6-5
「……本当にこんな場所にあるのかよ」
息を切らしながらユウがこぼす。女性であるミミの身体になった彼には、確かにこの道中はきついだろう。
オランを出て2時間。細い獣道のような山道を、私たちは進んでいた。厳しい上り坂や険しい崖道こそないものの、普段から歩き慣れていない人間にとってはなかなか大変な道のりだ。
ジャニスも「歩くより浮いた方が速いわね」と途中から飛行魔法を使って移動している。これはこれで疲れるはずなのだが、魔力量が豊富な彼女にとってはこっちの方がなんぼかマシなようだ。
「所詮貧弱な人間ね。この程度で音を上げるなんて」
冷めた目で前を行くエレンが振り向く。
ダークエルフは人間の2倍の寿命があると聞く。見た目こそ子供だが、彼女たちの種族は元々肉体的に俊敏かつ屈強であると聞く。私であっても、速足で歩く彼女に付いていくのが精一杯だ。
ただ一人、平然としているのがカタリナだ。肉体的なタフさで言えばオーガと双璧をなすのがオークだ。鈍重ではあるが、その体力は全種族の中でも屈指ではある。ダークエルフとオークのハーフである彼女は、両親からその長所だけを受け継いだようだった。
カタリナが「エレン」と彼女をたしなめた。
「人間を甘く見てはならないと、何度言えば分かるのですか?」
「……うるさいわね、人間の走狗が。私だって、案内なんてしたくないわよ」
「なら断ればよかったでしょう?あなたも気付いているんじゃ……」
「だからうるさいって言ってるでしょ!!」
怒りを隠そうともせずエレンは叫び、歩くペースを速めた。宙に浮いているジャニスが顔をしかめ、私に囁く。
「……あの子、混乱しているわね」
「というと」
「凄く不安定。カタリナが言ってたけど、あの子長老とやらの精神操作の支配下にあったんでしょ?それが解けて、どの意志に従うべきか迷っているような……」
マインドコントロール、か。魔法と絡めて行われていたであろうそれは、5年の歳月を経て徐々に効力をなくしていったのだろうか。
ただ、その長老たちが時間経過による効果の減衰を考えていなかったとは思えない。そう簡単に解けるような洗脳を施すだろうか?
……嫌な予感がする。もしこの推測が正しいなら、ムジークの混乱は予想を上回るものである可能性が高い。
そう考えているうちに、道の先が途切れた。向こうには、鬱蒼とした森の木々が見える。
「はぁ、はぁ……行き止まりじゃ、ねえかよ」
ユウの言葉に、エレンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「人間には分からないわよね。こここそが、ムジークの入口。何人も立ち入れない、ダークエルフの聖域よ」
ジャニスが「なるほどね」と頷いた。
「一種の幻術ね。かなり込み入った魔法の結界がそこかしこに張られている。維持は誰がやってるの?マルカ女王?一人でやるのは、ほぼ不可能だと思うけど」
「へぇ、あなた分かるんだ。祓い手とは聞いていたけど」
「これでも人間で私より上の魔術師は片手で数えるほどなの。馬鹿にしないで欲しいわね。
多分、維持に携わっているのは複数人ね。女王以外だと例の長老って奴?」
「その通りね。この結界の基礎自体は太古からあったものよ。誰が作ったかは知らないけど、それを母様と長老たちが全員で維持しているというわけ」
「なるほど……にしては妙ね。これ、そこまで強力じゃない」
エレンの顔色が変わった。
「……馬鹿な」
「いや、間違いないわ。これ、結界に気付かずに進むと崖に落ちる仕組みになっているわよね。正しい道は、結界を解除し正しい崖道を慎重に進まないといけない。
私にこの結界は解除できないけど、この先に何があるのかは分かる。つまり、これが一種の『罠』だと分かる程度には、結界が弱まっている」
「……5年前と同じ…??」
カタリナの表情も険しくなった。
