2-5 新しい家族・・・?
◇
レイクス伯爵領は東西に長く、大陸の南海岸より、やや内側に置かれる。
そのちょうど中央の南側、海岸に接する港町と周辺が、ミルロワ男爵領だ。
伯爵領東端のアルーヌ村から領境を越え、やがて馬車は港町に入り、内陸寄りに構えられた男爵邸に向かう。
大商会が拠点を作るまでは、さほど実入りのある領地でもなかったためか、邸宅は大勢の貴族にくらべてこじんまりとしていた。
それでもひとつの家族が住むには十分すぎるほど広く、庭園も美しく整えられている。
どこか既視感のある門をくぐり、馬車を降りて、玄関口へ赴く。
すでに先触れが届いていたこともあり、帰着に合わせて扉が開かれた。
…
待っていたのは、おそらく男爵であろう男性と、隣に立つ夫人。その傍に寄り添う少女。屋敷を取り仕切る家令に、メイドや従者たち。
「――ただいま戻りました、旦那さま。奥さま、お嬢さま」
まさか玄関から、総出で迎えられるとは思っていなかったのだろう。
少し驚いた気配を見せつつも表にはださず、ロアンは重々しく一礼する。
「ミーアお嬢さまをお連れいたしました。お嬢さま、どうぞお入りください」
彼の言葉に従い、結んだ黒髪を揺らして、ミーアは足を踏み入れた。
同時に、正面の三人をまっすぐに見つめる。
(この方が男爵……私の、実の父か)
濃いアッシュグレイのクセ毛に、リーフグリーンの瞳。
ミーア自身は母親に瓜二つだということもあり、そちらの血が濃いのだとは思うが、その髪色からも、彼が父親だというのはおおいに腑に落ちた。
人のよさが顔からにじみ出ており、最初の商売で失敗したというのは、そのあたりが原因なのではと勘ぐってしまいそうになる。
(隣が、男爵夫人……私の継母にあたる方だな)
艶やかなストロベリーブロンドで、やさしげな瞳はエメラルドのよう。
美しくまとめられた髪は、いかにも貴族の淑女然としているが、やさしそうな瞳の奥には、気丈な色が見て取れる。
長らく女男爵として、そして現在も夫に代わり、領主を務めているのも納得できる、芯の強さが感じられた。
(そして……彼女はたしか、夫人の――ということは、私の義妹?)
夫人の後ろに隠れている少女の髪は、母親譲りのストロベリーブロンド。
それを肩口まで伸ばし、愛らしくリボンで飾っている。
澄んだグリーンの瞳は、形が夫人に、そして色合いは男爵にそっくりだ。
少しクセのある髪質といい、瞳の色といい、男爵との子だと言われても納得できるくらい、二人によく似ている。
(うん――可愛いな、とても)
前世含め、生まれて初めて妹ができたことに、少しテンションが上がった。
一方で、夫妻を含めた屋敷の一同は、ミーアの所作に軽く目を見開いている。
姿勢はもちろんのこと、貴族の邸宅に臆した様子もなく、堂々とした態度で男爵夫妻を見つめる、凛としたたたずまい。
その前で立ち止まり、深く頭を下げる姿は、カーテシーとは異なるお辞儀ながら、礼節と美しさを感じさせた。
「はじめまして、ミーアと申します。このたびは身請けしていただきましたこと、感謝にたえません。育ての家族への支援も、まことにありがとうございました」
よどみなく、スラスラと述べられた謝辞に戸惑ったのか、しばしあっけに取られていた男爵は、慌てふためいて返礼する。
「あ、ああっ、うん。その、そうかしこまらないでほしいんだが――私が、君の……ミーアの、父親になる……はじめまして」
軽く頭を下げる男爵の姿に、隣で夫人がクスクスと笑った。
「あなた、名乗りもしないなんて、素敵なお嬢さんに失礼だわ」
「あ――す、すまんっ、ええっと……ハンク商会の会長、ハンクだ。いまはハンク=ミルロワ、ということになるかな」
準男爵位とともに与えられた名字はわからないが、ミルロワ姓を名乗るということは、男爵家に婿入りしたという証明になる。
「はい――よろしくお願いします、お父さま」
貴族というからには、父母をそうした敬称で呼ぶべきだろう――というのは、現代小説の影響を受けすぎかもしれない。
しかし父と呼ばれた喜びからか、男爵の頬が緩むのは見て取れた。
「うん、よろしく――それと、ロアンから話は聞いているから。あちらの両親を大切にしていることはわかっているし、あまり意識せずとも大丈夫だよ」
「本当にねぇ。こちらは、中年男の身勝手な贖罪に付き合わせてしまって、逆に申し訳ないくらいだもの」
