二話 桜
「カテゴリー7の出現を確認しました――! 帝都各地の瘴気濃度が加速度的に拡大!」
「各地でカテゴリー3以下の鬼が多数出現! 対魔師心鉄第1班から第6班まで全隊で対応中ですが穢れの拡大を抑えられないとのこと!」
「帝室は桜結界の維持に注力するとのこと!」
途端に慌ただしくなる世界。
先ほどまであった僅かな猶予などもはや存在せず。
彼らはまさに強大な敵。文字通りに爆撃機に竹槍で挑むかのような表情で立ち挑む。
そのような中で唯一に、未だ戦意を衰えない少女が一人。
「――カテゴリー7……通称『穢鬼』……ですか」
「あら。妾はその呼び方はあまり好きではありませんの。できれば――夜を統べる者として――そうね。『ツクヨミ』というの名前を考えていたのだけれとアレはあまり好みではありませんし――」
「――――ふざけことを」
クスクスと笑いながらに告げられる言葉。
前世の記憶だが、ツクヨミ――それはあるいは月読尊か。
神の目から生まれ落ちた、夜の支配者。
日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在と言われる正真正銘の神格。
――だが、その名を呼んだ瞬間にそれまで泰然としていた少女が殺意に溢れた怒りの意思をもって言葉を吐き捨てる。
しかし、そんな少女怒りなど意にも止めぬに金髪の鬼は言葉を続ける。
「えぇ。そうね。ふざけことよ。私たちは鬼。どこまでいっても鬼と呼ばれる存在へと堕ちた。ならば今更そのような名など名乗れないでしょう、だから――そうね。分かりやすく――「鬼姫」と名乗りましょうか」
鬼姫。何と単純な言葉。単純明快なその名前。しかし――。
姫。姫。姫である。
あぁ――。確かに彼女は姫だ。姫という呼び名に相応しいその容貌。
美しい豊満な肉体に、神々が造ったかように完成された容貌。
あの空に浮かぶ満月の光りを思う存分に浴び光り輝く長い金色の髪。
そして何よりも――その圧倒的な存在感こそが彼女が姫と呼ばれるに相応しき生き物だと認識させられる。
夜の王。夜の支配者。夜の姫。
「穢祓師2家は既に北門と中津通りに出現したカテゴリー6の鬼と交戦中! こちらへの援護は不可能とのこと!」
「カテゴリー7への対処は穢祓師葉桜家へと正式通達!」
「心鉄第7班は神域結界の維持に注力! いつでも穢祓術の行使行けます!」
金髪の姫が現れてから、辺りにいた黒服達のある種の懸命なまでの声が聞こえる。
そんな彼らは、今までに見たことないほどの緊張と――畏怖の感情だろうか。
そういったモノを感じる。
そも――。彼らは間違いなく鬼退治が役目のはずだ。
夜を跋扈する鬼を難なく退治してきた姿を俺はこれまでも幾夜も見てきただのだから。
だが、そんな彼らが恐れ慄き、最大限の警戒を保ちながらたった一人の女性を囲むように散らばる。
誰一人として直接彼女の正面には立たない。
あるいは――立った瞬間にこの世から消滅してしまうかのようにである。
そんな彼らを彼女は睥睨するように歩を進める。
離れた物影から見える僅かな瞳の色からも分かる。
あぁ――。彼女は辺りに散っている者達を僅かたりとも脅威として見ていないと。
強さが違う。あるいは――次元の格が違うのだと。
この場で最も矮小な存在である俺ですら感じとってしまう。
「――準備はできたかしら? なら――。折角目覚めたのですから存分に遊んでくださいな」
そんな言葉と共に彼女が僅かに手を振るう。
その瞬間に彼女を世界が変革を齎す。
今この瞬間においてここは桜色の結界の中。だが――。そこには何もなかった。
黒。黒。黒――。
漆黒の闇が彼女を中心に広がる。
あ――と思った。
あれはダメだ。
何がダメというわけではなく――。
全てがダメなのだ。
飲まれる。世界に呑まれる。世界が瘴気に染まる。魔に染まる。
あの黒はそう言った黒だ。あれに世界が覆われた瞬間にあらゆる結界が意味をなさず。
人は永遠に夜の世界を失ってしまう。
そう感じた――。その瞬間に。
「そこまでです――」
世界に桜が散る。凜とした鈴の声。瞬間に世界が色を取り戻す。
