5-2 溺愛する姉、反発する妹
◇
食事を終え、しばらく休んでの入浴後――。
(いつもなら、レティシャの入浴を手伝うところなんだが……)
今日からは令嬢としての生活が中心となるため、そういうわけにもいかない。
使用人としての仕事だけならまだしも、義妹の侍女をしている姿など見られてしまっては、悪印象をまぬがれないだろう。
そうした事情もあって、ミーアは時間を持てあましていた。
とはいえ、せっかくの時間を無為にすることもない。
湯を浴びてしまったからには鍛錬こそできないが、普段は仕事のために回っている邸内を、ゆっくり見ておこうか。
そんなことを思い、廊下奥のベランダへ向かおうとした、その途中――。
「おや――」
あちらも湯を浴び、どこかで涼を取ろうとしていたのだろう。
桃色の髪をしっとりとさせたレティシャが、こちらを見て顔をしかめる。
「やあ、レティシャ。夕涼み――というには遅いが、ベランダに用かな?」
「っ……う、うるさいわねっ、あなたにかんけ――んきゅっ!?」
そんな憎まれ口を叩こうとした彼女を、ミーアは即座に抱きしめた。
「なっ、なんっ、ななっ……なにするのっ、調子に乗らないでっ――」
「静かに――廊下の角で、リュナンが見ている」
そう囁くや、レティシャの身体はビクンッと跳ね、動きを止める。
彼女が聞く耳を持ってくれたことを確認し、ミーアはさらに続けた。
「……私は、レティシャを溺愛している」
「はっ、はぁっっ!?」
「けれど君は、それが恥ずかしい――だからよく、照れ隠しのように抵抗する。まぁそこは、普通に抵抗するでもいいが……ともかく、そういう設定にしよう」
リュナンの視線を気にしながらも、腕の中で小さくもがいていた彼女だったが、その言葉で察してくれる。
仲のいい姉妹だが、姉は少しデリカシーが足りず、妹は姉のそんなところが好きではない――そういう演技をしよう、という申し出であることを。
「安心してくれ。レティシャが困るようなことはしない、絶対に」
「……いいわ、いまだけよ」
「ああ――ありがとう」
ムッとした張りつめた声ながら、そう答えてくれたことに安堵し、ミーアは彼女を抱く腕の力を抜いた。
「……いや、すまない。もしかしたら、湯上がりに同じことを考えてくれたのかと思って、感極まってしまった……ベランダで涼むなら、一緒にどうかな」
「そのつもりでしたが、お義姉さまが行くならやめておきます」
ツンとした態度はそのままだが、どこか意地を張っているというか、素直に甘えられないという態度のレティシャ。
なかなかの演技派だ、ミーアはクスリと笑う。
「つれないことを言わないでほしいな……まぁ、過剰なスキンシップが苦手なレティシャに、いつもこんなことをしていては、怒られても仕方ないが」
「……そう思われるのでしたら、今後は控えてくださいね」
極端に長くも、短くもない会話――とはいえ、まったく言葉を交わさなかった食事中にくらべれば、十分すぎる会話量だろう。
そのときの印象も、これでぬぐえていればいいのだが。
「それでは、私はこれで。あまり、身体を冷やされないほうがいいですよ」
「ん……ああ、そうするよ。おやすみ、レティシャ」
南部の夏は暑いが、夜はそれほどでもなく、涼しいくらいには気温を下げる。
気遣うようにそれを指摘し、部屋に戻っていく彼女を見送っていると、気配だけは感じていた従弟が、廊下の先から声をかけてきた。
…
「従姉さん、こんばんは――少しよろしいですか?」
「やあ、リュナン。恥ずかしいところを見せてしまったな」
万が一を考えたが、特に悪意がある様子ではない。
どちらかといえば、ミーアのことを気遣っている雰囲気すらある。
となればやはり、レティシャとの関係について、聞きたいのだろう。
「すみません、隠れるつもりはなかったんですが……レティの声に、少し棘があるように感じたもので」
やはり――と思うが、ミーアはやわらかく微笑むにとどめる。
「私のほうに気遣いが足りず、よく怒らせてしまうんだ。急に抱きつかれたりすれば、誰だってそうなる……それでも、我慢できないのだがな」
デリカシーのない、軽薄な姉を演じてみせるが、彼の目はまっすぐだった。
ミーアの真意を見透かすように開かれ、気遣いの色を浮かべる。
「……なにか、あの子に困らされたりはしていませんか?」
「そうだな……私が困らせていることなら数えきれないが、レティシャに困らされたことはないかな」
実際のところ、ミーアとしてはレティシャに対し、申し訳なさしかない。
だからこそ、自分の意思で彼女に仕えたいと言いだしたわけで、その結果の扱いについても、一切の不満がなかった。
けれど――二人の様子や、両親の態度を見ていたリュナンには、やはり考えさせられるところがあったのだろう。
「レティは、なんと言えばいいか……少し、わがままなところがありますから。従姉さんも、それで振りまわされてはいないかと――」
「――それはない」
そんな風に切りだした彼に、ミーアは断言した。
