6-4
「……ふう」
俺は褐色の湯をすくい、顔にかけた。少し熱めだが、高原の涼しさを考えれば丁度いいかもしれない。
オランは温泉地として知る人ぞ知る存在であるらしい。湯治客も訪れるというが、あまり宣伝していないのか宿は俺たちの貸し切り状態だった。露天風呂から見える夜空は深く、かなりの絶景だ。
そういえば、前世の俺はそもそも家族旅行なんてしたことがなかったし、温泉旅館にも泊まったことがない。こういう経験をできた分だけ、転生した甲斐はあったということなんだろうか。
「……にしても」
俺は両手を胸にもっていこうとしてためらった。正直、この身体には違和感がある。思うように動かない、というか地に足が付いていない感じだ。
高い声も妙に軽い身体も全く慣れそうもない。ジャニスが言うには、「魂と身体の性が一致していないから、それは当然のことね」とのことだ。
放っておけば馴染むかもしれないらしいが、1カ月を過ぎるともう俺はこの身体から離れられなくなる。それはミミのためにも、絶対に避けなければいけないことだった。
もう一つ厄介なのは、性欲が戻ってきたことだ。義体の時には性欲なんて全くなかったのに。
ミミの身体は、間違いなく魅力的なものだ。野郎が俺をじろじろ見ているのも、それが理由だろう。
女の身体はどう感じるのかというのに興味がないわけじゃない。俺は前世で童貞じゃなかったが、それを触って確かめたいという欲望は正直ある。そして、そうすることでこのムラムラを発散させたいというのもあった。
ただ、そうするのはミミに悪い気がした。あいつの許可も取ってないのに、好き勝手弄るのはどうなんだ。何より……あいつは死ぬ前に親に売春婦紛いのことをさせられていた。それを考えると、申し訳なさが先に立った。
「あー、やめだやめだっ」
俺は煩悩を振り払うように、もう一度お湯を顔にかけた。どうにもごちゃごちゃ考えてしまっていけない。
俺が受肉すべき新しい身体は、今アルヴィーン大司教が探してくれているという。そんなに都合のいい身体は簡単に見つからないらしいが、正直この状態のままでいるのはまあまあ耐えにくい話だ。
まあ、その前にミミを見つけてこの身体を返さなきゃしょうがないんだが。
「何が『やめだ』なのですか」
ふと後ろからやや低めの声がしてビクッとする。振り向くと、褐色の肌をした大女がいた。カタリナだ。
「あ……ああ。何でもねえよ」
「そうですか。すみません、ご一緒してもいいですか」
「まあ、構わねえけど」
カタリナは優雅に湯につかった。この身体もまあまあ巨乳だが、あいつのはさらにでかいな。筋肉質だからか、そんなに柔らかそうでもないが。
「何をじろじろと見ているんです?」
「あ、いや、何でもねえよ」
エロい目で見ているのがバレたと思い、俺は赤面する。……ただ、冷静に考えりゃ俺も女の身体なのだった。別に見ても問題ないのか。
カタリナは黙って夜空を見ていた。何か、物思いにふけっているような感じだ。
「……なあ」
「何ですか?」
「いや、そういやあんたのこと全然知らねえなって。そもそも、あんた本来は皇女様なんだろ。何で妹とあんなに仲が悪そうなんだ」
カタリナはしばし黙った。
「……あの子とは、半分しか血が繫がっていないんです」
「確かにあんたはでかいけど、あのエレンってのはチビだったな。というか、あれで俺より上の24って信じられねえんだけど」
「ええ。彼女は純血のダークエルフ。そして私は……オークとの混血なんです」
「オークって、あの豚鼻の怪物か?」
「豚鼻……かどうか知りませんが、人間やエルフなどからは醜悪な種族とされていますね。父様にはお会いすることが叶いませんでしたが」
オークとの混血にしては、彼女はかなり美しい。身体が大きいのはオークの血なのだろうが、それだけエルフが美形揃いってことなんだろう。
とすれば、一つ疑問が出てくる。なぜ彼女の母親の、ムジークの女王はオークの子など孕んだのだろう。
「あんたの父親は」
「ムジークから少し離れた所に、ミルボアという集落が存在します。オークの影響が強く、パルフォールも5年前まで手出しができない蛮族の独立区でした。
母様は、まだ皇女だった時にムジークを抜け出し、ミルボアへと向かったのです。そこで父様と出会った」
「……意味分かんねえな。ムジークって閉鎖的なとこなんだろ。そこから抜け出して、野蛮なオークの村に行くとか何がしたかったんだ?まさか、犯されに行ったとかそんなんじゃねえよな」
カタリナはお湯をすくうと、軽く顔にかけて呟いた。
「そのまさかです」
