日常3-3
「すみません、その『ジェノサイバー』って何ですか?」
ミミが恐る恐る訊いた。外の空気はさらに紫がかっている。見るからに毒々しい感じだ。
「今日は一段と濃いな」と呟き、レナード博士がお茶を飲む。
「実のところ、それを見た生存者はおらんっちゃ。居住可能区域外に出てそいつと出くわしたのがおったが、変異が酷くてすぐに死んでもうた。そいつが事切れる前に『魔獣に遭った』と言ったから、便宜上魔獣――『滅びを呼ぶ者』、ジェノサイバーと呼んどる。
多分瘴気の濃い場所でしか生きられんのやろ、レイモンドの街までは来たことがないっちゃ。居住可能区域の領域近くまでは来るけど、いつも諦めたようにそこから引き返す。1カ月に1回ぐらい、そんなことが起きとる」
「……数カ月前から、と言ってましたね。原因に心当たりは」
ハンスの言葉に、博士がちらりとラスカを見た。
「……ないとは言わんと。ラスカの恋人を殺し、大穴方面へと消えていったあの転生者――ザッシュとか言ったか。あいつがいなくなってから、ジェノサイバーは現れるようになったっちゃ。
とはいえ、ただの偶然かもしれん。実のところ、ジェノサイバーが現れたのは今回が初めてじゃないんや」
「ほう?」
「過去にも2回ほど……レイモンドの街ができた当初の35年ほど前と、20年ほど前か。そのぐらいにジェノサイバーによる被害はあったんや。
20年前の方は俺も駆け出しの頃に探査隊に混じったからよく覚えとる。マナキャンセラー――当時は『魔力緩和装置』と呼んどったな――それの開発に取り組み始めたのもその頃たい。
あいつの瘴気で結構な仲間が犠牲になったわ。俺も軽くやけど変異は受けたっちゃ」
「それは初耳ですね。確かにここに長期滞在されている以上、変異は受けていておかしくはないと思ってましたが」
「まあ人に見せるもんでもなか。それに、俺もそう長くなかよ」
「……は?」
博士が苦笑した。
「変異は確実に俺を蝕んどる。正直、オルカ茶を飲まんともうまともに身体が動かん。あんたらとこうやってまともに話せるのは、多分今回が最後や」
「医者にはかかっているんですか」
「ちょっと前に診て貰ったわ。シャキリには『転移性の皮膚癌』とか言われたな。あいつも匙投げたぐらいや、まあもって半年ってとこやね」
「シャキリ……シャキリ・オルドリッジですか」
ハンスの表情が露骨に渋くなった。ジャニスの顔も険しくなる。
「あの男はどこなの」
「知らんちゃ。病人治せれば善悪関係ない男やからね。あんたらはあいつを転生者と疑っとるけど、俺はあいつは転生者であっても許されると思っとるよ」
「許されるわけがないでしょ!!ハンス、貴方も知ってるでしょ、あの男がグランを治した!!貴方は確かに、あの男に致命傷を……」
ハンスが「ジャニス」と彼女を制した。
「ハンス……」
「今はその話をする時じゃない。レナード博士の身体を案じるのが第一でしょう。違いますか」
「……そうね。博士、ごめんなさい」
博士は苦笑すると、軽く咳き込んだ。掌にはうっすらと紅いものが見える。
「……ええっちゃ。グランに対する恨みは俺も持っとる。シャキリにもわだかまりがないわけじゃない。ただ、あの男にはあの男なりの哲学があるのも、また確かたい。
まあ、あんたらがこの稼業を続けていれば、いつか必ずあの男に会うやろ。その時に直接問いただせばええっちゃ」
「でしょうね。皮膚癌、ということは変異は肌の部分ですか」
「まあそういうことやね。背中の部分が黒い鱗のような何かで覆われとる。見るか?酷く汚らわしいが」
「……いや、遠慮しておきます。ラスカを助手にしたのは、貴方の後継にするためですね」
「そういうことっちゃね。冒険者にしとくにはもったいないわ」
無表情だったラスカの顔色が、少しだけ赤くなった。博士はふっと笑い、話を続ける。
「まあ、話をジェノサイバーに戻そか。あれがザッシュと関わりがあるかは俺には分からん。ただ、20年前の時は1~2年でジェノサイバーは消えた。今回もそうやろ。俺らにできるのは、こうやって家にこもるぐらいしかできん。
