2-4 男爵の過去
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領地へ向かう道中、実父や男爵家について、詳しく聞いておく。
もちろん、話しづらいことは伏せてもらっていいのだが、最初からロアンは、詳細に語るつもりだったらしい。
「……あれから十年ですか。さて、なにから話したものでしょうな」
そう前置きし、老紳士は遠い目をする。
「先の奥さまと別れました私どもは、借金を肩代わりしてくださった商会の船で、他国に渡りました――」
…
そこで無給の丁稚をしていた、というのは手紙にもあった。
下働きがメインの、いわゆる奴隷のような扱いだったのかもしれないが、二人は立場をわきまえ、商会に尽くしたという。
そのかいもあってか、借金については二年で完済し、さらにその一年後、二人は南国で独立を許された。
商会で得た知識を活かし、かつての失敗を繰り返さない販路を確保し、また商会の支援もあって、南国での成功をおさめたといえるだろう。
そこからは、さらに商会を見習う形で、貿易業と海運業にも手を伸ばした。
これが、決定的に大当たりを引いたらしい。
南国産の珍しい生地や衣装、茶葉に果物、あるいは香辛料。
宝飾品などもあったが、最も売れたのは香油などの美容品だったという。
それらが貴族相手に莫大な利益を上げ、たった数年で二人の商売は、大きな商会を築くにいたった。
もちろん、そこで単調な輸出入を繰り返すにとどまらず、扱う商品を増やし、あるいは販路を拡大して、商会はさらに成長することとなる。
ただ私財を増やすのでは、目をつけられかねないという意見も取り入れ、国や領地への寄付も怠らなかった。
結果、実父は国から準男爵位をたまわる。
当代かぎりの爵位ではあったが、これによって盤石な地位を確立した実父は、そこでいよいよ、別れた妻の行方を追った。
けれど――それは、遅きに失する。
商会の本拠地であるミルロワ男爵領、それに隣接するレイクス伯爵領の片隅で、妻は亡くなっていた。
実父は嘆きのあまり、危うく商会をつぶすところですらあったという。
その心を支えたのは、拠点を置く港町を治めるミルロワ女男爵だ。
夫を亡くし、跡を継ぐ形で女男爵となった彼女は、娘を育てながらの領地経営に苦労しており、実父からの納税にずいぶんと助けられたらしい。
あなたの商会がつぶれては、私も娘も、多くの領民も飢えてしまいます――。
そんな冗談まじりの言葉と、切なる願いに奮起し、国内有数にまでなっていた大商会は、なんとか崩壊をまぬがれた。
そうしたきっかけと、互いに伴侶を亡くした境遇ということもあり、二人は自然と惹かれ合う。
女男爵の娘が彼に懐いたこともあり、二人はめでたく結ばれ、準男爵だった実父は男爵家に婿入りすることとなった。
現在の男爵は実父になるのだが、領地経営自体は男爵代理ということで、夫人が代行しているらしい。
新しい家族との生活、男爵という地位、責任の増した商会経営――。
そんな日々をこなし、最近になってようやく気持ちの落ち着いた男爵は、夫人をともなって前妻の墓参りに向かった。
そこで彼は、前妻の生き写しとしか思えない、美しい黒髪の少女を目にすることになる――。
…
「――それが私、ということですか」
「さようでございます、ミーアお嬢さま」
お嬢さまはやめてほしい――とは思うが、その呼称も、これからは慣れていく必要があるのだろう。
ともあれ、男爵が再婚していたことは初耳だ。
養子として家に入り、継母にいじめられる――という冗談半分だった予想が、ここにきて現実味を帯び始める。
「お嬢さまが実の娘であろうと、旦那さまはひと目でお気づきになりました」
墓参りの途中から、領地に帰ってからも、思い悩んだそぶりを見せる夫に、妻が気づかぬはずもない。
問われた彼がミーアのことを打ち明けたところ、夫人はほとんど即断で、男爵家に引き取ってはどうかと申し出たそうだ。
「……父ではなく、男爵夫人がおっしゃったと?」
「はい。旦那さまも驚いていらっしゃいました」
そうしたいという気持ちはあったものの、夫人や娘のことを思えば、そんなことを頼めるわけがない。
なんとか生活の支援だけでもできないかと考えていたところに、思ってもみなかった夫人からの申し出だ。
気は引けたが、それでも大事な娘――前妻の忘れ形見を、家族として迎えたい。
その誘惑に抗えず、ロアンを遣わしたということだ。
「……お話は、大変よくわかりました。ありがとうございます」
ミーアは背筋を伸ばし、膝に手をついて頭を下げる。
その堂に入った礼儀正しさに、老紳士は戸惑いの色を浮かべていた。
「貴族の家に入られるからと、気を張られることはございませんよ」
気遣うように言われるが、ミーアは微笑して首を振る。
「三年前からではありますが、村でもこのような言動で通しておりますので。なにとぞ、ご理解いただけますと幸いです」
そう答えたミーアは相変わらず姿勢を正したまま、座席の背もたれにもさほど身体を預けず、馬車の揺れも苦にしていない。
無理をしているようにはまるで見えない、それほどになじんだ美しさだ。
これなら貴族社会でも、彼女が困ることはそうないのでは――。
ロアンはそんなことを思い、ひそかに安堵するのだった。