5-1 レティシャとリュナン
リュナンもある程度は事情を聞いていたようだが、そこに加えて、ミーアは自身の目的も説明していく。
「お父さまには感謝しているが、元の身分もあるからな。後継などには関わらず、どこかよい家にお仕えできれば――と、そう思っているんだ」
あまり敬語で接しては、レティシャとの関係も推察されかねない。
そう考え、レティシャがリュナンにそうしているように、ミーアも対等の言葉づかいで接することにしておいた。
「そのために、いまはメイドや侍女の仕事を教わっていてな。日頃からこの格好でいるほうが、合理的というわけだ」
「な、なるほど……えぇと、将来の展望があるというのは、いいことですね」
さすがに突拍子もない話だったか、彼は困惑したそぶりを見せるが、こればかりは事実だから仕方がない。
「ですが……ミーア従姉さんはおきれいですし、社交界に出ても引く手あまたかと思いますよ。あまり出自にこだわる必要はないかと」
「ふふ、口がうまいな、リュナンは……まぁ、お世辞として受け取っておこう」
「そ、そんなつもりでは……本当に、そう思いますし」
貴族ならではの社交辞令かと思ったが、赤くなった少年の顔を見るに、それだけではないのかもしれない。
もしかしたらレティシャも、よくそのように言われているのだろうか。
そんなことを思いながら彼女に目を向けると、驚くほどの敵意があった。
頬をふくらませ、彼の腕にしがみつくようにしながら、吊り上がった目がミーアを睨みつけている。
(あっ――なるほど、そういうことか……)
少なくとも二人は、ただの従兄妹というわけではないらしい。
リュナンからは親愛の情を、レティシャからはそれ以上の好意を感じていたが、その関係もおそらく、さらに踏み込んだものなのだろう。
「そ――そういえばレティシャ、君におみやげがあったんだ」
察したミーアはすぐに話題をそらし、用意してきた袋を渡す。
「さっき町に出て、店で教わったんだが……この時期にぴったりだそうだ」
「これって、花の種……どうして――あっ」
中を確認したレティシャの顔は、わかりやすくパッとほころんだ。
「き、気に入ってもらえると、うれしいんだが……」
「え、と……そ、そうね……う、うれしいわ、お義姉さま」
姉妹らしい会話など初めてだ、ぎこちなくとも仕方はない。
けれどリュナンは、そこではなく花の種に注目していたようだ。
「これは――マリーゴールドですか。よかったね、レティ」
どういうことだろうと考えていると、彼がこちらに笑みを向ける。
「お店で聞いたと言っておられましたが、本当は、レティの好きな花だってご存じだったんですね」
「――ふふっ、さてどうかな?」
もちろんそんなわけはないのだが、本音を隠し、不敵に微笑んでおく。
これで少しは、関係が良好な姉妹に見えただろうか。
「さて――もう遅いし、種を植えるのは明日にしたほうがいいな。リュナン、そのときは手伝ってやってもらえるだろうか?」
「はい、もちろん……レティも、いいかな?」
顔を覗き込まれたレティシャは、恥じらうように頬を染め、コクリとうなずく。
それを見届け、ミーアはきびすを返した。
「では、私はこれで。出発までは滞在するのだろうから、ゆっくりとくつろいでいってくれ、リュナン」
「はい、ありがとうございます」
なんとか怪しまれず、乗りきることはできただろう。
二人の楽しそうな会話を背に、ミーアは満足しながら、屋敷に足を向けた。
…
それからしばらくし、夕食の時間を迎える。
やはりというべきか、食事の場にはもちろん、ミーアも同席していた。
おそらくはバカンスまでの数日、加えて避暑地でも、こうした令嬢生活を送ることになるのだろう。
(おかしい、逆に難易度が上がっているような……なぜだ……)
自分は令嬢、自分は令嬢――。
そんなことを言い聞かせながら、歓談に耳を傾け、微笑を絶やさない。
令嬢生活とは、かくも過酷なのである。
その歓談の中でわかったことがいくつかあるが、最も重要なのは、レティシャとリュナンが婚約関係にあるということだ。
