3-2
翌日、私たちはクリブマンに向かう汽車にいた。クリブマンはヴァンダヴィルから南西に約2000キロ。自然豊かな南国の街だ。
キャルバーンの首都オルファからは北に500キロぐらいに位置する。レヴリアとの往来も活発で、国境をまたいだ国際鉄道が通っている。
もっとも、この文明レベルでの2000キロは相当な長旅だ。デルヴァーと違い、一度宿泊のための休憩を取らねばならない。1等客室であっても乗り心地は決して良くはない。案の定、長旅に慣れていないであろうユウは疲れからかぐったりしている。
「いつになったら着くんだよ……新幹線なら半日もありゃ着くだろ」
「『異世界』のことはあまり人前で話すべきではありませんよ。それに、文明の水準が大分異なるのです。郷に入っては郷に従え、そういうことです」
「それにしても長えよ……」
ユウはうんざりしたかのように車窓の外に視線を移す。ミミはというと、ジャニスの膝の上ですうすう寝息を立てている。ジャニスも3時間ほど前から眠ったままだ。
私は暇潰しに持ってきたキャルバーンの歴史書を開く。キャルバーンは100年ほど前までオーガやオーク、そして人間とが争う蛮国だった。そこに「古龍」も介入し、全く収拾が付かない戦国時代が長く続いていたそうだ。
それを終わらせたのが「ヒロセ」と名乗る軍法家だった。その男は4年に1度の武術大会で氏族の序列を決めることを提案し、巧みな交渉術でそれを飲ませた。それが現代にも続く「エビア大武術会」の原型なのだそうだ。
キャルバーンでは現在もなおその予選である「キャルバーン武術会」で政権が決まっているという。それが「選王国」と呼ばれる所以だ。複数いる各地方の選王は、自らが政権を取るために戦士を鍛え上げ、そして戦わせる。目の前のこのオーガも、その一人というわけだ。
そのオーガ――ドノム・ミルーザは何度も読まれてボロボロになった本をゆっくりとめくっている。「ヒロセの兵法書」と表紙には書かれている。
ヒロセは彼の死後に転生者であることが分かった。その後、彼の書物は禁書として流通が禁じられている。ただ、救国の英雄としてキャルバーンにおける彼の人気は極めて高い。「キャルバーンでは一家に1冊はあるものでござる。ただそれを隠しているだけに候」と、昨日ドノムは話していた。
実のところ、「ヒロセの兵法書」は我が家にもある。無論、目は通している。「葉隠」と「孫子」を混ぜたような内容ではあるが、独自の考察なども混ざっており確かに注目に値する本だ。
転生時期と名前からして、「ヒロセ」は恐らく日露戦争で命を落としたかの「軍神」か、あるいは彼に憧れた人物であろう。まだ転生者に対する取り締まりが十分でなかった時代に現れた傑物であったのは疑いない。
「ハンス殿」
急に呼びかけられ、私は少し驚きながら視線を上げる。ドノムはいつの間にか読書を終えていたらしい。
「どうしました」
「一つ、長年疑問に思っていたことがこれあり。ハンス殿のご見解を伺いたく候」
「疑問?」
「ええ。ヒイロ殿からはハンス殿は知恵者と伺っております。故に、拙者の疑問の答えもお持ちかと」
「買い被りですよ。一応、お聞きしましょうか」
ドノムは「ヒロセの兵法書」を開いて、その一節を指さした。
「『武士道とは死ぬことと見つけたり』。これがどうにも腹落ちせぬのです。死んでしまっては何の意味もないのではないかと。
忠義も信念も、大事とは心得ております。しかし、死んでは元も子もない。この一節だけが分からぬまま、20年以上も懊悩してきたのでござる。ハンス殿はどう思われますかな」
「……実際に死ね、と言っているわけではないですな」
「というと」
「武士――戦士たるものいつ死ぬか分からない。その覚悟を不断に持つことで、常に最善を尽くすようにせよ。これはそういう教えですな」
ドノムが一瞬呆気に取られ、その後「そうか、そうであったのか」としきりに頷いた。
「いや、そのような教えであったとは……拙者も長年勘違いしておりました。ハンス殿も『ヒロセの兵法書』を読まれていたのですかな?」