ホホホと笑う夫人の言葉に、男爵は苦笑いするばかり。
二人の仲が本当にむつまじいのを理解し、ミーアも唇を緩めた。
「いえ、とんでもございません。生みの親も育ての親も、私にとってはかけがえのない、大切な両親と存じています。もちろん、お母さまにおかれましても」
すぐさまそう呼ばれるとは思っていなかったのだろう、夫人は目を丸くし、それをやさしく細める。
「引き取っていただいたからには、家名に恥じぬ振舞いを心がけます。いたらぬところがありましたら、どうぞご指導くださいますよう」
背筋を伸ばし、改めて最敬礼するミーアの所作に、周囲は思わず息を吞み、夫人はコロコロと愉快そうに笑った。
「ハンクよりよっぽど貴族らしいわよ。よろしくね、ミーア?」
視線を合わせるように、夫人がかがんで見せる。
「私はルフィーナよ。前の奥さまにそっくりだと聞いて、あなたに会えるのをとても楽しみにしていたの」
そっと頬に手を触れ、慈しむような笑みを浮かべた。
「義理の母親ではあるけれど、実の母のように思ってもらえるとうれしいわ」
「はい。ありがとうございます、お母さま」
言ってしまってから、もっと砕けた言葉づかいがよかったかと思いなおす。
とはいえ、これこそがミーア本来の、父母への態度ではあるのだが。
それが伝わったのか、夫人は微笑んだまま、ミーアの頭をやさしく撫でた。
一方で、男爵は少し困ったような顔を、自身の秘書である侍従に向ける。
「えーっと……これは、ロアンが言い含めたのかな。それにしては、やけに堂に入った様子だが……」
「いえ。私はなにもお教えしておりません、旦那さま」
ロアンの短い答えに、ミーアは補足する。
「私も以前は気が弱く、もう少し控えめな態度ではあったのですが……三年前に、少し頭を打ちまして。それ以来、このような言動をしております」
それを聞いた男爵は、深くうなずいた。
「なるほど。ロアン、医者の手配を頼む」
「は、ただちに」
「ご心配にはおよびませんっ! いたって健康ですっ!」
二人が本気なのはあきらかで、ミーアは慌ててなだめるはめになった。
「不調な者ほどそう言うんだよ、ミーア」
「おっしゃりたいことはよくわかりますが、本当に大丈夫ですので……それより、そちらの――」
ミーアが視線を向けたのは、夫人のスカートにしがみつき、こちらをジッと見つめ――もとい睨んでいる少女だ。
その不服そうな表情すら愛らしく、ミーアは唇が緩むのを止められない。
「そちらの可愛らしいお嬢さまを、ご紹介いただけませんか?」
ミーアからの好意的なまなざしに、夫人の表情がパッと明るくなる。
「そう、そうよね! ほら、前にいらっしゃい、レティシャ」
母親に背を押され、渋々といった様子で少女はスカートの陰から姿を見せた。
「今年で8歳になるから、ミーアの2つ下ね。名前はレティシャというの……ほらレティシャ、お姉さまにご挨拶なさい」
ほーら、と背中を押された少女――レティシャ=ミルロワ。
苦々しい表情といい、こちらを睨む視線といい、どうにも警戒されている――ありていに言えば、かなり嫌われているのがわかる。
(――うん、まぁ仕方ないな)
反応に理解を示しつつ微笑みかけると、少女はあきらめた様子で口を開いた。
「――あとからきたくせに、あなたがお姉さまなんて認めないわっ」
場の空気が凍るのを感じ、ミーアは胸中で、これは困ったと眉をひそめる。
レティシャが自分に反感を持つのは、状況を考えれば当然のことでもあるので、それについては本当に気にしていない。
しかし、周囲の感情は別だ。
これから彼女が味わうであろう、彼女にとっての理不尽をどう解消すべきか。
ミーアが頭を悩ませているうちに、夫人の鋭い叱責が響いた。
「レティ! ミーアになんてことを言うの!」
「ルフィーナ、抑えて……レティも、落ち着いて聞いてくれるかい?」
慌てて男爵が娘の前に膝をつき、なだめるように声をかける。
その間もレティシャは、頬をふくらませ、顔を真っ赤にしていた。
なぜ自分が怒られるの、悪いのはこの人なのに――と、ミーアを睨んで。
(……彼女には申し訳ないことをした。再婚し、娘までいることを、手紙の時点で聞かされていれば、この話は断ったかもしれないのに)
…
レティシャの立場から見れば、事態はこの上なくわかりやすい。
