7-3 懺悔
◇
彼女が昨日も語った内容というのは、本当にすべてにおよんでいたらしい。
黙って湖に向かった理由や、そこで起きた獣の襲撃はもちろんのこと、ミーアが取った行動に、その後の戦闘の様子まで――とにかく、すべてだ。
二度も理由を聞かされることになったリュナンは、肩を落としつつ苦笑する。
「……そんなに狭量と思われていたのは、僕の不徳のいたすところだね」
「うむ、そう思わせたお前が悪いな」
伯爵の言葉が、鋭く追い打ちをかけた。
そういった結論になるのは、この世界の社会背景によるものか。
「お、伯父さま……リュナンはよくやってくれていたと思いますが」
彼に負担をかける頼みをしていたこともあり、そうかばい立てするが、彼はあきらめた様子で首を振った。
「いいんです、ミーア従姉さん」
「だが――」
そのことで婚約者が責められるとなれば、レティシャも心苦しいだろう。
これがきっかけで嫌われたら、あるいは今後の関係にヒビでも入れば、なお心を痛めるに違いない。
「……ともかく、レティシャとてリュナンを責めているわけではありません。あまり追及しては、この子がよけいに落ち込んでしまいます」
なぐさめるように義妹の背を撫で、ミーアは告げるが、それを否定するように頭を振ったのは、彼女自身だった。
「……違います、お義姉さま」
「レティシャ?」
「私が落ち込んでいるように見えたなら、それは叱られたせいでも、リュナンに嫌われそうだからでもありません」
隣で顔を伏せていた彼女は、熱を帯びた瞳でミーアを見上げる。
「私は……私自身のいたらなさと、お義姉さまへの申し訳なさと罪悪感で、胸がいっぱいになっていました……そのせいでしょう」
「なにを言う……私に申し訳なく思うことなど、なにも――」
「ありますっ、たくさんっっ!」
叫んだ彼女の、見開かれた瞳から大粒の涙が散った。
「あんなに冷たくして、嫌っていたお義姉さまにっ……命を助けていただいたばかりか、お義姉さまをっ……危険な目に、遭わせてしまいましたっ……」
「――いいんだ、レティシャ。あれくらいは、危険でもなんでもない」
現に、ミーアが負った傷のすべては、踏み台になったことに起因する。
もちろん、獣につけられた手傷は皆無だ。
「お義姉さまがそう思われたとしても、私にとっては違いますっ……」
ポタポタと大粒の涙をこぼしたまま、レティシャは何度も喉を震わせる。
「私のために勇敢に戦ってくださったお義姉さまに、もしものことがあったらと……私はそこで、ようやく気づいて――深く、深く後悔しましたっ……」
そう言って彼女は、先にミーアがしたのと同じく腰を折り、深く頭を下げる。
「っ……いままでの数々の無礼、本当に申し訳ありませんでした……お義姉さまが私をどれだけ想ってくださっているか、理解しようともしないでっ……」
「レティシャ……」
肩に触れようと手を動かすと、レティシャの身体がビクリと震えた。
自分の怒りをおそれているのだろうか――ミーアは逡巡しながらも、そのままゆっくりと手を伸ばし、その細い肩をやさしく撫でる。
「……かまわない、レティシャ。きみがそう思ってくれた――それだけで私は、十分に報われる」
「お……ねぇ、さまっ……ぅっ……いえっ……まだ、ですっ……」
グシッと目をこすり、声の震えを抑えるように深呼吸し、彼女は伯爵らのほうへ顔を向けた。
「伯父さま、伯母さま、それにリュナンも……聞いてください」
「――よすんだ、レティシャ」
言わなくてよいことまで口にして、これ以上に立場を悪くしても、誰かが救われるわけではない。
なんとか彼女の口を封じようとするが、背後から伸びた手がそれを止める。
「お願い、ミーア……レティに、許す機会を与えてあげて」
「お母さま、私は怒ってなどいません。許せとおっしゃるならいくらでも――」
そんなミーアに、男爵夫人は小さく首を振った。
「違うわ――あの子が、自分を許すための機会よ。ここですべてを告白できなければ、あの子はきっと……一生、自分を責め続けてしまうわ」
「それはっ……ですが――」
なんとか反論したいが、うまく言葉が浮かんでこない。
夫人の言葉は真実で、やさしいレティシャはそのとおりになるだろう。
もしミーアが彼女を恨んでいるなら、その状態をこそ願うかもしれないが――そんなことなど、望むはずもない。
言葉を飲み込み、義妹を止めることをあきらめたミーアに、夫人は瞳で、ありがとうと伝えていた。
