3:クリフデンの依頼②
「……私は今ではこんな老いぼれとしか呼べないような姿だが、ほんの四年前までは現役で剣を振るっていたのだ」
「剣人クリフデン、だっけか」
「そうだ、周囲からはそう呼ばれてもいた。だがある時、重い怪我を負わされてしまってな。……老人というのは、ただでさえ錆び衰えて行くものだ。故に、常に磨かねば恐ろしい勢いで朽ちる。怪我で満足に動けなくなったと思ったら、たった数年でこのザマだ」
クリフデンの語る言葉には、感情というものが思いの外薄かった。淡々と事実を説明しているだけ、と言った印象を受ける。ここまでは手紙に書いてあった内容のおさらいと言った感じなので、その所為かもしれないが。
「……『剣人』という二つ名の通り、私は幼い頃から剣だけに人生を捧げてきたと言っても過言ではない。そうやって日々絶え間なく研鑽を積み、先代から受け継がれて来た剣技は我が手でついに完成にほど近い段階にまでなったのだ」
次元流剣術。
そのスキルは伝承者であるクリフデンの下で長年厳しい修業を積み、尚且つ人間性や素行などを見極められた者のみに伝授されるという。一子相伝に近い剣術と言われている。なんでもクリフデンに認められた使い手は、今まで片手で数える程しかいないとか。
「何人いるんだ? 次元流剣術の伝承者使ってのは」
「……三人いた。が、一人は病で死んだよ。まったく、師匠より先に逝くとは」
「そうかい。けどまあ、二人いりゃ十分だ」
かもしれんな。と、クリフデンはどこか悔しそうに滲ませる。
「この剣が人々を守り、育み、少しずつ広がり行く。それは剣術家としては至上の喜びだろう。先代がそうであったように、私としても種を撒き……散るのが本望だった」
だが。と、クリフデンは露骨に言葉を濁す。トレイスにはこの後に続くであろう言葉が何であるか、ある程度察することが出来ていた。
「そうさせようとしない者達もいる」
「……そうだ」
クリフデンは腹の底を吐き出すかのように、重々しく同意した。
「奴らは次元流の伝承者である私の『奥義』をどうにか奪ってやろうと、様々な刺客を差し向けてきた。スキルを奪われ悪用でもされれば、次元流は人々を守るどころか危険に晒すものに堕ちてしまうだろう」
悪用される。それは意図したにしろそうでないにしろ、希少なスキルを持ってしまった者に常に付き纏う……疫病神みたいなものだった。
「無論、易々と思い通りにはさせん。奴らが襲って来る度、この手で返り討ちにしてやったがね。……とはいえ、だ。日に日に錆びが広がって行くこの身体では、それももはや限界だった」
「さっき言ってた『怪我』か」
力なく、クリフデンは頷いた。
「その時襲ってきた刺客の撃退には成功したが、代償があまりに大きかったのだ。そしてこんな身体では、もはや刺客の相手など出来る筈もない。しかし、だからといって奴らが弱りきった私を見逃してくれる訳でもないだろう。なにせ『スキル』自体は衰えない。身体とは違い、研ぎ澄まされたままここにあるのだからね」
言いながら、己のこめかみを叩くクリフデン。
「それで、こんな辺鄙な村に隠居……ね」
「情けない話だろう。我が剣技であれば、刺客など物の数ではないというのに……」
クリフデンは目を細めながら、皺だらけの己が手に目を落とす。そこでようやく、この老人の話に感情というか……悔恨の念が表出してきたような気がした。
普通であれば誰にでも平等に訪れる、肉体の衰え。それに伴う、叶わぬ願い。この身体が若ければ、という至極ありふれたものをこの老人も持っているのだろう。
普通の老人であれば、それもまた命の宿命と割り切ることもできたかもしれない。しかしこのクリフデンは、新たな剣術の祖とまでなった男だ。それだけに、磨き抜かれた剣技と容赦なく錆びて行く身体とのギャップに苦しめられているのだ。
