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「こんな所にいたのか」
体育座りで俯いていたミミが、虚ろな目で振り返る。
空がゆっくりと赤みがかってきた。眼下にはカーの村、そしてさらに向こうにはうっすらとレイモンドの街が見える。
「独りになれそうな場所はこの丘ぐらいだと村長が言ってたよ。……俺も、隣に座っていいか」
ミミは肯定も否定もしない。俺は黙って横に座った。
「……」
「……いい眺めだな」
「……」
ミミは焦点の合っていない瞳で、ずっと彼方を見ていた。自分から何か話す気配は、ない。
俺も、正直に言ってどう話を切り出せばいいか分からなかった。余りの空気の重さに、押し潰されそうだ。
だが、下手な慰めや同情など何の意味もないと、俺は直感していた。それだけ、ハンスとジャニスから聞かされた彼女の過去は、悍ましいものだった。
よくあんなことがあって、あんなに明るくいられたものだ。いや、あんなことがあったからこそ、それを忘れるためにああ振る舞っていたのかもしれない。
そんな過去を、彼女は偶然とは言え思い起こしてしまった。そのショックは、想像にあまりある。
「時間が解決する」とか、「俺も一緒になって背負う」とか、そんな簡単な言葉などクソの役にも立たない。そのぐらいは俺にもすぐに分かった。
*
ミミ――渡辺美海は、14歳の時に父親に殺された。長年続く、凄絶な虐待の末に。
いや、凄絶という言葉では足りないかもしれない。虐待には複数の男が関与していた。
ミミはジュニアアイドルであった、らしい。芸能界に詳しくない俺は「渡辺美海」という名前を知らなかったが、その可愛らしいルックスである程度のファンはいたようだ。中には熱狂的な信者もいたらしい。
そして、マネージャーでもあった父親は――彼女を芸能関係者や一部のロリコンのファンに「売った」。
ミミによく似ていたらしい母親は、早くに亡くなっていた。父親の酷く歪んだ愛情と倫理観を止めることができる人間は、どこにもいなかった。
ミミは、それでも耐えた。「パパが喜んでくれるなら」と、気丈に耐えた。だが、幼い彼女の心が壊れるのに、それほど時間はかからなかった。
拒食症となり、アイドルとして活動できなくなった彼女を、父親はなおも「売った」。骨と皮だけになり、客が取れなくなった後は自分が犯した。
そしてある日……全てを失った父親は、ミミの首を絞めて殺した。
その時の彼女の絶望がどれほどだったかは、考えたくもない。確実に言えるのは、渡辺美海の恵まれた容姿は、彼女にとって災厄の源でしかなかったということだ。
*
俺は茜色の空を見上げ、ふうと息を付いた。そんな滅茶苦茶な境遇の人間が日本にいたなんて、考えたこともなかった。
母親とその恋人からかなり徹底したネグレクトを食らっていた俺の家庭環境も大概に底辺だと思っていたが、下には下がいるものだ。
「連れ戻しに、来たんですか」
ミミがやっと口を開いた。俺は小さく頷く。
「ああ」
「私の『前世』の話も、聞いたんですか」
「……まあ、な。一つ、いいか」
「え」
「ミミだけ俺の前世を知らないのはアンフェアだから、先に俺の話をさせてくれ。ああ、ハンスとジャニスお嬢様の許可はもらってる。もう互いの『前世』を詮索しないという規則に意味はなくなっちまったからな」
ミミは虚ろな瞳のまま、彼方を見つめている。俺は構わず話を続けた。
「俺の前世での名前は『高松裕二』だ。19の時に、半グレ同士の抗争に巻き込まれてな。幹部逃がす囮になってたところに、腹を刺されて死んだ。まあ、無様な死に方だよ」
「……」
「生まれたのは底辺の家庭でね。兄貴がいたらしいが、病気か何かで俺が生まれた直後くらいに死んじまったらしい。本当に病気かも怪しいんだけどな。
気が付いたときには、母親は男と遊び歩いててずーっと放置されてた。本当は勉強とか色々やりたかったんだけどな。金がねえとか何とかで、そんな機会もなかった。
結局、どうしようもなかったんで俺は楽な方に流れた。まあ、権力のある奴の金魚の糞さ。で、流されるまま半グレになって、それもパッとしなくて、まあご覧の有様だ」
「……何が言いたいんですか」