「レティシャがわがままを言ったことはないし、それで人を振りまわしたこともない。もちろん、君がそう感じたというのを、否定するわけではないが――」
どう伝えたものかと、慎重に言葉を選びながら、ミーアは続ける。
「そうだとするなら、それは君だけに甘えているんだろうな」
実にうらやましいことだ――そう付け加え、淡く微笑む。
「本来なら、甘えられるのは両親か、あるいは私であるべきだろう。だが――彼女にそれを許さなかったのは、激動する環境のほうだ」
そう口にしてから、ふと気づいたように、ミーアは問う。
「いまさらだが――レティシャの家庭環境については、知っているな?」
「え、ええ、まぁ……前男爵――ルフィーナ叔母さまの夫で、僕たちの叔父でもあった方が、亡くなられた……」
リュナンの返事にうなずき、そこに補足するように、変化を加えていく。
多忙な母に迷惑をかけまいと、自分の感情を押し殺していた幼年期――。
そこに新しい父親がやってきた困惑と、それを乗り越えた二年間――。
ようやく新たな生活に慣れたかと思えば、今度は義理の姉を名乗る女が、一年と経たずに現れた――。
「それだけのことが目まぐるしく起きれば、幼い心は破裂せんばかりだろう。その状況でわがままひとつ言わず、あの子は本当によくやっている」
自分が同じ年で、同じことがあれば、耐えられただろうか。
おそらく無理だろう――けれど、結月に対する姉の詩織であれば、そんな結月をうまくフォローできたはずだ。
それを思うと、いまの自分の無力さにあきれさえする。
「もう一度、繰り返しになるが――私は困らされたことはないし、あの子をわがままだと感じたこともない。私だけでなく、お父さまたちもそう思っている」
だからこそ――リュナンの存在は、彼女にとってなによりも大きいはずだ。
「君だけに甘えていると言ったが……それはつまり、君と過ごす時間だけは、家族や環境の変化に思い悩まなくていい、心安らぐ時間だったということだよ」
黙って聞いていたリュナンだったが、自分のことに話がおよぶと、聞き入るように顔を上げる。
「……その上で私は、君に酷なことをお願いしなくてはならない」
「それは……どういうことでしょう」
どこか不安そうなリュナンの前に、ミーアは頭を下げた。
「あの子とひとつしか違わない君に、こんな負担をかけるのはしのびないことだが……どうかそのまま、レティシャを甘えさせ、支えてやってはくれないか」
真意を問うような彼の目を見て、告げる。
「私たちも、できるかぎりのことはしたい……だが、あの子がその気になってくれなければ、それこそ私たちのわがままになってしまう」
たとえば、甘えてほしいと言ったところで、それから甘えてもらったのでは、逆に気を遣わせているだけではないか、ということだ。
両親とミーアはたまに、そんな形で牽制しあっていたりする。
「その点でいえば、リュナンは私たちより、レティシャに近い位置にいるんだ。本当の意味であの子を守れるのは、君だけだと思っている」
9歳の少年に告げる言葉ではないが、仮にも婚約者なのだ。
本気で彼女との将来を思うなら、気概を見せてもらいたい。
(……とはいえ、そこまで負担をかけるつもりでもないが)
リュナンはどうも、レティシャによってミーアが苦しんでいると思っている節があるため、最低限、それは逆なのだとわかってもらいたかった。
「もちろん、無理になにかをする必要はない。ただ、私を気にするくらいなら、あの子の傍にいることを意識してほしい……それだけで十分だ」
「僕は――それがレティのためだというなら、そうしますが……」
そう言いながらも、ミーアへの気遣わしげな視線はぬぐえない。
「ミーア従姉さんは……本当に、大丈夫なんですね?」
「ああ、まったく問題ない。レティシャの幸せこそ、私の幸せでさえある」
本来ならここにいなかった自分と、最初からいた彼女。
どちらがより報われるべきか、考えるまでもない。
「――わかりました。ただ、ひとつだけ言わせてください」
「なんだろうか?」
恨み言があるならと耳を傾けるが、彼はやさしく微笑んでいた。
「僕は、従姉さんに言われたから、そうするわけじゃありません。レティのことを大切に思うから、そうする――いえ、そうしたいんです」
「……ああ、そうだな。ぜひとも、そうあってくれ」
気概を見せてもらいたいと思っていたが、それ以上のものを見せてくれた。
「私が言うことではないが……感謝するよ、リュナン」
「いえ、僕のほうこそ。レティの心の内が、少しですけどわかりましたから」
そう言いながら、リュナンはクスクスと愉快そうに笑う。
「どうした?」
「いえ……態度といい口調といい、従姉さんはとても誠実そうに思えますから。そんな人が強引に、妹に抱きついたりするのかなって」
レティシャをかばって嘘をついているのでは、ということだ。
ミーアは小さく首を振って、苦笑する。
「……失望させて申し訳ないが、それも本当だよ。私はいつだって、あの子を抱きしめたいと思っているからな」
自分をよく抱きしめていた姉たちの気持ちが、少しだけ理解できた。