「……は??」
「ムジークのダークエルフは、あまりに近親間で子を為しすぎました。そして、数も段々と減っていった。
その結果が、短命化と虚弱化。閉鎖的な国を変えようとしても、頑迷な保守派の長老は首を決して縦には振らない。
種としての存続がこのままでは危うくなると感じた母様は、出奔という強硬手段に出たのです」
「他種族の血を入れる、ということか?」
「ええ。私の教育役だったケロルから聞いたことですが、生命力に欠ける人間では不足だと母様は考えたそうです。そこで、危険を顧みずミルボアへと赴いた。そこで出会ったのが、ミルボアの主、ベア。私の父であった人です」
「……随分思い切ったことをしたもんだな。レイプ……乱暴とかされなかったのかよ」
「父様はオークの中では知性も高く、開明的な人であったそうです。パルフォールと交渉し、ミルボアを鉱業の拠点として開拓しようともしていた。
母様もそんな父様を尊敬していた。そして、ムジークとの同盟を約束し、結ばれたのです。……その幸せは、長く続きませんでしたが」
カタリナの表情が陰った。
「何かあったんだな」
「ええ。父様もまた、オークの中では進歩的に過ぎた。対立する勢力に襲われ、自分の命を賭して母様を逃がしたのです。その時、既に母様は私の命を宿していた」
「だからさっき、父親には会えなかったって言ったわけか」
「……はい。そして国に戻った母様に、お祖母様と長老たちは冷淡だった。私を産むことは許したものの、私を麓のオランへと放逐したのです。そして、2度と出奔などしないよう堅く約束させて、皇女として国に縛り付けた」
「……ひでえ話だな。それで女王は満足だったのかよ」
「母様は、今でも父様を喪ったことを悔いていると信じています。ただ、ムジークの存続もまた大事なこと……長老には、従わないといけないのです」
俺はチッと舌打ちをした。かなり胸糞な話だな。
「その長老って何とかならねえのかよ」
「お爺様と思われる複数のダークエルフが、長老をしているのです。血の繫がりを何よりも重視する、それがあの種族なのです」
「……複数?」
「ダークエルフには女しか生まれません。女王に複数の付き人が付き、魔法によって男根を生やして子を為す。そうやって数百年続いたのがあの忌まわしい国です」
「女だけの逆ハーレム、か。いかにもラノベに出てきそうな設定だな……まあそれはいいや。その付き人が、長老ってことか」
「そういうことです」
カタリナの目が、月に照らされて鋭く光った。こいつもこいつで、相当複雑な思いがあるんだな。
「……変えたいと思わねえのか」
「ええ。いつかは。ただ、5年前の事件の時も、ムジークは何一つ変わらなかった」
「5年前?」
「ええ。それは……」
カタリナが話そうとしたその時、入口から人の気配がした。彼女がそちらの方を睨む。
そこにいたのは、同じく褐色の肌をした小柄な少女――エレンだ。
「人間の女にペラペラと口が軽いわね、姉様」
「あなたには関係のないことです。何より、私はムジークと関係のない身。私を止める資格は、あなたにはない」
「ムジークの誇りを忘れてよくもまあ……何より、あの人間の王子を使って母様を拐かそうとしたことは忘れないわよ」
「それがムジークのためになると、あなたも分かっているのではなくて?」
月夜の光の中でも、エレンの顔が紅潮するのが分かった。カタリナが「そろそろ出ましょう」と俺を促す。
すれ違い様、エレンが怒りとも憎悪とも付かない目でカタリナを睨んだ。彼女はそれを受け流す。
「変わらなければいけないのは、あなたもでしょう」
扉を閉めると、「ああああああ!!!!」という叫びが風呂の方から聞こえてきた。俺は心配になり、カタリナを見上げる。
「いいのかよ。それに、ちょっと言い方がキツくないか」
「……あの子はモニカと違い、少しは気付いているのです。だから、ケロルの後を継いでオランの管理官の任を引き継いだ。
何が正しいか、何がムジークのためになるか、あの子は分かっているはず。長老の『洗脳』から、逃れ切れていないだけです」
「『洗脳』?」
「ええ。ダークエルフが得意とするのは、精神操作魔法。それと気付かれずに術中にはめられるそれは、一種の呪いでもあります。
母様もまた、その影響下にあります。自我がなくなっているわけではありませんが……」
カタリナの表情が沈んだ。これはどうも、相当に厄介な所に乗り込むことになるらしいな。
*
まあ、実際に俺たちが目の当たりにしたのは、もっとえげつないものだったわけだが。




