2-6 義妹の葛藤
◇
レティシャを見えないところへやり、男爵や夫人から幾度も説得されたが、ミーアは頑として首肯しない。
「いまは彼女のケアを優先してください。私のことをご心配くださるなら、周りが落ち着いてからでも十分ですので」
無理でも気遣いでもない、ミーアの純粋な本音だった。
後悔からか、両親が表情を歪ませているのは申し訳なく思うが、レティシャへの気配りが足りなかった、そのペナルティだと思っていただこう。
とはいえ男爵家としても、わざわざ養子に迎えた娘を、普通の使用人と同じように扱えるわけもない。
令嬢としての私室、家具もぬかりなく用意されており、さらには自分につく予定だったという、侍女もあてがわれることとなった。
…
「お初にお目にかかります、ミーアお嬢さま。本日よりお嬢さまのお世話と――その、指導担当を仰せつかりました、サラと申します」
ブラウンヘアをボブカットにした、落ち着いた雰囲気の少女である。
見た感じ、年のころは高校生くらいだろうか。
ミーアも精神的には成人に近いはずだが、幼年期を過ごしても社会経験が増えないためか、さほど精神的な成長の自覚がない。
目の前のサラとは、同い年くらいの感覚で、親近感がわいた。
「これはご丁寧に。いたらぬ点が多かろうとは思いますが、どうぞ遠慮のないご指導を……よろしくお願いいたします、サラさん」
「お呼び捨ていただいて結構でございます、お嬢さま」
硬い物言いは、緊張からくるものだろうか。
先の玄関ホールで、ミーアがあんな発言をしたのだから、無理もない。
破天荒な、扱いにくい令嬢だと思われていそうだ。
「では、お言葉に甘えまして……よろしくお願いします、サラ」
手遅れかもしれないが、なるべく妙な印象を与えないようにと、できうるかぎりの笑みを浮かべておく。
それが功を奏したかはわからないが、軽く息を吐いた彼女は、先ほどよりも少し力が抜けた様子だった。
「ところで――本当によろしいのですか、お嬢さま?」
なにをと問い返すまでもない、ミーアの立場のことだろう。
「ええ、二言はありません。レティシャ――お嬢さまには、もっと両親と触れ合う時間が必要でしょうから。それに私も、手に職をつけておきたいですし」
「……変わっていらっしゃいますね、ミーアお嬢さまは」
どう扱ったものだろうか――という、彼女の戸惑いが見てとれた。
たしかに、普通の令嬢ならありえない振舞い、やや俗な考え方だろう。
しかし平民上がりのミーアにしてみれば、なんらかの技術をもって安定した職に就くのは、いたって普通の考え方だ。
できうることなら剣技のほうで、職を探したいところではあるが。
ミーアがそんなことを考えているうちに、サラのほうでは、教育プランを考えてくれていたらしい。
内情がどうあれ、ミーアの立場の半分は、令嬢としてのものだ。
そちらの勉強もおろそかにせず、空き時間でサラに付き合い、仕事を教えてもらうことになる。
「本日の私の仕事は、お嬢さまのお世話となっておりますので。まずはお荷物の整理と、今後のために採寸をさせていただきます。どうぞ、ご協力のほどを」
「あ、はい……よろしくお願いします」
戸惑ってはいたようだが、彼女は案外、こうした指導が好きなタイプなのかもしれない。
そんな彼女とともに、荷ほどきをするが、それほど多い荷物ではない。
実家で普段着としていた服を2、3着ほど、風呂敷に包んできただけだ。
それらも動きやすさを重視した、トレーニングウェアとしての役割が強いため、屋敷内で着るには不相応だろう。
「……お嬢さまは、少女的な服はあまり好まれないのですか?」
「そ、そういうわけではありませんが……」
現に、いま着ている服は少女らしい白のワンピースだったりする。
もちろん、そういった服はこれしかないのだが。
「日頃から剣を振っていると、どうしてもこのように偏ってしまうのです」
「なるほど、剣を――えっ、振る?」
