11:トレイスと死なない少女、あと機動兵隊の少女③
魔灯の光に彩られた大通りは夕食時とあって、それなりに往来があった。そこかしこにある小さな酒場では仕事を終えた労働者たち大勢が酒を飲み食事を楽しみ、歌い踊っていて実に賑わっている。いや……これはもう賑わっているというより、騒々しいという方が近い。
セシリアはそんな中でも目に余りそうな喧噪に都度注意を促しつつ、通りを少し外れた方へと進んで行く。そうして辿り着いたのは、申し訳程度のテラス席がある小汚い料理屋だった。
「……ふむ。ではそこの席にしようか」
「だってさ。ルース、座っとけ」
「了解」
店内の席もあるというのに、何故わざわざ外に。テラスじゃ魔灯の光に虫が集まってくし、何なら料理が危ういじゃねえか。トレイスはそんな感想を抱くも、まあこれでタダメシが食えるなら仕方がないかと割り切ることにした。
それにしても、実に寂れた料理店だこと。この時間帯だというのに、客は自分たち以外に一人しかいない。店内でしみったれたジジイがチビチビと晩酌しているだけだ。これじゃあなんというか、期待薄という他ない。
「メニューはこれだ。好きなものを好きなだけ注文するといい」
「あー……言っとくけど、ルースはそれなりに食うぞ」
「構わないぞ。金は……まあ心配することはない。食事代くらい、なんとでもなる」
やはりというか、一兵卒のクセに金はあるようだ。今までの感じからして、金持ちの娘が道楽で機動兵隊をやっている……とかそんな所だろうか。
トレイスは漠然と思いながらも、差し出されたメニューを受け取る。
「そりゃ、どうも」
なにやら相当に使い込まれている、薄汚れたメニュー表に目を通す。何かの煮込み料理に、魚の燻製、自家製のピクルス、芋と根菜の炒め物……。うん、どこからどう見ても家庭料理だろう。参った、家庭料理というのはちょっと縁遠いというかピンと来ない部分がある。
「……アンタのオススメでいいよ」
「むむ、遠慮することはないぞ?」
「あー……いや、やっぱ食い慣れた人のチョイスが正解っつーか……」
「それで良いのなら構わないが……ルースはどうだ?」
「トレイスの指示に従う」
「そ、そうか」
ルースの無骨な回答に少し眉を歪めながらも、セシリアはカウンター向こうの厨房で料理をしている老婆に注文を伝えに行った。わざわざオーダーを聞きに来ることもしないとは、なんというか凄い店だとトレイスは思う。老婆のほかに料理人もいないみたいだし、これは品が出てくるまでに時間がかかりそうだ。
テラス席には、夜風と共に町の喧騒がよく通って聞こえていた。幾重にも連なった上で、ぶわりと膨張した声が響き垂れてくる。
「どうかな、いい店だろう?」
「あー……うん、そうだな」
「こういった趣の店が、私は好きでな。見つけた時は、ついはしゃいでしまったよ」
あまりに満足げなセシリアに、トレイスは適当に合わせておく。こんなションベン臭い店のどこが? とかいう言葉を飲み込むだけでタダメシにありつけるのだ。ここは我慢だ、我慢。
「それにここからは、大通りの様子が良く分かる。もしどこかで騒ぎが起これば、この喧噪に棘が生えるのだ。あの騒々しい中を巡回するよりも早く、異変に気付くことができる」
食事の時も鎧を着用するスタイルと言い、セシリアという人間は随分と意識が高いようだった。
「んでも、アンタはそもそもダビルシムの機動兵隊なんだろ? 熱心なのは結構だけどさ。他所サマが動き回るの、アルビソラのはあんまし良い顔しないだろ」
「それは……その通りだ」
セシリアは、少し目を細める。
「だからといって、何もしない訳にも行くまい。何故なら今、このアルビソラには殆ど機動兵隊が残っていないのだから」
そう言えば、ここに至るまでにセシリア以外の機動兵隊を見かけたことはない。港での騒ぎの時だって、応援らしき仲間の姿は見られなかった。
「ふうん……そりゃまた何で」
興味半分。あとは、情報を得ることが半分だった。機動兵隊の動きが分かれば、それはイコール面倒事を避ける事にも繋がる。
「そうか、昨日今日アルビソラに来た冒険者では知らなくても無理はないか。……実は少し前に『ベルメス』というスキルハンターの集団がこのアルビソラに入港し山の方へと移動したという情報が上層部から提供されてな。なんでも、近々向こうで大規模な取引が行われるそうだ」
「へえ」
ベルメス。その名は耳に挟んだことがある。確か規模は大きくないものの、隠密性をウリにした武闘派のスキルハンターチームだった筈だ。スキル自体を売り捌くというよりも、奪ったスキルを用いて暗殺・強盗・誘拐などの犯罪行為や裏社会での用心棒などを行っている連中らしい。
となれば、ベルメスはその『取引』とやらを成立させるためのガード役として雇われている……といったところか。
「恐らく、取引にはベルメス以外の裏組織も複数絡んでいることだろう。その取引現場を押さえると同時に奴らを確実に壊滅させるため、アルビソラの機動兵隊はその殆どが駆り出されている。我らダビルシム機動兵隊がここに来たのも、その壊滅作戦に協力する為だ」
なるほど。とトレイスは納得する。機動兵隊がこうも少ないのは、その所為だったのか。街の治安をほっぽり出して大捕り物とは、随分な話だが。まあ、その分こちらが動きやすいということでもある。良い情報を得る事が出来た。
