2-5
マリーがピックをギターに振り下ろす。ギュイィィン、と重低音が鳴り響いた。
……これは、限りなくエレキギターの音色に近い。そんな楽器は、この世界には存在しないはずだ。少なくとも、私はこの世界に転生してからの28年間で聞いたことがない。
背筋に冷たいものが流れた。
「一曲目ェッ!!『ほの昏い闇の底から』ぁっ!!」
私の強烈な当惑をよそに、「ライブ」は始まった。彼女のバックには、3人の黒装束の女たちがいる。サブギター、ベース、そしてドラム。どうやってその音色を出しているのか、乾いた重い音がホール全体に響く。
観客は発狂したかのように叫んでいる。それをマリーの高く澄んだ歌声が切り裂いていった。
「何よ、これ……」
声は歓声にかき消されほとんど聞こえない。だが口の動きから、ジャニスがそう呟いたのが分かった。
驚くべきことに、この観衆の中でもマリーの歌声はハッキリと聞き取れた。
歌われるのは、社会に認められない少女の怒りと絶望。そして底辺から這い上がり、全てを壊してやると叫ぶ強い意志。
それらが透明感のある、しかし力強い声により歌い上げられていく。神への感謝や恋人への想いを紡ぐこれまでの歌姫のパフォーマンスと、明らかに一線を画しているのは明らかだった。
……これはロックだ。それもヘヴィメタルだ。
呆気に取られているうちに一曲目が終わる。すぐに流れるように次の曲が始まった。
「ハンスっ、どういうことなのよこれはっ!?」
戸惑いを隠そうともせずジャニスが叫ぶ。彼女にとって、この手の歌は初めて体験するものだろう。
ヘヴィメタルを知っている私にとっても衝撃が大きい。20になるかどうかという少女が、これほど強い感情をメタルサウンドに乗せるというスタイルは……少なくとも、「私が生きていた時代」にはなかった。
「分かりませんっ!!しかし、これはっ……」
ジャニスは怯えたようにステージを見ている。それは単なる未知に直面した恐怖だけではないはずだ。私は、マリー・ジャーミルを脅威と認識しつつある。ジャニスもまた、そうなのだろうと悟った。
マリーのメッセージはあまりに攻撃的だった。
「力で己を認めさせろ」
「信じられるのは己が意志だけ」
「立ち塞がるなら全て壊す」
……観客を煽り、焚き付ける刺激的なフレーズが、次々と叩き付けられる。
それはあたかもガソリンに火を付けたかのように、爆発的なうねりを劇場にもたらしていた。
「マ・リ・イ!マ・リ・イ!!」
ステージと観客が一体化していく。恩寵が効かないはずの私たちの周囲まで、この空気に乗せられているのが分かった。
……あるいは、私もかもしれない。それだけ、彼女のリリックには刺さるものがある。過激で拒絶したくなるが、しかしそれを否定できない。自らの中にある復讐心を嫌でも思い出させる。
心の内にある暗い心を燃え上がらせ衝き動かすそんなエネルギーが、確かにそこにはあった。
間違いない。この転生者は、ある種の天才だ。アーティストとして、人の心を揺り動かすだけのものを一通り備えている。
マリー自身が持っていた魅力的なルックスと美しい歌声、それを支える歌唱力。そこに転生者の派手なパフォーマンスが加わった。歌詞も音楽も、恐らくは自分で書いたものだろう。「前世」でも、彼女は相当な成功を収めていたに違いない。
マリーは頭角を表しつつあったが、その控えめな性格が仇となっていたとヨーリヒ氏は語っていた。それを転生者が埋め、さらに一段上のレベルに引き上げたのだろう。音楽に然程詳しくない私でも、この女が「本物」であるのはすぐに理解できた。
そしてそれは、「マリー」が極めて危険な存在であることも意味していた。
……彼女はアジテーター(扇動者)として優秀過ぎる。
もしセルフォニアが彼女の存在に気付けば、最大限にその才能を利用しようとするだろう。恩寵なしでもカリスマ性のある歌姫が敵国の宣伝塔になり、「転生者を虐げる王国を潰せ」と言い出したら……どうなるかは目に見えている。
まして、彼女は恐らくこの歌声で聴衆の精神を支配してしまう。なるべく早く「浄化」しないと、レヴリア全体に影響が出かねない。そう直感した。
「……ハンス、どうする?」
ジャニスが不安そうに言うのが分かった。詩文に疎い彼女ですら、彼女の危険性を察知している。今すぐにでもステージに上がり、彼女を浄化したいほどだ。
ただ、これは布教のための、ある種の「サバト」だ。公演のたびに新たな信者が増えていく。その「教祖」に安々と近付けるものなのだろうか?プラン通りに動いたとしても、上手く行く自信はもはやない。
躊躇していた、その時だ。
「ちょっとそこぉ!!ノリが悪いよぉっ!!!」
ステージの上から、マリーが私たちの方を指差して叫ぶ。鋭く責めるような視線。観衆の顔が、一斉にこちらに向いた。
マズイっ!!
私は咄嗟にジャニスの手を掴む。同時に「時の支配者」を5倍速で発動させた。
ゆっくりと、しかし分厚い人の波が私たちに向けて押し寄せて来る。あまりの量に、グローブで片っ端から眠らせる余裕はないと悟った。
幸い、私たちの半径5mほどにいる人々にはあまり動く気配がなかった。ジャニスの特殊能力「恩寵無効」の範囲内にいるからだろう。それに乗じて、私たちはホールの出口へと人波をかき分けて進んだ。
だが、出口の扉は堅く閉ざされている。これを無理矢理開くだけの余裕があるのか??
その時、ジャニスが左手だけで印を高速で結び、早口で詠唱した。私と時空の流れを共有した彼女は、実際には1秒にも満たない時で魔法を完成させる。
「衝の波動っ!!」
目に見えない強大な力が重い扉を吹き飛ばした。私は粉々になった扉の残骸を腕で押し退ける。複数の手が背中に触れるのを感じたが、捕まえられる僅か前に私たちはホールを脱出した。
その勢いのままに歌劇場を抜け出す。振り向くと、何人かがまだ追ってきていた。
「しつこいわねっ!!」
「お嬢様っ、背中にっ!!」
私はジャニスを背負った。手を引くよりはこっちの方が速く逃げられる。
5倍速での全力疾走なら、ジャニスを背負いながらでも時速60キロは出せる。持続時間はざっと残り10秒。追っ手を引き剥がすには十分な時間だ。
再び駆け出したその時、周囲の商店からバラバラと人が出てくるのが見えた。……まさかっ!?
「嘘でしょ!!?」
行き先を10数人が立ち塞ぐ。これもマリーの恩寵の効果だというのか!?
流石の私も困惑した。逃げても逃げてもこれでは切りがない。「時の支配者」の効果が切れた時を狙われたら、後はジャニスが何とかするしかなくなる。
もちろん、簡単にやられるほど彼女は柔じゃない。それでも、彼女が依頼に関係のない人々を傷付けるのは見たくなかった。
脳裏に、10年前の「あの場面」がフラッシュバックする。……あの再現だけは、何としてでも避けねば。
その時、ブロロロという音が後方から聞こえて来る。車だ。それも、運転席にいるのは……
「ヨーリヒさんっ!!?」