ただ言葉悪く言えば、よくある話だった。トレイスとしても、似たようなケースには何度も遭遇してきた経験がある。
「とはいえ、ここでもいつまで身を隠せるかは分からない。そんな折に俺の噂話でも聞いて、心が決まった……ってところか」
「察しが良いな。……いや、これは経験かな。何れにせよ、概ねその通りだ」
「相手はその怪我とやらを負わせた『刺客』か? それともその背後にいる者?」
「全て……と言いたいところだが、その『刺客』だけで構わん。次元流が、あやつに通じるか否か。それだけでいい。通じれば、そのまま殺してくれて構わん」
それだけでいい。その言葉選びには、少し違和感があった。投げやりというか、重要な依頼をする際に出てくる言葉ではない気はする。
思うに、その『刺客』とやらには相当苦戦したのだろう。勝ち負けで言えば、負けに等しかったのかもしれない。故に、肉体さえ万全なら負ける筈が無い。それを証明して欲しいという感情はトレイスにも理解ができない訳じゃない。
とはいえ、だ。クリフデン程の達人ともなれば、戦わずしてその力量を推し測ることだってできるだろう。つまり、自身の剣が通じるかだなんていう疑問の答えはとっくに出ているのではないだろうか。
それなのに何故、わざわざ依頼をしてまで。
ここまで考えたところで、トレイスは思考を崩すかのように鼻息を落とす。自分がいくら疑問を転がしたところで、この話を断る事にはならないからだ。
ともかく、依頼の大筋は分かった。となれば、あとはそれを遂行するだけだ。
「あー……。話を受ける前に一つ、確認だ」
「なんだね」
「俺が依頼人の望む結果を達成できるかどうか、保証はできない。そこに向かって努力するかどうかも含めて、だ。最悪……その大切な『スキル』を誰かに売っぱらう可能性だってあるし、私利私欲の為に乱用する可能性だってある」
「不安があるならやめておけ、と?」
「俺が周りからどういった種類の人間だと思われてるのか、知ってるだろ?」
――スキルハンター。
他人のスキルを非道な手段で奪い、それを裏のルートで売り捌く。またはそのスキル自体を使用して荒稼ぎをする輩を、世間は侮蔑の意味を込めてそう呼んでいた。
「だが、自称はしていないのだろう?」
「まあ、それはそうなんだけど。……要するに、最終確認だ。それでもいいって言うなら、依頼は受ける」
「たのむ」
迷う素振りも、感情が動く気配もない。最初から、決意は動いていないということか。やはり達人というか、胎の座り方は流石という他ない。
「……不思議かね? 剣人と呼ばれたような人間が、殺しを依頼するなんて」
「いや、別に。そもそもアンタがどんな人格をした奴なのか、それすら俺にはわからん。剣の達人だからって、それ即ち聖人って訳でもないしな。前にはとある有名な神父が、自分の人生を神とかいうクソ野郎に縛り付けた両親を殺してくれ……だなんて依頼して来たこともある」
冗談ではなく、それは事実だった。それを知ってか知らずか、クリフデンは胸を弾ませながら笑った。傍目には細かく咳き込んだように見えなくもないけれども、恐らく笑ったのだろう。
「くっく……その通りだ。今日初めて顔を会わせる人間が、果たしてどんな腹の内なのか。私にはわからんし、君にも分からない。そうだろう?」
「仰る通りで」
「私にしてみれば、君がどうしてこんな外道と言える依頼を。それもタダ同然で受けて回っているのかが、甚だ疑問だよ。噂によると肝心の『報酬』だって、ロクに使いはしないんだろう? そこに何の利益があるのかと、問い質してみたい気も正直ある」
「利益、ねぇ……」
漠然としたその反応に、クリフデンは再び笑った。
「だろうな。恐らく、そういう類の話ではないのだろう。――が、そんなことはどうでもいい。最早どうでもいいのだ。依頼した内容を完璧に遂行してくれる。私にとっては、その実績だけで十分なのだから」
