4-4 『ちょっとした』騒動
◇
食事を済ませると、男爵は仕事のため商会へ戻ることになったが、その前にミーアはひとつ、質問をしておいた。
どこかに園芸用品か、花の種を扱う店はありませんか――と。
涙もろい男爵は、それだけで瞳を潤ませ、傘下の店舗を紹介してくれる。
レティシャへのおみやげだろうと、すぐに察したようだ。
紹介された店は、便箋を購入した店からすぐ近くにある。
大通り沿い――というには、少しはずれた位置だろうか。
園芸用品を並べるとあって、広い土地が必要になり、また肥料などを扱う関係からも、人通りの多い地区からは離れるよう、意識したのだろう。
だが、そうした意識が必ず、功を奏するとはかぎらない。
…
店の近くまで足を運んだところで、ミーアとハインは足を止めた。
「どうされましたか、お嬢さま?」
「サラ、木刀をください。それと、警備の詰め所へ向かってもらえますか」
不思議そうに声を上げたサラから木刀を受け取り、すぐに指示をだす。
「店で揉め事が起きています。人数は――おそらく五人」
「ほんっとおそろしいですね、お嬢の感覚は」
ハインがそう答えるということは、間違いではなさそうだ。
「そ、それでしたら、お嬢さまもこちらへ。近づいてはなりませんっ」
「サラ――命令です、詰め所へ連絡を」
「っっ……お嬢さまっ……」
少しきつい言い方になってしまったが、おそらくこれが最善。
ハインひとりでは、店でなにかあったとき、対応しきれない可能性がある。
「すみませんが、よろしくお願いします」
「っ……かしこまり、ました……」
そんなミーアの言葉に、サラは少し言葉を詰まらせたが、やがてハインを睨み、足早に走り去った。
「あーあ、あとで謝ってくださいよ。八つ当たりされたくないんですから」
「わかっています。叱られるくらいで済めばいいのですが」
「……ま、大丈夫でしょ。あいつ、お嬢のことすげー大事にしてますし」
それは叱るに加えて、泣くまで入るのではないだろうか。
泣かれると困るな――そんなことを思いながら、ミーアは入り口に近づく。
中にいたのは店員と、想定どおりの悪漢が五人、それより少ない程度の客が数名――というところ。
悪漢のひとりはカウンターで、店長と思われる女性を恫喝しており、ほかの四人は周囲を牽制しているようだ。
「お嬢、出直しますか」
「もう見られましたし、入るしかありませんね」
ここで引き返すほうが、因縁をつける隙を与えてしまう。
たとえば――警備兵を呼びに行くつもりか、などだ。
「……わざと近づいたでしょ、お嬢」
「し、心外ですね……私はそんな、危険を呼び込むようなことはしません」
中の様子をうかがい、相手が暴行におよぶようであれば、その瞬間に対処する――それが想定していた動きである。
もう少し警戒心の薄い相手であれば、気づかれないはずだった。
ハインからの刺すような視線を無視し、『やむなく』店内へ向かう。
「い、いらっしゃい、ませ……」
店長ではない店員が、そうぎこちなく挨拶をするのは、揉め事など起きていませんよというアピールだろうか。
そのように、悪漢から指示されているのだろう。
「ハイン、私の傍に。指示をしたら、そのとおりに動いてください」
「はいはい、俺より強い人には逆らいませんよ」
そんな護衛の軽口に、少し口が緩む。
実際、ハインはミーアより技術はつたない――が、膂力ではさすがに上だ。
間違いなく勝ち越せるとは思うが、はっきりとミーアが強いわけではない。
「――頼りにしているのですから、よろしくお願いします」
「めっちゃやる気になりました、なんでも言ってくださいよ」
彼の気配が少し変わったことで、さらに状況は安定しそうだ。
ミーアは心に余裕を持ちながら、店内の商品を眺めつつ、耳を澄ませる。
結果として、特筆すべきことはなにもなかった。
少しは正当性のあるクレームかとも思ったが、なんのことはない。
誰に断って商売してんだ、ショバ代払いやがれ――という話だ。
「念のために確認しますが、そうしたものが必要な町ですか?」
「呼びに行ってる警備兵は、ミルロワの私兵ですよ。ゴロツキにそんなもん払ったって、そこらの酒場がちょっと儲かる程度でしょ」
