7-6 妹ナースのつきっきり看病
◇
そうして、部屋でおとなしくしているほかなくなったミーアは、書庫から運んでもらった本を読み、過ごすことになる。
そのかたわらではレティシャが、かいがいしくミーアに気を配りつつ、手の空いたときにはハンカチに刺繍をしていた。
とはいえそれは、暇に飽かせてのものではなく、ミーアに何度も話しかけて負担をかけないよう、気を遣っているのだろう。
あるいは、夫人やメイドたちに、そう言い含められているのかもしれない。
しかしそこには、ひとつだけ思い違いがある。
レティシャがミーアに話したがるのと同じように、ミーアもまた、妹ともっと会話をはずませたいと思っているのだ。
「――レティ」
「は、はいっ、お姉さまっ! 喉が渇かれましたか?」
すぐさま反応する、鼻息の荒い彼女をなだめるように、ミーアは淡く微笑む。
「いや、そうじゃないよ。どんな刺繍をしているのか、見せてもらえないかと思ってね」
「もちろんかまいません! どうぞご覧になってください、お姉さまっ!」
シュバッと音が聞こえるほどの勢いで差しだされたハンカチには、正面に向いた盾の紋章と、斜めに立てかけられる剣の模様が刺繍されていた。
昨日今日、始めたはずの刺繍にしてはずいぶんと進んでいることもそうだが、デザイン自体が美麗で、シンプルながら荘厳さも感じられる。
妹の美的センス、美術的才能に、驚嘆せざるをえなかった。
「これは……見事な刺繍だ。デザインも、自分で考えたのか?」
「はい。私とお姉さまを結びつけてくれた、二つの物をモチーフにしたんです」
なるほど――見れば盾の中央には、丸みのある木の実が刻まれている。
となればこれは盾ではなく、彼女を追うきっかけとなった、例のどんぐりを使ったブローチということだ。
そして剣のほうは、峰のある片刃の刀身であり――縫い糸の色合いからも、ミーアの木刀で間違いないだろう。
「……私たちが仲良くなれた記念として、ぜひともお姉さまに差し上げたいのですが……受け取っていただけますか?」
顔を真っ赤にし、心配そうにこちらを窺うレティ。
その愛らしい姿に、ミーアはもはや言葉もなかった。
「――もちろんだ、楽しみにしている」
ハンカチを彼女の手に返し、やさしく頭を撫でる。
彼女のピーチブロンドは細く、やわらかく、それでいて艶やかで、しっとりと濡れたような感触だった。
指を隙間にくぐらせると、唇で触れられたかのような、官能的な刺激がスルリと肌をすべる。
「……きれいな髪だな、レティ」
「お、おお、お姉さまの、おぐしほどではっ……」
カチンコチンに身をこわばらせながらも、レティシャにいやがるそぶりはなく、熱に浮かされた様子で、ミーアを見つめていた。
「……気になるなら、私の髪もさわってみるか?」
「よろしいのですかっっ!?」
「も、もちろん……」
かつてない妹の勢いに驚きながらも許可すると、彼女はすくい上げるように髪を持ち上げ、指の隙間にスルリとすべらせた。
「ふぁ……す、すごいです、サラサラしてるのにまとまっていて……なんだか、シルクでも撫でてるみたいな……」
「そんなたいそうなものかな……だが、気に入ってもらえたならよかった」
彼女が夢中になって髪をいじり、櫛を通してみたいという要望に応じていると、いつの間にかずいぶんと時間が経っていたのだろう。
「――失礼いたします、昼食をお持ちしました」
言いながら、ワゴンを押したサラが入室し、ミーアたちに視線を向け、どこかあきれた様子で、その目をスッと半眼に細めた。
「なにをしていらっしゃるのですか……」
「互いの髪を、批評し合っていたところで……ありがとうございます、サラ」
ベッドの上へ、身体をまたぐ形で小さなテーブルを置くと、そこへ食事を並べていくサラ。
遅れて入ってきたライラも、レティシャのために部屋のテーブルへ、彼女の分を用意した。
「さぁ、お嬢さまはこちらへ」
そうライラが声をかけるが、レティシャは動こうとせず、ミーアの食器に手を伸ばす。
「レティ?」
「食べさせて差し上げます、お姉さまっ」
病人食とあってか、消化にやさしそうなリゾットにスプーンが刺さる。
ホカホカとのぼる湯気からは、甘いミルクと、リンゴの香りが立ちのぼった。
「さ、どうぞ! あーん、なさってください!」
「あ、あぁ……あーん……」
ふぅふぅと吹いて適温に冷まされたリゾットが、彼女の手ずから運ばれる。
