冬の魔法に踊らされ
布団に潜り、ただひたすらに涙を流していた。
思い出しただけですぐに目頭が熱くなって、涙は余計に溢れ出る。
明日はどうしよう。これから、どうやって唯と顔を合わせよう。
そんな風に悩んで。不安に心臓を動かしている。そんな時。
「あーあー。みんな聞こえるー?」
ちょうど。隣の部屋から唯の声が聞こえてきた。
枕元にあったスマホを引っ張り、目の前に配置する。
刺すような光に目を細めながら、私は動画サイトを開いた。
私、何してんだろうと思った。でも。止まってくれなかった。
画面内には二人のV。
言わずもがな、弓波侑杏と風間めぐみ。
その二人が肩を並べあって、私の方を見つめていた。
「じゃあ配信始めまーす」
唯の部屋からの声が、遅れてスマホ内から現れる。
恵も続くように挨拶を私に与えた。
今、唯は何を考えているのだろう。
私のことを考えてくれているのかな。って。
私のことを気にかけてくれているのかな。って。
そればかりが気になっていた。
「あれ? みんな、今日はめぐみちゃんとの配信だよー。昨日言ってなかったっけ?」
:そっか。今日はめぐみちゃんとの配信か。勝手に葵ちゃんとの配信だと思ってた
:↑昨日の動画最後まで見たか? 最高だったぞ
:今頃、葵ちゃんは嫉妬しているんだろうなぁ
:あ。そういえば今日の葵ちゃんの配信、最後の方、なんか様子変だった
:↑それは嫉妬が由来しているといえる(違う)
コメントに目を通せば、私のことに触れているコメントが多々。
一つ一つに目を通せば『嫉妬』という単語が目立っていた。
視聴者は自分のコメントしていることを妄言と知りながら、『嫉妬をしている』と冗談半分にコメント送っているのだろうと思う。
だけど、違う。
本当に。この感情は間違いなく嫉妬で。だから。
つまりは。私は唯のことが──。
今の状態で、この先を考えてしまったら、どうなるか分からなかった。
今後の百合営業に支障をきたすのは目に見えている。
収益だって、安定しないかもしれない。
ましてや、そう言った感情を唯に伝えたらどうなる?
きっと。私も、唯もおかしくなって。金輪際、関わりが無くなるってことも。
ただの妄想だけど、これも有り得ない話では無いのだろうと思う。
なんて思っていると。
二人はちょうどゲームを始めていた。
私と同じバトロワゲーだった。
どうでもいい話を交えながら、本当に楽しそうに。
視聴者も凄く楽しんでいるようで。
気付けば、夢咲葵に関連したコメントは消えていた。
それが無性に嫌だった。
彼女らは別に百合営業なんて全くもってしていない。
ただ仲の良い女友達とゲームをしている、それだけの図で。
なのに。どうしてかそれがこんなにも嫌になってさ。
──いや。だからこそ、嫌なのだと思う。
──イヤホンを耳にはめる。
音なんて流れていない。
遮断したかった。二人の声を。
これが嫉妬なのはもう分かりきっている。
今更それを否定する気は毛頭ない。
だからもう。自分からこの気持ちを理解しようと思った。
私はその場からすっくと起き上がる。
真っ暗な部屋の電気を灯し、私は本棚から一冊の百合漫画を取り出した。
今の私になら、この漫画を読めば何か理解をできるかもしれないと思ったから。
パラと表紙を捲る。内容は、二人の女子高生がイチャイチャとするだけ。
やがて自身の恋心を自覚して、恋人関係に至る──みたいな。
流れだけを言うなら、そんな単純明快な内容なのだ。
私は極小の期待を抱きながら、ページを捲る。
捲る。捲る。捲る。あぁ、とても良い漫画だな。
と。そんな風に思って、だけどそれだけしか思えずに。
焦燥からページの隅々に目をやって、でも、何も抱けない。
百合、って。なんなのか。答えは単純な筈なのに、分からないのはどうしてだろうか。
だけど。私の中に渦巻くこの感情は。きっと本物だから。
本物だからこそ、分からないのがもどかしい。
私はやがて本を読み終え、それを本棚に戻す。
そして次の行動で、無意識にイヤホンを外していた。
だから。当然、飛び込んでくるのだ。
「わ! 侑杏ちゃんうま!」
「へへへ、そうでしょー」
そんな、相も変わらず楽しげな会話が。
呼吸が荒くなる。痛い、辛い。
また目頭が熱くなる。瞬きをしたら、すぐに溢れてきそうだった。
どうすれば、いいのだろう。どうすれば……私は……。
けれど。少なくとも──。
──家の中にいたら、もっとおかしくなる。
それは間違いなかったから。
家を出る身支度を済ませる。それはもう、慌てまくりで。
マフラーと手袋を付けて、コートを身に纏い。半ば逃げ出す様な形で、ドアに手をかけた。
重いドアを開けば、その隙間から冷気が入り込み、私の身体を駆け回る。
それでも。私の背中を押す力には抗えず、そのまま家の外へ出た。
刹那、私のほっぺたに、冷たい感触が一つ。
雪だった。今年度、初めての。真っ白で、闇に静かに溶け込んで。
オレンジの街灯に照らされ目に映るそれは、まるで桜の様に舞っていた。
美しくて、優雅で、そして。儚く、切ない。
秒速は五センチメートルを遥かに超えてはいたけど、なぜかその光景はゆっくりと映る。
私の視界の中を、駆け回って。白に光がキラキラと反射する。
私に何かを訴えている様な。与えようとしてくれている様な。
冬の魔法的な力があるのなら、こういうものなのかもしれない。
──じゃあ。今の私にはバフがかかってるってことだ。
