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目の前を看守が通っていく。一瞬訝しげにこちらを見たが、すぐにそのまま向こうへと歩き去っていく。
私はふうと息をついた。奇襲をかける前に異常に気付かれてしまっては意味がない。
石壁に開けた穴は、ユウが恩寵を使って修復した。彼が粘土細工のように石壁を直していくのには正直舌を巻いた。ミミの身体に入ったことで、物質変化の精度も上がったのかもしれない。
流石に修復後の石壁はやや不自然な色合いになっていたが、注意してみないと気付けはしないだろう。実際、あの看守はスルーした。この分なら奇襲をかけるまでの数時間をやり過ごせるはずだ。
決行は深夜0時過ぎ。時計はないが、ケロルが看守の行動パターンを教えてくれたので大凡は分かる。罪人の確認に1時間に一度彼女たちはここを訪れ、10時を過ぎるとそれが2時間に1度になる。
食事が出されるのが夜の8時。さっき粗末なスープとパンが鉄格子越しに差し入れられたので、今は9時というわけだ。
時間はまだある。その間に、色々考えておかねばならない。
まずはモニカに憑依している転生者の狙いだ。ケロルによると、彼女が恐らく殺したであろう2人の長老は保守派であったという。国の政は長老衆が担うべきだという考えの持ち主でもあったらしい。
つまり、自分が好きなようにムジークを支配するには不要だから事故を装って消した。私たちを排除しようとしたのも、邪魔者を消すという極めてシンプルな発想によるものであろう。
問題は、支配してどうするつもりなのか。そして、そもそも話が通じるタイプの人間なのかだ。
話が通じようと通じなかろうと、こちらがやるべき事は決まっている。「討伐」か「浄化」か。既に数人の死人が出ている。憑依した転生者を見逃したり救ったりするつもりはさらさらない。
ただ、話が通じるのであれば荒事には出なくて済む可能性が出てくる。……そうであればいいのだが。
私は首を振った。いや、それは多分ない。
「魔獣化」は、不可逆的な物だ。10年前のケイトもそうだった。人外の姿に変わり死んだ後も、彼女は人間の姿には戻らなかった。モニカの恩寵が比叡と同じ性質のものだとすれば、あの守衛も恐らく魔獣として死んだのだろう。
つまり、「モニカ」は人を捨て駒として斬り捨てることに一切の躊躇いがないタイプの人間と見えた。とすれば、彼女が転生者であると確信し次第、即座に「消さねばならない」。そっちの方がこちらの良心の呵責がない分、都合が良い。
とすれば、彼女の狙いは何か?国を支配して「王」になることか?マルカ女王が健在なのか既に消されているのかは定かではないが、彼女の姿が見えないということは将来的に取って代わろうというのは明白だ。
だとして、その先に何を考えているのか。単に支配欲を満たしたいならいいが、どうにも嫌な予感が消えない。
私は石壁をトントンと叩いた。隣の牢はケロルの牢だ。ユウの修復は見た目だけを直した物なので、壁はかなり薄くはなっている。
「……どうかしましたか」
「一つ、お聞きしたいことが。モニカ皇女とは、どのような人物だったのでしょう」
少し間を置いて声が返ってきた。
「……非常に気位の高い方です。ムジークを背負うという決意が大変堅い方でした。5年前にミルボアが襲撃してきた際にも、その殲滅を最も強く主張されておりました」
「殲滅、ですか」
「ええ。『将来の禍根は絶つべき』と。フリード様とカタリナ様の説得に折れる形で休戦協定を結ばれましたが……今でも、その思いは変わらないと聞いております」
「しかし、今のミルボアはパルフォールの直轄地になっているはず。向こうから攻めてくることは、基本的にはあり得ないはずです」
「それでも、です。マルカ様や亡くなられたフルサ様、ウェンディ様はなるべく穏便にと思われていたようですが」
「モニカ皇女が、私兵を持っていた可能性は」
「……蟄居中の私では、そこまでは。ただ、否定はしません」
いよいよ嫌な予感が強まってきた。支配欲を満たそうとする転生者に、忠誠心の高い側近。そして、あの恩寵の内容。
放置しておけば、かなりの大事になりかねない。そして、もしセルフォニアの連中――あるいは、オルドリッジに出会ってしまったとしたら。
禍根の種を摘むなら、今しかない。
とすれば、これから行われる奇襲は絶対に失敗は許されない。ありとあらゆるシナリオを想定して動かねば。