特定の勢力に守ってもらわずとも、警備体制に問題はないらしい。
ならば、この連中を追い払えば終わり――だろうか。
「……近辺で、野盗が徒党を組んでいるとか、そういった情報は?」
「いやー、聞いたことないですね。ここと隣の領では、少なくとも」
この悪漢たちが、どこかの組織の下っ端で、追い払われた腹いせに町が襲撃される――という事態も、想定する必要はなさそうだ。
「それなら、おとなしく警備を待ちましょう」
「おっと、意外な展開――いや、失礼」
「ほう、どういう意味か聞きましょうか」
ジロリと彼を睨むと、どこ吹く風といった様子でハインはのたまう。
「そりゃまぁ、俺との立ち合いだと、あれだけ容赦ないお嬢ですし? 大義名分さえあれば、喜び勇んで剣を抜くと思ってましたよ」
「――その誤った認識は、早いうちに是正しておく必要がありそうですね」
などとミーアが口にした、そのとき――。
「てめぇ――あんまり俺らをなめてっと、承知しねぇぞっっ!」
「ひっっ……きゃあぁぁぁっっ!?」
はじかれたようにそちらを見ると、恫喝する男の手に、鋭利な光が見えた。
「ハインッ――」
「はいよぉっ!」
事ここにいたっては、連中のやり口は完全な強盗だ。
ミーアのひと声でハインはカウンターに駆けつけ、男の手からナイフをはじき飛ばす。
「ぐっ……てめぇっ、なにも――ごはぁっ!?」
その腹に一撃を見舞い、膝をついた瞬間に意識を刈り取る。
武器など必要ない、おそろしいまでの動きとキレだった。
「なんだてめぇっ!」
「いきなりなにしやがるっ!」
周囲を牽制していた残り四人のうち、三人がハインへ向きなおると、ひとりはすぐさま躍りかかり、二人はナイフを手にする。
挑みかかった男はたやすく昏倒させられたが、刃物を持つ二人は慎重だった。
すぐに襲いかかることなく、一定の距離を保っている。
まるで、ハインをそこに釘付けにしようというように。
そして――残るひとりの男は、彼らの中で最も狡猾だった。
「おらっ、ガキィッ! こっちにきやがれっっ!」
ミーアとハインが連れ立っていたことに、気づいていたのだろう。
彼に対する人質として使うため、10歳の少女を相手にナイフを抜き、腕を伸ばしてつかみかかってくる。
「お嬢っ――」
「問題ありません――」
「やりすぎないでくださいよっっ!」
そっちですか――という気持ちに、思わず手元が狂いそうになった。
「逃がせねぇぜ、へへへっ……」
迫力だけは獣のようだが、相手をただの子供と見くびっている動きは、単調にして鈍重である。
(怯えさせるのが目的……かもしれないな)
いずれにせよ、ミーアのやることはひとつだ。
予備動作すら見せない、優雅なダンスのように軽やかなステップが、腕の外側へ身体を回り込ませる。
「なっ――」
驚愕する男の腕は空を切り、流れた空気の感触すら彼女に届かない。
足さばきだけで相手をいなしたミーアは、腰に帯びる木刀を握った。
「――ふっっ!」
「いぎぃっっ!?」
伸びきった腕をすれ違いざまに叩くと、男はたまらず患部を押さえる。
その隙にさらにもう一撃、鋭い木刀の振りは、男の脛を打ちすえた。
「ひっっ、ひいぃぃっっ!?」
腕と脛を押さえてうずくまる男の前で、ミーアは改めて木刀を振りかぶる。
「さて――鎖骨くらいは、ご容赦を願いましょう」
「な、なに言って――ぎゃあああっっ!」
大鉈を叩きつけるような重い一撃に、メキィッ――と、なにかがいやな軋みを響かせた。
「がっ、あっ……あぁぁっっ……」
経験のない痛みだったのか、男は声にならない悲鳴をもらし、そのままひれ伏すように倒れ込む。
わずか数秒の出来事に、周囲は声を失っていた。
「ふぅ……さて――」
カウンターのほうをうかがえば、手際のよい護衛はすでに男たちを縛り上げており、あきれた顔でこちらにやってくる。
「いや……やりすぎでしょ」
「見てのとおり、か弱い少女ですよ。これくらいやらなければ」
中途半端な攻撃では、子供にやられてなるものかと妙なプライドを発揮し、反撃に転じてこないともかぎらない。
窮鼠猫を噛む、というやつだ。
