15:騒乱のアルビソラ④
――それはシベリア家の一人娘として目を付けられ、悪漢に誘拐されかけた時。
偶然通りすがったというその剣士は五・六人いた賊どもをあっという間に撃退すると、すぐさまセシリアの手を取り優しく頼もしい言葉をかけてくれたのだった。
剣士は助けたお礼にと、少しの間シベリア家に厄介になった。その際、セシリアに次元流剣術の初歩を手解きしてくれたのだった。残念ながら、それからいくら修行してもそのスキルは初歩以上にはならなかったけれども。
「……おじさま、私は」
セシリアは思い出話を語りながら、あの剣士の姿を思い起こす。彼に会ったのは十年ほど前の、その一度きり。それも一週間かそこらを共に過ごしただけだ。
正直、何をどう教わったか、今ではあやふやになっている部分もある。でも彼の背中からは『剣士』というもののあるべき姿を多分に教わったような気がする。
目指すべきヒーローの姿だったのだ。セシリアにとっては、眩しいくらいの。
それなのに、自分ときたら。市民をロクに助けることもできなかったどころか、それが自分の存在が故に起きてしまったことかも知れないと考えると、『悪意なき弱者の助けになれ』という言葉が酷く歪んでしまったような気がした。
「笑えるだろう? 私は、彼から技と崇高な精神を受け継いだつもりでいた。でも、それは単なる思い込みだったのだ。受け継いだところで、何に活かせる訳でもない。要するに、行き止まり。それこそ、死んでいるようなものだ」
そんな無力感に打ちひしがれ、小部屋に静寂が訪れる。微かな波の音が、再び小部屋を撫で始めた。
「……よく、分からないが」
しかしそんな静寂を拒否するかのように、ルースが言葉を紡ぐ。
「今の話、どこが笑えるんだ?」
「――そう、だな。笑えないな、まったく」
「それに、セシリアは死んでいない。生きている」
真っ直ぐな言葉だった。至極当たり前の事実が、ぶつかってくる。
「死んだ者は、知らない事を言わない。セシリアは、知らない事を言った。その剣士の話を、私は知らなかった」
「ルース……」
なんと不器用な言い回しだろうか。死人に口なし、とでも言いたいのだろう。まだ生きているじゃないかと、ルースなりに励ましてくれているのだ。
「そうだな……。諦めるには、まだ早いか……」
しかしなんとか心を持ち直したところで、解決策が降って湧く訳でもない。
そうやって無為に時間が垂れ流され、どのくらい経った頃だろうか。不意に、小部屋に光が差し込んだのは。
「――おおっと。お二方とも、お目覚めのようで」
セシリアは光に目を細めながらも、声の方を見遣る。そこには、同じような黒装束に身を包んだ男が三人居た。
「お前たち、何者だ!?」
「あ? 俺たちか? 『ベルメス』って言えば分かるか?」
いまにも噛みつこうかという勢いのセシリアに、黒装束の一人はヘラヘラといかにも不真面目といった具合で答えた。
「おい、なに普通に名乗ってんだよ!?」
「いいじゃねえか、別に。ベルメスの名前が売れりゃまた金になる」
「知ってんなら、素直に『協力』してくれるかもな。ケケッ」
ベルメス。それはまさかの名前だった。
「馬鹿な! ベルメスの連中が何故ここに!? 山方での取引があるのではないのか……!」
「ひゅーっ、可愛いねぇ。確かに取引自体はあるし、アッチに行ってる仲間も数人いる。けどな、お嬢ちゃん。陽動って知ってるか?」
「陽動、だと……?」
「そうだ。フェイクなんだよ、その取引情報は」
「しかし、上層部からの確かな情報だと聞いているッ!」
目を見開いての必死とも言える抗議に、黒装束の一人は下卑た声を立てた。
「ケケケッ! なんだよお嬢ちゃん、天然かぁ? その『上層部』が上手い事やってるに決まってんだろ。……ま、実際ベルメスの何人かは情報通り山にもいるからなぁ。上層部サマは嘘をついたことにはならないし、俺らもオークションを無事に済ませられて万々歳。誰も損してないだろ? 世の中、平和が一番ってな!」
「おいおい、下っ端サン共は骨折り損だろ?」
「ハッ、違ぇねえや!」
黒装束たちは、これ見よがしにゲラゲラと笑い合う。
「そっ、それでは……! それでは、上層部が我々隊員をわざわざ陥れたという話のようではないかッ!」