ライラはそれを、どこか微笑ましそうに見ているのだが――サラからの視線は、なにやら突き刺さるように感じられた。
「おいしいですかっ?」
「ん……うん、おいしいよ……ありがとう、レティ」
お礼を言って頭を撫でると、彼女の相好はたちまち崩れていく。
だが、次のひと口をというところで、ミーアはそれをやんわりと止めた。
「レティも、温かいうちに食べてしまうといい。冷めてしまっては、料理人たちにも申し訳ないからな」
もちろんメニューは違うが、昼食は冷製のものではない。
テーブルに用意された、自分用のそれとリゾットを、しばらく交互に見やっていたレティシャだが、やがてやむなくという様子で席を立つ。
「お姉さまがそうおっしゃるなら……」
「気持ちはとてもうれしかったよ。おかげで、食欲も出てきたしな」
そのひと言で、彼女はすぐさま満面の笑みを浮かべた。
「お役に立てたのでしたら、なによりですっ」
「うん、ありがとう……さ、レティもおあがり」
はずむような足取りでテーブルに向かう彼女を見送っていると、視線を遮るように、ズイッとサラが立ちはだかる。
「――では不肖ながら、続きは私が」
「い、いえ、ひとりで食べられますので……」
妹に食事を勧めたのは、さすがに食べさせてもらうのが、恥ずかしかったからでもあるのだが――。
「――さようでございますか。私の手からでは、召し上がれないと」
そんなミーアの返事に、サラの瞳には剣呑な光が宿った。
しかもなにやら、いつもより言葉づかいが丁寧な気さえする。
「そ、そういうわけではありませんが……」
「でしたら――さ、どうぞ。お召し上がりください」
温かなリゾットを差しだされているはずなのに、まるで抜身の刃を突きつけられているような、得も言われぬ迫力があった。
無言で開かれるミーアの口に、その切っ先――つぼがそっと運ばれる。
物をすくう用途からか、スプーンの先端はつぼと呼ばれるのだそうだ。
「――いかがでしょう」
「……おいしいです」
それ以外の答えなど、口にできるはずもない。
いや、実際にたいそう美味ではあるのだが。
けれど、なんとか満足してくれたのか、サラの剣呑な気配もやわらいでいた。
「夕食が少し早くなることと、ある程度のボリュームが予想されますので。昼食は軽いメニューになりますが、ご了承くださいませ」
「いえ、十分ですよ。身体のことを考えた、思いやりのあるメニューかと」
リゾットのほかには野菜のポタージュと、炒った刻みベーコンを乗せたサラダなど、バランスも整えられている。
「それにしても、夕食の話とは気が早いですね。伯父さまたちの、狩りの成果を疑うわけではありませんが、期待しすぎるのも申し訳ないかと」
「大丈夫ですよ、お姉さま。トラルディ伯父さまは毎年、立派な牡鹿を狩っていらっしゃいますから」
食事を進めながらミーアが笑うと、離れたレティシャが声をはずませた。
「そうなのか。なら、今年も期待できそうだな、立派な牡鹿を――牡鹿?」
思わずミーアが怪訝な声をもらすと、それを待っていたのか、サラやライラもしてやったりとばかりに笑みをこぼす。
「ミーアお嬢さまは、家紋のことで気にされたのでしょう?」
「ええ……てっきり、縁起をかついで牡鹿は狩らないものかと」
ライラの口振りからして、その発想自体は当然のことのようだ。
「ですが、レイクス家は反対の考えをしていらっしゃるようで」
目の前から、サラがそのように続ける。
「名目としては、血肉をその身に取り込むことで、霊験あらたかな力を得たり、家をさらに大きくしたりと、そういうお考えらしいですよ」
なるほど、人智を超越する存在と認識するからこそ、それを糧に成長しようというのは、なんとも人間らしい。
「名目ということは、本音は別に?」
「はい。他家の食事や宴席に呼ばれた際、なにかの手違いで牡鹿がいても、場の空気を壊さぬようにと――また、いらぬ挑発に取り合わぬようにと」
むしろ縁起物として捉え、喜ぶくらいの気構えを持つということだ。
豪放な伯父の考えか、あるいは伯爵家代々の教えか。
常識の枠を超えるその発想は、だからこそ、武門の棟梁たるにふさわしい。
「ですからお嬢さまも、どうぞお気になさらず――夏の牡鹿を、存分にご堪能いただければと思います」
「そうですね。口にするのはもちろんですが、私も狩りに行きたいものです」