「ってえと、アンタは運悪く居残り組ってことかい」
「運悪く、か。そうだと良いんだが……」
露骨に言い淀むセシリア。トレイスなりに遠回したつもりだったけれども、どうやら自覚はあるらしい。
失敗が許されない任務であるなら、それ相応のメンバーを宛がうのは当然の話だろう。要するに腕の立つ者は最前線に送られ、そうでない者が後方に残る。
このセシリアは、つまりはそういう事なのだろう。
「だが私はれっきとした機動兵隊の一員だ。アルビソラを任されたからには、その任を果たさねばならない。誰が何と言おうと、悪意なき弱者の助けに……!」
セシリアは胸当ての隙間から金色のロケットペンダントを取り出し、その中身に目を落とす。こちらからは見えなかったが、写真か何かでも入っているのだろうか。
まるでそれ以上の追及を避けるかのように、チリンというベルの音が数度鳴った。
「……料理が出来たらしい」
ペンダントを戻し、セシリアは席を立つ。まさか料理まで客に取らせに行くとは、もはや言及する気にもならない。
「ほうれん草のサラダと、自家製ポテだ。ここのポテは旨いぞ」
どかんとテーブルに大皿が二つ置かれる。山盛りのほうれん草とベーコンのサラダに、もう一つは何か色々ごちゃごちゃと煮込まれた料理だった。サラダの方は辛うじてといったところだったけれども、ポテとやらの方は大分見栄えが悪い。
そうやって、まさに食事が始まろうとしたところだった。大通りの方から流れてきている喧噪の中に、一際鋭いモノが混じって聞こえる。
――それは、紛れもなく女性の悲鳴だった。
「今のは……!」
小皿へ取り分けた料理にまるで未練なく、セシリアは大通りの方へと足を向ける。
「……少し出てくる。トレイスとルースは食事をしていてくれ」
言うなり、こちらの反応を待つこともせずに走り出した。
使命感が強いというか、一本気というか。どうせ酔っ払いが道行く女性に絡んできたとかその辺だろうに。血相変えて出て行ったところで、ああでもないこうでもないと不毛にくだを巻かれるのがオチだ。ひょっとしたら絡む先がセシリアに変わるだけかもしれない。ご愁傷さまだ。
その背中が建物の角に溶けて行くのを見送った頃、意外にもルースが口を開いた。
「トレイス、セシリアはどうした?」
「あー……なんかトラブルだと。ほんと、よくやるねえ」
「トラブル」
すっくと立ち上がり、大通りの方を見遣るルース。
「え。なんだよ急に……」
「セシリアを助ける」
「は? ――――お、おい!?」
今度はルースまでも、セシリアの後を追って大通りの方へぴゅんと駆け出してしまった。
予想外の行動に唖然としてしまうトレイス。しかしその行動に至った理由を探してみると、それはすぐに見つかった。
「そう言えば、さっき『イイヤツ』って……!」
食事に出かける前、ルースがセシリアの事を『イイヤツ』だと認識していた事を思い出す。イイヤツが困っていたら助ける、というのはクリフデンからの教えだ。さっき、つい『トラブル』と口走ったのは失敗だったか。
「くっそ、マジかよあのバカ……」
さて、どうしようか。トレイスは頭をボリボリと掻く。
食事は目の前にある。あの悲鳴だって、大したトラブルじゃない可能性だって十分にある。質が高くはないとはいえ、このタダメシを放っておいてまで面倒事に首を突っ込んでやる理由はないように思える。
が、だ。
ここで少し、想像を膨らませる。出来るだけ悪い方に。
そもそもトラブルがセシリアでは抑えられないくらいにヘビーだったとしたら。具体的に言うと、殺し合い寸前のケンカだとか。
当然、あのバカは躊躇なく助けに入るだろう。ルースの耐久能力は港での一件からして、相当なものだ。大の男一人を吹っ飛ばしてもいたので、パワーもそれなりだろう。ただ下手に戦えてしまうというのがあまり良くない。
そんなルースが殺し合いに乱入してしまい、乱戦の中で袋叩きにされてしまったとしたら。そしてあろうことか、傍目には致命傷である攻撃でも貰ってしまったとすれば。
当然、あのバカは死なない。そう、これが最悪のケースなのである。まだいっそ、死んでくれた方が幾分マシだ。ぶっちゃけ依頼失敗になるので、個人的には御免被りたいが。
死なない人間が。そういう『スキル』を持った人間がいる。この情報の持つ意味は、果てしなく重い。スキルハンターであれば、喉から手が出る程に欲しいスキルだろう。売り払うにしても、自分で使うにしても。
無論、こんなのはあまりに都合が良すぎて悪すぎる顛末と言える。実際に起きるかどうかなんて、鼻息で消し飛んでしまうくらいの可能性なかもしれない。
そして、なにより。
――ルースを、頼んだ。
「あー…………」
トレイスとしては、あの発言を『依頼』と受け取ってはいない。あくまで依頼は、ルースを次元流剣術で殺すこと。それ以上でも、それ以下でもない。
そう思いながらも、結局トレイスの身体は動いてしまうのだった。
せめてと、小皿に取り分けたポテを摘まんで口に投げ込む。
「だーッ、畜生! んだよコレ、くっそウメぇじゃねえかよ……!」
などと文句を垂れながら、遅れてトレイスも大通りを目指すのだった。