「はは……まあ一応」
厳密にはその元ネタの「葉隠」を大学時代に読んでいたからだが、それは言うことではないので伏せた。
「にしても、唐突な質問ですね。質問の意図とは?」
「……戦士の仕事は、戦いに勝つこと。それだけを目的に、拙者たちは日々鍛錬を続けるのでござる。しかし、負けて死ねと命じられた時、どうすべきなのでしょうな」
「……最近、そのようなことがあったと」
小さくドノムが首を縦に振った。
「我々にとって、キャルバーン武術会で勝つことは何よりも優先されることでござる。それで国の在り方も変われば住む州の境遇も変わる。勝つことが選王への奉公なのでござる。
拙者も過去3回、本選に出場し全て2位の成績を収めたでござる。次こそは頂点を、と思っていた矢先、選王陛下から『次の選抜会ではダリルに負けよ、そして死ね』と……」
ダリルがドノムが長年手塩に掛けて育てた戦士であることは、昨日聞かされていた。それが「浄化」を依頼した理由とは聞いていたが……これは初耳だ。
「……穏やかではありませぬな。それは急に?」
「その通りでござる。そして、陛下は先ほどの『ヒロセの兵法書』を持ち出され、『戦士は死ぬべき時に死ぬものだ』と仰られた……この真意を、拙者ははかりかねておりました。ただ、ハンス殿の言葉で合点が行ったでござる」
「選王はわざと誤ったことを伝えた。そして、何らかの謀がある……そういうことですな」
ドノムが目を閉じた。
「今の選王陛下――ケルヴィン陛下は、どうも拙者が邪魔なようでござる。ダリルの中にいる転生者が働きかけたのか、それとももっと別の何かがあるのか……。
昨日話に出た『もう一人の転生者』が鍵を握っているのではないかとは思いますが、その点もご留意いただきたく」
「選王自身が転生者である可能性は」
「どうでしょうな。……ここだけの話、先王陛下と違い、3年前に即位されたケルヴィン陛下と拙者とはあまり折り合いがよくないのでござる。
その可能性を否定はしませぬが、背後に別の誰かがいるというのが私見でござる」
これは一筋縄ではいかない案件のようだ。ユウとミミを連れてきたのは早計だったかもしれない。
「別の誰か、とは」
「学も知能もない拙者には分かりませぬ。拙者にとって、武のみが人生だった故に……」
車窓の外を眺めていたユウがこちらを見た。どうも今のやりとりをちゃんと聞いていたらしい。
「なあ、その選王ってのには簡単には会えないのか」
「難しいかと。拙者とはあまり会いたがらないようですし」
「それは何となく分かった。だが、ハンス様ならできるんじゃないか?ほら、フリード陛下の友人なんだろ」
私は首を横に振った。
「できなくはないですが、私もお嬢様もそれなりに名が通っております。もしケルヴィン陛下が転生者と通じていた場合、間違いなく警戒されるでしょう。話が大事になりかねない」
「……なるほどな。とすると、潜入か……」
「誰が、どうやって潜入すると?そもそも、警備態勢はそれなりでしょうに」
「まあ、それもそうか……あ」
ユウがぽんと手を叩いた。
「なあ。俺のこの身体……義体で歩き回ってる転生者って、どれだけいるんだ?」
「ほとんどおらぬはずです。そもそも、祓い手に『保護』されている転生者自体、貴方とミミ含めてレヴリアには多分20人もおりませぬ。キャルバーンはもっと少ないかもしれませぬ。外出が許されている転生者は、いても極めて稀かと」
「つまりあれだ、新種の知的生命体、で通すことも可能っちゃ可能なんだな」
「……何が言いたいのです」
「ちょっと考えがあるんだ」
ユウがプランを話し始めた。リスキーではあるが、確かに筋は通る。しかも、魔獣が多いキャルバーンだからこそ成立する計画だ。一考には値する。
「……なるほど。中間宿泊地のハイオで、お嬢様とミミも交えてもう一度話し合った方が良さそうですな」
「ダメか、やっぱり」
私はニヤリと笑う。
「いえ、まだ粗がある、ということですよ。貴方とミミが新種の魔獣を騙り、その上でケルヴィン陛下に謁見を試みる……なかなかに面白い」