彼女の反応はもっともだ。
これです、とミーアが木刀を見せると、さすがの彼女も絶句する。
平和な農村で、どうして木刀なんて振ってたの――とでも言いたげだ。
「……伯爵領は平和な土地と聞いておりますが、なぜ剣を?」
まさか、本当に聞かれてしまうとは。
「鍛錬と、修行のためで……しいて言うなら、趣味でしょうか」
「趣味っ!?」
言葉選びを間違ったかもしれない、サラはあきらかに引いている。
ミーアは反省しつつ、ごまかすようにコホンと咳払いをした。
「と、とはいえもちろん、この木刀で人を打ったことは、まだありませんので」
どうぞご安心を――と言ったつもりなのだが、彼女の視線は語っている。
なにに安心すればいいのですか、と。
「……なにに安心しろとおっしゃるのですか、お嬢さま」
またしても、本当に言われてしまった。
頭を抱えてうなる彼女は、心の声がもれやすいタイプなのかもしれない。
…
荷物整理を終え、ついでに普段使い用のシンプルなドレスと、サラが着ているようなお仕着せの作業着――いわゆるメイド服の手配を頼んでおく。
そのための採寸をし、予備のメイド服をミーア用のサイズに仕立てなおしているうちに、気がつくと日は暮れていた。
そろそろ夕食の時間だな――そう考え、メイド服に着替えたミーアは、ダイニングへ向かう。
もちろん、食事をするためではない。
男爵たちからは、せめて夕食くらいは一緒にと申し出られたが、そちらも慣れるまでは控えるべきだと伝えておいた。
いつか必ず、一緒に食事をしましょうと約束し、今日も含めてしばらくは、メイドとして控えさせてもらうことになる。
…
「それでね、お母さま! 世話していたお花が、今日やっと咲いたの!」
食事の間、両親の目を自分に向けさせようとしているのか、レティシャはずっと、これみよがしな態度で二人に話しかけていた。
両親はそれを笑顔で聞き、楽しそうに応えてはいるのだが、時折、申し訳なさそうな視線がこちらへ向けられていることに、ミーアは気づいている。
(……あまり見ないでいただきたいが、さすがに難しいか)
男爵にとっては実の娘が、それもようやく養子に迎えたばかりという子が、家族団らんの席からはずされているのだ。
それは夫人にとっても気がかりで、二人が心配するのはやむをえない。
とはいえ、そういった反応こそが、レティシャをより神経質にさせ、ミーアへの憎さを助長しかねないのだが――。
「あっ――いけない、落としちゃったわ」
そんなことを考えていると、不意にレティシャがそう口にする。
見れば、握っていたナイフを取り落としたようだ――おそらくわざと。
「そこのメイド、取り替えてもらえるかしら?」
彼女の視線を追うまでもなく、自分のことだとわかる。
なんらかの嫌がらせはあると思っていたが、こういった行儀の悪いことは、さすがに感心できない。
(……とはいえ、私が口にだすわけにはいかないな)
姉として注意できるならともかく、いまは従者の立場だ。
こういった際に躾けるのは両親か、あるいは乳母というところだろう。
「お嬢さ――ミーアさん、私が」
「いえ、大丈夫です」
サラがとっさにかばってくれようとするが、ミーアはそれを制する。
「失礼いたします、お嬢さま」
足元にひざまずき、テーブルの下にころがったナイフを拾うと、頭上から愉快そうな笑い声が聞こえた。
「ふふん、早く取り替えてきてちょうだい」
言われるがまま厨房へ向かい、新しいナイフと交換する。
その背後では、さすがに見とがめたのか、夫人の叱責が響いていた。
「レティ、失敗するのは仕方がないけれど、それを悪びれないのはよくないことだわ。ましてやテーブルマナーは、貴族として重んじるべき礼儀なのよ」
あのように偉ぶるより、恥じるべきこと――。
そう言い含めたあたりでミーアは戻り、レティシャの手元に食器を置いた。
「お待たせいたしました、お嬢さま」
「っ……ふ、ふんっ、遅いのよっ」
