3-11
ひどく重い空気が、俺たちとテーブルの向こうにいる男の間に流れていた。ダミアンは相変わらず何を考えているか分からない微笑を浮かべ、俺たちの方を見ている。
「ユウ君……」
「大丈夫だ、心配要らない」
俺は自分に言い聞かせるようにミミに告げた。
あのダリルと「龍の巫女」が大臣を叩き斬り、ケルヴィンを連れて出て行ってからそれなりに経っている。ここに時計はないが、10分以上は経っただろうか。
あいつらはまだ戻ってこない。俺たちの「処理」は、もう少し先だとダミアンが言っていた。それまではひとまず、俺たちが殺されることはなさそうだった。
ミミを連れて逃げることは何度も考えた。だが、全く成算が見えない。俺だけでも厳しいのに、ミミを護りながら逃げるのはあまりに非現実的だ。
さらに、このダミアンだ。こいつが何か力を見せたわけじゃない。ただ、俺は前世の経験で、本能的に「こいつはヤバい」と感じていた。
半グレ連中の中で生き残るコツは、喧嘩を売っていい相手と絶対に売ってはいけない相手を見極めることだ。そして、後者からは逃げるか、さもなければ決して攻撃されないよう媚びを売りまくる。
俺はそうやって生き抜いてきた。にっちもさっちも行かなくなり、無茶な命令を押し付けられるまでは、それでそれなりに何とかやっていけていた。
転生して出会ったハンスは、今までで最もヤバい奴だという予感がした。実際にそうだった。魔法使いなのか何なのか知らないが、あいつのスピードは明らかに異常だ。ひょっとすると俺と同じ転生者なんじゃないかと思い「魂見」を使ったくらいだ。実際は違ったわけだが。
……この目の前の男には、それに近いモノを感じる。ハンスほどじゃないかもしれないが、絶対に今の俺では敵わない相手だ。「マルコ」の身体だった時でも、多分そう思っただろう。くぐってきた経験値が、恐らくは全く違う。
ダミアンが急に「ふふっ」と笑った。
「……何だよ」
「いや、よく逃げないでいるものだなあってね。恐怖ですくんでいると思ったが、まだ心が折れている感じでもない。何かしらの希望を、まだ持ってるのかな?」
俺はそれに答える代わりに、ダミアンを睨んだ。奴がニヤリと笑う。
「まあ見当は付くよ。ジャニス・ワイズマンとハンス・ブッカー。彼らが何とかしてくれると思ってるんだろ?君らがフリード皇太子と通じているなら、それが一番自然だ。
だが、彼らはダリルとクミンには勝てない。いかに奴らが怪物でも、所詮は人だ。龍には勝てないよ」
「それはどういう……」
その時外が一気に騒がしくなった。振り向くと、体長3~4メートルはありそうな龍が何匹か羽ばたいているのが見える。血の気が一気に引いた。
「……あれは、まさか」
「そう。龍の巫女クミンが呼び寄せた同族だよ。彼らの目的は元からクーデターにしかない。ケルヴィン王の言うことを聞いていたフリをして、龍族の非主流派を始末してただけだ。そして、今は仕上げの段階というわけだね」
「……全部、お前が糸を引いていたのか」
ククク、とダミアンが愉快そうに嗤う。
「僕はただ、彼らに教えただけだよ。『別々の種族に転生してしまった君たちがもう一度一緒になるには、クーデターを起こして国の形を変えてしまうしかない』ってね。それ以上のことは、僕はほとんどやっていない。
何より人と龍の融和は、元々ダリルとモブリアナがうっすらとだけど望んでいたことだった。こういう形ではないにせよ、クーデターか龍の侵攻は時間の問題だったさ」
「……転生前の……『前世』の記憶を、何故お前が」
「フフフ……それはこの身体の持ち主に聞いてくれ。それは僕の『恩寵』によるものじゃない」
ミミが「『読み手』だわ」と呟いた。……あの、カルという奴と、同じ力をこいつは持っているのか!?
