2:クリフデンの依頼①
――田舎あるある。
『少し』や『ちょっと』という距離がおかしい。店主の案内に従って歩く事、およそ二十分。ようやくそれらしき小さな家屋が見えてきた。
やっと着いたか、と青年は安堵する。さっき買った干し芋は、やっぱりヘンなニオイがするので食べずにポケットに突っ込んでおいた。
目的の家は、非常に簡素な一軒家であった。とはいえ、この界隈で派手散らかした家がある訳もない。この村にしてみれば、少し小さな家……といったところか。
青年は淡々と歩を進め、家のドアをノックする。
「――――なんだ」
程なくして、不躾な女の声が聞こえてきた。いや、少女の声と言った方が正確か。
「依頼を受けた、トレイスという者だ」
「依頼? 私は何も依頼していない。帰れ」
「おぉう……」
顔も見ずにいきなり帰れとは、随分な娘だ。この子は……依頼人の血縁者だろうか。そういえば貰った手紙に、同居人については書いていなかったな。
「クリフデンに直接確認してくれ。これは奴からの依頼だ」
「クリフデンが? ――了解、確認する。そこで待て」
そしてしばし待つと、ドアの向こうに人の戻る気配。そして扉の錠が解かれる音がした。
ぎぎい。と、億劫そうに開いた扉の向こうには、鮮血のように真っ赤な髪と瞳をした少女が憮然と立っていた。
年の頃は十代半ばだろうか。それにしてはあどけなさの欠片もない顔立ちだけれども……。まあ他人様の孫娘かも知れない人物に、ああだこうだと言うのも意地の悪い話だ。この辺にしておこう。
「クリフデンに確認が取れた。通れ、トレイス。クリフデンは奥に居る」
「どうも」
しかも当たり前のように呼び捨てかよ。と思いつつも、家の中に立ち入るトレイス。室内は外観と同様簡素そのもので、玄関の傍は狭苦しい炊事場。奥に小さなリビングと寝室があるような構造だった。
トレイスはそれらを横目に、リビングへと進む。そこには暖炉と古びたテーブル、そしてテーブルを挟むようにして長椅子が二つある。
そんな朽ちた樹木のような椅子の端にもたれかかる様にして、依頼人であるクリフデンの姿があった。
「……君が、トレイス・ヨリシロか? スキルハンターの。なんでも希少なスキルばかりを集めているそうじゃないか。しかも噂によると、君に獲られたスキルは二度と日の目を見ないと聞く。それでいつの間にか付いた呼び名が、『死にスキル〈デッドエンド〉』だとか」
「あー……言っとくけど、俺はスキルハンターなんかじゃねえ。周りが勝手に、ヤツらと一緒くたにしてるだけだ」
「まあ二つ名というのは、往々にしてそういうものだろう」
言いながら、クリフデンはトレイスの佇まいに目をやる。
「また、随分な軽装だな」
「骨と皮よりマシだと思うけど」
「フフ、違いない」
クリフデンは、もう言う事のないくらいに年老いた男性であった。辛うじて後ろに結ばれてはいるものの、白髪は無造作に伸び放題。足腰の弱さは座っているだけでも分かる程であり、喋りも振り絞るような声でスムーズではない。肌も水分が薄く、今にも枯れ萎んで潰れてしまいそうなくらいだ。
死にかけの老人。まさにそんな言葉が相応しい風貌であった。
ただし、一点。
その眼光だけは異様に鋭く、まるで隙がない。トレイスがその研ぎ澄まされた眼光を見ただけで、この老人がかつて戦場で多大な戦果を挙げた『剣人クリフデン』なのだと確信が持てる程に。
「しかし、思っていたより断然若い。噂で聞く限り、もうかなり前から活動しているという話だが……」
「あー……じゃあ何だ? 俺がアンタみたいにヨボヨボなら安心だったか?」
「そうだな。いやすまない。そこ、座るといい」
促されるがままに、トレイスは反対側の長椅子に腰を下ろす。
