。
「マジでどうしようもねえわ……」
俺は暗い部屋の天井を見上げて呟いた。本当に、心身共に疲れ切っていた。
*
一生遊んで暮らせるだけの金と、セルフォニアの特殊部隊「白光」の地位。それと引き換えに、このミッションを俺は受けた。
内容はシンプルなものだった。「ジェノサイバー」を見つけて支配下に置き、レイモンドの街を制圧する。後は「ポータル」の開通まで待つだけだ。そうすればセルフォニアはカルディア侵攻の拠点と、魔石という貴重資源を一気に手に入れられる。
そして、俺はその功労者になるはずだった。それは俺の恩寵「全てを冒す者」を使えばヌルゲーのはずだった。
しかし実際やってみると、計算外のことが幾つもあった。
まずはあのレナードとかいうジジイだ。「マナキャンセラー」とかいう「遮断装置」と似た効果を持つ機器を開発しているらしい、とは聞いていた。ただ、あんな風に盾みたいに展開して街の人間を逃がすなんて、全く想定外だった。ザッシュの攻撃も一切効かなかった。
あんなに凄腕の魔法使いとは思いもしなかった。あの医者は「油断するな」と言っていたが、瘴気も魔法も通じない相手だとは……思い出すだけで苛ついてくる。
より大きな計算外は、ザッシュがまだ自我をわずかに残していたことだ。
俺の「全てを冒す者」は、針を刺すことで相手の五感と意識を全て乗っ取ることができる。もちろん、そいつが持つ恩寵や魔法も全て使いこなせる。対象は1人だけだが、その意味じゃデルヴァーにいたマリー・ジャーミルより優秀な能力だ。
あっちは比較的単純な行動しか命じられないと聞いていたし、効果も永続的じゃない。こちらは、一度刺してしまえばこちらが効果を解除するまではずっと支配下に置ける。
ただ、そいつが持っている「命より優先するような強い意志」までは乗っ取れない。絶対に譲れないものを、殺したり壊したりはできないと経験上知っていた。
居住区域外を放浪していたザッシュは、ほぼ獣にしか見えなかった。出会った時に俺を襲おうとしてきたが、防護服のおかげでなんとか針を刺し支配下に置くことができた。そこまではよかった。
誤算は、あいつにとっての「譲れないもの」があったことだ。そして、それはあのジジイの弟子だった。
レイモンドであの女を見た時、あいつはわずかに動きを止めた。それはジジイが飛び出すだけのほんの少しの猶予を与えてしまった。その時は僅かな違和感があるぐらいだったが、夕方のアレで確信した。あいつは、わざと脚を止めたのだ。あの猫耳女を救うために。
余程あのクソ獣をボコろうと思ったか。だが、俺があいつをボコったとして、反撃されたらそれで終わりだ。「全てを冒す者」を使って死ぬよう命じてもいいが、そうしたら俺はあの村にいる残党どもを駆逐できない。「ポータル」さえ開けばこいつはお役御免だが、それまでは生きていてもらわなきゃ困るのだ。
そして……最大の誤算は、あの2人――ジャニス・ワイズマンとハンス・ブッカーをあそこで殺せなかったことだ。
奴らが来る可能性は耳にしていた。想定よりずっと早く来ていたが、それでも俺の恩寵とザッシュなら何とかなると思っていた。
だが、あいつら――いや、あの男は想像よりも遥かに厄介な奴のようだった。「雷より速い」とは聞いていたが、実際に目にするととんでもない速度だ。ザッシュのフルスピードと同じ速度で走れる人間がいるとか、冗談じゃねえ。
再戦して何とかできる自信は、正直に言って、ない。だから俺はこうして寝もせずに、魔石を「食った」ザッシュの魔力が回復するのをずっと待っているのだ。
俺に残された時間は、もうあまりない。明日中にレイモンドの残党を始末しなければ、俺は死ぬ。
俺は「クソッ」と壁を思い切り蹴った。数度蹴ったが、苛立ちは収まらない。
