2-3
デルヴァーの駅舎に着くと、燕尾服を着た小柄な中年男が改札の外で待っていた。表情は笑顔だが、どこか緊張の色も見える。
「ようこそデルヴァーへいらっしゃいました」
「貴方が、依頼人の……」
男は周囲を見渡し、小さく頷く。
「あまり大きな声は出さぬよう。依頼の件が周囲に知れると、貴女たちも以前の方と同じようになってしまいかねないので」
私はジャニスと顔を見合わせた。男……ニコラス・ヨーリヒの警戒度合いは、かなり異常だ。
無言で道端に停めてあった車に乗る。運転手はヨーリヒ氏自身が行うらしい。
「先ほどのことは、どういうことですかな」
「詳しくは私の家にて。マリーは自分が『浄化』されるのを恐れています。そして、とにかく早耳なのです」
「早耳?」
小さくヨーリヒ氏が頷いた。夕日が彼の広い額を照らす。
「過去、2人の祓い手が亡くなっていることはご存じですね」
「ええ。不審死、とは聞いています」
「騎士団はいずれも事故として処理しました。1人目のパオラ司教は葡萄酒の飲み過ぎによる中毒死、2人目のカイル大司教は汽車による轢死。ただ、どちらも状況に不自然な点が多すぎる」
そこまではフリードから聞いた通りだ。デルヴァーの若い司教であったパオラ・カチュリティは酒など飲む女性ではなかったし、ネウヨから派遣された教会きっての凄腕であったカイル・マーズ大司教がそんな間抜けな死に方をするはずがない。
事故に見せかけた殺人と見るのが妥当だ。それを騎士団が見過ごしているという時点で相当におかしい。
ジャニスが「ちょっといいかしら」と割り込んできた。
「それと早耳というのは、どうつながるわけ?」
「……カイル大司教は、私と最初の打ち合わせのために劇場で会った日の夜に亡くなっています。つまり、マリーは彼が浄化のためにデルヴァーに訪れていたことを知っていたとしか考えられない。どうやってそれを知ったかは分かりませんが……。
パオラ司教にしても、マリーとの面談で彼女が転生者であるのを確認した日の夜に亡くなっています。その時は浄化のことなど言わなかったのに……」
「それって、私たちがこうやって会ってること自体危ないんじゃないの??」
「ええ。彼女は私に疑いを抱いている。いや、私が彼女を『浄化』しようとしているのはもう理解しているでしょう」
うーん、とジャニスが唸った。
「なら、なぜ貴方を殺さないのかしら?それが一番手っ取り早いわよね。そもそも、私たちがここに来ることも把握されているんじゃなくて?」
「……最初のご質問は、多分私に利用価値があるからなのでしょう。私が死ねば、デルヴァー歌劇場の経営は混乱するでしょうから。
2つ目の質問については、恐らく大丈夫です。フリード陛下とは、直接電話でやりとりをさせて頂きました。依頼自体を聞かれていることは、恐らくありません」
「随分陛下と親しいのね。ハンスからは古い付き合いって聞いたけど」
「ええ。もうかれこれ、20年以上のお付き合いになります。貴女がたがフリード陛下を浄化された時には、商談があってパルフォールにおりましたが。その節の件、心より感謝しております」
ジャニスの顔が強張った。あの時のことは、あまり掘り返して欲しくない話だ。
ただ、この分だとヨーリヒ氏は私たちが彼を浄化したという「結果」しか知らない。その過程で何が起きたのかまでは理解していないだろう。
彼女もそれに気付いたのか、「……ありがと」と短く返すだけにとどまった。
「とにかく、極秘かつ隠密裏に行動しろ、ってことね。マリーが私たちのことを知ったら、消しにかかりかねないと」
「……ええ。祓い手のお二人のみならず、彼女の周りにはあまりに不自然な死が多すぎるのです。第一歌姫であったカトレアも、第二歌姫のオルガもこの1カ月の間に自死しています。……恐らく、『恩寵』によるものです」
「まあそうよね。ハンス、どう思う?」
私は「それは間違いないですな」と返し、目を閉じた。事故死と自死、どちらも騎士団がそうだと言えば殺人であっても覆せる。ただ、騎士団が彼女の言いなりになっているという時点でかなりおかしい。
そもそも、中央の近衛騎士団はデルヴァー騎士団の捏造に気付かなかったのだろうか。余程巧妙な捏造、それも組織ぐるみでないとすぐに発覚するはずだ。
「……ヨーリヒさん、彼女――マリーは騎士団に知り合いがいますか。それも、相当上層部の」
