夏休みの宿題をフリマアプリで売ってみた
夏休みが明けて二日目の小学校。
ほとんどの子どもたちが帰った教室で今、夏休み明け早々熱い戦いが幕を明けようとしていた。
「なあ田中、どうして今日居残りをさせられているのかわかるか?」
ぎらぎらと真夏の太陽光が差し込む5年1組の教室。冷房が効いているので涼しいがジリジリと机の天板が焼かれている。教室の中には田中と呼ばれるスポーツ刈りタンクトップ少年と七三分け白シャツメガネの若い男の先生しかいない。
教卓の側に立つ先生。一番前の席に座る田中。見つめ合う二人。先生の質問に対して田中が慌てる気配はない。
「夏休みの宿題のことですか?」
「そうだ。提出していないのがあるよな?」
「漢字ドリルと計算ドリルと図工のポスターと読書感想文です」
先生の質問に答える田中は何故か少し威張っているようにも見える。
「わかっているならどうして出さない」
「出せないからです」
「理由は?」
「自由研究にまとめています」
先生が一冊のノートの表紙を田中に見せる。
「これのことか?」
「これのことです」
自由研究:夏休みの宿題をフリマアプリに出品するとどうなるか
黒の太いマジックで書かれた文字。
その下には『5年1組18番 田中つとむ』と、出席番号と名前が書かれている。
「田中、これは?」
「ぼくの自由研究です」
「ふざけているのか?」
「本気でやりました」
「……ほう。じゃあ宿題が提出できないのは」
「この自由研究をしたからです」
再び『やってやった』感満載の田中。先生は思わずため息をつく。
「田中、いろいろ聞きたいことがあるんだが」
「一つずつお願いします」
「……なんでフリマアプリに出品した?」
「ふと、売れるか実験してみたくなったんです。で、せっかく実験するなら自由研究にしようと思いました」
「宿題を売るな! とりあえず漢字ドリルはどうした?」
「3ページに書いています。漢字ドリルは日本語が勉強したいというアメリカ人に売れました」
「なんでアメリカ人ってわかったんだ?」
「販売のやりとりをする時に事情を説明して教えてもらいました。自由研究で誰に売れたかを書きたいからって」
「……なるほど。で、漢字ドリルはどうした?」
「宿題の範囲だけやってもらって返してもらおうとしたんですがダメでした」
「ダメでした?」
「漢字ドリルを送った後、漫画を読んで勉強する方が楽しそうだって言われて、それ以降音信不通になりました」
「…………」
「他に質問はありますか? 因みに計算ドリルは父親の介護をする専業主婦に売れました」
「介護?」
「父親の頭の体操にちょうど良さそうだって」
「……一応聞くがいくらで売れたんだ?」
「800円ぐらいです。販売手数料や送料、それから送り返してもらうための返送用の封筒も同封してるんで儲けはほぼ0です」
「で、計算ドリルは?」
「捨てられました」
「は?」
「計算ドリルを渡されたお父さんが怒って破り捨てたそうです」
「…………」
先生は少し目眩がして眉間を右手の親指と人差し指でぐっと押さえた。押さえたがあまり効果はなかった。
「読書感想文はフリマアプリじゃなく、SNSで書いてくれる人を募集しました。それですぐにメッセージを送ってくれた、趣味でWEB小説を書いていて自分のことを才能の塊と言っているお兄さんにお願いしました」
田中は先生に聞かれる前に答え出した。先生はそのことについて何も言わず続きを聞くことにした。
「自称かよ。なかなかいたいなそいつ」
フリマアプリを使っていないことが気になったが先生はもうどこからつっこめばいいのかわからなくなり思ったことを口にした。
「おれレベルになるとどんな本でも学年トップレベルの感想文が書けるって言ってました」
「才能の塊だったら小学生の感想文なんか簡単だろうな」
「これまでに読んだ本の冊数は片手に収まるそうです」
「収まるのかよ! しかも片手」
「基本ラノベだそうです」
「ラノベはともかく読書量が少なすぎるだろ」
「才能の塊だから5冊も読めば余裕って言ってました」
「そうか……で、なんの本で依頼したんだ?」
「3冊選んでくれたらその中の書きやすい1冊を選ぶと言われたので……」
「言われたので?」
「黒死館殺人事件、ドグラ・マグラ、虚無への供物、の3冊でお願いしました」