忌々しそうにミーアを睨み、ナイフを引ったくるようにつかむレティシャ。
それを見た夫人は、さらに目を吊り上げた。
「レティ! 使用人に対して、そのように偉ぶってはだめ! 彼女たちは雇われてくれているだけで、所有物などではないのよ!」
「……そのとおりだよ、レティ。私たちが快適に暮らせるのは、皆がそのように働いてくれるからだ。いつでも、感謝の気持ちを忘れてはいけないんだよ」
夫人の荒らげた声に、ビクリと身をすくめたレティシャを、男爵がやさしく、けれど厳しい言葉で諌める。
「……はい」
なにかを言いたそうにしながらも、レティシャは顔をうつむかせ、キュッと唇を結んだ。
彼女自身、きっとわかっているのだろう。
これまでメイドに対してはきっと、ミーアに向けたような態度は取っていない。
それが間違ったおこないであると、幼くも聡明な彼女はわかっているからだ。
(たしかに、わざと食器を落としたのはいただけないが、それでも――)
ミーアという、よそからやってきた義姉に対しての反発はあれど、彼女はけして、小さな暴君などではない。
彼女の態度がそれを感じさせるからこそ、ミーアはレティシャを嫌いになれない――どころではなく、愛らしく思えるのだ。
また――その一方でミーアは両親に対しても、感心や見直したという言い方は失礼だが、見くびるような印象を抱いていたことを自覚し、反省する。
先の注意だけを見ても、彼女を甘やかすだけでなく厳しくも接し、立派な淑女に育てようとしていた。
そもそも叱るというのは、とても疲れる、多大な労力をともなう行為である。
二人の言葉は、その疲れる行為を何度も繰り返してきた、経験から紡がれた言葉だった。
けして娘の、よい子たらんとする姿ばかりを見てきたわけではない。
たしかに触れ合いは少なかったかもしれないが、それでも二人は、まぎれもなくレティシャの両親だった。
(お父さまたちには、あとで謝らなくてはな……私のような若輩者が、なにを口はばったいことを……)
親どころか姉になったこともない、人生経験も年齢も劣っている自分が、上から目線で育児を語ったことが、恥ずかしくてならない。
身を焦がすような羞恥に焼かれながら、食器を渡したミーアは一礼し、また先ほどのように壁際に下がって待機する。
両親から目を向けられても、もう気にはならなかった。
二人がどれだけレティシャを見ており、愛しているかを知ってたいまでは、その視線が申し訳なさではなく、ミーアへの慈しみだと理解できるから。
それで義妹が不快感を覚えることに後悔はあるが、事態を招いたのは自分なのだから、なんとか責任を取らせてもらうしかない。
彼女がストレス発散したいのであれば、あとでいくらでも受けとめよう。
ミーアがそんな覚悟を決めているうちに、レティシャは食事を終えていた。
先ほどの叱責がこたえたのだろうか、終えたというより、途中で切り上げたというような状態に見える。
「……ごめんなさい、食欲が。お部屋に戻ります」
去り際にミーアを睨みつけはしたものの、彼女はしょんぼりと肩を落とした様子で、侍女をともない、部屋に戻ってしまった。
だがそれは、両親からの叱責で気分を害したということではない。
「……ずいぶんと反省していらっしゃいましたね、お嬢さまは」
「そうね。少し時間を置いたら、私が話しに行っておくわ」
ミーアが指摘するまでもなく、やはり夫人は娘の機微に気づいていた。
そのことに安堵するとともに、自分がここにいることのいびつさも感じる。
彼女を不安定にしているのは、間違いなく自分の存在なのだから。
ミーアがくるまでは、メイドたちにも愛される令嬢だったレティシャ。
それがいまや、周囲もどう扱えばいいのかと、距離感をつかめずにいる。
(私はいっそ、距離を置くべきか? だが、逆効果になる可能性もある――)
色々と考えさせられるが、結局は現状が最適と思われた。
