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車は漆黒の闇の中を、ゆっくりと進んでいた。搭載されているライトは貧弱で、うっすらとしか前が見えない。
そのことに軽く恐怖心を覚えながら、俺はハンスに訊いた。
「夜襲って、そこまで自信があるのかよ。向こうだってそのぐらい考えてるんじゃないのか」
助手席のハンスがふっと笑う。
「まあ、そうでしょうね。ただ、四六時中ずっと張り詰めたまま起きていれば、それだけでも体力を消耗する。それに、レイモンドにはザッシュ以外にマイクの味方はいない」
「どうして分かるんだ」
「理由は簡単です。セルフォニアからレイモンドに辿り着くにはかなりの手間が必要ですし、リスクも相当負います。元々流れの冒険者であったマイク以外にもう1人、というのは少々考えにくい。
入国しやすいキャルバーンやパルフォールならまだしも、カルディアには必ずレヴリアを通過しなければならないのです。さすがにどこかしらで引っかかるのが普通でしょう。
それに、味方がいれば夕方の来襲の時に同行していたはずでしょう。それをしなかったという時点で、マイクはザッシュ以外に頼れる人間がいない」
「……なるほど」
「それと、夜襲に対する準備がそれほどないというのは、日が沈む直前にカーの村を襲おうとしたことからも分かります。当たり前ですが、夜襲の方が奇襲としての効果は高い。それをしなかったということは、『夜襲ができなかった』ということでもある。
『ジェノサイバー』の五感は恐らく人間のそれより鋭敏でしょうが、それでも夜目が利くということではなさそうです。そして、それを補助するだけの手段もマイクにはない」
場数を踏んでいるから当たり前なのだが、ハンスのこの分析力と推理力の高さには毎回驚かされる。元の世界にいたなら、刑事ドラマに出てくるどこぞやの老刑事ばりに活躍していただろう。
隣にいたジャニスが「もちろん危険性は皆無じゃないわ」と続けた。
「車が来たことをすぐに察知されたら少々厳しくなるわ。車はレイモンドの手前で止めて、徒歩で統治府に向かうつもりだけど……その間に気付かれたら厄介ね。とにかく、統治府に着くまでは物音には徹底して注意して」
「もし気付かれたら」
「その時は開き直ってやるしかないわね。ただ、今回は貴方がいる。状況は大分マシなはずよ」
時刻はそろそろ日をまたごうとしている。暗がりに車を止め、ジャニスがマナキャンセラーの「盾」を展開した。ゆっくりと、人がほとんどいなくなったレイモンドの街に向かっていく。
5分ほどで街に入った。しんと静まりかえっていて、何とも言えない不気味さがある。不安を紛らわせようと口を開こうとしたが、ジャニスの注意を思い出して我慢した。
やがてこの前来た大きめの建物の前に着く。鍵は別の村に避難しているレイモンド市長から渡されているらしく、あっさりと中に入れた。
統治府の研究室に着くと、ジャニスが「盾」を解除する。途端に強烈な異臭が鼻を突いた。
「うわっ、何だこれ」
「……瘴気ね。呼吸は何とかできるけど……ラスカ、部屋の浄化を急いでお願い」
「分かりました」と彼女が奥の部屋に行き何か作業をする。1分ほどして、少し異臭が和らいだ。確か、ここには空気清浄機のようなものがあるのだったな。
「……流石にあの濃度だと、1時間はもたないわね……でも、マナキャンセラーを作動させていても、まだこれか」
「ええ。あまり長居はしない方がいいです。ジャニスさん、魔石を」
ジャニスがザックから野球の硬式球大の石を取り出した。月光だけが差し込むこの部屋で、それはうっすらと赤い輝きを放っていた。
「ありがとうございます。では、少々お待ちください」
ラスカは何やら機械のようなものを持ってきた。何でも、ある程度の大きさに魔石を成形してこの中に入れれば、マナキャンセラーの腕輪に合う純度と大きさに加工してくれるらしい。
魔石は「石」とはいうが、思ったより柔らかく脆いものみたいだ。「凄く硬いグミか何か」といった方が正しい気がする。
ラスカが石を機械の中に入れた後、ハンスが彼女の方を向いた。
「これで30分待てばよいのですね」
「はい。それまでは……」
「ここで待機です。お嬢様、彼らの場所は分かりましたか」
ジャニスは窓の外を見ながら、「流石にここからじゃはっきりしないわね」と呟く。
「ただ、適当な民家にいるとも思えない。大体は鍵をかけて逃げただろうから。それに、魔獣となったザッシュも近くにいるなら……滞在場所はおのずと限られてくるわ」
「ですね。まあ、冒険者ギルドの事務所か、酒場か……そして、一番ありそうなのは宿屋ですね。ラスカさん、宿が多くあるのは」
ラスカが言うには、ここから2、3分ほど先の通りだという。多くが冒険者が滞在するための安宿だが、馬が繫げるようなスペースがある宿は限られているらしい。
「了解です。では、細心の注意を払って向かうとしましょう」
作業が完了するまでは少し時間がある。手持ち無沙汰になった俺は、前々から疑問に思っていたことをラスカに訊くことにした。
「……なあ。あのザッシュって奴、前はどんな奴だったんだ」
