7:トレイスと死なない少女①
クリフデンの依頼を受けから、早いもので一週間程が経っていた。
トレイスはあの村から離れ、町をいくつか経由して海沿いの『アルビソラ』という港町へと来ていた。アルビソラは決して大きいとは言えない町だけれども、王都への船も出ている港だった。
さて。先の村では流石に騒ぎになっている頃だろう。あの商店に立ち寄った所為で、余所者が直前に会いに来ていたという事情も判明している筈だ。
となれば、あまり悠長にもしていられないかとトレイスは思う。いくらあの界隈の『機動兵隊』が無能でも、流石に近くの港の出入りをチェックするよう手配くらいはするだろうし。
まあだからこそ、わざわざあの村から離れた港町であるアルビソラまでやってきたのだけれども。
ここまでの道程を振り返りながら、トレイスは疲れたように首を回す。そうやってコリをほぐすついでに、周囲の様子を窺った。
昼時をやや過ぎた飲食店だったが、まだまだ混雑の様相を見せている。小奇麗な内装に、ピアノやちょっとしたショースペースもある店だった。とはいっても、この時間にピアノやらヴァイオリンの演奏は無いけれども。
そんな店内には、先の数組の客たちが織り成す食器の音と談笑する声とが猥雑に響いている。なんだか成金貴族のような身なりをした連中から金を搾り取るだのこき使うだの、下世話なワードが漏れてくるあたり品があるとは言えない。
この町では著名な店という話だし、この時間でも混雑しているということはやはり人気のある店なのだろう。けれども、流石に地方だと客層はそれほど良くはないな。トレイスはそんな風に思いながら、注文していた白身魚のムニエルを口に放り込む。――うん。港のある町だけあって、味は悪くない。
と、ゴトンという威勢の良い音と共に店の扉が開く。
扉の方をちらり見て、トレイスは重苦しく息を吐き落した。
そこには、天辺から爪先まで泥や草木に塗れたルースの姿があった。おまけに、なんだか身体全体から水が滴っている。こちらへと歩を進める度に、べちゃべちゃという足音がするくらいに。
「トレイス」
もごもごと白身魚のムニエルを咀嚼し飲み込むと、今度はコンソメスープを啜った。これも悪くはないが、味の奥行きが少し足りないか。
「トレイス」
続いて、パンを千切って噛む。……うん、これはまずい。昼時を過ぎている所為か、焼いてから時間が経ち過ぎているのだろう。それに使っている小麦の品質も良くはなさそうだ。なるほど、甘みが薄いせいか不味さもひとしおである。
「トレイス」
「……なんだよ」
三度目にして、ようやくトレイスは反応した。
「死ねなかった」
「ああ、そう」
見りゃわかるよ。とは、敢えて言わない。昨日の夜に結構高い崖からヤバそうな滝壺に斬り落としたんだけれども、結果は御覧の通りだ。派手に汚れてはいるものの、ルースは傷一つなくピンピンとしてしまっていた。
「トレイス」
「あぁん?」
「腹が減った」
やはり、スキルが発動したのか。とトレイスは思う。どういう訳かこの『死なないスキル』を使うと、SPの消耗とは別で異様に腹が減るらしい。もっとも、腹が減り過ぎたからといってそのスキルが発動しないとった話でもないが。
ここ数日、色々と検証した結果分かったことだった。まあ分かったことと言えば使えば空腹になることと、様々な殺し方をしてもやっぱり『死なない』という点だけだけれども。
「メシ、食わなきゃそのうち死ぬぞ」
「そうなのか」
とはいえ、飢え死にや窒息という選択肢は試していない。これではクリフデンの依頼にあった『クリフデンのスキルで殺す』という条件から外れてしまうからだ。
まあこれまで試してみた感触からして、それらをやったところでコイツを殺せはしない気はするけれども。
「しょうがねえなあ……ほら、座れよ」
「了解」
「――ちょ、ちょっとお客さま!?」
椅子を引きテーブルにつこうとするルースを、奥のキッチンから血相を変えて飛んできたコックが止める。
「ん、どうした?」
「どうしたも何も、当店は食事をする所ですよ!? そんな汚らしい恰好で……何考えてるんですかっ」
「あー……」
このコックの言う事も、もっともだった。
「席が汚れちまうか」
「そっ、そうですよぉ。本日はお客様も大勢いらしてますし。御配慮、どうかお願いします……」
「わかった。ルース、座るな。立ってろ」
「了解」
トレイスの指示に従い、ルースは掴んでいた椅子を戻す。
「よし。……じゃあ、この地鶏の薬膳スープっての追加で」
「へ?」
きょとんとしているコックに、トレイスはメニューを突き出しながら睨みを利かせる。
「薬膳スープだよ、薬膳スープ。あんだろ? ここに『当店自慢の』って書いてある、お好きなハーブがトッピング出来るってヤツ」
「は、はぁ……そりゃあ御座いますが……えっ? ご、ご注文ですか?」
こくん。と、トレイスは綺麗に頷いた。
「それ、一つな」
「い、いやお客さま! お連れ様がまだ!? 座らなければいいとか、そうじゃないんですよ!」
「え、じゃあ何だよ」
「他のお客様の目というのも、ありますし……!」
トレイスはさっきまでざわついていた店内を見渡す。他に沢山のお客が居るのは変わらないが、皆トレイス達が起こしている揉め事など気にも留めないかのように静かに食事をしていた。会話までもが綺麗に引いてしまい、まるでワザと見ないようにしてるんじゃないのかと思ってしまうくらいだ。
「……誰もこっち見てないけど?」
「だから違うんですって! ウチはアルビソラでも一、二を争うような店なんですぅ! それにここ数日は位の高いお客様が沢山いらっしゃって、ウチにとっては名を上げるチャンスなんですよ! なのに店に入っていきなりこんな肥溜めに落ちたような奴が突っ立ってたら、激しくイメージダウンでしょうが! 営業妨害になるんですよ、営業妨害いィ!」
「んー……」
正直、自分に危害が及ばなければどうでもいいだろうに。トレイスはそう思いつつも、あまり目立つことをするのも良くないだろうと考え直す。穏便に済ます為にも、やはりここはコックの言う事に従っておくべきだろう。
「ルース」
「はい」
「そこ居たら営業妨害なんだと。ちょっと物陰に行ってろ」
「了解」
今度は店の隅にある木箱やら予備の椅子やらが積んである一角に移動し、ちょこんと身を潜めるルース。
「よし。……で、トッピングのハーブなんだけど」
「ふぇ?」
「トッピングだよ、トッピング。ここに『メニューにないハーブも、在庫次第でトッピング可』って書いてあるヤツ」
何か言いたそうに口を震わせながら、コックはしぱしぱと瞬きをする。
「そんでお宅の在庫にさ、スキルを弱める毒ハーブとかない? あったらとりあえず、あるだけスープにブチ込んで欲しいんだけど」
「……あ」
「あ?」
「――――あぁああああああるかァっ! ンなモン!」
「うわっ!?」
ついに限界を迎えたコックは猛獣のように叫びながら、トレイスのテーブルを力づくでひっくり返す。
「クソァ! はよでてけツっとんジゃぅルあああァ!」
そして隅にハマっていたルースもろとも、店から弾き出されてしまうのだった。