「俺が転生した意味、だよ。ハンスが言うには、転生者は多かれ少なかれ強い『無念』を持っている、らしい。ああすりゃ良かった、こうすりゃ良かった。こんなことをしたかった――そんな無念を抱えた若い人間だけが、この世界に転生している。
どうしてそうなのかは分からない。イーリス神かアザト神の思し召しなのか、そもそも全然違う理由があるのか……まあ、そんなことはどうだっていいや。
俺も、ハンスに言われてようやく考えたんだよ。俺がここにいる意味を」
「……」
ミミがこちらに少しだけ顔を向けた。俺は小さく頷く。
「俺は、多分『学びたかった』んだろうな。この世の理とか、社会のあれこれとか。
学校の勉強は全然できなかったけど、そりゃ塾に通わず参考書もない状態でできるわきゃない。多分、そういうチャンスがあれば、俺はもっと自分で動いてたんだと思う。
なろう小説を読んで、こんなチート能力があればとか色々思ったよ。それは結局、俺に力がなかったから――さらに言えば、力を得る機会がなかったから。本当は色々学んで、力を付けて、あの底辺から抜け出したかった。どこかでそれを諦めていただけでな」
「……だから、本を?」
ミミがジャニス邸の図書室のことを言っているとすぐに分かった。「そうだ」と俺は答える。
「何やかんやで、転生してよかったとは思うよ。本当なら『浄化』されて、俺の自我は消されてたわけだけどな。とりあえず、やり直すチャンスはもらえた。
セルフォニアのこととか、あのエネフの大穴のこととかあるから、この世界で転生者が危険視されるのも分かる。ただ、何やかんやでやり直す機会を与えるために、こうやって転生させられたんだろうな。あの爺がそんな善神とも思えねえけど」
俺はミミの目を見た。
「ミミにとって、転生した意味は何だ」
「転生の、意味……」
「ああ。多分、あるんじゃないか」
しばらく考えた後、ミミはぽろぽろと涙を流し始めた。
「……私は……私は、誰かに愛して、もらいたかった……本当の意味で、ちゃんと必要とされたかった……!!
私を傷付けなくて、本当に私のことを思いやってくれる人に……そんな人に、出会いたかったんです……!!」
次の瞬間、俺は思わず彼女を抱きしめていた。
「……え」
「きっといるさ。この世界になら」
「……!!」
「ここは日本じゃない。ミミを殺した父親も、ミミを買った外道も、ここにはいない。ミミのルックスだけを目当てに群がる馬鹿なロリコンもいねえ。
まっさらな状態なんだよ。俺も、ミミも。この世界のルールに合わせなきゃいけねえし、ルール違反は即アウトだけど……逆に言えば、それさえ守れば、俺たちはやり直せる。
ミミをちゃんと必要とし、愛してくれる人間は、必ずいるさ。あの聖女様とか、その1人なんじゃないか」
「……はい」
喋りながら、俺も泣いていることに気付いた。
ああ、これはミミにだけ言ってるんじゃない。俺が、俺自身に対して言っているんだ。ここでやり直せると。
しばらくの間、そうやって互いに泣きながら抱き合っていた。不意に、ミミが潤んだ瞳で俺を見上げる。
そして、戸惑いがちに口を開いた。
「……ユウ君も、私を、愛してくれる?」
「……ミミ?」
ミミは目を閉じ、顔を近付けてくる。キスとか、マジか??
……いや、そういうことじゃない。ミミのことは好きだが、正直そういう意味かと言われると全く自信がない。
そもそも俺のようなカスが、ミミに愛される資格があるとも思えない。こいつには、もっと相応しい相手がいるはずだ。これは、ただの気の迷いだ。
ただ、ここで彼女を受け入れたいという衝動もある。
どうなんだ、どうするのが正解なんだ。
その時、視界の端に違和感があった。俺はミミを離し、丘の向こうを見る。
「……ユウ君?」
「ミミ、あれを見ろ」
レイモンドの街の方に、うっすらと紫色の何かが見える。遠すぎてここからじゃ全く見えない。
ただ、それがゆっくりと近づいてきていることだけは分かった。
……あれは、まさか。
誰かがこちらへと駆けてくるのが分かった。茶色の髪に猫耳の女性……ラスカだ。
「ユウさん!!ミミさん!!すぐに戻ってください!!『ジェノサイバー』が――ザッシュがこちらに向かってきています!!」