彼には兄がいるため、その兄君が伯爵家を、リュナンが男爵家を継ぐ形になれば、両家とも安泰なのだろう。
こんな小さいうちから――と、貴族社会に思うところはあったが、本人の意思も確認してあるというなら、ミーアが口をだすのも野暮だ。
(まぁ……レティシャのほうは、特に乗り気のようだしな)
リュナンのほうは、まだ親類としての親愛の情を超えていないようだが、それでもレティシャを大事に思っていることはうかがえる。
このまま育ち、仲むつまじい夫婦になるというなら、なにも言うことはない。
「先ほどもお伺いしましたが、従姉さんはそれでよろしいのですか?」
「ああ、もちろんだとも。後継にはレティシャと、その伴侶となるならリュナンがふさわしいと思う。私はよそへ働きに出られれば、それで満足だ」
なんの含みもなく、素直にそう答えるが、両親は思うところがあるのだろう。
「うぅん、ミーアにだけ苦労をかけるのもなぁ……」
「そうねぇ、付き合いのある家に、年の近い子はいたかしら――」
ひょっとすると、自分の縁談もなにか考えているのかもしれない。
そんなことになってはたまらないと、ミーアは牽制するように口を開いた。
「……お父さまは、私をどこかへ嫁がせたいのでしょうか?」
そのつもりで引き取られたのですか――といったニュアンスをにじませると、男爵は慌てた様子で首を横に振る。
「そ、そんなことはないよ、ミーア! 君さえよければ、いつまでいてくれてもいいんだから、なぁっ?」
「え、ええ、もちろんよ!」
軽い牽制のつもりが、思った以上に慌てさせてしまった――。
そのことを反省しつつ、冗談ですよというように唇を緩める。
「それはなによりです。とはいえ私も、妹夫婦のもとにいつまでも身を寄せてはいられないでしょうから、やはり働きに出たいですね」
言いながらミーアは、義妹たちにも目を向けた。
曖昧に微笑むリュナンの心境は読めないが、レティシャのほうは照れているのがわかりやすい。
ただ、義姉の言葉でそう反応するのを認めたくないのか、それを隠すように、食事に集中して見せている。
「気が早いですよ、ミーア従姉さん。レティもそう思わない?」
リュナンが水を向けるも、レティシャはどう答えてよいのかわからず、チラリとこちらを見ただけだった。
「すまないレティシャ、少しからかいすぎたかな」
その反応はあくまで照れによるものだと、従弟に印象づけておく。
気づかれたかはわからなかったが、彼もそれ以上を追求することはなく、代わりにミーアへ目を向けた。
「そういえば……従姉さんは平民出身と聞いていましたが、それにしては振舞いがおきれいですよね。さっきのカーテシーでも感じましたけど」
「んんっ……そのさっきも聞いたが、リュナンは本当にお世辞が好きだな」
みっともなくないようにと意識してはいるが、基本的には正しい姿勢、正しい順序を守っているだけだといえる。
それを反復することで覚え込ませただけで、言ってしまえば所作やマナーというものは、正しくついたクセと同じだ。
ミーアにとっては、ただの慣れでしかなく、そうすべきことをそうしている――という意識しかない。
そのこと自体、苦手な者にとっては驚嘆すべきことなのだが。
「そういうリュナンこそ、正式に習い始めたばかりだと思うが、動きがなじんでいるじゃないか。身体の軸にもブレがないし――」
そこまで言ったところで、はたと気がついた。
先ほどからの言葉づかいもそうだが、振舞いの端々に礼節が見て取れる。
所作にそれらが現れる理由について、ミーアは少なからず覚えがあった。
「――レイクス伯爵家は、武家のお家柄でしょうか?」
その視線を夫人に向けると、あらと驚いたように口を押さえる。
「そういえば、そういう話もしていなかったわね」
聞けば、先祖が過去の戦で大きな武功を上げており、その功績もあってレイクス伯爵家は、王国南部の武門をまとめる棟梁でもあるという。