「私は家で、お義姉さまをメイドとして扱っていました。他のメイドと同じどころか、彼女たちにもしないような仕打ちで――追いだそうとしていたんです」
おそらく、これまでの二人のぎこちなさを見ていたことで、伯爵家の全員が気づいていたのだろう。
彼らはなにも言わず、レティシャの告白に耳を傾けている。
「……最初は、お義姉さまが怖かっただけ……だったと、思います」
彼女の語る言葉は、おおよそ想像したとおりのものだった。
義姉の存在が、自分の居場所や両親の愛情を奪うのではないかという不安――。
それがミーアを敵視する要因となり、ああした態度にも表れたと。
「お母さまもお父さまも、私をないがしろにするはずがないのにっ……勝手に思い込んで、意地を張って、お母さまたちまで不快にさせていました……」
その件については、ミーアがかばうことはできない。
両親の反応が気になり、様子をうかがってみると、父は気遣うような、母は厳しくも見守るような、そんな視線を向けていた。
「お義姉さまだって、こんなにも素敵なお義姉さまなのに、私は見えないふり――気づかないふりをしました。自分が悪い子だって、認めたくなかったから」
それは違う――そう否定してあげたくなる気持ちを、ミーアは飲み込む。
嫉妬はときに、七つの大罪にも含まれるのだから、悪感情であるというのは間違いない。
それを体現した彼女が、自身を悪い子だと感じるのも当然だ。
だが、ミーアはそうは思わない。
まだ感情のコントロールの未熟な子が、人として持ちうる感情をあらわにしたところで、なぜそれを悪の種と言わねばならないのか。
自身の中に芽生えた、善良な心で嫌悪すべき感情の発露――。
けれど大事なのは、その発露を抑えることではなく、自覚し、反省し、より成熟した人格を形成することであるはずだ。
誰がなんと責め立てようと、ミーアから見たレティシャは人として、少女としてとても健全な成長を遂げている。
ジワリと胸が熱くなり、ミーアは意識して言葉をつぐんでいた。
いまは黙って、彼女の言葉を聞かなければならない。
否定するのも肯定するのも、許すのも、すべて聞き終えてからだ。
「そんなお義姉さまをいびって、いじめて、仕事をさせて……権利を奪い、尊厳を傷つけましたっ……なのに、お義姉さまは――私をっ……」
ギュッと身を抱くのは、獣に襲われた恐怖を思いだしたのだろう。
「私を、守ってくれました……見捨てられても、おかしくなかったのに――」
そう口にしかけたところで、彼女はそれを否定するように首を振った。
「いえ、違います……そんなわけ、ありませんでした。お義姉さまはいつも、私を気遣って、助けて……傷つかないよう、守ってくれていたんですから……」
そんなレティシャの言葉に、リュナンもうなずいてみせる。
「僕も、ミーア従姉さんから聞いたよ。その……レティシャがなにを思って、どんな不安を抱えているか――それがわかるから、自分が守りたいんだって」
「リュ、リュナン、その話はっ……」
彼に説明したことは覚えているが、それは内緒のつもりだったのだ。
思いもしないところで暴露され、気恥ずかしさに頬が熱くなる。
だが――そんなミーア以上に赤い顔をしているのが、レティシャだった。
「……そのお話は、存じ上げていました。リュナンの声が聞こえたので、あのあと部屋に戻らず、廊下で聞いていましたから――それで……」
「なっ――」
リュナンを気にするあまり、義妹の気配をつかみ損ねていたとは、まさしく一生の不覚――。
同時に、あのときから自分の身勝手な感情を知られていたとわかり、消え入りたくなるほどの羞恥も味わわされる。
「お義姉さまはいつも、聞こえのいい言葉ばかり口にして……それはきっと、私がいるから、ご機嫌取りなんだって思っていました……なのに――」
彼女の真っ赤な顔が向けられ、視線が触れ合うように重なる。
「お義姉さまは、私がその場にいなくても、変わりませんでした……ずっと、あんな風に思っていてくださったことを知って、私っ……もう、どうすればいいのか、わからなくなってしまって……」
それで――こちらにきてからは、わかりやすい反発が減ったのだろうか。
伯爵夫妻やリュナンの手前、見苦しいところを見せないよう、気を遣っているのかとも思ったが、彼女なりの葛藤があったらしい。
