4-6 これは趣味です
◇
屋敷に戻ったミーアはまず、外出着からメイド服に着替えなおす。
ところでサラは、なぜこんなに上機嫌で、鼻歌を奏でているのだろうか。
「あの……サラ、なにかいいことでもありましたか?」
「それはもう、今後もお嬢さまをお叱りする許可をちょうだいしましたので。それを想像するだけで、胸がすくような思いでございます」
着替えを手伝うサラに微笑みかけられ、ミーアは背筋に冷たいものを感じた。
「そ、そうですか……はは……」
「叱られたくなければ、心おだやかに過ごされますよう――はい、できました」
姿見の前に立たされ、前後の仕上がりを確認する。
「……いつもありがとうございます、サラ」
「いいえ。お嬢さまのためでしたら、この程度は苦労もございません」
いつも以上に慇懃な態度が、ジワリと恐怖を感じさせる。
「あの……やはり、怒っています――よね?」
「まさか……お嬢さまに対してそのような感情、抱いたこともございません」
「いえ、ですが――」
「ございません」
「……はい」
これ以上の追及は許さないとばかりに、ピシャリと言いきられては、ミーアも押し黙るほかない。
「――それよりも、お嬢さま?」
「は、はいっ、なんでしょうかっ」
思わず慌てふためくと、そんなミーアの反応が珍しかったのか、サラは不思議そうに首をかしげていた。
「レティシャお嬢さまは、まだ庭園にいらっしゃるとのこと――先ほどのおみやげを、お渡ししに行かれてはいかがでしょうか」
もう夕刻とあって、ミーアが手伝える仕事は残っていないだろう。
サラの仕事もミーアの世話だけなのだから、あとはいわば、ミーアの自由時間ということだ。
「……そうですね。では少し、行ってきます」
「はい、お気をつけて」
とはいえ、屋敷の敷地内では、そう事件は起こらないだろう――。
そう思いながらミーアを見送ったサラは、ふと部屋から庭園に目をやり、おやと小さく声をもらす。
庭園にはレティシャともうひとり、同い年くらいの少年の姿があった。
…
庭に出たミーアは、慣れた足取りで彼女のもとに――レティシャが世話をしている花壇のスペースに近づき、そこで足を止める。
(あれは――誰だ?)
レティシャの隣に立ち、親しげに話しかけている少年。
アッシュブロンドの髪は艶があり、夕日の中でも淡い輝きを放っている。
その瞳は、鮮やかな緑色だろうか。
レティシャを見つめてやさしく細められ、語りかける雰囲気といい、彼女を慈しんでいることが見て取れる。
対するレティシャも、これまでミーアが見たことがない反応だ。
貴族令嬢や、義妹としてのそれではない。
ただの、どこにでもいる少女としての明るい笑顔を見せ、目の前の少年に気安く甘えている――そんな姿だ。
(レティシャお嬢さまがあんな顔を……何者なんだ、あのおと――少年は?)
建前上のミーアは使用人であるから、外から帰っても出迎えないようにと、屋敷の皆には伝えられている。
それゆえ、帰ってから誰かと話をしたりはしなかったのだが、いま思えば、なにやら慌ただしい気配があったかもしれない。
そう、まるで――急な来客をもてなすため、支度に奔走しているような。
(服装からして、貴族なのは間違いない……あれが来客か)
その容姿をジッと観察するが、特に見覚えはない。
しいてあげるとするなら、緑色の瞳――両親、そしてレティシャにも共通する色合いである。
(お二人の子……いや、年齢が合わない。彼のほうが年上に見えるしな)
ならば親戚だろうか、そんなことを思ったところで、不意に目が合った。
(しまった……)
いまさら目をそらすこともできず、ミーアはお辞儀をする。
それに気づいた彼は、レティシャの耳に囁きかけ、注意を促した。
すぐさま彼女はこちらを振り返り、少年に見えない位置で顔をしかめる。
事情はわからないが、非常にまずいことをしたらしい――そのことに気づくも、すでに手遅れなのはレティシャも理解したのだろう。
彼女はあきらめたように肩を落とし、視線でミーアを呼びつけた。
…
どことなく落ち着かない雰囲気でたたずんでいると、ややあってレティシャが手でミーアを示し、口を開く。
「リュナン、紹介するわ……この人が、義理の姉よ……えっと――」
(姉っっ!)
