0 前世の記憶
お待たせいたしました、長編の開幕です
※2022/04/27
似たタイトルの作品があったので、タイトル表記変更
読みは変わらず「ヒロインはライバルに、ハッピーエンドを届けたい」としておきます
ライハピと呼ぶと覚えやすいです
その日の空はとても青く、晴れやかに澄みわたっていた。
吹き抜ける爽やかな風に、土や草の匂いが流れるのを感じる。
(額が……痛い……)
そんな空気の中、大の字で地面に横たわっていた少女――ミーアは、額からの鈍痛に顔をしかめた。
(なにが、あった……そうだ……追いかけられて、頭を――ぅっ……)
倒れる直前の状況を思いだし、再び額が痛む。
それと同時、脳裏に浮かぶのは、いまの自分ではない、もう一人の自分が送ってきた人生と、その終わりの瞬間。
(これは……横断歩道で、子供が車に――)
…
ミーアになる前の彼女は、橘流剣術道場の次女、橘結月といった。
師である父や祖父の教えか、生まれ持った彼女自身の気質か。
目の前で命を奪われようとする子供を前にすれば、それがいかなる暴力に晒されていようと、彼女はわずかにもひるむことはない。
そんな彼女がある日の登校中、目にした光景だ。
あれはよそ見か居眠りか、まさか平日の朝から、酒酔いではないだろう。
ともかく暴走するように突っ込んできた車は、横断歩道を渡る子供を前にも、スピードを緩める様子がなかった。
それを目にした瞬間、結月の身体は勝手に動きだす。
(そして、私は――)
子供を突き飛ばすと同時、圧倒的な質量にはねられ――十六年という、短い人生を終えた。
…
(いまのが私の……前世、ということか?)
命が失われていく苦痛などは思いだせないが、あれで生きていたということはないだろう。
だとするなら、それとは別に存在する、いまの記憶が今世ということだ。
(私は、生まれ変わったんだな……それも、また人間とはありがたい……)
輪廻というものがそう何度も、同じ対象を人として生まれさせることはないと聞いている。
どこまでが本当かはわからないが、多種多様な生き物がいることを考えれば、再び人としての生を受けたことは、まぎれもない幸運だ。
その幸運を噛みしめながら、四肢の感覚を確認し、結月――ミーアは、ゆっくりと身体を起こす。
「ミーア! しっかりしてっ、大丈夫っ!?」
ひと際大きなそんな声以外にも、周囲に集まっていた子供たちから、ミーアを心配するような、あるいは状況を危惧するような声がチラホラと聞こえた。
ただ、そこには大きな違和感がある。
(ここは……たしか、アルーヌ村……だったはずだが――)
グルリと見渡した村の中は、日本とは異なる文化圏の、牧歌的な田舎村という雰囲気があった。
村名の響きもそうだが、子供たちの顔立ちも見るからに西洋的だ。
(なのに、どういうことだ……?)
周囲から聞こえる言語は、どう聞いても日本語である。
(これは……私が、結月としての記憶を取り戻したからか?)
いや、そうではない。
ミーアとしての記憶をたどってみても、この村の住人はもちろん、たまに訪れる旅人たちも普通に日本語を話していた。
(そもそも、なぜ日本語がある……いや、日本語という認識ではないと思うが)
エンファートル王国レイクス伯爵領、その東部に広がる穀倉地帯に作られたのが、このアルーヌ村だ。
中世的な雰囲気のある中規模の農村ではあるが、使われている器具や技術を見てみれば、一概に中世レベルとはいえない部分もある。
そんな妙にちぐはぐとした文化や言語体系から、ミーアはひとつの結論にたどりついていた。
(……いわゆる異世界、ということでいいのだろうな)
生前の――というのもおかしいが、結月は橘家でやや古風な育ちをしたためか、世間知らずな部分もあったように思う。
それでも仲のよい友人は多くいたし、特に仲のいい親友からは、ゲームやマンガの話も色々と聞かされたものだ。
そうした作品の世界観には、ミーアが生きているこの世界のように、不自然さの多いものもあった。
本来なら存在しえないであろう異世界だが、輪廻や転生といったものは、そうした境を乗り越えることも可能なのかもしれない。
(長生きしてみるものだ――いや、早死にしてみるもの、になるのか?)