寝込みを襲うにしても、彼女が1人であるという保証はない。褥にもう1人、あるいはそれ以上いる可能性まで考えた方がいい。こちらの戦力は十分ではあるが、それでもあの魔獣を同時に3体以上相手するとなるとかなり厳しくなる。
そもそも、「モニカ」の恩寵が忠義心や信頼によって強化されるものであるとすれば、昼に相手したのはあれでもまだ弱い個体なのかもしれない。こちらも、最初から全力で行かないとマズいだろう。
そして……問題はまだある。「モニカ」がマルカ女王、そしてエレンを手駒とする可能性だ。
エレンとカタリナは別室に移されている。そこで既に「仕込み」が終わっているとなると、相当に厄介だ。カタリナは恐らく恩寵の対象にはならないだろうが、エレンはあり得る。そうなると、戦後処理が面倒なことになる。
……必要なのは、そうなる前に終わらせる電撃戦だ。そして極力「モニカ」と1対1の局面を作らねばならない。
私は、もう片方の石壁を叩いた。その向こうにはユウがいる。
「どうしたんだよ」
「一つ、頼みがあります。陽動役をやって頂きたい」
「……陽動?だが、この身体じゃ……」
「補佐にジャニスを付けます。貴方達2人なら、ある程度逃げられるはず」
「あんたはどうするんだよ」
「私が『モニカ』を処します。手順はこれから説明しますので、忘れないように」
私は手順を彼に伝える。「それで行けるのか?」と訝しげな声が聞こえた。
「恐らくは。『モニカ』は自分の手を汚そうとしないタイプと見ました。つまり、自分の身に何かあれば誰かを貴方達にけしかけるでしょう。その上で一度逃げてください。
そうすれば、彼女は一時的にせよ一人になるはず。そこに私が対応します。もちろん、彼女が1人きりで2人だけで何とかできると判断したならば、それはそれで構いませんが」
「……分かった。頼むぜ」
*
そして、決行時間が来た。看守の姿が消えるのを待ってユウが鉄格子を外し、次々と私たちを牢から逃がす。
ケロルを先頭に1階へと上がる。フロアは真っ暗闇で先を見通すのも難しい。光を灯したくもなるが、それは異変を知らせることに直結する。できるのは、極力忍び足で後宮へと向かう道を進むのみだ。
ケロルが無言で奥の扉を指さした。確か、後宮は一度外に出ないと行けない仕組みだ。その入口には、必ず守衛の兵士が2人いる。扉を開けると、彼女たちの姿が見えるはずだ。
私はグローブを右手にはめた。叫び声を上げるより前に昏倒させるのは、私にとって然程難しいことではない。
「グロロロロ……」
地響きかと思わせるような、低く、重い唸り声が聞こえた。気のせいかと思ったが、それは確実に大きくなってくる。……その主は、大階段の上にいる。
「……マズいな」
寝首をかかれる対策を既に取っていたというのか?それとも、元より警戒心が強い奴なのか。
とにかく、「モニカ」は番犬ならぬ「番獣」を既に配置していたわけだ。いきなり目算が狂ったかっ。
「ケロルさんっ、私の背中にっ!!」
「えっ」
「いいからっ!!!」
そう叫ぶと、私は左手でユウを、右手でジャニスの手を握る。首と背中にケロルの体重がかかるのと、上から扉が開かれるのとがほぼ同時だった。
「グオオオオオッッッッ!!!!」
私は「10倍速」で駆け出す。あっという間に迫る扉を蹴破り、そのままの勢いで後宮に続く道を走る。
「グオッ、グオッッッ!!!?」
魔獣の図体は大きく、扉を突破できない。そして、私は右手を離し、驚きの余り目を見開いたままの守衛に次々とグローブを当てた。
「ハンスッ!!?」
「3人はこのまま先にっ!!あいつは私が対応し……」
中庭のそこかしこから唸り声が聞こえた。複数を野放しにしているのか??
「おいっ、どうするんだよ!!?」
「私が何とかするっっ!!ここで処さないと、大変なことになるぞっっ!!」
ユウに叫ぶと同時に、両脇から2体の魔獣が現れるのが見えた。リザードマン型だった守衛と違い、こちらはライオンと狼を合わせたような4足歩行のヤツだ。
月明かりに照らされたその身体は、守衛と同じように見るからに硬そうな黒い鱗で覆われている。
……これは私でもかなり厳しいか。
冷や汗が流れるのを感じた。懐には、ゴルフボールほどの石が5つ。これで極力早く、かつ無傷でこいつらを仕留めねばならない。
「グオオオオッッッ!!!」
咆哮と共に奴らが飛びかかってくる。困難だが、やるしか、ない。
私は石を取り出し、投擲の体勢に入った。




