日常3-1
「旅の支度をなさい」
クリブマンから戻って3日。大きな鞄……というかスーツケースを持ったジャニスが俺に言った。
「旅?また依頼ですか」
「貴方、人の話を聞いていなかったのね。ハンスが貴方たちを『エネフの大穴』まで連れて行くと言ってたでしょう?
一週間以上の長旅になるわ、最低限替えの服だけは用意してきなさい。30分後には迎えの馬車が来るから、可及的速やかにお願い」
ジャニスはそう冷たく言うと、部屋を出て行った。そう言えば、確かにそう言っていた気がする。
適当に着替えを鞄に詰め込み玄関に向かう。俺以外の3人は既に用意ができていたようだった。ハンスはいつもの執事服、ジャニスも赤いドレスだ。いつもよりは気持ち露出度が高いような気がする。
ミミはというと、例のメイド服……ではなく可愛らしいワンピース姿だ。こんな服もあったのか。
ハンスが少し不機嫌そうに俺を見た。
「遅いですね、もう少し早くして頂きたいものですな」
「急に言われたから、仕方ねえだろ。で、どこにあるんだよ、その『エネフの大穴』は」
「カルディア西部です。カルディアの首都グリーブからさらに半日かければ、居住可能区域の終点です。そこから先はあまりに危険が大きく、到底人が住める場所ではない」
「……は?」
「私たちが行くのはグリーブの先、居住可能区域の終点の街で探査隊の前線基地『レイモンド』。そこに私が会いたい人物がいましてね。
これは単なる貴方たちに転生者が何故疎まれているかを説明するための旅ではありません。むしろ本筋はこちらにある」
「誰なんだ、そいつは」
ハンスは薄く笑った。
「私たちの協力者の1人。科学者であり冒険者でもある男――レナード・ワイルダー博士です」
*
「やっと着くのか」
ヴァンダヴィルを出て3日。早馬車を乗り継ぎ、やたら長い橋を渡り、大きめの街を通り過ぎた先にレイモンドはあった。
見た感じは西部劇に出てくるような荒野の街をもう少し大きくしたようなものだ。通りにはいかにも武骨な剣士や戦士風の男たちで賑わっている。女性もいることはいるが、いずれもかなり鍛え上げられた感じの人ばかりだ。
そして……そのほとんどが「人間ではない」。いや、角や尻尾、あるいは鱗肌など人間にはまずないような特徴を持っている、といった方が正しい。
「ジャニス様、これって……」
不安そうに言うミミにジャニスが小さく頷いた。
「ええ。ここに来る途中に話した、『瘴気』の影響よ。私たちもここに1週間もいれば、何らかの『変異』を受けることになる。長居はしないわ」
俺たちは「エネフの大穴」についてざっくりとだが話を聞いていた。何でも今から70年ほど前に、エビア大陸のさらに西、エネフ大陸で勃発した大戦の名残なのだという。
その詳細は未だに分かっていないことが多いらしい。ただ、既に知られていることが幾つかある。
その大戦が転生者によって引き起こされたということ。そして、ある転生者が発動した恩寵によってエネフ大陸のほぼ全てが消失し、代わりに地の底まで続く大穴ができたということ。
そして……そこから生じる「瘴気」は、全ての命にとっての毒であり、災厄そのものであるということだ。
「エネフの大穴」について語ることは一種のタブーであるらしく、俺が受肉したマルコ・モラントも知らなかった。各国とイーリス教会の上層部が、その件に関する情報を独占しているのだそうだ。これは市民の過度の動揺を防ぐための措置、であるらしい。
そして、その代わりに転生者への統制はかなり厳しくなった。「転生者狩り」が教会主導で進められるようになったのも、これが原因という。
とはいえ、どうして転生者がそこまで疎まれねばならないのかという理由は話を聞いてもどうもピンとは来なかった。
今は少し分かる。街の路地をよく見ると、人間では完全になくなった「何か」がうごめいているような気がする。それを時折騎士団が運び去っていくのを、ここに来てからの10分足らずで既に2回ぐらい見ていた。
「なあ、あれは……」
「『終わった者』、ですね。居住可能区域の先は瘴気が濃い。魔力の塊である『魔石』の純度が高いものも多く取れますが、半面危険性も高いのです。
瘴気を長く浴び続けたり、濃い瘴気を吸うとああいうように『人間でない何か』となってしまう。そして、その寿命も極めて短くなる」
何かの漫画で見た「なれ果て」みたいなものか。俺は勝手に納得した。
ジャニスが眉をひそめた。
「ごくゆっくりだけど、徐々に瘴気は後退しているわ。大昔は今のカルディアの半分ぐらいが人が住めない土地だったけど、今はここまで押し戻してきた。
それでも、ここで生きていくのは大変よ。高純度で大型の魔石はとても需要があるし、高価で売れるから一獲千金を夢見る冒険者は後を絶たない。それでも、瘴気は彼らの命を確実に蝕んでいく」
「これがハンスが言ってた、『今でも悪影響を及ぼしている』ってことか」
「そういうこと。で、今日はそれを食い止めようとしている人物に会うわけ」
「レナード博士、か」
「そ。そろそろ着くわよ」
馬車は街の中では大きめの建物の前で止まった。「レイモンド統治府」とある。
馬車が来たのを察したのか、すぐにその入り口から2人の人物が出てきた。1人は白衣を着た白髪交じりの男だ。眼鏡をかけてニヤニヤと笑っている。もう1人もやはり白衣を着た女性だ。こちらは猫耳っぽい耳だが、いわゆる獣人なのだろうか。
馬車を降りると、白髪交じりの男がこちらに向かって歩いてくる。そして、ハンスに手を差し出した。
「遠い所難儀やったなあ。ささ、こっちに入りや」
「ご無沙汰をしてます。お元気そうで何より」
「はは、まあ何とかな。『例のモノ』は実証実験中たい。量産化と小型化はまだまだかかるけど、お陰様で少しは進んどるよ」
俺はハンスを見た。
「このおっさんが……」
「ええ。レナード・ワイルダー博士。エビア大陸最高の頭脳にして、私たちの協力者。そして、対転生者の切り札『マナキャンセラー』の開発者です」




