マリーと菊子
山奥の細い道に似つかわしくない轟音を立てながら、1台のトラックが過ぎる。
街灯のない木々に覆われた山中では、月の明かりすら届かず、森の暗闇はヘッドライトの光すら吸い込んでしまいそうだった。
しかし、その道を行くことに慣れているのか、ドライバーの男はラジオから流れる流行りの歌を口ずさみながら、かなりのスピードで進んでいく。
曲がりくねった道をしばらく行くと、知らなければ気づくこともないだろうさらに細い山道へと入る。
舗装されていない道なき道をガタゴトとしばらく行くと、突然フッと明るい月明かりが差す小さな広場へと出た。
傍らに朽ちた木の杭が立っており、わずかに残る朱の色で「人形塚」と書かれていた。
男はトラックを停めて、積んでいた荷をいくつか放り投げ、
「成仏せいよ。恨むなら主人を恨むんだな。」
と独り後ちる。
信心のなさそうな恰好で、両手を合わせ軽く頭を下げると、ズボンのポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけると、再びトラックに乗り込み、来た時と同じ音を立てて去って行った。
人形塚。
かつて、この塚は役目を終えた人形を供養し、埋めたため、そう呼ばれるようになったという。
しかし、管理していた寺の住職が死に、付近の山村から人がいなくなるにつれて、この塚はその名前だけが残り、今は絶好の不法投棄の場所となって、人形以外のゴミも積まれるような有様だ。
「んん・・・」
先ほど男が投げ捨てたゴミの中から、苦しそうな声が上がる。
ガタガタと山が崩れるようにして現れたのは小さなフランス人形だった。
「ふぅ・・・死ぬかと思ったわ」
その小さなフランス人形は、周りを見渡すとそこがゴミの山であることに気づき、
「・・・死にそう」
と、鼻をつまみながら、つぶやいた。
倒れている体を起こそうとするも、髪の毛が何かに引っかかっていて、頭が上がらない。
それでも無理やりグイと引っ張ると
「痛ッ」
という声が後ろから聞こえた。
「誰・・・!?」
慌てて振り返ろうとするも、やはり髪が引っ掛かっていて振り向くことすらできない。
その際に、またピンと髪を引っ張ってしまったのか、
「痛い!」
と、今度ははっきりとした声が聞こえた。
「・・・私の髪を引っ張るのは誰?」
その声は恐る恐ると言った調子でそう続けた。
フランス人形はフンと鼻を鳴らすと、
「私はマリー。フランス人形のマリーよ」
と、答えた。
「・・・そう言うあなたは誰?」
マリーはできるだけ首を回して、自分の後ろに声を投げる。
「私・・・菊子・・・」
マリーは菊子と名乗った声にふーんと興味なさげな相槌を打つと、自分の髪に絡まっている黒く美しい髪を見て「日本人形かしら」とつぶやいた。
「ねえ、菊子。私の髪とあなたの髪が絡まってしまったみたいなのだけど、あなた、とってくれない?」
「・・・ごめんなさい、私、動けないみたいで」
「あら、そうなの?来たばかりだからかしら・・・」
「・・・しばらくすると動けるようになるの?」
不思議そうに聞く菊子に、マリーが答える。
「ここ、人形塚はね、私たち人形に不思議な力を与えてくれるのよ」
「不思議な・・・力・・・?」
「そう。呪いの力、よ」
「え・・・」
「私たち人形を捨てた、主人への恨みをはらすという想いが、私たちに力をくれるの」
マリーはケタケタと甲高く笑うと、ポッカリと穴の空いた左腕の付け根を右手でギュッとおさえる。
「この塚に捨てられて、いつの間にか私の中に意思が生まれた。それから、動けるようになるまで1年かかったわ。でも動けるだけではダメ。いつしか、この光るガラスでできた目からビームを出せるようになりたいの!」
「え・・・ビーム・・・?」
暗闇にマリーの大きな声が響きわたる。
「そうよ!ビームよ!相手がどこにいたって、隠れたって無駄。全てを破壊するビームを出せるようになったとき、私の復讐が始まるの!」
静寂が戻った森の中に、マリーのハァハァという荒い息遣いだけが聞こえる。
「・・・ゴホン。取り乱したわね、ごめんなさい」
恥ずかしそうに、マリーは咳をして、誤魔化すように菊子に問う。
「あなたは?来たばかりで意思を持っているんですもの、よっぽどの恨みがあるのでしょう?」
「恨み・・・」
マリーの思惑に反して、菊子はそうつぶやくと黙ってしまった。
マリーは不思議に思って、何とか後ろを見ようと、ポケットから小さなコンパクトを取り出して開くと、割れた鏡で自分の背後を伺う。
「あら・・・あなた・・・両手がないのね」
背後でもぞりと動く音がする。
「ええ。おじいさまがね、お前は人形なのだから手はいらないだろうって・・・切り落としてしまったの」
マリーがコンパクトを少し傾ける。
「・・・足も?」
再び背後で、菊子がもぞりと動く。
「ええ。そうよ」
マリーは一人憤慨したように、フンと鼻を鳴らす。
「ひどいご主人様もあったものね!それであなた、そのおじいさまを恨んでるってわけね?」
「・・・恨むだなんて。おじいさまはとても優しい方なのよ。私のことを、子供のように可愛らしい顔といってよく撫でてくれたわ。それにね・・・」
「それに?」
「私の黒い髪をとても綺麗だと褒めてくれたわ」
マリーは絡まっている髪を見て、顔はわからないが髪は確かにそうだと思った。
「じゃああなた、ご主人様を恨んでないの?こんなところに捨てられたのに?」
「そうね」
「ふーん・・・。」
マリーは納得のいかないような相槌を打ち、ふと思いついたように続ける。
「そうだわ!じゃあ、あなた、動けるようになったら私の復讐を手伝ってよ!」
「復讐を・・・?」
「そう!あなたはこの髪を自由に伸ばす能力を身に着けるの!そして、その髪でご主人様を縛り付けている間に、私のビームで・・・ズバッ、よ!」
「あら・・・」
くっくっとこらえたような笑い声が聞こえ、マリーの背中に細かい振動が伝わる。
「ああ、可笑しい。でも、髪なら今も私、伸びるのよ」
「え!すごいじゃない!」
「といっても、一か月に1cm程度だけどね」
「・・・短っ!ダメじゃないそれじゃ!」
「そうね、ダメね」
そう言いながら、何がおかしかったのか、再びマリーの背中に細かい振動があった。
二人はそれからいろいろな話をした。
菊子が「少し眠い」といって寝てしまうまで。
それから3日がたち、マリーは絡まっている菊子の髪がほんの少し伸びていることに気づいた。
「あら、本当に少し伸びているわ。すごく短いけど」
クスクスとマリーが笑い、コンパクトで後ろを見る。
菊子は眠ってから、一度も起きていない。
「お寝坊な子だこと」
それから、ひと月が経った。
菊子の髪はまた少し伸びているようだった。
「ねえ、菊子・・・」
待つことに疲れたマリーが思わず振り返った瞬間。
いつもと違う感覚であり、ずるりと菊子の髪が抜けた。
ハッとしてマリーが菊子を見る。
そこには、四肢のない、異臭を放つ死体が転がっていた。
「・・・そう。あなた、人間だったのね」