「そうですね、多分同じ。あの時は流行病で長老が何人か同時に亡くなった。そこで結界が弱まったのを機に、山を越えてミルボアからオークの軍隊が侵入してきたのです。
たまたまオランに滞在していた陛下がケロルの依頼でムジークに赴かなければ、オークたちに占領されていたでしょう」
そう。フリードはそこでオークたちを撃退し、極めて限定的ではあるがムジーク自治区との「国交」を開くことに成功した。そこでムジークからは厄介者扱いされていたカタリナを身請けしたと、彼から聞いている。
ムジークは極めて閉鎖的だが、レヴリアとパルフォールの王室の人間のみは「入国」を許可している。流石に、国を救った借りを忘れない程度の義理はあるらしい。
そして、再び結界が弱まっているという現状から、私はさっきの推測が正しいことを確信した。
ムジークの長老のうち、既に何人かこの世のものではなくなっている。
ユウ以外の全員がそれに気付いたのか、空気が一気に重たいものへと変わった。彼だけが「どうしたんだよ??」と右往左往している。
ジャニスがユウを見やった。
「ちょっとこれは、私たちが想像していたより厄介な事態になっているかもしれないわね。マルカ女王すら、もう生きているかどうかすら分からない」
「……は??」
「長老が何人か死んで結界が弱まったのよ。エレン、長老の人数は?」
「……7人。1人や2人死んだ程度では、こうはならないはず……」
「5年前は5人死んで、先代女王も病に倒れたのよね。あの時は確か、ほぼ結界が機能していなかったって皇太子から聞いてるから、多分そこまでじゃない。
私以外は結界の弱体化に気付いていなかったことからするに、死んだのは8人中3人くらいかしら?ただ、多分放っておくともっと死者が増えるわよ」
「急がなくちゃ……!!」
エレンが懐から小さな宝珠を取り出した。目をつぶって魔力を込め、それを掲げると……目映い光が一面に広がった。
まるでスタングレネードかと思うほどの光に,目がやられそうになる。徐々に目が慣れ始めると、目の前には深い崖と、その向こうに広がる森が見えた。
そこかしこに、明らかに自然のものではない建物が幾つか見える。これが、ムジーク自治区か。
「……何だこりゃ??どうやって行くんだよ」
「私についてきなさい。落ちたら即死だから、そのつもりで」
険しい表情のまま、エレンがユウに告げる。ジャニスが言った通り、崖をくりぬいたような所に細い道があった。もちろん身体を支えるロープなどはない。足を滑らせたら、一瞬の終わりだ。流石の私も唾を飲み込んだ。極力慎重に進まないと、これは確かに命がない。
カタリナは怯えるユウを見て「おぶりましょうか?」と告げた。彼は顔を青くしながら、無言で頷く。体格差もあるのだろうが、おぶりながらこの崖道を行けるだけの自信が彼女にはあるのだろう。
それでも、崖下に着くまでにはたっぷり1時間はかかった。そこからさらに小一時間ほど歩き、ようやく私たちはムジークの街に辿り着いた。
「……人通りが少ないわね」
通りを歩きながら、ジャニスが呟く。ここまですれ違ったのは、2、3人しかいない。エムの恩寵で「ウイルス」がばらまかれていたポルトラの街を思い起こさせる。
「まるで、何かから避難しているようですね。……件の魔獣とやら、ですか」
私の言葉に、エレンが「分からない」と首を振った。
「ひとまず、王宮へと向かわなきゃ。何があったか、モニカ姉様なら知っているはず」
そのまま道を行くと、やがて一際大きな大樹と、その下に高さ15m、幅100m程の建物が見えた。あれが王宮か。
門の所には皮鎧を着た若い褐色の女が2人立っている。槍を手にした彼女たちは、エレンの姿を見るや否や強張った表情で敬礼した。
「エレン様っ!!?どうしてこちらへ!?」
「急ぎ姉様に会いたいの。母様が一番いいけれど、姿を隠しておられるのでしょう?」