幼くして片親を失った彼女は、それでも夫人から愛情を注がれ、すこやかに育てられたはずだ。
しかし夫人には、領主としての責務がある。
仕事をしながらの子育てでは、どうしても手をかけられない部分もあり、乳母やメイドに任せることも多かったのではないか。
そんな彼女のもとにやってきた新しい父は、自分にとてもやさしく、またそれまで与えられなかった、父性による愛情を注いでくれた。
これまでは寂しいこともあったが、これからは違う。
両親にたっぷりと甘え、いままで以上に愛してもらおう――。
そう思っていたところへ、寝耳に水のような話が舞い込んだ。
三人になった家族の生活に、ようやく慣れてきたところへ、もうひとり家族が――それも、自分の姉だという人物が加えられると。
なぜ、どうして、私では足りないの、私のなにがいけないの――。
レティシャの受けた混乱とショックは、察するにあまりある。
むろん両親も事前に話をし、その場では彼女も承知しただろう。
なぜなら、両親を困らせたくないからだ。
それまでの彼女はおそらく、聞きわけのよい自分しか、親に見せていなかったのではないか――少なくとも、ミーアはそう推察している。
仕事で忙しい夫人を、義父を、困らせたくない。
その一心で本音を押し殺し、親の理想とするいい子を演じていたのだろう。
だからこそ両親は、あれほど安心した様子で、レティシャを紹介できたのだ。
だがもちろん、本心はそうではない。
ようやく両親がそろい、二人からの愛情を受けられると思ったら、どこの馬の骨とも知れない女に、また半分を奪われようとしているのだ。
不安定な8歳の少女が、それを看過できるだろうか。
いや――もしかすると直前までは、こらえられていたのかもしれない。
しかし目の前で、ミーアに好意的な態度で接する両親を見て、ついに感情が爆発してしまったのだ。
それを自分から奪わないで――と。
…
「レティ、どうしてそんなことを言うの? いままでは、そんなこと――」
そんな夫人の声でハッと我に返り、ミーアは慌てて声を上げる。
「あのっ! お気になさらないでくださいっ!」
玄関ホールに響くほどの声に、全員の視線が集まった。
「ミーア、そういうわけには――」
「いえ、本当にかまいません。そのほうが、私の目的にかなっていますから」
なにも男爵令嬢になることを夢見て、この家にきたわけではない。
なにを言っているのかといぶかしむ視線を受けながら、ミーアは返す。
「お声がけくださったお父さまをだましたようで申し訳ありませんが、私は手に職をつけるため――よりよい教育を受けるため、こちらへまいりました」
ひとり立ちするための力、それを得るには環境も必要だ。
もちろん、いま口にしたことのほとんどは建前だが、想定していた目的のひとつなのは事実だから、噓ではない。
なにより、いま優先すべきは立場や名誉ではなく、幼い少女の心である。
「ですから、私のことはお嬢さまの義姉としてではなく、使用人として扱っていただきたく思います。どなたかにご指導いただけるなら、なおのこと幸いです」
「待ってくれ、ミーア! 私は……それにルフィーナも、そんなことをさせるために君を呼んだわけじゃない!」
「そうよ、ミーア! そんなことを言わないで!」
男爵は慌てふためき、夫人もそのように追従するが、ミーアは聞こえないふりをして、レティシャの前にひざまずいた。
「――お嬢さまにお許しいただけるなら、私はこれより、使用人として仕えさせていただきたく思います。いかがでしょうか?」
レティシャが息を呑み、目を丸くするのを見て、スッと頭を下げる。
周囲がざわつき、両親が止めようとしているが、気にはならなかった。
ややあって――小さな令嬢は納得したように、愛らしい声を響かせる。
「――いいわよ、そういうことなら認めてあげる。あなたはこれから、私の侍女……いいえ、侍女見習いね」
なんともこまっしゃくれた言い回しだが、満足げな声音は甘ったるく、年相応の可愛さが感じられた。
「レティシャ! いい加減になさ――」
そんな夫人の怒声を遮り、ミーアは即座に口を開く。
「ありがとうございます、お嬢さま。それでは本日より、誠心誠意お仕えいたしますので――どうぞ、よろしくお願いいたします」
思いもかけない事態に呆然とする周囲に見つめられながら、ミーアは改めて、深く頭を垂れるのだった。