「いえ……彼女は孤児です。歌姫として支持者は多いでしょうが、そんな話は聞いたことがないです」
私は首を捻った。強力な権力を彼女が持っているわけではないのか。とすると……
背筋に冷たいものが走った。私の推測が正しければ、彼女の恩寵は相当に厄介な物だ。
「ハンス、何か気付いたの」
私は首を縦に振った。
「現時点ではただの推測ですが……彼女の恩寵の効果が見えてきました。恐らく、他者の精神を乗っ取るか、あるいは支配するという性質の物です」
*
「どうぞ、男の拙い料理ですが」
厨房の奥から、ヨーリヒ氏が皿を持ってやってきた。薄いランプの光に照らされているのは、炒飯によく似た一品料理だ。米と野菜、塩漬けの豚肉がオリーブオイルで炒められている。香辛料を利かせたこの料理「ナーツ」は、デルヴァー市の名物の一つだ。
それを一口食べたジャニスの目が輝いた。
「あ、なかなか美味しいじゃない。あんまり期待していなかったけど、いい腕よ」
「ありがとうございます。このぐらいしか作れませんが、お口に合ったならよかったです」
テーブルの横には、ヨーリヒ氏と少女の白黒写真がある。娘……というには似ていない。ヨーリヒ氏よりはやや大きく、大きめの目と純朴そうな笑顔が印象的な子だ。年齢は16、7といったところか。
「この子は」
「彼女がマリーです。半年ほど前まで、一緒に住んでいました」
寂しげにヨーリヒ氏が笑う。ジャニスが「ふうん」と呟いた。
「なるほど。孤児院から引き取って、自分好みの愛人に育てたってわけね。歳の差が大分あるけど?」
「ハハ、そういう関係にはありませんよ。彼女の天賦の才を自分で育てたいと思ったのは確かですが……この『ナーツ』も、彼女が教えてくれたものです。歌姫として独り立ちするに当たって、今は離れていますが」
ジャニスが軽く肩を竦めた。彼らが恋愛関係にあったかは分からないが、ヨーリヒ氏が大枚をはたいて「浄化」にこだわったのは、商売上の理由だけではないらしい。
「で、さっき車でしてた話の続き。恩寵の効果、どれぐらい自信があるの」
「かなり、と言わせて頂きましょうか。そういう能力であるとすると、色々腑に落ちるのです。
私は最初、騎士団が彼女の殺人を隠蔽し、事故や自殺に偽装していると考えました。ただ、それをやるには相当な権力が必要ですし、余程上手くやらねば近衛騎士団が必ず調査に入る。
この1カ月でそうした兆候が見られなかったこと、そして特定の後援者がデルヴァー騎士団上層部にいなかったことを鑑みると、『本当に事故・自殺だった』と解するのが妥当かと」
「でも状況がおかしいじゃない。……まさか、身体を操って??」
ジャニスの顔が青ざめた。ヨーリヒ氏はごくりと唾を飲み込んでいる。
「肉体操作というよりは、精神操作系のような気がしますな。フリード陛下の『街全体が正気を失っている』という指摘にも合致しますし。恐らく、彼女に精神の全て、あるいは一部を支配されている人間が少なからずいる。
マリーが尋常ではない早耳であるとしたヨーリヒ氏の言葉も、こう解すれば納得がいきます。恐らく、彼女の支配下にある人間が祓い手の存在に気づき、その上で何かしらの方法でマリーが彼らの精神を操作した。そして、その上で『意図的に』自殺させた……このような流れでしょうな」
一種の集団マインドコントロールが、マリーの恩寵の本質だろう。古代魔法にも類似するものはある。ただ、解せない点はまだ残っている。
ヨーリヒ氏が身を乗り出してきた。
「さすがはハンス様。陛下からも切れ者との話はうかがっておりましたが……ただ、どうやってそのように仕向けたのですか?」
「そこが問題です。亡くなった方々は、マリーさんにお会いになられているのですよね」
「……実は、カイル大司教はマリーに会ってすらいませんでした。パオラ司教やカトレア、オルガは分かるのですが……」
会わずに精神を支配下に置く?これは、どういうことだ。
「これは何かあるわね。……ハンス、明日は劇場に向かいましょう」
ジャニスの提案に私は同意した。恩寵の内容を見極めるには、やはり虎穴に入るしかないようだ。
幸い、彼女が近くにいる限り私たちは恩寵の対象にはならない。厄介な恩寵であるのは間違いないが、マリーに憑依している転生者が武術の達人か何かでない限りは、対応はそこまで困難でもないはずだ。
*
その見通しが甘かったことを、翌日私たちは思い知ることになる。