両親に言っておいてなんだが、ミーア自身、レティシャのことをなにも知らず、妹との接し方すら知らない。
なればこそ、知ろうとするしかないのだ。
妹との触れ合いについては知識がなくとも、ミーアは幸いにも、これまで二人の姉から愛されてきたという経験がある。
塞ぎ込んだときや困ったとき、彼女たちがミーアを、結月を、放っておいたことは一度もなかった。
うっとうしいくらいに傍にいてくれ、それで自分は救われてきたのだ。
(彼女との正しい関係を作るのは、それからだ――)
ようやく少し、自分の振舞いの方向性が、見えてきたように思える。
「騒がせたね――ともかく、ミーアにも食事を頼めるかな」
「かしこまりました。お嬢さま、こちらへどうぞ」
男爵が声をかけると、サラが即座に動き、ミーアを食卓へ導いた。
「あ、あの、ですが――」
「途中からで申し訳ないけど、一緒に食べようじゃないか。私たちはこれから、家族になるんだから――ゆっくりと、だけどね」
「そうよミーア、遠慮なんてしないでちょうだい」
戸惑いながらも席につくミーアに、両親がそう声をかける。
さらには、椅子を引いてくれたサラが、そっと耳打ちをした。
「――お嬢さま。これもメイドのお勉強です、学んでくださいますね?」
「う……はい、わかりました」
そのような言い方をされては、ミーアにはぜひもない。
素直に給仕を待つことにした娘の姿に、夫人はクスクスと笑う。
「サラはミーアの扱いが上手ね、お姉さんみたいよ」
「おそれいります、奥さま」
どうやら自分は、またしても新たな姉を手に入れてしまったようだ。
しかし夫人に言わんとすることは、なんとなくわかる。
落ち着いた雰囲気に加え、所作にもそつがなく、いかにも姉らしい貫禄を感じさせるのだ。
(そ、そうか……私に足りないのは、こういうところ……)
メイドとしてだけでなく、姉としても、彼女から学ぶところは多そうだ。
そんなことを考えながらの会食――もとい団らんは和やかに進み、張りつめていた気持ちが少し緩んだのを、ミーアは感じていた。
その途中で話がおよび、趣味について語ったところで、死角に立つサラが思わず頭を抱えたことには、まるで気づかなかったが。
…
「――お嬢さまが、普通のご令嬢とは違う、ということはよくわかりました」
令嬢への、入浴中の世話の仕方を教わった――つまり、お風呂を手伝ってもらったところで、サラからそんな言葉をかけられる。
「まぁ、それは……元平民ですからね」
「失礼しました。普通の平民、普通の少女と異なる感覚をお持ちだということは、よくわかりました」
怒られているわけではないと思うが、褒められてもいないことはわかった。
「やはり、おかしいでしょうか?」
「おかしいですが――私は好ましく思っております、どちらかというと」
うむ、やはり褒められてはいない。
髪を丁寧に拭かれながら、そんなことを思う。
「とりあえず、ひととおりの手順はこれで終わりますが――お嬢さま、本当によろしいのですか?」
「はい。せっかく習ったことですから、明日には復習しておきたいので」
先ほどの埋め合わせもあって、夫人が話をしに行っていたこともあり、レティシャの入浴タイミングが読めず、今日のところは見送っている。
それを明日、彼女の侍女に付き合う形で、手伝わせてもらおうということだ。
「……本当に、お嬢さまは変わっていらっしゃいます」
その声はやわらかく、どこか気遣うような調子があった。
「それでは、ライラ――レティシャお嬢さまの侍女にも、そのように伝えておきますので。お困りの際は、私か彼女にお伝えください」
「ありがとうございます。本当に困ったときは、頼らせていただきます」
少なくとも、レティシャの振舞いに困ることはない――。
言外に伝えるミーアの言葉に、サラは小さく息をもらす。
お嬢さまが大人びすぎているせいで、逆に心配になってしまいます――と。
今後、最も苦労することになるであろう人
同時に、最も幸せな人になるかもしれない