ダミアンの笑みが深くなった。
「そこのウサギはさすがに知ってたか。まあ、あのカル・アルヴィーンと知り合いじゃないわけがないからね。君のことは話には聞いてるよ、『元聖女様』」
「……えっ」
「まあ、僕も喋りすぎだな。悪い癖だ」
そう言うとダミアンは肩を竦めた。随分おしゃべりな奴だな。
再び外から怒号が聞こえた。何かが爆発するような音の後、大勢の人々の叫びと悲鳴、そして剣がぶつかり合うような金属音がここまで響いてくる。
ダミアンが「始まったねえ」と暢気に言う。
「そのうちここにもダリルに味方した市民が雪崩れ込んでくるだろうねえ。そうなったら、僕はここから去らせてもらう。君らの命を奪うのは、僕じゃない。無垢で無知な市民さ」
俺は恐怖で震えているミミを見た。確かこいつの恩寵は……人の悪意や害意を、数十倍にして返してしまうというものだ。もし、こいつの言う通りになるとしたら……
3年前、ミミは十数人も殺したという。もしハンスたちが来なかったら、被害は10倍、いやそれ以上になったかもしれないと聞いた。
そして、ハンスとジャニスがここに来る保証は、ない。それが意味するところは、つまり……
「……やめろ」
ダミアンが首を傾げた。
「何を?命が惜しいのか?」
「違う。大勢の人が死ぬぞ。もちろん、お前もだ」
「……は?まさか、そこの『元聖女様』の恩寵をあてにしているのか?義体に封じられている以上、死んでもせいぜい数人だろ」
違う。ハンスとジャニスのあの口ぶりからして、義体に封じられてなお、ミミの恩寵「ハムラビの定め」は危険なのだ。ほとんど使い物にならなくなった、俺の「錬金術師の掌」とは違う。
しばらくの沈黙の後、ダミアンの表情から、初めて笑みが消えた。
「……どうやら、想定した中でのワーストケースみたいだな。万一のことを考えて、彼女に手を出さなくて正解だった」
そう言うと、奴は俺に右の掌を向ける。
「『元聖女』は連れて帰る。お前だけ、先に逝ってろ」
何かが俺に当たる感触。直後、急に意識が遠くなった。いや、これは……「意識だけが、何かに引っ張られている」。
この感覚には覚えがある。
「……『吸魂魔法』かっっっ!!!」
俺は気合いを入れ、意識を保とうと粘る。そして、奴から距離を取ろうと脚に力を入れ……床をゴムへと、一瞬だけ変えた。
ダッッ
俺の身体が大きく跳ねる。一瞬だけとはいえ、床をトランポリンへと変えたのだ。この貧弱なテディベアの身体でも、3メートルほど一気に飛べた。
ダミアンが少し驚いた様子で俺を見る。
「レジスト、された!?」
「……生憎だったな、俺にはどうやら『吸魂魔法』とやらの才能があるらしくてね。普通の人間よりは、そいつに抵抗力があるらしいんだよ。というか、お前も俺と同じかっ」
「……違うな。お前に種明かしをするつもりはない、とっとと消えろっ!!」
再び目に見えない何かが俺に当たる。さっきよりもより激しく、俺の意識を引っ張りだそうとしている。
吸魂魔法は触れないと使えないとは聞いていたが、こいつは違うのか!?とにかく、意識を失ったら死だ。何とか抵抗しないと……
俺はもう一度床をゴムに変えて跳躍する。距離を取れば一度は効力が鈍った辺りからして、アレには射程範囲のようなものがある。多分、最初さえ耐えれば何とかなる代物のはずだ。
さらに距離を取ると、10メートルほど先のダミアンがはっきりと苛立った表情に変わった。
「……癪に障るな」
外からはドノムらしき男の声が聞こえてくる。何を喋っているかは鮮明には聞こえないけど、外のざわつきがやや収まったように思えた。
ダミアンがロッドのような物を取り出し、俺に向けた。
「こんな雑魚に使うのは惜しいが、確実に終わらせるか……『ソウルドレイン』」
ロッドが激しく赤色に光り出した。まずい、何かしようとしているっ!!
しかし俺の後方に、もはや飛び退くだけのスペースはない。……ここまで、か。
諦めかけた、その刹那。
「やめてええええええっっっっ!!!!!」
ミミが叫ぶ。そしてミミの後方から黒い巨大な何かが現れた。
そこから無数の黒い腕が凄まじい速さでダミアンへと向かっていく。
「な!??」
無数の腕はダミアンを捕まえると、そのまま物凄い勢いで奴ごと壁を突き破っていく。そして……
ドゴオオオオオンンンッッッッ!!!!
後に残されたのは、壁に空いた巨大な穴と、泣きじゃくるミミだけだった。