不謹慎なことを考え、ミーアはわずかに表情を暗くする。
自分が亡くなったとき、残された家族や友人は、どれほど悲しんだことか。
葬儀の光景を想像すると、申し訳なさに胸の奥がジクリと痛んだ。
(……先立った不孝をお許しください。ですが……この世界においても私はきっと、私の矜持を守り、生きていくつもりです)
短い懺悔を終え、結月――ミーアはようやく立ち上がる。
…
少し腫れた額を撫でつつ立ち上がったミーアに、三つ編みの少女が駆け寄る。
「ミーア! 無理しちゃダメよ、わたしにつかまって?」
「ありがとうございます、姉さん……ですが、問題ありません」
その少女が姉のネリスだということは、自然と理解できた。
赤みがかったブラウンヘアに、薄く澄んだブルーの瞳。
うっすらと残るそばかすは、彼女の愛嬌を引きたてるアクセサリーだ。
牧歌的な情景によく似合う可憐な少女。
親孝行で明るく、同年代のまとめ役でもあった彼女は、村の子供たちにとても人気があった、自慢の姉だ。
「ほかの皆も、心配かけてすまなかったな。私はこのとおり、大事ない」
そんな姉の手を取り、ミーアは周囲にも声をかけるが、なぜか反応は鈍い。
一様にポカンと口を開いていたかと思えば、心配そうに互いの顔を見合わせ、いたわるようにミーアを見つめていた。
(なんだ、傷がそんなにひどいのか――あっ)
つい結月の感覚で話しかけてしまったが、いまの自分はミーアだ。
明るく社交的な姉と違い、非常に無口で引っ込み思案な、おとなしくて気弱な少女――それが村内での、ミーアという少女の評価である。
そんな少女が頭をぶつけて倒れたかと思えば、急に武人然とした、中性的な言葉で話しかけてきたのだ。
どこかおかしくなったのでは、と心配しても仕方がない。
(どうする、ごまかすべきか……いや、だが――)
ミーアとして取るべき行動といえば、無言で姉の後ろに隠れるか、震える声でポツリと、無事を伝えることくらいだ。
そんな態度で周囲と接する自分を想像するだけで、激しい羞恥が込み上げる。
これからも結月としての意識を持ったまま生きていくのであれば、かつての気弱な自分は、もはや切り捨てるほかない。
(……すまない、昔の私……これからは、いまの私として振る舞わせてもらう)
差し当たってやるべきことといえば、ひとつだ。
この事態を招いた原因――その少年を集団の中から見つけだすと、ミーアは大股で闊歩し、彼の前に立つ。
木の枝に蛇を巻きつけ、ミーアを追いかけまわしていた少年だ。
泣きながら蛇から逃げ惑っていたミーアは、前方不注意で大木に衝突し、したたかに額を打ちつけたのである。
(たしか、ユリアンだったな――)
無言で近づいてきたミーアを前に、少年は気まずそうにしながら、モゴモゴと謝罪のようなことを口にしようとしていた。
「お、おい、大丈夫かよ――えっ?」
その少年の手から、一瞬にして木の枝を取り上げたミーアは、それを大上段に振りかぶる。
橘流の娘として、一日たりとも欠かしたことのない素振りの動きは、身体でなく魂が覚えてくれていた。
「――天誅っっ!」
すり足で地を蹴ると同時、鋭く振り下ろされた木の枝の一撃は、少年の意識を刈り取るに十分な威力だった。
最後の一撃は、せつない(生きてる)