それでも瘴気は入ってくるから、大型のマナキャンセラーで多少浄化せんとあかんけどな」
「大型の導入は進んでいるのですか」
「おかげさまでな。瘴気を多少薄くする程度やから、あんたらに依頼されているように完全無効化とはいかんけどな。俺が死ぬまでにレイモンドの街全体に配備されりゃ、多少はここも暮らしやすくはなるたい。
ちょっと話が長くなったわ。ラスカ、鍋準備してくれるか?」
ラスカが「分かりました」と厨房に戻ると、ミミが「私もお手伝いします!」と後をついていった。それを見やって博士がハンスに訊く。
「あの子がミミか。会うのは初めてやったな。恩寵の暴発は今のところ大丈夫か?」
ハンスが俺を見た。
「ユウ、貴方の意見は」
「え、俺?」
「クリブマンの一件。ダミアンを『一度殺した』のは彼女の『ハムラビの定め』でしょう。貴方の目から見てどうでした」
俺はあの時のことを思い出した。確かに威力はとんでもないものだった。彼女の恩寵に恐怖心を感じなかったかと問われれば自信がない。
ただ、ミミは決して俺を巻き込もうとはしなかった。話に聞いていた、無差別に全てを喰らい尽くすようなものではなかったように思う。
「……完全に制御できているかと訊かれると自信はないけど……少なくとも、俺を食らおうとはしてなかった。
あいつは臆病だし、人の害意に敏感な気はするけど、少しは信用してやってもいいんじゃないか」
「……なるほど。お嬢様の意見は」
ジャニスは「私はずっとそう言ってるわ」と即答した。
「あの惨劇を見たから慎重になる気持ちは分かる。あの子の心の傷の深さからくる不安定さも分かる。
でも、彼女ももう17歳よ。クリブマンの件からも分かるけど、もう私たちが縛り付けなくても大丈夫」
「それもそうですな。……博士、彼女の義体ですがリミッターの解除をお願いできますか」
博士が「いいのか」と訊いた。
「無論、アルヴィーン大司教の許可を取った上です。そもそも、彼女も今の義体に3年もいて窮屈さを感じているでしょう。若い女性の受肉対象はほとんど出ませんし」
「ふむ……いっそのこと、義体そのものを代えるか」
「え」
ハンスが珍しく少し驚いている。博士がニヤリと笑った。
「義体については少しずつ改良を加えとるんよ。ミミについては再受肉先がなかなか見つからんとずっと聞いとったから、これまでのような獣人を基礎としたものから人間に近いものに変えられんか試しとった。もうちょいでできるはずたい」
俺は思わず声を上げた。
「……ちょっと待ってくれ。義体って、あんたが開発したのか!?」
「そうたい。厳密に言えば、開発者の1人っちゃ。生命への冒瀆やら何やら言うけど、これは一種の『仮住まい』たい。生かすに値する転生者なら、その命を無駄にせんことも神の思し召しに沿っとるんやないか」
「俺の身体も、その新しいのに代えて貰うことはできるのか!?」
「そりゃ無理たい。新型は女性の義体っちゃ。男性の義体を作れ言われれば作るけど、金と時間がかかる。何より、俺にはもう時間がなか。
君は素直に再受肉相手が出てくるのを待つべきっちゃね。女性の転生者が悪さするより、男性が悪さする可能性の方が遥かに高いわけやしな」
俺は溜め息をついた。なかなか人間の身体には戻れないらしい。優先的に再受肉先を探すというハンスの言葉を信じるしかないか。
博士が言うには、あと1カ月ほどすれば最終調整が終わるらしい。その時にまたレイモンドに来て欲しいということだった。
厨房にいるミミにはこちらの言葉が聞こえてないのか、楽しそうに鍋の準備をしている。
彼女の姿が変わった時、俺はどうなるのだろう。今の彼女は彼女でいいと思うのだが。
俺は首を振った。これじゃ俺がまるで恋しているようじゃないか。
気分を紛らわせるため、もう一度窓の外を見た。まるで紫の霧がかかっているように、視界がほとんどなくなっている。しばらくすれば消えると言っていたが、流石に不安になってきた。本当に大丈夫なのだろうか。
*
結論から言えば、大丈夫ではなかった。レイモンドから戻って約1週間後、俺たちは再びかの地に向かうことになる。
その目的は……「転生者ザッシュ・ラブの討伐」だ。