そりゃどうも。と、トレイスは肩を竦めた。
「その『実績』が本当とは限らないけどな」
「確かに。……だが、その服に刻まれた戎物の返り血」
干からびた手で、クリフデンはトレイスの上着を指さす。確認するとそこには土や埃による汚れに紛れて、ちょっとした食べ零しに見えなくもない程のシミがあった。今の今まで、トレイス自身も気付かなかったような、非常に薄く小さなシミだ。
これは、あの植物の戎物をやった時のものだろう。
「それと、袖口が焼けたかのように僅かに変色しているな。こちらは恐らく『魔力焼け』によるものだろう。かなり高威力な魔法スキルと一撃必殺クラスの物理スキルを併せ持っている証拠だ。それに加えて、その軽装。魔法武具を一切使用していない。つまり魔力による補助なしの、本人のみの力でそれらのスキルを使用していたということになる。……そんな状態で、且つ一人であの大型戎物の相手を出来るヤツなどそうはいまい。おまけに無傷と来た」
なるほど。とトレイスは納得をする。
「剣人ってのは、戎物までどうにかできんのか? ったく、いい性格してるっつーか」
自分がそうしていたように、クリフデンもまた静かにこちらの所作を細かく観察し値踏みしていたのだろう。それこそ、ここに来る前の段階から。改めて、この人物の底知れなさを感じたような気がした。
「だから信じようじゃないか。あくまで、勝手に。トレイス君が正真正銘、噂通りの『死にスキル〈デッドエンド〉』なのだと。こんな剣を携えてもいない老いぼれを『剣人クリフデン』と疑わなかったように」
なんだか変に持ち上げられているみたいで、気恥ずかしい。
トレイスはむず痒さを散らすかのように、わしわしと頭を掻いた。
「あー……。その、『死にスキル〈デッドエンド〉』ってのも自称じゃないんだけどな。なんだか調子乗ってるみたいで、好きじゃないっつーか……」
「フフフ。『剣人クリフデン』だって似たようなものだよ」
お互い、自嘲気味に笑い合う。ほんのりと、薄く、細く。
そうやって少しの静寂が流れた後に、トレイスはより詳しく話を進めようとする。
「……それでその『刺客』だったか? 話の流れからして、ソイツは逃げたんだろ? 居場所は分かってんのか? 流石にゼロから探せってのは、なぁ」
「心配しなくていい。名前も居場所も分かっている。そう遠方にいる訳でもない」
「そうかい。なら、名前とか特徴とか……分かる情報があれば全部教えてくれ」
「それも心配しなくていい。もはや名前だけで十分だろう」
「ん? そりゃどういう……」
妙な言い回しだ。と、思わずトレイスの眉間に皺が寄る。
「刺客の名は、ルースという」
ルース。その名を聞いた瞬間、目が点となってしまった。
それは自分を出迎えて、干し芋を受け取って、茶を淹れに行ったあの真っ赤な髪の少女の名前じゃないか。
「え。ちょ、ちょっと待ってくれ……」
疑問を投げかけようとしたその時、古びたテーブルに無遠慮極まりない音を立てながらティーカップが二つ置かれた。
「――――茶だ」
びくりと身体が脈打つ。まさに不意打ちだった。普段から隙を作らないよう心掛けているトレイスをもってしても、思わず意識が持って行かれてしまっていたのだ。
「うむ。ありがとう、ルース。……これに使われている茶葉は、村の特産品でな。高級品という訳でもないが、なかなか上品な香りのする良い品だよ」
「クリフデン。干し芋を食べてもいいか」
「ああ。ならばどうすべきかは、分かるな?」
こくり。と頷き、ルースはトレイスの方に向き直る。そしてその鮮やかな髪に彩られた頭部をぺこりと下げた。
「トレイス。いただきます」
「あ、あぁ……」
そんな生返事に近い返答を受けると、ルースは炊事場の方へと踵を返す。
トレイスはルースの背中を漫然と目で追うしかなかった。
テーブルでは、鮮やかな紅に彩られた液体が微かに揺れていた。