「素直になることも、離れることもできなくて……結局はお義姉さまを、あんな危険な目に遭わせてしまって――本当に、ごめんなさいっ……」
ミーアに、そして両親に、伯父に伯母に、リュナンに――。
深く、深く、心からの謝罪とともに頭を下げ、彼女は沙汰を乞う。
「リュナンには、嫌われても仕方がありません……伯父さまたちも、もし婚約を破棄したいとおっしゃるなら、私はそのようにします」
それを聞いたミーアは、思わず伯爵一家に剣呑な気配を向けてしまうが、もちろん伯父が、そのような判断を下すはずもない。
「――それは思いつめすぎだな、レティシャ。たしかに、褒められた行為はひとつもないが……反省し、改善すると約束するなら、私からはなにもないよ」
ヒゲをさすって伯爵が微笑むと、隣で夫人もやさしく微笑む。
「そうねぇ……まぁ、リュナンがどう言うかはわからないけど?」
訂正――イタズラっぽく、ニヤニヤと息子を見つめていた。
「……僕は最初から、レティシャを嫌いになんてなっていません。これからも、いままでどおりで頼むよ……よろしくね、レティシャ」
「リュナン……ええ、ありがとう」
三人から声をかけられ、レティシャはゆっくりと頭を上げる。
その表情は、とても穏やかで――けれど、どこか冷静な態度にも感じられた。
(おや――)
リュナンに対しては、もっとうれしそうな反応をするかと思っていたが、意外にも落ち着いた様子である。
(……まぁ、レティシャも気を張っていただろうからな)
緊張で強張っているだけか――そう思いながら見守っていると、彼女はミーアに向きなおり、白肌をポッと朱に染めた。
(ん――んん?)
「あの、それで……お、お義姉さまからは、なにかありませんか?」
どこか不安そうな、それでいて、なにかを期待するようなまなざし――。
そう感じつつも、どう答えればいいかわからないのは、やはり自分の姉経験値が低いからだろうか。
慣れないながらも、ミーアは慎重に言葉を選び、口を開く。
「私は……レティシャがこれからも変わらず、元気に過ごしてくれるというなら、それ以外に望むことはないよ」
ひとまずの満額回答――のつもりだったが、なぜか彼女は不服そうな、物足りなそうな顔を浮かべていた。
(う……なぜだ、わからん……なにかを言うべきなのか?)
そういえばレティシャは、償いを求めていたはず。
それならば罰を――ということかもしれないが、ミーアには難しい相談だ。
どうしたものかと思い悩んでいると、やがて意を決したように、レティシャのほうから切りだしてくる。
「でしたら、その……私が、お義姉さまのメイドになる、というのは――」
「それはだめだ。私の望むところではないし……サラの仕事を奪ってしまっては、怒られてしまう」
ダシに使って申し訳ないと心の中で謝罪するが、脳内の侍女は許してくれず、クールな視線で責め立ててきた。
まぁ、現実に知られなければ問題はあるまい。
(それよりも、まずは目の前のことだ……本当に、どうしたものかな)
ひとつ、彼女に対して求めたいことはあるが、それは願うより、自然とそうなりたいという想いだ。
しかし、それには彼女の協力も不可欠である。
やむなくというわけではないが、歩み寄りにはちょうどいいかもしれない。
「それなら――私も、レティと呼ばせてもらえないだろうか?」
「えっ……お、お義姉さまっ、いまなんと――」
声が震えるほど動揺させてしまったことを、申し訳なく思いながらも、ミーアは改めて、はっきりと口にした。
「レティシャが許してくれるなら……今日から改めて、家族になろう。お母さまやお父さまのように、私もレティと呼びたい――呼ばせてもらえるか?」
パチパチと瞳をしばたたかせた彼女はやがて、激しく何度もうなずき返す。
「は――はいっ、もちろんですっ!」
そう答えた彼女の表情は、この上なく華やかな、満面の笑みだった。
「私っ……お義姉さまの妹として、恥じない淑女になることを誓います! ですからどうか、お姉さまと呼ばせてください!」
「もちろん、かまわないよ……よろしく、レティ」
握手を求めるようにミーアが手を差しだすと、彼女――レティはそれをすり抜けるように、全身でダイブしてくる。
「よろしくお願いしますっ、お姉さまっ!」
「んぐっっ……あ、ああ……よろしく、レティ……っ……」
肩に、そして全身に響く激痛を、精神力で完全に抑え込み――胸元に頬ずりするかわいい妹を、ミーアはやさしく抱きしめた。