あらゆる暴力を具現化した鬼姫。その正面には一人の少女居たということを世界は思い出す。
「――――。あらあら。有象無象と思っていたけれどそれだけでは無かったはね?」
物事には次元の格というモノがある。
剣の達人。弓術の天才。馬術の才能。槍術の練達。
そういった古代の英雄たちも次代が流れ、マスケット銃から機関銃へと移行した瞬間に格下の存在へと成り下がる。
さらに言うなれば――戦車や爆撃機が生まれた瞬間に個々の練度など更に格が下がる。
つまりは――そういうこと。
――なるほど、先ほどまでいた黒服の退魔師と言われる者達。
彼らもなるほど――個々で見ればきっと人類の上澄みなのだろう。
少なくとも世界に溢れた鬼達を彼ら自身の技量をもって薙ぎ払った術はまさに見事。
なれども――。それすらも核弾頭搭載型で各自衛手段すらも持ち得る航空母艦のような存在に個人が立ち向かうというは次元が違う。
つまりこれはそういうことだ。
ならば――。
そういった存在へ立ち向かうならば同じような格が必要ということであろう。
「――展開:御剣之穢祓」
たった一言。ただそれだけで世界は染まる。
剣。剣。剣。
桜の意匠が刻まれた幾本もの美しさの極致のような剣が世界に突き刺さる。
その瞬間に――この場を支配していた穢れ祓われる。
人が住めぬ夜の世界から、人の世界へと。
あぁ――ここは人が生きる場所だと感じる暖かい光。
なるほど、これはまさに人が造り上げた結界と呼ぶに相応しい。
これだけをもって、魔と呼ばれる存在はその悉くをその自己領域を維持などできないだろう。
そう感じる相応しい力を感じるけれど。
「――ハァ!!!」
なれど――たった一振り。腕を払う。まさに強引な力技。先ほどまであった優雅さなど感じさせない暴力的な一撃。
それだけで少女が造り上げた結界が散り砕ける。
「――っ。まさかここまでとは――っ。伝承にある力ですらこれほどの記載ではありませんでしたよ――。貴方はまさに鬼の王ということですか――」
「うふふふ。そう。そうよ――!。妾は姫。鬼の姫。夜に出でて夜を超える存在。3千年を超える悲願。夜の世界は全て私たちが貰うわ――!」
王。王である。あぁ――なるほど確かにあれは王だと感じられた。
夜の王。人すら容易く統べるまさに次元違いの王である。
ならばそこから先の闘いなど人が表現できる次元など容易く超えるだろう。
つまり、そこから先は神話の闘い。
鬼姫は腕を振るう。釘を振るう。剣を投げる。
瘴気と呼ぶべきか。魔から造り上げたあらゆる凶器が彼女を襲う。
その悉くを彼女は――。
「展開:百花繚乱」
世界が武器で埋め尽くされ。そこにあるのは斧であり、剣であり、槍であり、弓である。
その悉くがなるほど、きっとこの歴史において最高峰の神話の武具であろう。
その一つ一つが国宝と呼ぶに相応しい武具という種類おける頂点。
きっとその一振りがあれば、素人であっても世界すら裂いてしまうような武具の極致。
それらが乱舞する。
それらすべてを鬼姫はただただ強引に腕を薙ぎ払いながら迎撃する。
その振るわれた武具の一部が俺の所にまで降り注ぐ。
けれど俺は、そんなことに気にもせず目の前の闘いに集中する。
闘いは、僅かずつだから鬼の方に傾いていく。
あるいはこのまま近づかれ、その爪の一撃に切り裂かれるか。
そう思ったその瞬間に――。
「捉えましたよ」
鬼の足元に一つの紋様が浮かび上がる。
それをもって鬼の動きは封じられる。
そして紡がれる一つの祝詞。
「空の帳が夜に落ちる。雪は空に舞い、雲は白く輝く。風を望み、水を望み、大地を望み、炎を望む」
なんと美しい言葉。なんと綺麗な言葉。
あぁ――。それはまさに世界に紡がれる祝福の言葉。
人が築き上げてきたその極致。
なるほどこれはまさに日本人が辿った世界の果てだ。
「――乃ち照覧あれ。その悉くを祓い給う。穢祓:至天 桜光結界」
世界が桜で埋まる。
終わった。勝った。
そう思った。その瞬間――。
「あら――。この程度で終わりかしら?」
再度、世界が止まる――。