「それが……できるだけ、王宮内に誰も入れるなとモニカ様が」
「何ですって?」
門番のダークエルフ2人は顔を見合わせた。
「お話に聞いているかもしれませんが……領内を魔獣がうろついております。とても太刀打ちできないほどの強さです。それも、一体だけじゃない。何体もおります」
「……何体も?」
「はい。……正直、神出鬼没です。私たちも、魔獣を見たらすぐに門を封鎖し、王宮で籠城せよ、と。
ただ、一度王宮内で姿を見たこともございました。その時には、数人を喰った後に外に逃げ出しましたが……どこから入り込んだのか……」
「まさか、喰われたのは」
「……長老筆頭、フルサ様とその従者です。その後、第4席のウェンディ様も喰われたと」
エレンの血の気が引いていくのが、私にも分かった。やはり推測は正しかった、というわけか。
「ということは、姉様は身を守るために母様と後宮へ」
「……と思います」
「皇族である私であっても、立ち入りは許されないと?」
門番たちは顔を見合わせる。そこにカタリナが「ちょっといいでしょうか」と割って入った。彼女たちの顔が、驚きで固まる。
「……貴女様は!??」
「第一皇女、カタリナ・ヴィングです。既に皇籍からは外れた身ですが……私からも、お願いしたいところです。決して他人事ではありませんから」
「……長老が第7席、ワーナー様に相談して参ります」
そう言うと、彼女たちは足早に王宮の中に入っていった。ユウが「嫌な感じだな」と呟く。
「……どうしました」
「あいつら、こっちを一回も見なかったぜ。まるで、いない者扱いしているかのようだった」
エレンが「当然よ」とユウを睨む。
「下等種族たる人間なんて、私たちにとってはどうでもいいのよ。路傍に生える雑草と同じ……」
「にしてもおかしいだろ。人間なんてこの国にはまず入ってこねえんだから、最初にこっちを見るのが普通だ。珍しいものから注目する、そんなもんじゃねえのか」
言われてみれば妙だ。ユウだけでなく、私やジャニスの方も見なかった。私はともかく、ジャニスや(見た目はミミの)ユウは、見目麗しい人物が多いと聞くダークエルフと比較してもかなりの美貌だ。気にならないわけがない。
つまり、彼女たちには私たちが見えていない。あるいは、「見ないように仕向けられている」。
強烈な違和感がある。もし後者であるとすれば……
門番たちが戻ってきた。再び敬礼すると、エレンの方だけを見て告げる。
「ワーナー様から許可が取れました。エレン様お一人であれば、謁見できると」
「分かったわ。ならこれから向かう」
先に進もうとする彼女の腕を、私は摑んだ。
「ダメです」
「……は?」
「多分、これは罠です。貴女を始末するか、それとも支配下に置くための」
「な、何言ってんの??」
違和感は確信に変わった。私たちを門番たちが認識していなかったのは、偶然でも何でもない。「初めからこうするつもりだった」のだ。
多分、入国の時点で私たちの存在は既に黒幕に知らされていたのだろう。そして、その上でエレンだけを殺すか、引き入れるように考えた。門番たちは、既にその人物によって行動をコントロールされていたのだ。長老は全員、精神操作魔法の使い手という。この程度のことはお手の物だろう。
とすると、魔獣も恐らくその人物が操っている可能性が高い。私たちは意図せずして、蜘蛛の巣に絡め取られそうになっていたというわけだ。
門番たちの表情が歪む。それも、酷く禍々しく。
「……オマエ、ナニモノダ」
門番2人の身体が膨れ上がったように見えた。いや、違う。これは……
みるみる間に身長は2mを大きく超え、皮鎧ははじけ飛んだ。褐色の肌は鱗状のものに変わり、口はまるでトカゲのように大きく裂ける。
「おいっ!!?こいつがまさかっっ!!?」
叫ぶユウに、私はアマリアの手袋を右手にはめて答える。
「……早速魔獣のお出ましのようですね」