男爵家がその傍流だというのも事実で、港の管理や水軍、海軍などの世話をする役割を、一部ながら担っているそうだ。
その伯爵家に生まれたということは、リュナンも幼いころから武器を取り、身体をそのように鍛えられているのだろう。
「――といっても僕は、母に似たのか武才に恵まれなくて。兄のほうは父に似て、剣の扱いもそれ以外も、本当にすばらしいんですけど」
口調は卑屈なものではなく、心から長男を尊敬している様子だった。
兄や姉のすぐれた才覚に憧れる気持ちは、ミーアにもよくわかる。
だからといって自身を否定するのが、間違いだということも。
「……謙遜することはない。動きや身体に鍛錬の成果が出ているということは、武と真摯に向き合っている証明だ。誇るべきことじゃないか」
そうした褒められ方に、経験がなかったのだろうか。
「あ……ありがとう、ございます……」
リュナンは落ち着かない様子で、表情を緩めながらも、懸命にその反応を戒めようとしている。
年相応の少年らしさと、一人前の貴族たらんとする意識を内包した、そんな姿に見えた。
(まだ9歳……これから、いくらでも伸びてくるだろうな)
それはリュナンだけでなく、さらに年若いレティシャにしてもそうだ。
成長を楽しみにし、二人のほうを見ていると、夫人がいたずらっぽく笑う。
「ふふっ……レティシャもリュナンみたいに、剣を習ってみる?」
礼儀作法にも通じるものがあるし、ためになるかも――と。
そんな冗談まじりの言葉だったのが、当人にとってはそのかぎりではない。
義姉と比較されたように感じたのか、レティシャの顔にサッと陰りが差す。
それを目にしたミーアは、とっさに口を開いていた。
「――その必要がありますか、お母さま」
思わず口にした、自身の声の硬さに少し驚きつつも、そのまま続ける。
「私が見るに、レティシャは無骨な礼節より、やわらかくたおやかな気品が磨かれているかと思います。私がけして、持ち合わせないものです」
これは気遣いでもなんでもなく、本心からそう思っての言葉だ。
武道を通じ、礼節を学ぶことは可能だろうけれど、そも武道自体にも、向き不向きというものはある。
花を育て、それを愛でるというやさしい趣味を持つ彼女なら、そちらから学ぶ感性をこそ大事にするべきだと、ミーアは感じていた。
「それにレティシャは、私が教わって覚えたものを、すでに手にしつつあります……きっと、お母さまの所作を見て学んだのでしょう」
ミーアの所作とて、型どおりに見れば夫人のそれと変わらないが、受けるやわらかな印象は、レティシャのほうがなじんで見える。
家庭教師をつけずともこれなら、本格的に学んだ彼女は、どれほどのレディに成長することか――。
そうした期待も込め、ミーアははっきりと告げた。
「……剣を習うより、お母さま直々のご指導をいただくほうが、何倍もためになるかと思います。レティシャもそれを、望むことでしょう」
「――そ、そうね……そうだわ。ごめんなさいレティ、考えなしだったわね」
夫人にも、もちろん悪気があったわけではない。
おそらくミーアと食卓をともにしたことで、つい気分が昂揚し、そのように口走ってしまっただけだろう。
「……ううん、いいの。ありがとう、お母さま」
完全に気にしていない――というわけにはいかないが、そう返したレティシャの顔からは少なくとも、先に浮かんだ一瞬の陰りは消えていた。
「本当にごめんなさい。お詫びというわけじゃないけれど……あなたのために、必ず時間を作るわ。勉強だけじゃなく、大事なお話をたくさんしたいものね」
「お母さま……うんっ、楽しみにしてるっ」
和らいだ食卓の空気にホッとしつつ、ミーアは頭を下げる。
「申し訳ありません、また差し出口を……」
「そんなことないわよ、ミーア。いまのは本当に……はぁ、私ったらダメね」
自己嫌悪する夫人の肩を、男爵が慰めるように撫でていた。
「……従姉さんは、やさしい方ですね」
「そんなことはないさ。私はいつも、自分勝手だよ」
従弟の小さな囁きに、ミーアは肩をすくめてそう返した。