またか。また全てを手に入れる前に、俺は終わるのか。どうして世の中の連中は、俺の思い通りに動かねえんだ。
俺は空になった魔法瓶を壁に投げつけ、「前世」を思い出していた。
*
「死ぬ」少し前まで、俺は人生の絶頂にいた。
コロナ後に入手しにくくなっていたシャブの新しい調達ルートを開拓した俺は、組でナンバー3の地位までのし上がっていた。この権力と金とシャブを使えば、あらゆるモノを手に入れられる。そう信じて疑わなかった。
人生が狂うきっかけは、22年の仮想通貨の暴落だった。シャブで稼いでいた金を突っ込んだら、一瞬で溶けた。膨らんだ損失を何とかしようと、俺は焦っていた。
そんな時、俺は地元のクラブで原口香苗という女に会った。
40近いはずだが、そいつはかなりの上玉だった。何より、身体がエロかった。母子家庭らしく、資金援助を持ちかけたらあっさりと落ちた。
そして、香苗の娘の恵美はその上を行く女だった。どこぞのスカウトが手を付けてないのが不思議なくらいだった。
あの2人を前に、俺はこいつらを「売る」ことを思い付いた。ヤク漬けにして言うことを聞かせ、肉奴隷として組の上部組織に奉仕させる。そうすればすぐに仮想通貨の損失は取り返せる。
それはかなり上手く行っていた。香苗も恵美も表向きは従順で、客の評判は上々だった。警察が来ることもなかった。
シャブの影響でボロボロになったら、借金を返し次第場末のソープか何かに沈めてしまえばいい。驚くほど理想的に俺の計画は進んでいた。
組の若い馬鹿が、香苗をオーバードーズで殺してしまうまでは。
香苗は群馬の山奥に埋めた。もちろん、見つかる可能性はあったが問題はそこじゃなかった。
恵美が、明らかに反抗的になったのだった。客の評判も露骨に悪くなった。
そして、あの冬の日。恵美は逃げだした。
恵美と一緒にいたガキは俺の部下を1人殺していた。もちろん、ただで済ませはしない。その命で償わせた。
だが、警察は既にやってきている。ワンボックスに恵美を詰め込んだはいいが、原口家に戻るのは恐らくは悪手だ。これだけの騒ぎで、こちらに捜査の手が向かないとは考えにくい。
もし何かあれば、喧嘩の結果だとゴリ押すつもりではいた。だが、念のためほとぼりが冷めるまで、組が持つウイークリーマンションに潜伏しようと、俺は決めた。
その夜のことだった。疲れ切っていた俺は、マンションに着くなり泥のように眠ってしまった。もちろん、若いのに見張りはさせている。警察が来たら、すぐに動ける準備はしていた。
眠りは急に妨げられた。激しい首の痛み、そして息苦しさ。何が起きているか理解するまで、数秒かかった。
目を覚ました俺の目の前にいたのは、修羅のような表情で涙を流している恵美だった。
「ママの、瑞樹君の仇!!!!!」
振り払おうとしたが、既に手遅れだった。頸動脈をコンセントコードで締められた俺の意識は……それきり失われた。
*
そして、俺はこの「マイク・プルードン」といううだつの上がらない冒険者へと転生した。元々あまりパッとしなかった奴らしく、俺が転生者であることに気付く奴は誰もいなかった。
転生する時に出会ったジジイからもらった能力――「恩寵」とこの世界では言うらしい――「全てを冒す者」は理想的な能力だった。針さえ刺せば、誰もが俺の思い通りになる。ここには前世のように、俺の言うことに従わない奴はいない。
問題は、こいつをどう使うかだ。差し当たり女を肉奴隷にしてみたが、どうにも別の使い方があるように思えた。
そんなある日、その2人組はトロードの街の酒場に現れた。1人は痩せた初老の男。もう1人は、30過ぎぐらいの眼鏡の女だ。
「君の力を、世界のために生かしてはみないか?」
それが、シャキリ・オルドリッジとポーラ・ジョルディアとの出会いだった。