「相手は刃物を持っていましたし、不可抗力です」
「……そういうとこですよ、お嬢」
小さくため息をもらすが、ハインはそれ以上を語らなかった。
周囲で息を呑む客や、店員たち――そちらに被害が出るよりはという、ミーアの気持ちを汲んでくれたのだろう。
本当に、自分にはもったいないくらい、優秀な護衛である。
…
ほどなくしてやってきた警備兵は、拘束された男たちを連行し、ハインから詳しい事情を聞いていた。
そのハインは、代わってくださいと言わんばかりの目でミーアを見ていたが、対応できる余裕はない。
「お嬢さまっ、お嬢さまぁぁっ……ご無事でなによりですっ……」
「すみません、サラ……心配をかけてしまいました」
目の前で膝をつき、抱きついて泣きじゃくるサラをなだめることで、ミーアのキャパシティは手いっぱいだ。
彼女の背をポンポンと撫で、涙まじりのお説教に耳を傾けていると、対応の警備兵がさらに大勢でやってくる。
その先頭には、息を切らした男爵の姿があった。
「ミーア! ミーアは無事かっっ!」
「お父さま、ご心配いたみいります。私はご覧のとおりです」
やさしい侍女に泣きつかれて、身動きも取れない有様だ。
それを見た男爵は、心底から安心した様子で、ガックリと膝をつく。
「よかった、ミーア……君にまでなにかあれば、私はもう――」
「そのような、縁起でもないことをおっしゃらないでください」
サラが離れそうにないため、男爵は抱きしめる代わりに、ミーアの頬をそっと撫でた。
「すまない、ミーア……こうした連中の対応は徹底していたつもりなんだが、まだ足りなかったようだ……もう二度と、こんなことは起こさせないよ」
「そのように願います。幸い、お客さまにも従業員にも、大事はありませんでしたが……そうならなかった可能性もありますから」
それは今日だけの話ではなく、過去に被害を受けた店があるかもしれず、将来的に同じことが起こり、無事で済まない可能性もあるということ。
「ああ、そのとおりだ――皆さまにも、大変なご迷惑をおかけしました。この町を統治する者として、商会の長として、心よりお詫び申し上げます」
そう言って男爵は、事情聴取されている店員、客たちにも頭を下げて回る。
たちまち目を丸くする彼ら、彼女らだったが、それは行動に対するものではなく、視線はミーアに向けられていた。
「えっ――あの子、会長のお嬢さんだったんですかっ!?」
「貴族のご令嬢で、あんな動きができるなんて……さすがミルロワ家……」
なにやら貴族令嬢への誤解が進んでいるようだが、それはそれで、今後の被害を抑制することにもなるだろうと、ミーアは黙して礼をする。
「なにをうなずいておられるのですか、お嬢さまぁぁぁ……」
「いえ、そういうわけでは……んゅ……あの、そろそろ放しても――」
こすりつけられる頭に頬をつぶされながら、釈放を求めるが、サラはまだ安心できない様子だ。
「だめですっ、だーめーでーすぅぅっ……お嬢さまには、ご自分を大事にされなければならない理由を、徹底して理解していただくのですからぁぁっ……」
たしかに、ミーアだからこそ対応できたが、普通の貴族令嬢では、悪漢に捕らえられていただろう。
それを思えば、彼女の心配はこれでもまだ、足りないくらいではある。
もっとも――普通の令嬢ならまず、危険に近づいたりはしないのだが。
(……ま、まぁ、令嬢自身を目当てにした誘拐なんかもありますし、ね?)
誰にともなく言い訳をしているうちに、男爵は対応の指示を急いでいた。
町の隅々までを警備兵に見まわらせ、残っているゴロツキ連中を捕縛、排除するための、下準備にかかっている。
(これならレティシャお嬢さまも、町に出やすくなるかもしれないな……)
彼女があまり町へ出向かないのは、こうした事態を危惧していたからだろうと、さすがに想像がついた。
貴族の令嬢として、自分がどういう立場にあるのか、どう振る舞うべきか。
あの若さでそれを理解している聡明さに、ミーアは姉バカをこじらせていく。
また、それと同時に――。
それほどに賢いはずの彼女に、望まぬ態度を取らせるほど傷つけたことを悔やみつつ、改めて彼女に尽くそうと誓っていた。