自転車を取り出し、またがる。
一漕ぎ目は重く、二つ目からは既に軽かった。
雪が冷たくて、だけど。私が覆い隠されているようで、心地良かった。
今なら。私の内なる気持ちを吐露しても、誰にもバレなさそうである。
唯にも恵にも、神様にだって──なんて、そんなことを考えてる時点で、私は冬の魔法にかけられているんだろうなぁと思った。
ペダルを回す。沢山回す。
街中を、迷惑なくらいに早く。
奇異の目が向けられても、気にせずに。
なぜか気持ちよさを覚えながら。
ペダルを回して。ずっと、回し続けて。
風と共に流れる雪を裂きながら、前へ前へと進めた。
そして私は目的地である、堤防に辿り着く。
誰も歩いていない。
今度はちっさな白色の街灯が、その場所を照らしていた。
その光景はなぜか。私の涙腺を緩ませる。
いつか。両親と見た景色が、こんな感じだったからだ。
思い出して。頭の中に景色を描く。あの時の、楽しい日常の。
結局。緩んだ涙腺に溜まった涙が溢れてきてしまった。
戻るわけがないあの日を思考して。やっぱり寂しくなってしまう。
でも。それはある種の教訓になったとも言えて。
過去を悔やんでも。戻ってきやしない。
当たり前で。けど、悔やむなって言ってるわけじゃない。
だから。つまり。時間は戻せるわけではないからさ。
悔やむ前に。悔やまないように、今、私が後悔しない選択をするべきだ。
もう。私は分かっている。ここでどうすればいいのか。
こうするべきなのだということを。
「……よし」
止めていた自転車を再発進。
先よりも速度を上げて。ペダルを全力で踏む。
前へ身を乗り出して、不格好な立ち漕ぎを。
──私は。私は唯のことが。
そんな。私の、秘めたる気持ち。
この続きを言葉に起こせば、どうなる。
百合営業に支障が出る? あぁ出るだろう。
というか。もう出ている。出てしまっている。
それならさ。それならさ。じゃあさ! もうさ!
認めた方が、いいんじゃないかって。
そう思ってしまって。
あぁ、じゃあもう。わかった。わかった! わかったよ!
ずっと拗らせても面倒いだけ! わかってる! わかってるから!
認める! 認めれば、私はきっと楽になれるんでしょ!?
速度はもう。私の出せる最高速になっていた。
更に左に逸れて、芝生の坂道に自転車の向きを転換させる。
私は馬鹿だと、いつもそう思ってる。そして今は私史上、一番馬鹿だ。
急傾斜。ブレーキをかける気なんて無かった。
「あああぁああああぁああ!!」
この肌を触る爽快感。
今なら。なんでもできそうな気がした。
目の前に見える黒い川。
そこへと飛び込む勢いで。
この勢いを味方に付けて。
ぐいんと、回り続けるペダルを、更に力強く蹴って。
川に向かって、思い切り──。
私は。
私は!
私は!!
唯のことが!
「好きだぁああぁああああああぁああぁ!!!」
私の中にある全てを吐き出す。
自転車は坂を下り切り、でも、そのまま止まらずに。
目の前にある川へと、何も考えずに飛び込んだ──!
──バシャァァン!
豪快に水飛沫を立てて、私の自転車が川を二つに裂く。
自転車はすぐに水の抵抗で失速。先までの疾走感が、まるで嘘の様だった。
辺りが急に静かになる。けれど、私は今、ドキドキと心臓を躍らせていた。
私は足を、浅い川の底へと付ける。膝下まである水は、とても冷たい。
けど。身体の火照りのお陰か、その冷たさも一瞬に感じた。
呼吸は荒い。疲れているのだと自覚して。
自転車の前に体重を乗せようと、身を乗り出して。
でも。その前に、正面に向かって、もう一度。
「好きだ好きだ好きだ! 好きだ!」
呼吸音を闇夜に響かせて、
「大、好き、だああぁあああああ!!!!」
馬鹿みたいに叫ぶ。
さっき更新した私の馬鹿記録を再び更新した。
あぁでも。
思ったより、楽になれるじゃん。これ。
想定していた事態よりも、ずっと。
とても楽で、幸せだった。
あぁ好きだ。私は唯が好きだ。
もう言ってしまった。認めてしまった。
踏み出した一歩は、もう戻せない。戻す気もない。
そもそも、唯のほっぺたにキスをした時点で、こうなることは決まっていたのだろう。
私は。それよりも前から、唯にこういった感情を抱いていたのかな。って思う。
でなければ、百合営業なんて、そもそもやらなかっただろうし。
はいじゃあもう一度。恥ずかしげも無く独り言。
「好きだ」
ごめん。やっぱり恥ずかしい。
私は、変なのだろうか? 変わっているのだろうか?
まぁけど。変なのは間違いなくて、それはきっと可笑しいことだとも思う。
でも。そんな心だからこそ『恋』と書くのだろうと、そう思う。
深呼吸をする。
心を落ち着かせて。
身体が寒くなってきて。
けれど結論はそのまま。
「──へっくしゅ!」
身体がブルリと震える。
きっと明日は風邪で寝込んでいそうだ。
けど。今は、それどころじゃないな。
まだ心はこんなにも高鳴っている。
百合って。こういうことなんだろうなって。
空を仰げば星は無い。
その代行のように、川の向こうの明かりに照らされた、光る白い雪が降ってくる。
冬の魔法的な力は、まだ効力を保ってくれていそうだった。
今日という日が、良い一日になるか、悪い一日になるかはこれからの自分次第。
でも。はっきりとした一つのことを、ここで今一度。
12月18日。
私は、妹に──唯に恋をした。
最高の、初恋だった。