「随分とカンの悪い嬢ちゃんだな。だからさっきからそう言ってんだろうが」
「そん、な……」
「つっても、俺らはあくまでガードだからな。その辺の詳しい事情は知らんが、金やらそこそこ珍しい『スキル』で喜んで協力してくれたって聞いてるぜ?」
機動兵隊の上層部が、裏の人間たちに買収されている。ベルメスの構成員は、臆面もなくそう告げていた。
――悪意のある強者。
彼らの言葉が事実であるなら、機動兵隊の上層部はそんな存在になり果ててしまっているというのか。あの言葉とは真逆の、唾棄すべき存在に。
拘束されている手足が、わなわなと震える。
「しっかしボスのスキルがあるとはいえ、まさか『実演販売』までやるとはねぇ。お陰様でどう火消しするか悩んだものだが……アンタのスキルで助かったよ。あちらさんも、やるならやるで事前に言ってくれって話だ」
「ああいう派手なの、好きだからな。まったく、金持ちってのは」
「それで本当に売れるってんだから、これがねぇ」
雑談に耽る黒装束たちを前に、セシリアはもはや何も言い返すことが出来ない。
何もさっきの話が、本当だと決まった訳ではない。しかし、状況が。今まで見てきたものが、それが真実であると言っているような気がした。
「……で、だ。ここでお嬢ちゃんたちに、大切なお話だ」
「えっ」
黒装束の一人が、前に出て腰を屈める。
「単刀直入に言おう。お嬢ちゃんたちの『スキル』を『継承』してくれ」
「私の、スキルを……!?」
「ああ。次元流剣術、まさかこんな所でお目にかかれるとはな」
セシリアは、思わず息を呑む。彼らが秘剣の存在を知っているだなんて。
「しかもあの電撃……詳しくは知らねえけど、相当良いレベルなんだろうよ」
「し、知らない! 私は電撃なんてやってない……!」
真正面から反論しようとするセシリアを、黒装束は馬鹿にしたように手で制する。
「どうどう。別にいいさ、やってようがやってまいが。ただ、アンタが次元流剣術を使ったのは確認済なんだよ。……ま、確認したのはウチのボスなんだけどな。そのボス曰く、あのスキルは相当に人を選ぶみたいだし? どうせ『継承』したところで、ロクに伸びずに終了だろうよ」
「だな。ただ、こっちとしてはセールストークが欲しいんだよ。『あの電撃を放った、高レベル間違いなしの魔剣!』……ってな具合で。そもそものスキルレベルが高けりゃ、レベル高めに継承される可能性がある。そういう『可能性』に、アイツらは金を出すんだ」
「苦労は買ってでもやるな、ってか? ケケッ」
――スキルオークション。
スキルの売買自体は違法ではない。中には自らスキルを習得し継承する事、そのものを生業としている者も少なくないのだった。
しかし売買が成立するのは、双方の同意があった場合のみ。彼らの言うオークションとは、スキルの継承元の同意を得ずに行われるものを指していた。
「そっちの赤毛の方もだ。すげえ回復スキル、持ってるみたいじゃねえか」
「私は回復スキルなんか使ってない。死なないだけ」
「ああそうかい。……誤魔化すにしたって、もう少しマシなのにしときな」
なんというか。この状況で素っ頓狂な事を言うなと、セシリアは感じてしまう。それにしてもルースの回復スキルとは、一体何の話をしているのか。自分が気を失っている間に、何かあったのだろうか。
「次の晩、あの電撃騒ぎで中断したオークションが仕切り直される。機動兵隊が街での騒ぎを嗅ぎ付けたとしても、本隊が戻ってくるのに一日以上はかかるだろうし……港には船もあるからな。解散までの段取りも滞りなく、余裕の開催だそうだ」
ひどくつまらなさそうに、黒装束は言う。彼らにとっては、このオークションが金に化けてくれればそれでいいのだろう。
「ケケッ。嬢ちゃんたちのスキルは、なかなか良い追加商品になりそうだ。これで俺らの評価も上手い具合に挽回ってワケだ」
「……また来るからな。それまでに協力するか、しないか結論を出しとけ」
「素直に協力するなら、命までは取らねえよ。だが意地を張ろうってんなら……こっちだってそれなりの手段を準備している。お前も機動兵隊なら、スキルハンターのやり口は知ってんだろ?」
三人はそれぞれ口々にすると、僅かな食糧と水を置いて部屋を後にした。