渋々ながらも彼女が姉と呼んでくれた事実に、心が躍った。
とはいえ、浮かれている場合ではない。
姉とは言ってくれたが、名前がわからなくては先方も困るだろう。
(……というか、もしかしてレティシャお嬢さまも、名前を覚えてくれていないのでは……いや、まさか、そんなわけが――)
紹介するのをためらい、言い淀んでいるだけだ。それはそれでつらいが。
心の汗をぬぐったミーアは、レティシャの言葉を継ぐように、スカートをつまんで膝を折る。
「――はじめまして、リュナンさま。稀有な縁により、ミルロワ男爵家に引き取っていただきました、ミーアと申します。よろしくお見知りおきください」
長女の――とは、さすがに名乗れない。
そこが気になったのか、少年はしばしボーッとしていたが、やがてハッとなり、慌てて胸に手を添え、頭を下げた。
「レイクス伯爵家次男、リュナン=レイクスと申します。ミーア従姉さんのことは、ルフィーナ叔母さまより伺っていました。お会いできてうれしいです」
(レイクス……それに、お母さまが叔母さまか……なるほどな)
少年――リュナンは、レティシャの従兄になるらしい。
それも伯爵家の子息だとは驚いたが、言われてみれば納得できることもある。
たとえばミーアを引き取りにきたとき、ロアンはレイクス伯爵領まで出向いており、少なくとも復路では、王都街道を使っていない。
領境を跨いだはずだが、それをとがめられていないのならば、両家はそれだけ近しく、親しい間柄にあるということだ。
伯爵の妹が男爵夫人であり、一時期は女男爵も認められたということは、そもそもミルロワ男爵家自体が、伯爵家の傍流であるとも考えられる。
そこまで考えると、訪問の理由も、特に物々しいものではなさそうだ。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。そのように貴族としての礼まで取っていただき、感謝にたえません」
「あはは……これは、僕も今年で9歳になったものですから。先日ついた家庭教師に教わったばかりで、試してみたかったんですよ」
嫌味なく爽やかに微笑むリュナン少年は、線が細いものの、美形といってよい端正な顔立ちだろう。
レティシャがあのような顔になる理由も、わからなくはない。
「バカンスでは、両家が避暑地で過ごすことになりますので。僕は毎年、先に男爵家へまいりまして、レティと一緒に向かうようにしているんです」
今年は手違いで、早くついてしまいましたが――と、リュナンが苦笑する。
使用人たちの慌ただしさは、それが原因だったようだ。
「そうでしたか。それはレティシャも毎年、楽しみにしているでしょうね」
もちろん、お嬢さまなどと敬称はつけない。
わざわざ姉として紹介したということは、侍女扱いしているのを、親戚に知られたくないということだ。
(わかっているさ――姉さんに任せておけ、レティシャ)
使命感に駆られつつ、キリリと表情を引きしめるミーアだったが、リュナンはそんな従姉を見つめ、小さく首をかしげる。
「ところで――ミーア従姉さんは、なぜそんな格好を?」
「あっ」
完全に失念していた、そのことに思いいたると同時に、リュナンはどこか責めるような目をレティシャに向けた。
「レティ、まさか――」
「ち、違うのっ、これは、そのっ……」
レティシャが顔色を変え、言い訳をひねりだそうとした、そのとき――。
「誤解なさらないでください、リュナンさま」
ミーアはなに恥じることなく、堂々と胸を張って彼に告げる。
「これは――ただの趣味です。どうかご理解いただきたい」
それを聞いた義妹と従弟が、同じようにポカンと口を開き、目を丸くしている姿に、ミーアは小さく笑いをこぼした。
趣味なら仕方ない