病床というほど身体が弱っているわけでもなく、むしろ体力はすっかり回復しており、身体には気力もあふれている。
いまごろ、森では彼らが狩りをしているのだろうと考えながら、ミーアは視線を窓の外へ移した。
「なりませんからね、お嬢さま」
「まだなにも言っていませんが……」
目は口ほどにということもあってか、全員の疑うような視線が突き刺さる。
「今年はもうあきらめていますから、ご安心を」
つまりは、来年以降は必ず参加するということだ。
それを聞いたサラが、またひそかに頭を抱える一方で、レティシャが遠慮がちに口を開く。
「お姉さま、狩りに行かれるのも結構ですが……その、私とも……おしゃべりできるよう、遊ぶ時間を作ってくださいますか?」
ミーアは虚を突かれたように目を開いたが、妹のほうを見つめ、やがてフッと唇を緩めた。
「ああ、もちろん――」
レティシャの表情がパァッと華やいだのを見て、目を細める。
「避暑のときだけでなく……男爵領でも、そうしたいものだな」
「は――はいっ! 私も同じ気持ちですっ、お姉さまっ……」
そんな歓喜に満ちた彼女の声を、ミーアはきっと忘れないだろう。
「お食事のときは、お隣に座らせていただけますか?」
「もちろん、かまわないよ――ただ、いつも隣の席だったお母さまは、寂しがられるかもしれないな」
「私は気にしませんっ!」
それはそれで夫人が気の毒だが、姉妹のむつまじい姿を見られるとなれば、そちらのほうが喜ばれるかもしれない。
「それと、あの……」
先の提案より、さらにモジモジと逡巡した様子で、彼女はそう切りだした。
「以前はお断りしてしまいましたが、一緒に……町のほうにもおでかけして、お姉さまとお買い物して回りたいです」
「それは――すばらしい提案だ、ぜひそうしよう」
以前の事件のあと、町からは不穏分子のたぐいが一掃されており、治安はずいぶんと改善されている。
レティシャを連れ歩いても、彼女に危険はおよばないだろう。
もちろん、絶対というわけではないが――。
「……なにかあれば、また私が守るから。安心してついておいで」
「ありがとうございます、お姉さま……」
蕩けたような声と、熱っぽい吐息でそう答えたレティシャとは対照的に、サラはそれを聞き、表情を渋くする。
「……遺憾ではありますがハインも、それにアラドもおります。お嬢さまが率先して剣を振るようなことだけは、どうかお控えくださいませ」
「……レティの無事が確保されているかぎりは、善処しましょう」
実質的にはノーと答えたようなもので、察したサラは深くため息を吐いた。
そんな同僚の姿に、ライラはクスクスと笑いをもらしている。
「サラはどうしたの、ライラ?」
「それについては、ミーアお嬢さまがよくご存じでいらっしゃるかと」
なぜそんな話を振ってしまうのか――。
ミーアがライラのほうへ目を向けると、彼女の傍でキラキラと目を輝かせる、レティシャと視線がぶつかった。
「お姉さまっ、ぜひ聞かせてくださいませっ」
「い、いや、それはだな……サラ、どうしたものでしょう」
ヒソヒソとメイドに助けを乞うが、彼女はツンと澄ました顔で、食べ終えた食器を片づけ始めており、にべもない。
「お嬢さまの招かれた事態です。ご自身のおてんばぶりを、どうぞレティシャお嬢さまにご説明なさってください」
木刀で野犬を追い払ったこともあり、いまさら町での武勇伝を聞いたところで、レティシャはうれしがるばかりだろう。
問題ないといえば問題ないのだが――姉としてはバイオレンスな部分でなく、エレガントな部分を知ってもらいところだ。
(いや、私のエレガントな部分って、どこだ……)
自分で口にしておいて悲しくなってくるが、そんなミーアをよそに、レティシャは話を待ちわびている。
「……では少しだけ」
「はいっ、お願いしますっ!」
「……いつも、そんな風なわけではないんだぞ?」
「お姉さまがおっしゃるなら、きっとそうなのだと思います!」
効果があったかは不明だが、最低限の予防線を張ったところで、ミーアはかつての町での蛮行――もとい、武勇伝を語ることになった。
そこからの流れで、それまでの日々をミーアがいかに過ごしてきたか、屋敷の使用人たちとはどのように接していたのか――。
レティシャは、知らなかった姉の姿をもっと知りたいとばかりに話をせがみ、姉妹の会話は話題が尽きることなく、夕刻まで続くのだった。