「悪ィけど、名刺なんかは持ち合わせてなくてね。俺が本物かどうか、証明は出来ねえぞ」
「なんの、構わんさ」
クリフデンはゆっくり瞬きをすると、這わせていた視線を少しだけ外した。
「ルース……!」
これでも目一杯に張ったであろう声で、クリフデンは先程の少女を呼びつける。
「なんだ、クリフデン」
「お客人に、お茶を淹れてさしあげなさい」
「……お客人? この人物は依頼の引受人ではないのか?」
「その通りだが、彼もお客人だ」
「了解した、クリフデン。依頼の引受人も、お客人。それでは――」
言いながら『ルース』と呼ばれた赤髪の少女は右手を差し出し、じっとトレイスの方を見つめる。その血のように赤い瞳で。
「え、なに?」
「経験上、お客人は漏れなく『おみやげ』を持参していた。お前が『お客人』であるなら、こちらに渡すべき『おみやげ』がある筈だ」
なんだコイツ。言うに事欠いて、土産を寄越せとは。
「これ、ルース……!」
なるほど。と、トレイスは納得する。出会い頭のやりとりといい、恐らくこのルースという娘は相当に融通が利かないのだろう。とはいえ、こんな寸劇染みたやりとりに付き合っている時間が惜しい。だったら素直に土産を渡してしまうのが良いだろう。丁度良いモノもあるし。
「あー……土産、ねぇ。ほれ、これでいいか?」
トレイスは懐から包みを取り出す。それは先程仕方なく購入した干し芋だった。
「受領する。これは……干し芋か。保存状態が悪く、カビも生えている」
「……それがあると、甘くてウマいんだぞ」
やっぱりカビじゃねえかあのクソ親父、と内心毒づくトレイスだった。
「甘いのか。それは楽しみだ。甘いものをくれるなんて、トレイスは『イイヤツ』なのだな」
「はは。そらどうも」
甘いものをくれたら『イイヤツ』なのか。このルースという娘の価値判断基準は犬や猫と同じレベルなのだろうか。
「……失礼をした。ルースはその、見ての通りでな。私の言った事は馬鹿みたいにしっかり聞くのだが、如何せん頑愚というか」
炊事場へ向かう背中を目で追いながら、クリフデンは深々と溜息をつく。
「いや、別に。……なんつーか、大変そうだな」
「フフ、これでも随分とマシにはなったのだが。前はもう目も当てられないくらいでな……」
自嘲気味に笑うクリフデン。このまま向こうに話の主導権を渡してしまうと、関係のない方向に脱線してしまうような気がした。流石に、同居している孫娘だかの話を延々と聞いてやる趣味はない。
「――そんな事より、依頼の話を」
「あぁ、そうだな。そうしよう」
クリフデンは椅子に座り直すと、語り出す。
「依頼は、至極単純だ。手紙にも書いてあった通り、『私のスキル』を使って『ある人物』を『殺して』欲しいのだ」
殺して欲しい。飛び出した物騒な発言に、トレイスは眉一つも動かさない。真っ直ぐクリフデンの瞳を見つめたまま、黙って続きを待つ。
確かに、手紙にもその依頼内容はあった。しかし、そうする理由までは書かれていない。
単なる殺しの依頼であれば、引き受ける輩はゴマンといるだろう。しかしこのクリフデンは、敢えてトレイスを選んで依頼したのだ。
ならばそこには、必ず理由がある。そして依頼を受ける身として、その理由は聞いておかねばならなかった。
もっとも、これは理由次第で依頼を受けるか受けないか……という話ではない。
依頼は、受ける。そう決めたのだから、トレイスはわざわざこんな辺鄙な場所にまで足を運んで来たのだ。理由を聞くのは、依頼を遂行するにあたっての『手続き』に近いと言えるかもしれない。
そんな雰囲気を敏感に感じ取ったのか、クリフデンは間合いを図っていたかのように再び言葉を紡ぎ出す。