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「……クソッ」
あたしは天井を見ながら悪態をついた。
水風呂に沈み、「ライブ」で火照った身体と頭を冷やそうとしたが、なかなか収まらない。
理由は明白だ。歌劇場から逃げ出した、あの二人組を捕まえられなかった。異常な速さで動く男はもちろん、扉を一瞬で破壊したあの女も只者じゃない。しかも、あたしの「恩寵」――「偶像の甘き調べ」も効いていなかった。
恐らく、いや間違いなくニコラスが新たに依頼した「祓い手」だ。それもこれまでの2人よりさらに格上の奴らだ。
ひとまずは撃退した。逃げた先もおおよそニコラスの家だろう。ニコラスを殺すわけにはいかないけど、今晩にでも「信者」を使って襲わせようか。
……それにしてもイライラする。「こっち」に来て、あたしの行く道を妨げる者は皆無だった。ニコラスが「マリー」を取り戻そうと色々やってきたけど、それも全部潰してやった。こんなに上手く行かないのは初めてだ。
あのジジイがくれた力――「恩寵」は無敵に思えた。あたしの歌を聞いた人間は、あたしの思うままに動く。あたしが「こうしろ」と思えば、彼らはそのように行動してくれる。
そうやってあたしはこの街の「アイドル――偶像」になった。この力さえあれば何でもできる。愛されることも、従わせることも、畏れさせることも。
幸い、あたしには元々作詞作曲の才能があった。これだけは誰にも負けないと、「前の人生」の時から自負していたものだ。これだけでもあたしは多数の「信者」を獲得できていた。
……あの事件で、全て失わなければ。
「偶像の甘き調べ」に、あたしが持っていた天性。これを以てすれば、デルヴァーみたいな小さな街を全て虜にすることなどたやすい。そして、そろそろあたしの中の「マリー」は消える。
あたしの計画は、万事上手くいっていた。……いっていたはずなのに。
あたしは水風呂の水面を両の拳で叩いた。バシャン!という音が歌劇場の浴室に響き渡る。
ほんっとうにイライラが消えない。物理的に身体を冷やしてもダメだ。ライブの後はロンナやミカ、ジェーンを抱いて発散させるのがいつものことだけど、今彼女たちを呼んでしまおうか。
「マリー様」
浴室の向こうからハスキーボイスが聞こえた。ロンナだ。
「ちょうどいいところに来たわ、あんたも一緒に入らない?」
「そうしたいのですが……ニコラス様から連絡が」
「チッ……いつものように無視しなさいよ。それより昂ぶりが収まらないのよ、早く入ってよ」
「それが……『これから死ぬから、マリーに来てほしい』と」
「……はぁっ!!?」
あたしは思わず浴室の扉を開いた。困惑した黒髪の少女が下を向いている。
「『午後3時に、ホープ峠で待つ』と……どうします?」
どう考えてもおかしい。確かにあいつのメンタルはボロボロだろうけど、自殺するような人間とは思えない。
多分、あの2人組が仕込んだ、見え透いた罠だ。おおかたあたしが来たところを捕まえようとかそういうことなのだろう。
もちろん、無視してしまえばいいだけのことだ。罠ならどうせニコラスは死にはしない。空振りに終わって帰ったところを襲えば何の問題もない。
だけど、それじゃつまらない。何より、この怒りを納める矛先が欲しい。ロンナたちを抱いてもいいけど、多分それじゃ足りない。
ならば、罠にかかったふりをして、勝ち誇ったあいつらを殺してやるのがいい。なぜかあいつらにはあたしの恩寵が効かない。強力な魔法も使えるみたいだ。ただ、それだけであたしをどうにかできると思ったら大間違いだ。
ニイとあたしは笑った。
「分かった。いいよ、これから向かおっか」
「夜の部の準備はどうするんですか?」
「そんなのどうだってなるわよ。それにホープ峠ならここから歩いて1時間ちょっとでしょ?ちょっとした気分転換ということでいいじゃない。
とりあえずあんたたちも来なさいよ。あとはそうねえ……あたしの『親衛隊』を30人ほどかしら。サプライズライブをやるのも面白いわねえ」
戸惑い気味のロンナの頰にキスをして、堂々とあたしはバスローブを羽織る。
勝ち誇っているあいつらを、そして今度こそ「マリー」を救えると思っているニコラスを絶望させれば、やっとこの火照りは収まるはずだ。
数の力には誰も抗えない。あいつらがどんな魔法を使おうが、あたしを浄化することなど不可能だ。あたしたちを目にした時のあいつらの顔を想像すると、笑いが抑えられなかった。
あたしはもう、誰にも屈しない。誰にも馬鹿にされないし、貶されもされない。転生したこの世界で、誰もが目を奪われる完璧で究極のアイドルとして君臨するのだ。
どちらがこの街の、そしてこの歌劇場の「支配者」なのか、はっきりと分からせてやる。