「三大奇書かよ! 小学生の感想文で選ぶ本じゃないだろ! で、才能の塊はなんで感想文が書けなかったんだ? もしかして1冊も読めなかったじゃないのか?」
「3冊とも読めたそうです。でも……」
「でも?」
「『読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた読めた……』って意味不明なメッセージが届いた後連絡が取れなくなりました」
「確実に頭のネジがぶっ飛んでるじゃねえか……」
ここまで聞いておいて図工のポスターがどうなったのかを聞かずにいられるほど先生は大人ではなかった。どうせポスターは描かれていないだろうが誰に依頼したのかが聞きたくてたまらなくなっていた。
「図工のポスターはどうした?」
「ポスターは植物園で絵を描いていたお兄さんにお願いしました」
「才能の塊よりまともそうだな」
「美大に通ってるって言ってました」
「美大生か。で、絵は?」
「一週間で描いてくれるはずだったんですが……」
「ん? どうした?」
「植物園で絵を描いていたらパトロンが見つかって個展を開くことになったって。それでポスターどころじゃなくなったから納品が遅くなるって一昨日電話がかかってきました」
「なんだそのよくある洋画のサクセスストーリーみたいな話は。じゃあ絵は描けてないんだな」
「描けてません。その代わりこの自由研究をしっかりまとめました」
胸を張って言い切る田中。しかし少し目が泳いでいることを田中自身は気づいていない。
田中と先生が無言で見つめ合うこと1分。
先生は小さく深呼吸をした。
「田中、最後のチャンスだ。本当のことを言うなら今のうちだぞ」
「何を言っているんですか先生? うそなんて言ってませんよ」
「そうか、残念だ。じゃあお願いしますお母さん」
先生はそう言うと教卓からスマホを取り出した。スマホの画面にはある携帯番号が表示されていて『通話中』となっている。田中はそれをみた瞬間冷や水をかぶったかのように顔色が変わった。
『先生、こちら田中の母です。今、つとむの部屋に入りました。オーバー』
「こちら先生。つとむくんの勉強机の上に何かありませんか? オーバー」
「こちら田中の母です。あ! 机の上に手付かずの漢字ドリルと計算ドリル、それから白紙の原稿用紙が置いてあります……オーバー」
「こちら先生。田中くんのお母さん、了解しました。ありがとうございます。……だそうだ、田中。これはどういうことだ」
「いや、これは……」
『つとむ! 言い訳するな! 宿題をやってないってどういうこと?』
「いや、あのフリマアプリでってのは嘘で……でも読書感想文と図工のポスターは……」
『黙れ! つとむ帰ってきたら覚悟しな! 先生、お疲れ様です。すみませんうちの子が。帰ってきたらきっちり締めとくんで。引き続きよろしくお願いします』
「お母さんもお疲れ様です。ご協力いただきありがとうございました。これはお母さんの協力が欲しいと思っていたので助かりました」
『いえいえとんでもない。それでは失礼します。つとむ、寄り道せずに真っ直ぐ帰ってくるんだよ。いいね?』
通話終了
なんとも言えない空気が教室に立ち込める。審判がいないため誰も明言しないが勝敗は明白である。
「何か言うことはあるか?」
教卓の前に立つ先生の視線が田中に容赦なく突き刺さる。先程までの威張った雰囲気はまるでなく田中は項垂れている。
「……すみませんでした」
小さな謝罪の言葉がぼそりと出てくる。
「田中、そもそも宿題を人にやらせたことがバレた時点で再提出だぞ」
先生が止めの一撃を放つ。
がばりと顔を上げて先生を見る田中。顔には『絶望』の二文字が深く刻まれている。
「そんなばかな……」
教室に田中つとむの声は小さく響いたがすぐに蝉の声にかき消された。
この夏、某小説投稿サイトで、ある人気連載が突然更新されなくなった。この作者のSNSも連載が止まったタイミングでアカウントが削除された。この件についてSNS上で様々な憶測が飛び交ったが真相はわからないままである。
またこの年の年末に田中家に一枚のポスターが届いた。納品が遅れたことに対する謝罪の手紙と共に届いた水彩絵具で描かれたポスター。そのポスターが数十年後とてつもない価格になるのはまた別の話。
苦手な夏休みの宿題はありますか?
私は読書感想文と自由研究が特に苦手でした。