「……ザッシュ、ですか」
「ああ。憑依される前、憑依された後、両方だ。よく考えりゃ、全然話を聞いたことがなかった」
ハンスが「ユウ」と少し強い口調で言った。
「……何だよ」
「討伐対象の転生者に情けは無用です。彼らについて過度に知ることは、刃を鈍らせかねない。この前もそう言ったでしょう」
「分かってるよ。ただ、本当に自我が消えてるのか、ふと疑問に思っちまってな」
「……消えていようがいまいが、それはあまり差がないことでは?」
「いや、あるね。もし消えていなかったら、マイクに対して何かしら思うところがあるはずだ。そして、そうならば……ザッシュの過去を知ることはそこまで無意味じゃない。どう動くかは、そいつの性格に依るものだから」
ハンスはしばらく黙ると、「……いいでしょう」と言った。
「確かに、その可能性は否定できません。ラスカさん、最低限で結構ですので、彼の人となりを」
「分かりました。……ただ、私も彼をそこまで詳しく知っていたわけじゃないんです。年齢も、出身も彼は喋りませんでしたから……。
彼はここに来て間もない、駆け出しの冒険者でした。それで、私とウェスのパーティが、教育担当として就くことになったんです」
「……ほう?」
「……正直、いつ頃から『憑依』されていたかは分かりません。出会った時に既に『憑依』されていたのかもしれない。
ただ、真面目で、大人しい子でした。目立たない後方支援を請け負ってくれていて、正直色々助けられたのを覚えています」
「その頃から恩寵を?」
沈んだ表情のラスカが、小さく首を縦に振る。
「出会ってしばらくして、身体の一部を液体のようにする魔法を使うようになりました。普通では入り込めない場所に入ったりするのに使ってました。
その時は珍しい魔法だなと思ったぐらいでしたが……」
ジャニスが訝しげな表情になる。
「妙ね。そこまで凶悪な感じの転生者じゃない。貴女の恋人を殺すような人物とは思えないけど?」
「……ええ。その時までは、そう思っていました。居住区域外で出会った、大型の『龍』。あれに出くわすまでは」
「龍?キャルバーン以外にも生息地があるなんて、聞いてないわよ?」
「エネフの大穴付近は、私たちが知らない生態系があるみたいです。そこで独自の進化を遂げたモノなのかもしれません。
とにかく、龍に出会い、私たちパーティは逃走を図りました。『僕に任せて』と残った、ザッシュ以外は」
「まさか、単騎で戦おうとか……」
「その、まさかです。彼は恩寵を使って龍を瞬殺した。そこまでは良かった。しかし、彼の身体が赤く光ったかと思った次の瞬間……彼は、ウェスと仲間2人を、液体の刃で細切れにしていたんです……」
「どうしてだよ!!」と思わず俺は叫んだ。殺す理由なんて、どこにもないじゃないか。
ラスカが静かに涙を流す。
「あの子は……ザッシュは、『やっと、これで、あなたをてにいれられる』と笑いました。ザッシュが、私に憧れのような感情を持ってるのは分かってましたが……まさか、あんなことをするなんて……!!」
ジャニスがふうと息を付き、「……なるほどね」と呟く。
「それで、あなたは逃げ、拒絶された彼はその場に残り……『ジェノサイバー』と化した。そういうことね。そうか、そういうこと……」
「どういうことなんですか!?」
「転生者の『覚醒』よ。聞いたことは?」
しばらくの沈黙の後、「あっ」とラスカが声を上げた。
「気付いたみたいね。多分、ザッシュ・ラブはその時完全憑依の手前だった。そして、その時に運悪く龍に出会い、生命の危険を感じた。
そこで彼は『覚醒』してしまった。あれは魂と理性を引き換えに、強大な力を得るというものなの。抑えていた貴女への恋心と、ウェスへの嫉妬心がそれを機に暴発し……悲劇を生んだ」
「そんな……でも、『覚醒』したら、魂は消えてなくなるんじゃ」
「そうね、そこはよく分からない。ただ、瘴気の濃い居住区域外だし、エネフの大穴に近いなら何が起きても不思議じゃない。あそこは物理法則も、魔力法則もねじ曲がっているらしいから。
とにかく、取り残された彼は魔獣『ジェノサイバー』になり、あてなく彷徨っていた。その情報をどこからか――多分シャキリ・オルドリッジ経由で聞いたマイク・プルードンがここを訪れ、彼に接触した。そんなところね」
ハンスが「恐らくは」と同意した。
「自我が残っているならば、マイクの走狗として使われていることをよしとはしないでしょうね。そして、夕方に私たちがやられなかった理由も、少し分かりました」
「……え?」
「貴女が倒れそうになった丁度その時に、ザッシュは止まった。もちろん、稼働限界が近づいていたり、マイクの恩寵の効果が切れそうだったりというのは事実としてあるのでしょう。ただ、あれは私たちを攻撃する絶好機でもあった。無理すればできなくはなかったはずです。
それを敢えてしなかったということから察するに……彼にはわずかながらに自我がある。そして、貴女を殺したくないと思っている」
そう言うと、ハンスが薄く笑った。
「一つ、いいことを思い付きました。ただ夜襲で討伐するのではつまらない。もっと『面白い』方法で、マイク・プルードンを屠りましょうか」




